【第18話】秘めたる誓いと、新たな波紋
無事にルディアスと心を通わせ、穏やかな日々を取り戻したロゼリア。しかし、彼女の前には新たな試練が待ち受けていた。
「ロゼリア、僕の正式な婚約者として、両親と兄上に紹介させてほしい」
ルディアスのその一言に、ロゼリアの心は大きく揺れた。
相手は一国の王族。かつて夫に冷遇され、泥をすするような思いをしてきた自分が、本当に彼の隣に立つことを許されるのだろうか。
不安が胸の奥から込み上げる。
けれど、目の前のルディアスは、迷いなく彼女を見つめていた。
(不安がないと言えば嘘になる。けれど……ルディアス様を信じると決めたのだから)
ロゼリアは小さく息を吐き、そっと頷いた。
そして迎えた謁見の日。
ロゼリアの自室に届けられたのは、眩いばかりの特別なドレスだった。
ルディアスの美しい銀髪を思わせる極上の絹地に、彼の瞳と同じ鮮やかなエメラルドの刺繍が繊細に施されている。まるで、彼の想いそのものを形にしたような、世界にひとつだけの逸品だった。
「お待たせいたしました、ロゼリア」
部屋に迎えに現れたルディアスは、彼女の姿を目にした瞬間、息をのんで立ち尽くした。
そのエメラルドの瞳には、隠しきれない歓喜が浮かんでいる。
「……ルディアス様?」
「ごめん。あまりにも美しくて、言葉を失ってしまった」
真っすぐな賛辞に、ロゼリアの頬がほんのりと染まった。
豪華な馬車に乗り込み、王宮へと向かう道中。ルディアスはまるで宝物を眺めるかのように、少しも目を離さずロゼリアを見つめ続けていた。
あまりの熱視線に耐えかねたロゼリアは、頬を染めながら小さく尋ねる。
「あの……ルディアス様、なにかおかしいでしょうか?」
「おかしい? まさか。素晴らしいの一言に尽きるよ。今日の君は一段と美しい……正直に言えば、他の誰の目にも触れさせず、このままどこかへ閉じ込めてしまいたいほどだ」
甘く囁きながら、ルディアスはロゼリアの手を包み込んだ。
「もちろん、そんなことをしたら君に嫌われてしまうから、絶対にしないけれどね」
悪戯っぽく微笑む彼に、ロゼリアはますます顔を赤くする。
ルディアスは愛おしそうに彼女の手の甲へ口づけを落とした。
その優しい仕草に、ロゼリアの胸は甘く締めつけられる。
やがて馬車が停まり、王宮の門をくぐった。
謁見の間へと続く長い廊下を進むにつれ、ロゼリアの緊張は高まっていく。無意識に握りしめた手が震えていることに気づいたルディアスは、そっと彼女の腰に手を添えた。
「大丈夫だよ、ロゼリア。僕がずっとそばにいる」
その声には、彼女を安心させようとする温かさと、決して一人にはしないという確かな意志が込められていた。
ロゼリアは小さく頷き、深く息を吐く。
そして、扉の先へと足を踏み入れた。
荘厳な気品に満ちた広間の奥には、玉座に腰かける国王夫妻と、その傍らに立つ王太子の姿があった。
ロゼリアは教わった通りの所作で、美しく淑女の礼を捧げた。
「そう固くなるな。顔を上げよ」
温かみのある声が響く。
ロゼリアがそっと顔を上げると、そこにはルディアスと面影の似た王家の人々がいた。
王たる威厳と雄々しい顔立ちに、ルディアスと同じ銀髪とエメラルドの瞳を持つ国王アスラン。
澄み渡る水色の髪と瞳を持ち、ルディアスにそっくりな優美な面立ちの王妃エリナリーゼ。
そして、水色の髪にエメラルドの瞳を輝かせる、凛々しい男ぶりの兄、王太子ハロルド。
緊張に身を固くするロゼリアに、王妃エリナリーゼがふわりと頬を緩めた。
「まあ……なんて可愛らしい女性だこと。ルディアスが夢中になるのも分かりますわ」
「母上。ロゼリアの見た目が美しいのは紛れもない事実ですが、私が彼女に深く惹かれたのは、その何物にも代えがたい素晴らしい内面なのです」
ルディアスは少しもためらうことなく言い切った。
その言葉に、国王夫妻と王太子は一瞬目を見張る。そして、次の瞬間には朗らかな笑い声が広間に響いた。
「ハハハ! あの徹底して女性に興味を示さなかったルディアスが、ここまで変わるとはな」
「本当に。これほどまでに心を奪われるお方に出会えたこと、母としてこれ以上の喜びはありませんよ」
「悪くないな。ルディアスをここまで骨抜きにするとは、大した器量だ」
和やかな笑い声に、ロゼリアの肩から少しだけ力が抜けた。
けれど、まだ安心するには早い。
ロゼリアは改めて背筋を伸ばし、国王アスランを見つめた。
「恐れ多いお言葉でございます。私は一度、結婚に失敗した身です。ルディアス様のお隣に立つことを、誰もが祝福してくださるとは限りません。それでも……皆様に認めていただけますよう、誠心誠意、励んでまいる所存です」
自分の過去を隠すことなく、堂々と告げる。
その姿を見つめ、国王アスランは静かに口を開いた。
「ロゼリア嬢。そなたは、王族の伴侶となることがどのような意味を持つか、理解しているか」
広間の空気がわずかに引き締まった。
ルディアスが口を開きかける。けれど、ロゼリアはそっと彼の手に触れ、自分で答える意思を示した。
「はい。王族の一員となれば、私自身の言動が、ルディアス様やこの国の評判にも関わることと存じます。すべてを理解しているとは申し上げられません。ですが、知らないことから目を背けず、学び続けたいと思っております」
言葉を飾ることなく、誠実に答える。
「そして何より……私は、ルディアス様と共に生きていきたいのです。その想いだけは、誰にも恥じることはございません」
ロゼリアの言葉を聞き、国王アスランはしばし彼女を見つめた。
やがて、その厳しい表情がゆっくりと和らいでいく。
「よい答えだ。初めから何もかもを知り尽くした者などおらぬ。大切なのは、学ぶ意志と、隣に立つ者を思う心だ」
国王の言葉に、ロゼリアの胸が熱くなった。
その隣で、ルディアスがそっと彼女の手を握る。
「母上。父上。僕はロゼリアを生涯大切にすると誓います」
「ええ、分かっていますよ。あなたの顔を見れば、十分すぎるほどね」
王妃が微笑み、王太子ハロルドも満足そうに頷いた。
「本当に、弟がここまで一途になるとは思わなかったよ。ロゼリア嬢、どうかこれからも弟をよろしく頼む」
「はい……!」
ロゼリアは込み上げる喜びをこらえながら、深く頭を下げた。
その時だった。
「——随分とお楽しそうですね、皆様」
静寂を破り、謁見の間へと足音が響き渡った。
現れたのは、美しく整った銀髪と鋭い銀の瞳を持つ、少しつり目の美少女だった。彼女はあからさまに不快感を露わにし、鋭い視線でロゼリアを射抜いている。
「クリスティーナ……!?」
ルディアスが思わず声を漏らした。
正式な謁見の場であるにもかかわらず、高圧的な態度を隠そうともしない少女。ロゼリアが戸惑う中、ルディアスは警戒感を滲ませながら紹介した。
「ロゼリア、彼女はクリスティーナ。僕たちの従姉妹にあたる子で、妹のように育った」
ロゼリアが礼儀正しく挨拶を交わそうとした、その瞬間だった。
「この方がお兄様の婚約者ですの!? 噂では一度結婚したことがあるとか……そんな方、お兄様に不釣り合いですわ! シルビアお姉様の方が——!」
「——クリスティーナ! そこまでにしろ!」
ルディアスの声が、謁見の間に鋭く響き渡った。
そのエメラルドの瞳からは、先ほどまでの甘さが消え、凍てつくような怒りが放たれている。
「いくら身内のお前であろうと……僕のロゼリアを侮辱することは絶対に許さない」
その声に、クリスティーナは息を呑んだ。
これまで一度も向けられたことのない凄絶な威圧に、彼女は怯えたように後ずさる。
「ルディアスも、クリスティーナもそこまでだ。ロゼリア嬢、不快な思いをさせてしまって本当にすまない」
王太子ハロルドがすかさず割って入り、ロゼリアへ誠心誠意の謝罪を口にした。
国王アスランも厳しい声で一喝する。
「クリスティーナ! 家族とはいえ、節度を弁えよ! ロゼリア嬢に謝りなさい!」
王妃も厳しい面持ちで頷いている。
周囲からの強い叱責を受け、クリスティーナは屈辱に顔を歪ませた。唇を噛みしめた後、絞り出すように謝罪する。
「……大変、申し訳ございませんでした」
そう告げると、彼女は美しいドレスを大きく翻し、逃げるように謁見の間を去っていった。
嵐のような去り際だった。
ルディアスは胸を痛めた様子でロゼリアに向き直る。
「すまない、ロゼリア……嫌な思いをさせたね。歳が離れていることもあって、少し甘やかして育てすぎてしまったようだ。僕からきつく言い聞かせておくから、安心してほしい」
申し訳なさそうに眉を寄せるルディアスに、ロゼリアはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、ルディアス様。クリスティーナ様がおっしゃったことは、すべて紛れもない事実ですわ。私は一度結婚した身ですもの。ですが、それを理由に自分の未来を諦めるつもりはございません」
ロゼリアは一度、ルディアスの手を握り返した。
「ルディアス様を信じております。そして、いつか皆様に、私自身の力で認めていただけるよう努力してまいります」
卑屈さのない、まっすぐな言葉だった。
ルディアスは深く心を打たれたように瞳を揺らし、彼女の手を優しく握り返した。
「……ハハハ! ルディアス、お前は本当に器の大きい、素晴らしい伴侶を得たな!」
国王アスランの朗らかな笑い声が広間に響き渡る。
そして、国王は玉座から立ち上がり、威厳に満ちた声で宣言した。
「——本日この場において、国王アスランの名のもとに、ルディアスとロゼリアを正式な婚約者と認める!」
温かな拍手と祝福に包まれながら、ロゼリアはルディアスの手をとった。
ようやく、彼の隣に立つ未来への一歩を踏み出せたのだ。
けれど——。
「シルビアお姉様の方が——!」
去り際に聞いたその名前が、ロゼリアの胸に小さな棘のように残っていた。
シルビアとは、一体何者なのだろう。
ロゼリアはまだ知らない。
この婚約が、新たな波紋の始まりにすぎないことを。




