【第20話】王宮での日々、そして届く吉報
クリスティーナの暗い怨嗟の視線が向けられていることなど知る由もないロゼリアだったが、ルディアスに手を取られ、案内された部屋の前に立った瞬間、その豪華さに思わず息をのんだ。
あてがわれたのは、ルディアスの居住エリアに隣接する最も格式高い一室だ。天導の陽光が燦々と差し込む大きな掃き出し窓に、しなやかなシルクのカーテン。足元には深く沈み込む羊毛の絨毯が敷き詰められており、かつて過ごしていた質素な部屋とは比べものにならないほどの贅が尽くされていた。
「私には……少々贅沢すぎる気がいたしますけれど」
恐縮するロゼリアの手を、ルディアスは包み込むように優しく握り直す。
「いいや、君にこそふさわしい場所だよ。ここでは誰にも遠慮せず、心から寛いでほしい」
その温かい言葉と気遣いに、ロゼリアは胸を熱くしながら深く頷いた。
しかし、どれほど華美な環境へ変わろうとも、ロゼリアの芯にある温もりが失われることはない。
王宮へ入る直前、それまで身を寄せていた孤児院を訪れた際のことだ。ロゼリアが王族の婚約者としてお城へ入ると知った子どもたちは、彼女のスカートの裾にしがみつき、瞳に涙を溜めて縋りついてきたのだった。
「先生、王族になっちゃうの? ぼくたちとは身分が違うから、もう会えなくなっちゃうの……?」
「嫌だよーっ! ロゼリア先生、離れたくないよぉ……!」
幼い泣き声が響く中、ロゼリアは困ったように眉を下げながらも、ゆっくりと腰を落とした。自由の利かない姿勢のまま、溢れ出る涙を柔らかなハンカチで丁寧に拭い、子どもたちを一人ずつ愛おしそうに強く抱きしめる。
「大丈夫ですよ。私はどこへ行っても、みんなの大好きな『ロゼリア先生』のままです。……お城でのお仕事があるから、今までみたいに毎日一緒にいることは難しくなってしまいますけれど、月に一度は必ずみんなに会いに行きます。だから、良い子で待っていてくれますね?」
「……ほんとう? ぜったい約束だよ?」
「ええ、指切りげんまんです」
柔和な笑みを浮かべて指を絡めるロゼリアの姿を、少し離れた位置で見守っていたルディアスは、胸の奥を温かな感情で満たしながら微笑んでいた。自分の選択が、彼女の慈愛に満ちた笑顔を守れたのだと実感する瞬間だった。
◇
王宮での生活が本格的に始まると、ほどなくして「次期王子妃」としての教育期間が始まった。
王族としての立ち振る舞い、歩行の所作、そして繊細な社交マナー。
初日、ロゼリアの教育係として現れたのは、王宮内でも屈指の厳格さで知られる『ギルベール夫人』であった。数々の令嬢を容赦なく絞り上げてきたという噂の人物であり、ロゼリアも緊張の面持ちで深々と礼を執ったのだが――。
「……素晴らしい。大変、エレガントでよろしゅうございますわ」
一通りの所作を確認したギルベール夫人は、手にした扇子をパチンと閉じると、感嘆の吐息を漏らした。
「背筋の伸ばし方、杯を持つ指先の美しさ、秩序ある会釈の角度……。正直に申し上げまして、わたくしが手取り足取り教えることなど、ほとんどございませんね。実に洗練されたお姿ですわ」
「まぁ……。ありがとうございます、ギルベール夫人」
厳格な夫人の口から飛び出した惜しみない賛辞に、ロゼリアは静かに胸を撫で下ろした。
(……以前、ディアブロスの妻として過ごす中で身につけた社交界のマナーが、まさかこんなところで役に立つなんて……)
かつての苦しい過去、報われなかった日々の経験が、巡り巡って今の自分を助けている。一瞬だけ複雑な想いが胸をかすめたが、先ほどシルビアと対峙した時の誓いを思い出し、ロゼリアは「過去の苦労が無駄にならなかったのだ」と前向きに捉え直し、優美に微笑んだ。
当初、王宮の貴族や侍女たちの間では「他国から来た離婚歴のある女」という偏見混じりの噂話が囁かれていた。しかし、誰に対しても分け隔てなく接するロゼリアの誠実な人柄と、あの厳しいギルベール夫人が一目置いているという事実が知れ渡るにつれ、周囲の評価はガラリと覆っていく。
「ロゼリア様は本当に気品に満ち溢れたお方だ……」
「言葉遣いも立ち振る舞いも完璧で、何より私たちのような身分の者にもお優しいのよ」
陰口は瞬く間に姿を消し、王宮内にはロゼリアを称賛する声が満ちていった。
ある日の夕暮れ、公務の合間にロゼリアの部屋を訪れたルディアスは、彼女の手を優しく包み込みながら苦笑いを浮かべた。
「僕が陰ながら手を貸す必要なんて、最初からなかったみたいだね。みんなすっかり君の魅力に参っているよ」
「そんな……ルディアス様やギルベール夫人が見守ってくださるおかげですわ」
「ふふ、謙虚なところも君らしいけれどね。……でも、もし少しでも困ったことや辛いことがあったら、遠慮せずに僕を頼ってね?」
そう囁くと、ルディアスは愛おしさを抑えきれない様子で、ロゼリアの白い額へそっと甘い口づけを落とした。
クリスティーナたちの不穏な動きは燻りつつも、二人の穏やかで満ち足りた日々は、着実に深まっていた。
◇
一方――ところ変わって、アクアクリスタ王国。
王城の一室にて、第一王子リカルドのもとへ一通の親書が届けられていた。ルディアスからの直筆によるその手紙には、ロゼリアとの正式な婚約が成立した旨が、喜びの言葉と共に綴られていた。
「あら……! まあ、なんて素晴らしいことかしら!」
リカルドの隣で一緒に手紙を覗き込んでいたアベルマリアは、内容を読み終えるなり、両手をポンと合わせて満面の笑みを咲かせた。
「2人が結ばれて本当に良かったわ!」
「ああ、二人とも本当に幸せそうで何よりだよ。……だが」
無邪気に喜ぶアベルマリアとは対照的に、リカルドは手紙を優しく折りたたみながら、どこか複雑な表情で深々と息を吐いた。
「……この喜ばしい事実を、あの『ディアブロス』にも伝えに行かなければならないんだよね」
その名が出た瞬間、アベルマリアの瞳に宿っていた少女のような可憐さは消え去り、代わりにニヤリと底意地の悪い笑みが浮かび上がった。
「ええ、当然ですわ! さっさとあの『バカ狼』に突きつけてやりましょう! 自分が捨てた宝物がどれほど眩しい場所へ行ったのかを教えて、完全にロゼリアを諦めさせるのですわ!」
「アベルマリア、顔……顔に出すぎだよ……」
ノリノリで拳を握りしめるアベルマリアの迫力に、リカルドは苦笑いを浮かべるしかない。
ハァ、と本日何度目か分からない深い溜め息をひとつ吐き出すと、リカルドは重い腰を上げ、元夫が待つ兵舎へと向かって足を進めるのだった。




