【第7話】歪んだ執着と、失意の独白(ディアブロス視点)
ロゼリアに会いに行くため、俺は王城で長期休養を申請した。
幸いなことに、王太子リカルド殿下も俺の言葉を疑うことなく、快く承認してくれた。
(よし……ここまでは計画通りだ)
突然押しかけては、ロゼリアを驚かせてしまうだろう。
彼女を怯えさせないよう、しばらくは陰から動向を探り、一番良いタイミングを見計らって、深く頭を垂れて謝罪を捧げる。
そうすれば、いつかまた……。
俺は簡素な荷物と、彼女が屋敷に残していったあの指輪を大事に抱え、早馬で隣国サルベール王国へと旅立った。
数日かけた道中、俺は改めて彼女への想いを募らせていた。
かつて、あんなにも一途に俺を愛し、甲斐甲斐しく支えてくれた女性。
それなのに『番の狂気』に狂っていたとはいえ、俺はどれほど彼女を傷つけ、地獄へと突き落としたのだろうか。
後悔の念とともに溢れ出してくるのは、己の愚かさへの絶望と、ロゼリアへの底知れぬ愛おしさだった。
薬によって番という呪縛から解き放たれて、本当によかった。
体を動かすたびに『番消しの霊薬』の激痛が走り、不倫の罰として受けた鞭打ちの傷も疼く。
だが、これは己が犯した罪の戒めだ。
喜んで受け入れよう。
そして、もう一度彼女の信頼を取り戻すためなら、俺はどんなことでもする。
そう、心に強く誓っていた。
◇
国境を越え、サルベール王国の街外れにある孤児院へと辿り着いた。
そして、遠目から見たロゼリアの姿に、俺の胸は激しく高鳴った。
(……なんて、美しく笑う女性なんだろう……)
子供たちに囲まれ、柔らかな陽だまりの中で優しく本を読み聞かせる彼女は、まるで聖母のように輝いていた。
俺の記憶にあるロゼリアは、いつも俺の顔色を窺い、冷酷な言葉に胸を痛めて涙を流す姿ばかりだった。
だが、今の彼女は違う。
穏やかに笑い、子供たちに囲まれ、幸せそうに暮らしている。
(本当に……俺が彼女に近づいてもいいのだろうか?)
リカルド殿下の手紙にあった通り、彼女の平穏な生活を壊すのは、俺の勝手な自我なのではないか……?
一瞬、足が竦んだ。
俺はすぐに声をかけることができず、身を潜めたまま、遠くから彼女を見守り続けた。
……それでも。
どうしても、目を離すことができなかった。
彼女が笑えば、胸が温かくなる。
子供たちに優しく声をかければ、その声をもっと聞いていたくなる。
そんな彼女を見ているうちに、俺の中に少しずつ別の感情が芽生えていった。
――嫉妬だ。
時折、あの孤児院に出入りしている銀髪の青年。
周囲には親切な好青年を装っているが、ロゼリアを見るあのエメラルドの瞳には、明らかな好意が宿っている。
一目見れば分かる。
……不快極まりない。
気に食わない。
(あの男は……ロゼリアに何の用がある?)
気になって仕方がなかった。
◇
そして、ある晴れた午後のことだった。
庭で洗濯物を干していたロゼリアのもとに、またしてもあの銀髪の男が現れた。
男は上品なシャツの袖をまくり、まるで昔からそこにいたかのように、ロゼリアの手伝いを始める。
「ふふ、ルディアス様、シーツの端を合わせると乾きやすいですよ」
「なるほど。勉強になるな」
二人は顔を見合わせて笑っていた。
ロゼリアのあんなに明るい笑顔を、俺は久しく見ていなかった。
そして男もまた、愛おしそうな眼差しで彼女を見つめている。
――胸の奥が、焼けるように熱くなった。
(……やめろ)
俺は無意識に拳を握り締めた。
(彼女に、そんな顔を向けるな)
自分でも滑稽だと思う。
俺は一度、彼女を手放した。
いや――俺自身の手で、彼女を傷つけ、追い出したのだ。
そんな俺に、他の男を責める資格などない。
分かっている。
分かっているのに……。
――嫉妬で、頭の中が真っ白になった。
我慢など、できるはずがなかった。
気づいた時には、俺は木陰から姿を現していた。
「……その男は、誰だ」
俺の声を聞いた瞬間、ロゼリアの身体が強張った。
振り向いた彼女の顔から、みるみる血の気が引いていく。
その表情を見た瞬間、胸の奥が冷たくなった。
(……違う)
こんな顔をさせたかったわけではない。
もっと穏やかに話しかけるつもりだった。
彼女を怯えさせず、まずは謝罪を伝えるつもりだったのに。
さらに腹立たしいことに、あの銀髪の男が即座にロゼリアの前へ立ち塞がった。
「不躾だな。彼女と君は、もう何の関係もないはずだが?」
「関係ない奴は引っ込んでいろ……! 俺はロゼリアと話をしに来たんだ。怪我をする前に消えろ!」
口から吐き出された言葉に、自分自身が愕然とする。
こんなはずではなかった。
もっと冷静に話すつもりだった。
だが、込み上げる怒りを抑えきれず、俺は鋭い犬歯を剥き出しにし、喉の奥からグルルル……と低い威嚇音を響かせてしまっていた。
ロゼリアはさらに怯え、手にしていた洗濯物を地面に落とした。
(くそっ……!)
なぜ、こうなる。
俺はただ、彼女に謝りたいだけなのに。
もう一度、話をしたいだけなのに。
それなのに――。
ロゼリアの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……っ、一体なんなのですか……!? お手紙はお送りしましたよね!? なぜ、放っておいてくださらないのですか……っ!」
「……あ……」
その言葉が、胸に突き刺さった。
彼女はもう、俺と話したくない。
俺に会いたくない。
それでも俺は、彼女の気持ちを無視して、ここまで追いかけてきた。
分かっていたはずなのに。
分かっていなかった。
そして――。
「ロゼリアさん、大丈夫だから。僕がついているから」
銀髪の男が彼女の傍らに膝をつき、優しく背中に手を添えた。
その瞬間。
俺の胸を、凶器で抉り抜かれたような凄絶な痛みが走った。
――その場所は、かつて俺のものだった。
彼女が泣けば、俺を頼ってくれた。
俺の帰りを待ち、俺のために笑ってくれた。
俺が傷つけば、誰よりも心配してくれた。
それなのに今は――。
俺ではない男の優しさに、彼女は救われている。
俺が喉から手が出るほど欲しかった絆も、あの優しい眼差しも、もう俺には向けられない。
その現実を、目の前に突きつけられたような気がした。
「……すまなかった」
掠れた声が、喉から漏れた。
「……また、来る」
それだけを呟くと、俺は失意のまま影の中へと姿を消した。
◇
……だが。
俺は、まだ諦めるつもりなど毛頭なかった。
これほどまでに、俺は彼女を愛している。
己の過ちに気づくまで、自分が彼女をどれほど愛していたのかさえ知らなかった。
だからこそ、ここで引き下がることなどできない。
彼女からの拒絶が、これほどまでに胸を刺すとは思わなかった。
俺を拒む彼女の姿を見て、胸が張り裂けそうになった。
それでも――。
「……次は、あの銀髪の男がいない時を狙おう」
彼女を怯えさせないように。
今度こそ、落ち着いて話をしよう。
誰にも邪魔されない場所で、二人きりで。
そうすればきっと、俺の想いを分かってもらえる。
そう信じていた。
冷たい影の中で固く固く握り締められた俺の拳から、赤黒い血が滴り落ちていた。
――俺はまだ、ロゼリアを諦めない。
彼女がどれほど拒もうとも。
俺は、もう二度と彼女を手放すつもりはなかった。




