【第33話】戦火の覇王と、慈愛の祈り
本格的なガラント帝国との戦いが、ついに火蓋を切った。
地響きのような雄叫びとともに押し寄せるガラント帝国の軍勢は、サルベール王国軍を遥かに凌ぐ兵力を誇っていた。長年の野心を糧とした敵軍の士気は恐ろしく高く、開戦直後、攻勢に押された王国軍の陣列には重い動揺が走る。
「押されるな! 陣形を立て直せ!」
指揮官の怒号も、怒濤のごとく押し寄せる鉄の波に呑み込まれかけていた。
だが――その絶望的な戦況を、たった一騎の男が打ち砕いた。
「――退くな! 我らの背後には、守るべき大地と民がある!」
黒煙の中を裂いて前線へと躍り出たのは、アクアクリスタ王国の黒狼将軍――ディアブロスであった。
漆黒の毛並みを想起させる甲冑を纏い、巨大な大剣を振り抜く。その一撃はまさに疾風迅雷。押し寄せる敵兵をまとめてなぎ倒し、立ちふさがる巨漢の将校を一閃の下に斬り捨てた。
「ひ、ひぃっ……! 黒狼……! 黒狼将軍だぞ!」
「怯むな! 包囲して討ち取れ!」
ガラント帝国の兵たちが恐慌状態に陥りながらも群がってくるが、ディアブロスの勢いは留まることを知らない。
縦横無尽に跳躍し、剣を振るうその姿は、荒ぶる獅子の如き雄姿。血飛沫が舞う凄惨な戦場において、その一筋の破滅的な戦いぶりは、恐ろしいまでに美しくさえ見えた。
「――黒狼将軍に続け!我ら連合軍の底力を示せ!」
圧倒的な英雄の背中を目にしたサルベール王国の兵士たちの目から、怯えが消え去る。爆発的な士気の高まりとともに、押し込まれていた前線が一気に押し返され始めた。
そして、その圧倒的な猛攻の背後には、冷徹なまでに完璧な『知の覇者』がいた。
「第二隊、左翼へ回れ。敵の側頭部を分断する。――第三隊は弓兵の援護に入れ」
本陣の後方にて、ルディアスは馬上で凄絶なまでに美しい面容を崩さず、戦況の全てを把握して的確な指揮を出していた。
エメラルドの瞳が鋭く盤面を射抜き、フラグ信号と伝令を駆使して軍をチェスの駒のように動かしていく。
「ルディアス様! 隙を突いて本陣へ肉薄してきた敵の遊撃隊です!」
「……慌てる必要はないよ」
前線の隙を抜け、刃をギラつかせて迫る敵の残党兵たち。
ルディアスは静かに鞘から細身の聖剣を引き抜くと、馬上からしなやかに舞い降りた。
目にも留まらぬ鮮やかな剣さばき。
銀髪を翻しながら繰り出される刺突と斬撃は、一切の無駄がなく、襲いかかる敵兵の喉元と隙間を的確に穿っていく。
「な……なんだ、この強さは……っ!?」
崩れ落ちる敵兵を一瞥もせず、ルディアスは剣の血振りをして静かに鞘へと納めた。
「前線でディアブロスが道を開いてくれているんだ。僕たちがここで足をすくわれるわけにはいかないからね」
猛将の圧倒的な武と、智将の隙のない采配。
二人の男たちの共闘により、激戦の末、戦局の秤は確実にサルベール王国側へと傾きつつあった。
◇
一方、サルベール王国の王都内部には、刻一刻と戦地の緊迫した情報がもたらされていた。
街の至る所で、人々は教会や広場に集まり、戦地へ赴いた夫や息子の無事を祈り、固く手を握り合っている。
そんな重苦しい不安が立ち込める中、ロゼリアはドレスの裾を翻し、王城を出て静かに城下へと足を運んでいた。
彼女が向かったのは、戦争に参加した男たちの家族が集まる配給所や避難所だった。
「……みなさま、どうぞこれをお受け取りください。あたたかいスープとパンです」
ロゼリアは自ら袖をまくり、小さな子どもや震えるお年寄りに食料を手渡しながら、一人ひとりの手を優しく包み込んだ。
「あ、貴族様……? どうしてこのような場所に……」
「きっと、大丈夫です」
不安に瞳を揺らす母親に、ロゼリアは真っ直ぐで温かな眼差しを向けた。
「勝利を信じましょう。そして……大切な方々が、無事に帰られることを共に祈りましょう」
その声には、決して揺らぐことのない気品と強さが宿っていた。
ただ守られるだけの存在ではない。将来、この国の王子妃となる者としての深い覚悟。そして何より、自分自身もまた『大切な人を戦地へ送り出し、帰りを待つ一人の人間』としての痛切な思いが、彼女の行動を動かしていた。
そんなロゼリアの気高くも泥にまみれることを恐れない姿に、城下の広場は次第に温かな熱気に包まれていく。
「……まあ、ロゼリア様ったら。私に声をかけもせず、お一人でこんなことをなさるなんて水臭いですわ」
ふと振り返ると、そこには豪華なドレスの汚れるのも気にせず、かご一杯の焼き立てのパンを抱えたジョアンナの姿があった。
さらにその後ろには、クリスティーナやシルビアたち貴族の令嬢たちも並んでいた。
「わ、私たちだって、ただ城で待っているだけなんて耐えられませんもの!」
「ロゼリア様、私にも手伝わせてください!」
「ジョアンナ様……みなさま……!」
ロゼリアが驚きに目を見開く中、令嬢たちはロゼリアの隣に並び、城下の人々へ声をかけ、甲斐甲斐しく世話を焼き始めた。
身分の高い王族や高位貴族が、みずから城下に降りて民と同じ目線で寄り添い、食料を配り励ますなど、王国の歴史上前例のないことであった。
「なんてお優しいお方なんだ……」
「ロゼリア様……! ロゼリア様こそ、私たちの真の王子妃様だ!」
驚きと深い感動が、波のように城下全体へと広がっていく。
民の目には涙が浮かび、不安に沈んでいた街には、明日に向かう力強い希望の光が灯り始めていた。
ロゼリアは遠い空を見上げ、胸の前で深く手を組む。
(ルディアス様……。どうか、ご無事で……!)
戦火の空の下、彼女の祈りは、温かな風となって戦場へと吹き抜けていくのだった。
【第33話】をお読みいただき、ありがとうございます!
前線で圧倒的な戦いを見せるディアブロスとルディアス。そして、城下で民の心を一つにしたロゼリア。
激化する戦争の中、それぞれが大切なものを守るために戦っています。
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