【第4話】静かな決意と、泥臭き執念
王城の執務室に、重々しい書類の山が積み上がっていた。
「将軍、本日の警備任務完了報告です。……それと、隣国の魔物討伐の件も、一人で引き受けられたとか……」
「ああ。問題ない。次の任務を回してくれ」
ディアブロスの表情には一切の感情がなく、その瞳は深く、どこまでも冷たい闇を宿していた。
『番消しの霊薬』の副作用による激痛や、不倫の罰として受けた鞭打ちの傷は、まだ完治していない。体を動かすたびに激痛が走るはずだが、ディアブロスは眉一つ動かさず、愚直なまでに職務をこなし続けていた。
それもすべては――もう一度、ロゼリアに会うため。
彼女に膝をつき、己の愚かさを謝罪し、奪われた絆を取り戻すためだけに、彼は自らの体を痛めつけるように働き続けていたのだ。
そんな彼の悲壮感漂う姿に、最初は冷眼を向けていた騎士たちや側近たちの間にも、次第に同情の声が漏れ始めていた。
「将軍、あれだけ死に物狂いで頑張ってるんだぞ……」
「ああ、正気に戻ったとはいえ、あまりにも酷い罰だ。もう十分すぎるほど反省しているんじゃないか?」
◇
そんな周囲の空気を見かねた王太子リカルドは、ある日、極秘で一枚の手紙をしたため、同盟国へと送っていた。
『拝啓、ロゼリア殿。
ディアブロスは日々、君に謝罪したいがために一心不乱に働いている。かつての傲慢さは消え去り、ただ君への贖罪のためだけに生きている状態だ。……どうか、一度だけでも彼に謝罪の機会を与えてはくれないだろうか?』
そして数日後。リカルドのもとに届いた返事には、揺るぎないロゼリアの意志が飾らない文字で綴られていた。
『拝啓、リカルド王太子殿下。
お気遣いのお手紙、心より感謝申し上げます。
ですが、私は今、新天地でとても穏やかで幸せな暮らしをしております。
ディアブロス様へは、すでに謝罪は受け入れているとお伝えください。私は彼を恨んでもおりません。だからこそ……どうか、もう私のことを探さないでほしいのです。
お互い、過去を断ち切り、新たな幸せの道を歩んでまいりましょう』
「…………」
豪華な皮革の椅子に深々と腰掛けていたリカルドは、ギィと音を立てて背もたれに体を預けた。
「そーだよねー。やっぱり、探さない方がお互いのためだよねー……」
ぽつりと呟いたリカルドは、手紙を丁寧に折りたたむと、深く溜息を吐いた。ロゼリアの心はすでに未来を向いている。過去の男が割り込む隙など、どこにもないのだ。
◇
その日の夕刻、リカルドは執務室にディアブロスを呼び出し、手紙の内容を静かに伝えた。
「――というわけなんだ、ディアブロス。彼女は君を恨んでもいないし、謝罪も受け入れると言っている。だからさ……もう探すのはやめなよ。お互いの幸せのためにもね」
リカルドは「これで諦めてくれるだろう」という思いを込めて、優しく言い聞かせた。
だが、ディアブロスは無言のまま立ち尽くしていた。
眉間に深い皺を寄せ、両拳を血が滲むほど固く固く握り締めている。胸の奥で荒れ狂う絶望と執着を、なんとか押さえ込んでいるかのようだった。
やがて、ディアブロスは低く掠れた声で言った。
「……承知いたしました」
「え?」
「殿下のお言葉、胸に刻みます」
深く頭を下げると、ディアブロスは翻すように背を向け、そのまま静かに執務室を去っていった。
取り残されたリカルドは、ポカンと口を開けて拍子抜けした顔を見せた。
「あれ……? 泣き喚いて縋り付いてくるかと思ったけど、意外とあっさり諦めた……?」
あまりにも聞き分けの良い態度に、リカルドは狐につままれたような顔で首を傾げた。
――だが。
リカルドも、そして遠く離れた地にいるロゼリアも、知る由もなかった。
ディアブロスが諦めたのではなく、すでに自らの獣人としての人脈と独自のルートを使い、ロゼリアが隠れ潜む『サルベール王国』の街まで特定し終えていたことを。
「待っていてくれ、ロゼリア……。何と言われようと、俺は君を諦めない」
暗い廊下を歩くディアブロスの金の瞳に、怪しい執念の炎が揺らめいていた。




