【第29話】交錯の果てに、永久の誓いを
華やかな宴の熱気が冷めやらぬ夜。静まり返った城の回廊で、ディアブロスは指定された客室の前に立ち尽くしていた。
(……これで、本当に最後になる。ロゼリア様に会うことも、これで最後に……)
胸を押し潰すような圧迫感に苛まれながら、彼は震える拳を握りしめた。
固い木肌の扉を前になかなか手が伸ばせず、息を殺して佇む。いくら時を稼ごうとも、逃れられない終わりが迫っていることくらい理解していた。
ディアブロスは深く息を吐き出すと、意を決して扉を軽く叩いた。
「……どうぞ」
扉の奥から響いたのは、喉から手が出るほど会いたくて、恋しくてやまなかった彼女の声だった。
眉根を寄せ、切なさに胸を痛めながらディアブロスが室内へと足を踏み入れる。
落ち着いた室内には、ロゼリアと、そのすぐ隣に座るルディアスの姿があった。ロゼリアの表情に恐怖や怯えはなく、ただどこまでも静かな瞳でディアブロスを見つめている。
「どうぞ、お座りください」
ロゼリアは落ち着いた所作で、正面の椅子を静かに促した。
ディアブロスは言われるがまま、吸い寄せられるようにその椅子へと腰を下ろす。
二人との間に置かれた小さなサイドテーブル――たったそれだけの距離が、いまのディアブロスには果てしなく遠く、決して越えられない深淵のように感じられた。
部屋を支配する一瞬の沈黙。やがてディアブロスは静かに両手を膝の上に置き、深く深く頭を下げた。
「……まずは、このような席を設けてくださり、心より感謝申し上げます」
顔を上げると、彼は切なさに歪んだ視線をロゼリアへと向けた。
「……ロゼリア様、今まで本当に……本当に申し訳ございませんでした。番の呪縛という言い訳に逃げ、貴方を傷つけ続けた私を……こうして惨めに追いすがる愚かな私を受け入れ、話を聞いてくださったことにも感謝いたします」
ロゼリアは口を挟まず、黙って彼の言葉に耳を傾けていた。
「番の呪縛から解放され、ようやく世界のモヤが晴れた時……私の目に映ったのは、ロゼリア様がこれまで捧げてくださっていた無償の献身と、温かな愛情のすべてでした。……どうして私は、あのときもっと貴方を大切にできなかったのでしょうか。もし、ほんの少しでも貴方の存在を大事にできていれば、今とは違う結果があったのかもしれません……。ですが、それもすべて過ぎ去ったことです。言い訳にもならない……本当に、すみませんでした」
ディアブロスの声は震えていた。かつての威厳など欠片もなく、ただ過去の愚かさに打ちひしがれた男がそこにいるだけだった。
「今日は……貴方に心からの謝罪と、これからの幸せを心から祈っているとお伝えするために、ここへ参りました。……どうか、ルディアス様と幸せになってください」
絞り出されたその言葉には、一切の偽りのない、ディアブロスの心からの想いが込められていた。
ディアブロスはそのまま、隣に座るルディアスへ向き直る。
「ルディアス様、これまでの数々の非礼、大変申し訳ございませんでした。そして……ロゼリア様とお話しする場を設けてくださったことにも、深く感謝いたします。私が言えた立場ではございませんが……どうか彼女を幸せにしてあげてください」
ディアブロスは、膝に手を突いたまま再び深く頭を下げた。
ルディアスは、静かな瞳で彼を見据え、ゆっくりと口を開いた。
「……ああ。君がこれまでロゼリアにしてきた過ちを、僕はまだ許してはいない。……だが、その謝罪は受け入れよう。そして、僕の命に代えてもロゼリアを絶対に幸せにすると、ここに誓おう」
その一切の揺らぎのない言葉に、ディアブロスはハッと目を見開いた。
やがて、彼は己の小ささを痛感するように、フッと自嘲気味に微笑んだ。
「……私とは、器の差が違いすぎますね。……貴方様でしたら、安心してロゼリア様を託せます」
そこまで黙って話を聞いていたロゼリアが、ゆっくりと表情を和らげた。
「ディアブロス様、ありがとうございます。……あなたと過ごした日々は、決して辛いことばかりではありませんでした。けれど……私、ちゃんと幸せになります!」
凛とした声だった。
そこに涙も、過去を引きずる憂いの色も一切なかった。あるのはただ、新しい未来へ向かう、どこまでも晴れやかで幸福そうな笑顔だけだった。
ディアブロスはその眩しすぎる笑顔を網膜に焼き付けるように見つめ、静かに立ち上がった。
「あぁ……どうか、お幸せに」
一言だけそう呟くと、彼は最後に深く一礼をし、二人に背を向けた。
「……それでは、私はこれにて失礼いたします」
ギィと静かに扉が開き、そして閉まる。
退室し、誰もいない暗い廊下を歩き出すディアブロスの胸の中には、ただひとつの想いだけが満ちていた。
(あぁ……なんて愛おしいんだ。……私の手から零れ落ちてしまった、かけがえのない光。……生涯をかけて、彼女の幸せを心から祈ろう。私に出来る償いは、これくらいだ…一生彼女を想い続けよう)
二度と振り返ることなく、黒狼の男は夜の闇へと消えていった。
◇
ディアブロスが去り、静けさを取り戻した部屋の中。
残されたロゼリアは、緊張の糸がぷつりと切れたように「ふぅ……」と小さく息を吐くと、隣に座るルディアスの肩へそっと頭を預けた。
「よく頑張ったね、ロゼリア」
ルディアスは愛おしさに満ちた瞳で彼女を見つめ、濡れたような髪を優しく撫でた。
ロゼリアはルディアスの肩から顔を上げ、彼の澄んだ瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「……これで、ディアブロス様との過去に、完全に終止符を打ちました。……だから、ようやく貴方様に、ハッキリとお伝えできます」
彼女の頬が、ポッと上気する。
「ルディアス様……私、ルディアス様を、心の底から愛しております……っ!」
その飾りのないまっすぐな愛の告白に、ルディアスの表情が歓喜に染まった。
「……嬉しいよ、ロゼリア。待ち焦がれていた言葉だ」
ルディアスは彼女の華奢な肩を抱き寄せ、力強く、けれど壊れ物を扱うように愛おしく引き寄せた。
「早く君を正式に僕の妻に迎えたい。……そして、絶対に誰にも渡さない、僕だけのものに……」
囁かれた甘い愛の囁きとともに、ルディアスはロゼリアの唇へと、優しく、そして深く重ね合わせるのだった。




