【第6話】忍び寄る影と、歪な再会
それからの日々、ロゼリアとルディアスの距離は、少しずつ縮まっていった。
ルディアスは子供たちと泥だらけになって遊ぶだけでなく、孤児院で長年働く年配のシスターのために薪割りや修繕作業まで手伝ってくれた。
誰に対しても分け隔てなく親切で、その誠実な人柄は、施設全体に優しい温もりをもたらしていた。
ただ……時折、ルディアスが自分を見つめるエメラルドの瞳が、妙に熱を帯びている気がする。
(……いいえ、きっと気のせいね。自意識過剰だわ)
ディアブロスとの苦い過去があるロゼリアは、その熱視線を自らの勘違いだと思い込み、必死に打ち消していた。
◇
そんな平穏な日常が続いた、ある晴れた日の午後。
澄み渡る空の下、ロゼリアは庭で洗濯物を干していた。
手伝いに来ていたルディアスも、上品なシャツの袖をまくり上げ、慣れない手つきで布地を広げている。
「ふふ、ルディアス様。シーツの端を合わせると乾きやすいですよ」
「なるほど、勉強になるな。ロゼリアさんは本当に手際が良いね」
微笑み合う二人。
だが、次の瞬間――。
木陰の深い闇から、氷のように冷たく低い声が響いた。
「……その男は、誰だ」
「っ!?」
ロゼリアの全身から、血の気が引いた。
木立から滑り出るように現れたのは、黒狼の獣人――将軍ディアブロスだった。
居場所を知るはずがない彼が、なぜここにいるのか。
リカルド殿下の手紙を見なかったのか。
恐怖と驚愕で身体が凍りつき、ロゼリアは顔を真っ青にして、手にしていた洗濯物を地面に落としてしまった。
その瞬間。
ロゼリアの視界を、突如として広い背中が遮った。
「不躾だな。彼女と君は、もう何の関係もないはずだが?」
ルディアスが即座に割り込み、ロゼリアを背後にかばうようにして、ディアブロスを強く睨みつけた。
「関係ない奴は引っ込んでいろ……! 俺はロゼリアと話をしに来たんだ。怪我をする前に消えろ!」
ディアブロスは鋭い犬歯を剥き出しにし、喉の奥からグルルル……と低い威嚇音を響かせた。
野生の凄みが、その場の空気を一瞬にして凍りつかせる。
だが、ルディアスは一歩も退かなかった。
ロゼリアを守るように立ち塞がり、冷静な眼差しでディアブロスを見据えている。
今にも跳びかからんとする元夫の狂気に、ロゼリアは耐えきれず、涙を溢れさせた。
「……っ、一体なんなのですか……!? お手紙はお送りしましたよね!? なぜ、放っておいてくださらないのですか……っ!」
震える声で叫ぶロゼリアの訴えに、ディアブロスの威嚇がピタリと止まった。
獣耳をペタリと倒し、狼狽したように瞳を揺らす。
「……悪かった。そんな……悲しませるつもりじゃ……」
「お話などありません! お願いですから、帰ってください……っ!」
両手で顔を覆い、しゃがみ込んで泣き崩れるロゼリア。
ルディアスはすぐに彼女の傍らへ膝をつき、背中にそっと手を添えた。
「ロゼリアさん……大丈夫だから。僕がついているから、落ち着いて」
「……うっ……うう……っ」
かつて自分を甲斐甲斐しく支え、一途な愛を向けてくれていたはずの妻。
その妻が今、自分ではない男の温もりに縋り、絶望の涙を流している。
その光景は、ディアブロスの胸を凶器で抉るような衝撃を与えた。
自分が取り戻したかった絆は、もうどこにも存在しない。
そう、目の前で突きつけられたようだった。
「……すまなかった。……また、来る」
ディアブロスは血を吐くような声で呟くと、失意のまま、影の中へと姿を消した。
◇
怯えとショックで震えの止まらないロゼリアを、ルディアスは背中にそっと手を添えながら、孤児院の医務室へと連れて行った。
ベッドに腰掛けさせると、
「ここで少し休んでいて」
そう優しく声をかけ、部屋を出ていく。
しばらくして戻ってきた彼の手には、湯気の立つカップが握られていた。
「勝手にキッチンを借りてしまった。すまない。これを飲んで、少し落ち着いて?」
差し出されたカップを受け取り、ロゼリアは一口啜った。
「……ッ、うぐ……っ!?」
あまりの渋さと苦さに、ロゼリアは思わず眉をひそめた。
到底、飲めたものではない代物だった。
だが、その猛烈な渋さのおかげで頭の眩暈が吹き飛び、ロゼリアは思わず「ふふっ」と吹き出してしまった。
「あれ……? お口に合わなかったかな?」
ルディアスは困ったように笑いながら、照れくさそうに頭をかいた。
「なにせ、紅茶なんて自分で淹れるのは生まれて初めてだったから……失敗してしまったね」
普段は完璧で上品なルディアスの、意外なお茶目な一面。
「……ふふっ」
もう一度、ロゼリアの口元から小さな笑みがこぼれた。
(この方、本当に貴族のご子息なのね……)
その不器用な優しさに触れ、張り詰めていたロゼリアの心が、少しずつ解きほぐされていく。
ディアブロスと過ごした、あの冷え切った屋敷では感じることのできなかった温もり。
それが今は、確かに自分の胸の奥へと届いていた。
そしてロゼリアはまだ知らない。
この穏やかな時間の裏側で――。
彼女を追ってきた男が、決して諦めてはいないことを。
――歪んだ再会は、これから始まる。




