12.古来のうた
フールは毎日、ヒー・ポゥの店に行っているらしいことをビスとクルトンは知っていました。いつもなら、さすがは旅人、花の町の住人とは少し違ったところがあって飽きないものなのだなと二人ともそれぞれ思うだけで終わっていたでしょう。
しかし、もはや今の花の町は、ビスとクルトンにとって、全く馴染みのないものへと変わり果ててしまっていました。こうなっては、常にぎすぎすした空気が充満するこの町で、リィの癒しの歌が聴けるヒー・ポゥの店が、唯一の拠り所です。
だから、ある朝、ビスとクルトンは、ヒー・ポゥの店に向かうフールにばったり出くわした時、二人はそろって、「ボク達もついて行っていいですか!」と、すがったのです。それは、花の町の大広場でのことでした。
大広場は前と変わらず、たくさんの人が行き交っていました。しかし、前と違う点がいくつかあります。それは、人々の声の荒さにも現れていました。ひとりひとりのこころのすさみが、町中にあふれ出ているようで、ビスもクルトンも気味が悪かったのです。そんななかで、ヒー・ポゥの店へ向かおうとしているフールの姿は、光のようにさえ見えました。疲れきっている町のおとな達の中で、唯一余裕のある気ままな旅人だからこそのことなのでしょう。リィの歌に、気ままなフール、今のビスとクルトンにとっては、数少ない息継ぎのポイントのように思えました。
特に、すさんだ声とこころが聞こえてくる大広場の真ん中では。
「さぁさぁ、よい子も悪い子もよっといで」
フールが二人を見つめたまま黙り込んでしまったので、周りの声もよく聞こえてきます。その声は、奇術師のサバレイの声でした。いつもの人形劇の寄席の声です。けれど、今のビスとクルトンにとっては、今となってはこじれてしまっている、ラムネとガムの仲を思い出して複雑な心境になってしまう声でした。それだけ、サバレイの声だけは、前と変わっていなかったのです。ビスもクルトンも悲しくなりました。
「悪魔に魂を奪われた青年と、永遠に縛られた悪魔。青年は奪われた時を取り戻すことができるのか。さぁさぁ、今日は林檎味の飴を食べながらご覧あれ。さぁさぁ、さぁ、寄っといで、寄っといで」
フールはなおも黙りこんでいました。ビスはたまらず、ふとサバレイの人形劇の行われている方向を振り返りました。そこにはすでに、たくさんの子ども達が集まっていました。みんな、ビスとクルトンと同じです。ぎすぎすしたこの町の中で、安全基地を探しているのです。そこには、ビスも望んでいるような、色がありました。その賑やかな場所に比べると、周りの空間なんて、慌ただしいだけの灰色にしか見えません。
子ども達の間から、ちらりとサバレイの操る人形達が見えました。赤いマントの青年の人形。真っ黒な悪魔の人形。生きているかのように動く二体の姿が、ビスの目に焼きつきました。
「いいですよ」
やっと、フールが答えたので、ビスがサバレイの方向を見るのもそれまででした。
「一緒に行きましょう」
フールはそう言うと、とても速い足並みでさっさと歩いて行ってしまいました。ビスとクルトンは慌てて彼についていきました。いま、置いて行かれるとたまらないほど、この大広場は心細かったのです。子ども達の逃げ場はサバレイの人形劇のみ。けれど、それも、ビスとクルトンにとっては、切ない想い出でしかないのです。
フールがさっさと歩くので、ヒー・ポゥの店にはあっという間に着きました。けれど、それはとても有難いことでした。あんまり大広場にはいたくなかったし、ヒー・ポゥの店に入った瞬間、どっと汗が噴き出してくるほど、落ち着く場所だったのです。それとも、外がそれだけ緊張する場所になってしまったのでしょうか。
ともかく、ビスとクルトンは、ヒー・ポゥの店について、とてもリラックスしました。
フールはもうすっかりここの常連となっていて、店のオーナーである《眼鏡フクロウ》のおじいさんとも親しげでした。
「おやおや、今日は子ネズミ君達も一緒なんだね」
《眼鏡フクロウ》のおじいさんはにこやかに言うと、窓際の一席をさしていいました。
「さぁ、はやくおかけなさい。もうすぐリィの歌が始まるところです」
そう言われてみて、ビスとクルトンはふと店を見渡しました。やや客入りは少なめです。しかし、来ている人々を見てみると、どこかほっとしているかのような表情を浮かべているようにも見えました。まるで、彼らもビスとクルトンと同じく、外の殺伐とした空気から逃げてきたようでした。
拍手が起こりました。
ピアニストの《黒猫》と《歌姫》のリィが現れました。ビスとクルトン、そしてフールは、慌てて近くにあった席につきました。《眼鏡フクロウ》のおじいさんが示した場所とは違いましたが、特に指定席というわけでもなさそうだったので、ビスはその場に落ち着いて、じっと演奏が始まるのを待ちました。
《黒猫》と《歌姫》が顔を見合せます。何度かコンタクトを交わした後、《黒猫》が鍵盤を叩きつけるように両手をバウンドさせて、音楽を始めました。聞き覚えのある曲でした。この前奏は、たしか、前に来た時にも演奏していた曲です。
「『竜の歌』ですね」
フールがぽつりと言いました。
ビスとクルトンは一瞬だけ演奏よりもそちらに気を取られました。どうやら、フールはこの曲を知っていたようです。でも、何故、フールがこの曲のタイトルを知っているのでしょうか。いえ、むしろ、知っているのなら、少しだけこの曲について押してもらいたいくらい、この曲が不思議なものだったという印象が、二人の中に根付いていたのです。けれど、そんな隙も与えないうちに、リィの美しい歌声が店内に響き渡りました。
夜明けの中で しおれる花
野をかけて 野をはねる
尾をふって 尾をふって
ビヒへ行くのは ワグの者
世の泣く時に 世の鳴く時に
ルビの火は堕つ 竜の拳に
時がとまり 手の中に
木が叫ぶ 木が叫ぶ
それは、この場で、同じ空間で、この音楽をピアニストと歌手といった二種類の人達だけが生みだしていることが信じられないくらい、大きな包容力を持った音楽でした。最初に聞いたあの時と同じ曲なのですが、今日は何かが違います。美しさの違いはもちろん、音の色合い、そして同調、すべてが心地よく感じる、安心感に包まれた音楽でした。しかし、ビスはこの曲を聞いて、ふとした疑問を感じました。
目を閉じて、この曲を思い出しながらイメージを膨らませてみると、そこに現れるのは、何故か、ゆりかごに揺られている赤ちゃんではなくて、何かに追われるように走るおとななのです。特に、牧羊犬たちのいささか乱暴な誘導に急かされながら移動していく、羊毛を売りに来た羊たちのイメージでした。
どうしてなのか、ビスには、とても急がされているようなものが、歌っているリィと、ピアニストのなかに潜んでいるような気がしてならなかったのです。
拍手が鳴り響いて、ビスははっと演奏が終わった事に気づきました。置いて行かれてしまうほど早かったので、演奏の最後がどんな感じだったかを思い出すこともひと苦労でした。鳴り響く拍手に笑顔で答える《黒猫》が、客席に向かって言いました。
「ありがとうございます。次の曲に参ります」
《黒猫》は、短く、でも陽気な声でそう言うと、壊れやすいものに触るような繊細な手つきで鍵盤に手を置き、音楽を奏ではじめました。まるで、清涼な川の水が流れていくような心地よい音に、ビスの耳はとろけてしまいそうでした。
前奏だけで何の曲か分かりました。
「洞の泉」というこの町でも昔から知られている歌です。
リィが《黒猫》の伴奏に長いネコの耳を研ぎ澄まして、そっとそれにこしかけるように歌い始めました。
洞の泉に 生まれゆく
椎の木の実を 眺めつつ
野遊びしている ガラの人
雷鳴聞いて 去っていく
角笛吹いて 列を成し
帰りゆく 帰りゆく
この短い詩が繰り返されるだけのシンプルな歌です。
ビスにとってもクルトンにとっても、何度も何度も聞いたことのある歌です。学校でもよく歌われて、中にはもう飽きてしまった子どももいます。それなのに、《黒猫》とリィの演奏するこの曲は、とても美しくて、情動的で、何度繰り返されても飽きるどころか、もっともっと聞きたくなるくらい心地いいものでした。
曲が段々と終わりゆくのが惜しいと思う程、惹き込まれるあまり音楽の世界から抜け出せなくなるようなうっとりとする演奏です。
やがて、リィが歌うのを止め、《黒猫》のピアノが最後の章を奏で終わった時、クルトンが思わず溜め息をつきました。まるで、音楽に恋をしてしまったかのような溜め息です。そんな今のクルトンの表情は、キャンディちゃんのことを想ってうっとりしている時のようでした。
でもそれは、ビスを含めて、ここにいるニ十人足らずの人達全てがそうでした。
感動醒めきらないうちに、《黒猫》のピアノからまた音楽が流れ始めます。これも、前奏だけで何の曲か分かりました。「日照りの歌」という花の町では有名な歌です。ビスはこの曲がなんとなく好きだったので、内心悦びを感じながら静かにリィの歌を待ちました。
宵の口 通り過ぎ
野良の獣 迷宮へ行く
折を見て ルビの火下がる
ワニの吠え声 「のの」称え
理を唱えつつ 晴れを待つ
これも、「洞の歌」と同じく、この詩が繰り返されるだけのシンプルな歌です。昔の人は、シンプルにたくさんの歌をうたってきたのかもしれない、とビスは常日頃思っていました。けれど、リィと《黒猫》の演奏は、シンプルさの中に、ちゃんとしたイメージを含ませて、聞く人にそれを与える魔法を持っていました。
この曲は、花の町に古くから伝わる民謡と同時に、民話でもあります。
昔、花の町から遠い異国へと旅立った冒険者たちが、密林で迷いの妖精に魅入られてしまい、水もなく雨も降らず、死を覚悟していたところ、ワニを模ったお面をかぶった子どもが、雨乞いをして助けてくれたおかげで、花の町に帰ってくることが出来たというお話を歌っているのです。
リィと《黒猫》の演奏は、まさにその一場面を示しているようで、ビスは驚きました。それまで、遊びの途中で何気なく口ずさむに過ぎない民謡が、こうして演奏だけで内容を含んだお話になってしまったからです。
拍手と歓声で、いつの間にか曲が終わっていたことをビスは知りました。さっきからビスは、音楽に呆気を取られて、曲の終わりを聞き逃してばかりいます。でも、演奏を聞いているこのニ十人足らずの中には、そんな人が他にもいるはずだとビスは信じていました。
《黒猫》が次の演奏をはじめます。知らない曲のようでした。
リィがちらりと《黒猫》の方を見つめ、静かに構えて歌いだします。
丘へ登り 日を拝む
花実備え 佳日得る
「のの」の恵み 理を授け
森に木を 野に花を
「のの」は与ゆる 諸々の者を
野の者へ 野の者へ
曲を聞いていて、ビスは、なんとなく「日照りの歌」に雰囲気が似ていると感じました。繰り返されてはうごめき、繰り返されてはうごめき、まるで生きていて成長しているように音楽は広がっていきます。ただ、ピアノからフォルテに向かっているだけではない、躍動感があって、運動しているかのような音楽でした。
「ああ、いい曲だなぁ」
クルトンが心の底から声を漏らした所で、ビスは彼の存在を忘れていた事に気づきました。もしかしたら、演奏中は、お互いがお互いを忘れているのかもしれません。
曲が終わりを迎え、拍手があがった時、フールが突然、立ち上がり、店を出ようと歩き出しました。クルトンも他の客も気付いていませんでしたが、ビスは少し気になって、去っていこうとするフールを見つめました。店のオーナーの《眼鏡フクロウ》のおじいさんも、ちらりとフールを見ましたが、特に気をとめなかったようで、すぐにステージの方へと目線を向けなおしました。
しかし、ビスは非常に気になりました。なので、ビスも立ち上がり、移動しようとし始めました。
「ん? どうしたの?」
クルトンがやっとこちらへと意識を向けてきました。ビスは、でも、そんな彼に短く答えます。
「フールについて行ってみる」
クルトンに構っていては、フールを見失ってしまうかもしれません。フールはすでに店を出ています。店の扉の鈴の音も止んでしまう程、時間が経っていたので、ビスは慌てて店を飛び出して、辺りを見渡しました。
「おい、ビス?」
すぐに店の扉が開いて、クルトンの声が聞こえてきました。彼もビスの様子が気になって追ってきたのです。ですが、そんな彼に構う暇もなく、ビスはエンジ色のマントを目で捉えました。フールに間違いありません。彼は店と店の隙間へと、消えるように入っていきました。細い、細い、店の人以外誰も知らなさそうなほどの路地です。
「フール?」
ビスはすぐにその影を追って、路地へと入って行きました。入り込んで、すぐに目に入ってきました。フールはちゃんとそこにいます。路地の真ん中。ヒー・ポゥの店の裏口で、誰かと話をしていました。ビスは驚きました。よくよく目を凝らせば、それは、さっきまでステージで歌をうたっていたリィだったのです。
「リィちゃん?」
クルトンの声がしました。彼もいつの間にかビスの隣でその光景を目にしていました。もはやみんなの《歌姫》であるリィは、ヒー・ポゥの店の裏口の段差に腰かけて、白くて長いしっぽを軽く振りながら、フールと話をしていたのです。
クルトンの声に、リィもフールもこちらに気づきました。
フールがふっと笑みを浮かべたので、ビスとクルトンは安心して彼らに近づくことが出来ました。
「今、彼女に訊ねていました」
フールは短くそう言いました。何を、と問う間もなく、リィが口を開きます。宝石のようなぎらぎらしたネコの目は、薄暗い路地裏にて、間近で見ると少し怖いものでしたが、すぐに甘い声が聞こえてきたので、ビスもクルトンもすぐに怖さを忘れました。
「あたしと《黒猫》が選ぶ曲って、なんとなく決まるのよね」
リィは少しだけ首を傾げ、しっぽを左右に揺らします。
「好きな曲はいっぱいあるし、歌いたい曲もいっぱいあるわ。《黒猫》だって演奏したい曲はいっぱいあると思うの。でも、これって曲はその日にあわせて自然と決まるのよね。これは、あたしがここで働くって決まった時から一緒なのよ」
フールはそう語るリィの姿を優しく見つめ、訊ねました。
「歌っているのは、全部、元から知っていた曲ですか?」
「もちろん、知らなかった曲もあったわ」
リィはフールを見上げてそう言います。
「《黒猫》が選ぶ時もあるし、あたしが選ぶ時もあるの。ここのお店にある楽譜から選んでいるのだけれど、どれも、あたしも《黒猫》もどちらもが納得して決めた曲よ」
「よかったら、最近、よく歌う曲を教えてくれますか?」
フールの問いに、リィは首を傾げながら頷きました。その姿は幼い子どものようにあどけなく、可愛らしいものでした。
「いいわよ。えーっと、一番多いのは五曲ね。今日歌った『竜の歌』、『洞の泉』、『日照りの歌』、『愛』と、あとは、『ノロの者』なの。なんでか分からないけれど、この曲を演奏しなくちゃって想いが、あたしと《黒猫》にはあるの」
リィが自分でも不思議そうにそう言うと、フールはすぐに懐から手帳を取り出して、何か、メモをとっていました。そして、すぐに書き終えるとリィを見つめ、笑顔で言います。
「ありがとう。またあなたの歌を聴きに参りますよ、お姫さま。それでは、私はこれで」
すると、すぐにその場を後にして、どこかへと走り去ってしまいました。取り残されたリィは不思議そうにその背中を目で追いましたが、ちょうどその時、店の人から名前を呼ばれて、引っ込んでいってしまいました。目の前で扉を閉められたビスとクルトンは、しばらく呆然とリィの声を思い出していましたが、しばらくして、フールがいなくなったことに気づいて、すぐに顔を見合わせました。
クルトンが場を濁すような笑みを浮かべたところで、ビスもくすりと笑いながら、急いで二人一緒にフールの消えた方向へと走り始めました。




