【第17話】「絶望の引導と公爵令嬢の忠告」
ルディアスと心を通わせ、自分の進むべき道を選んだロゼリアは、過去の因縁に終止符を打つため、ディアブロスへ最後の手紙をしたためた。
手紙を受け取ったディアブロスは、胸の奥に淡い期待を抱きながら封を切った。
しかし、そこに綴られていたのは、彼の望みを打ち砕く冷徹な現実だった。
『ご心配ありがとうございます。
ですが、私はルディアス様を信じ、共に歩んでいく道を選びました。お手紙も、これで最後とさせてください。
貴方様にも幸せが訪れることを、心より願っております。
今までありがとうございました。そして、さようなら』
「……なっ……!?」
ディアブロスの顔から、みるみる血の気が引いていった。
手から滑り落ちた手紙が、ひらりと執務室の床に舞い降りる。
「……嘘だろう……」
かすれた声が、静まり返った部屋に響いた。
ロゼリアが、自分を拒絶した。
もう二度と手紙を送らないでほしいと、はっきり告げてきたのだ。
「くそっ……! くそおおっ!! どうしてこうなった……!!」
両手で頭を抱え、ディアブロスは絶叫した。
なぜだ。
なぜ、あいつは自分を選ばない?
かつては自分の妻だった女だ。あれほど自分に尽くし、どんな仕打ちにも耐えていた女なのに。
それなのに、今では別の男の隣に立つことを選んだ。
その事実を受け入れられず、ディアブロスの胸中では、怒りと焦燥が渦巻いていた。
あまりの怒声に、執務室の扉がそっと開く。
様子を窺っていた兵士が、恐る恐る声をかけた。
「……あ、あのぉ……将軍にお取次ぎしたく……」
「今は取り込み中だ!! あとにしろと言っているのが分からんのか!!」
「ひぃっ……!」
兵士は飛び上がったが、それでも必死に言葉を続けた。
「し、しかし、お取次ぎしたいのは……アベルマリア公爵令嬢でして……っ」
「――――なっ」
その名を聞いた瞬間、ディアブロスの動きが止まった。
脳裏に、気位の高い女の顔が浮かぶ。
(くそっ……! こんな時に何なんだ、あいつは……!)
アベルマリア・ド・クリスタ。
筆頭公爵家の令嬢であり、我が国の皇太子リカルド殿下の婚約者。
いくら軍を率いる将軍とはいえ、彼女を無下に扱うことなどできない。
豪奢な美貌を持ちながら気位が高く、昔から何かと自分を毛嫌いしている女だ。
(殿下は、あの女のどこがいいというのだ……!?)
腹の底で苛立ちを押し殺し、ディアブロスは深く息を吐いた。
「……お通ししろ」
「は、はいぃっ!」
兵士は逃げるように退散した。
やがて、廊下から優雅な足音が近づいてくる。
扉が開き、姿を現したのは、どこか満足げな笑みを浮かべたアベルマリアだった。
「ごきげんよう、ディアブロス将軍」
気品に満ちた佇まい。その口元には、明らかな挑発の色が浮かんでいる。
ディアブロスは不快感を押し殺し、形式どおりに頭を下げた。
「……ご機嫌麗しく、アベルマリア嬢。このような殺風景な場所へ、一体どのようなご用件でしょうか?」
「ふふっ。その酷い顔を見る限り……あなた、もうロゼリアからの手紙を読んだのね?」
扇子で口元を隠しながら、アベルマリアは楽しげに笑った。
「なに……!? なぜそれを貴方様が知っている!?」
驚愕するディアブロスを、彼女は優越感に満ちた瞳で見下ろした。
「あなたへの手紙と一緒に、ロゼリアから私にも手紙が届いたのよ。あなたが休暇中に何をして、どれほど彼女を追い回していたのか……全部書いてあったわ」
アベルマリアの目から、笑みが消えた。
「まさか本当にロゼリアを追いかけていたなんてね。……ふん、随分と未練がましいことですこと!」
「……貴方様には、一切関係のないことです!」
ディアブロスが声を荒らげる。
しかし、アベルマリアは一歩も退かなかった。
「関係ない? ふふ、もう『関係ない』のはあなたの方でしょう?」
彼女は扇子を閉じ、冷ややかな視線を突き刺した。
「ロゼリアとは、すでに婚姻を解消しているのだから。今のあなたは、ただの他人よ」
「……っ!」
「それに対して私は、苦楽を共にしたロゼリアの大切な親友。関係なら大ありじゃなくて?」
アベルマリアは、わざとらしく小首を傾げた。
「今日の私はね、これ以上見苦しく彼女につきまとうあなたに、最後の忠告をしに来てあげたの」
「……忠告、だと……?」
ディアブロスが低く唸る。
アベルマリアは一瞬で笑顔を消した。
「ロゼリアはね、もうあなたなんかが与えられなかった、本当の幸せを手にしたのよ。これ以上、未練たらしく彼女を追いかけ回すのはおやめなさい!」
「……私が今後、意地でもロゼリアに会いに行ったとして……あなたごときに何ができるというのです?」
ディアブロスの声には、隠しきれない威圧がこもっていた。
だが、アベルマリアは怯むどころか、ふっと鼻で笑った。
「私を誰だと思っているの?」
腰に手を当て、堂々と胸を張る。
「私はこのアクアクリスタ王国の次期国母となる女よ!」
そして、手にしていた扇子をディアブロスへ突きつけた。
「もしこれ以上、私の親友であるロゼリアの幸せを邪魔しようものなら、公爵家と王家の権力をもって、あなたを全力で叩き潰すわ。容赦なんてしないから、覚悟なさい!」
その言葉には、一片の冗談もなかった。
ディアブロスは歯を食いしばった。
将軍としての地位があろうとも、筆頭公爵家と王家を敵に回すわけにはいかない。
反論したくても、できない。
その現実が、何よりも彼の自尊心を傷つけた。
アベルマリアは、言葉を失ったディアブロスを見て、満足そうに微笑んだ。
「ふふ。言いたいことはそれだけよ。……では、ごきげんよう」
優雅に踵を返し、彼女は執務室を後にした。
パタン、と扉が閉まる。
残された部屋には、重苦しい静寂が満ちていた。
ディアブロスは、床に落ちた手紙を見つめた。
そこに書かれていた、最後の一文。
『今までありがとうございました。そして、さようなら』
もう、自分に向けられる愛情はない。
あれほど自分を支えてくれた女は、今や別の男を信じ、未来を選んでいる。
それでも、手放したくない。
自分のもとを去ったことが、どうしても許せない。
彼女の幸せを願うことすらできず、ただ失ったものの大きさに打ちのめされている自分がいた。
「……ロゼリア……っ!」
握りしめた拳が震える。
次の瞬間、ディアブロスは咆哮とともに、全身の力を込めて壁を殴りつけた。
ドドンッ!!
凄まじい衝撃音が響き、頑丈な石造りの壁に大きな穴が開いた。
ゆっくりと引き抜かれた拳からは、破れた皮膚を伝って鮮血が滴り落ちる。
それでも、痛みなど感じなかった。
彼の胸を満たしていたのは、怒りと屈辱、そして――もう二度と戻らないものを失った、底知れない絶望だけだった。




