大森林の屋敷と、百年越しの実証実験
大森林帯の浅い場所には、いくつもの転移ポイントが設置されている。
どれもミゼルが独自に構築したもので、オーガス王国をはじめとする各方面へ繋がっていた。
今回も、オーガス側との往復にはこの転移魔法陣を利用している。
転移先は、大森林のさらに奥。
ミゼルの屋敷である。
まともに歩いて向かえば、十日は掛かるだろう道程も、転移魔法なら一瞬だ。
もっとも、その屋敷を見つけること自体が至難の業なのだが。
屋敷の周囲には、幻惑魔法と強力な結界魔法が幾重にも施されている。
外から見れば、そこにはただ鬱蒼とした森が広がっているだけ。
まさか、その森の奥に綺麗に整えられた芝生があり、その中央に立派な木造屋敷が建っているなど、誰が想像するだろうか。
そして、ミゼルは右手の人差し指と中指を軽く振った。
すると、二人の前に立ちはだかっていた結界が、まるで左右に割れるように開いていく。
「便利ですわねぇ」
「当然じゃ。我の家だからな」
得意げに胸を張るミゼル。
結界を抜けた二人は、見慣れた我が家を前にして、ほっと息を吐いた。
「やっと帰ってきましたわぁ、ミゼル様ぁ~」
「うむ。やはり我が家が一番だな」
ミゼルは満足げに屋敷を見上げる。
二人はそのまま芝生を横切り、ウッドデッキへと上がった。
セシリーが重厚な木製扉の前に立つ。
そして――。
コン、コン、コン。
ノッカーを三度叩いた。
「おーい! 今帰ったぞぉー!」
「……」
ミゼルが無言でセシリーを見る。
「なんです?」
「……親父か、お主は」
「いやぁ、帰宅の挨拶としては完璧では?」
「完璧なのは声だけじゃな」
呆れたように言ったミゼルだったが、その口元には僅かな笑みが浮かんでいた。
その直後。
扉に取り付けられた覗き穴の向こうから、こちらを窺う気配がした。
マリアだ。
しばらくして、カチャリ、と内側から錠が外される。
扉が開いた。
「ミゼル様、セシリー様、お帰りなさいまし――」
しかし、目の前に立つ二人の姿――特にメイド服を纏った姿を見た瞬間、マリアの瞳孔が限界まで見開かれ、完全に点になった。
「うむ、ただいまのじゃ」
ミゼルの視線の先では、セシリーの白いワンピースを贅沢に仕立て直したおくるみに包まれ、赤子のタウラがスヤスヤと平和な寝息を立てていた。
「な、なぜ、お二人ともそのようなお姿で……?」
「ああ、これねぇ。野暮ったく見えるけど、意外と動きやすくて優れものなのねぇ」
ミゼルも隣で静かに、深く頷いている。
「はぁ……そうでございますか」
状況が飲み込めず引きつるマリアだったが、それ以上に、セシリーの腕に抱かれた赤子の存在が気になって仕方がなかった。
「人族の雄だよぉ。ミゼル様がまた手に入れたんだよぉ。リフレインって言うんだ」
「リフレインですか。良い名前です」
「マリアよ、この赤子の飼育も、お主に一任する」
「はっ、お任せください……!」
「頼んだぞぉ、マリア」
「セシリー、お主もだぞ」
えっ、私もですか? と言いたげな顔をしてから、セシリーはしたり顔で言い放った。
「ですよねー。分かってましたわぁ」
だが、その引き攣った表情が、彼女の本音を雄弁に物語っていた。
マリアが子供たちの寝床を用意すると言い出したので、ミゼルは任せることにした。
そして、完成したものを見て――。
「……これは凄いな」
思わず感嘆の声を漏らした。
「ありがとうございます」
そこにあったのは、二人の赤子が並んで眠れる大きなスイングベッドだった。
木の質感を生かした、温かみのある作り。
しかも、枕元の板には二頭のドラゴンが向かい合うように彫刻されている。
「この短時間で、お主が彫ったのか?」
「はい。少し物足りない気がしまして」
マリアがベッドの側面を指差す。
そこには一面の草原が彫られていた。
豊かな草が風に揺れ、その中央で二人の赤子が眠っている。
「草原をイメージしました。子供たちが、のびのび育ってくれればと思いまして」
「お主、中々やるではないか」
「お褒めいただきありがとうございます」
マリアは嬉しそうに頭を下げる。
すると、セシリーが胸を張った。
「まあ、私の足元にも及びませんけどねぇ」
「セシリーは何でも壊すのが得意じゃな」
「ミゼル様、人を脳筋みたいに言わないでくださいまし」
「脳筋ではなかったのか?」
「えっ?」
マリアまで目を見開いた。
「えっ? なんでマリアまで驚いてるんです?」
「いえ……」
マリアはそっと目を逸らした。
否定できない。
「ちなみに、私は物を壊すより殴る方が得意ですわ」
「それを脳筋と言うのじゃ」
「ミゼル様ぁー!」
いつものやり取りを横目に、マリアは小さく笑った。
そして二人の赤子をベッドへ寝かせる。
ゆっくりと揺らしてやると、二人とも安心したように小さな寝息を立て始めた。
タウラ。
リフレイン。
まだ何も知らない二人の赤子。
その小さな胸が、規則正しく上下している。
ミゼルは、その寝顔をじっと見つめていた。
「雄がリフレイン。雌がタウラ」
ミゼルが淡々と言う。
「それ以上でも、それ以下でもない」
「……はい?」
「我らが観察し、記録する対象じゃ」
マリアが首を傾げる。
「対象……ですか?」
「うむ。我らはこれから、この二人の成長を記録する。身体能力、魔力、知能、性格、環境への適応、その他諸々じゃ」
「でぇたぁ、というやつですわぁ」
「でぇたぁ……ですか?」
セシリーが横から補足する。
「記録を取るってこと。観察日記と思えば分かりやすいですよぉ」
「なるほど……」
「それから、マリアよ」
「はい、ミゼル様」
ミゼルの声が変わった。
それまでの軽い調子が消える。
マリアは思わず背筋を伸ばした。
「これは最初に厳命しておく」
「はい」
「この二人の飼育において、決して優劣を付けてはならぬ」
「優劣……ですか?」
「そうじゃ」
ミゼルは二人の赤子を見た。
「タウラの方が優れているから大切にする。リフレインの方が優れているから大切にする。そのような考え方は必要ない」
マリアは胸の内で感心した。
(さすがミゼル様……)
身分も性別も関係なく、二人を平等に育てる。
きっと、この二人が成長すれば――。
(ミゼル様のように、立派な人間……いえ、エルフになって、人々を導く存在になるのでしょうね)
マリアが密かに感動している横で、セシリーは何とも言えない顔をしていた。
(……マリア、それ絶対に違うからぁ)
「ミゼル様ぁ」
「なんじゃ?」
「マリアには、そろそろ飼育の目的を説明しておいた方がいいと思いますよぉ」
「ふむ……それもそうじゃな」
ミゼルは腕を組み、天井を見上げた。
そして――。
ほんの少しだけ、遠い目をした。
「……我が、勇者たちと行動を共にしていたことは知っておるな?」
「はい」
百年前。
魔王軍が世界を席巻していた時代。
異世界から召喚された少年と共に、ミゼルたちは戦った。
少年は勇者と呼ばれた。
そして我らは、魔王軍を退けた。
世界を救った英雄。
それが、百年前のミゼルたちだった。
「じゃがな」
ミゼルの声が、少しだけ低くなる。
「私は、ずっと引っ掛かっていた」
「引っ掛かって……?」
「そうじゃ」
ミゼルは目を細めた。
「あの少年は、勇者ではなかった」
「……え?」
「少なくとも、最初はな」
マリアは息を呑んだ。
「召喚されたばかりのあの少年は、ただの平凡な学生だった」
剣を握ったこともない。
魔法を見たことすらない。
こちらの世界の常識すら知らなかった。
「それなのに――」
ミゼルの瞳に、異様な光が宿る。
「戦いの中で、あれほどの力を発揮した」
それは、ミゼルにとって最大の謎だった。
なぜだ?
何が起きた?
どこで変わった?
勇者だったから強かったのか?
それとも――。
「強かったから、勇者になったのか?」
「……」
マリアには、ミゼルの言葉の意味がまだ理解できない。
しかし、セシリーには分かっていた。
これはミゼルが百年間、ずっと考え続けてきたことだ。
「人は、最初から勇者なのか」
ミゼルが呟く。
「それとも――勇者になるのか」
静かな声だった。
だが、その奥には百年分の執念が凝縮されている。
「我はな、マリア」
ミゼルが自分の胸に手を当てる。
「百年前から、一つの疑問に取り憑かれておる」
「……疑問?」
「なぜ、あの少年は勇者になったのか」
それだけだった。
百年間、ミゼルが追い続けてきたもの。
名誉でもない。
勇者の称号でもない。
勇者を生み出すことでもない。
ただ――。
「あの少年が、ただの少年から勇者へ変わった、その理由を知りたい」
ミゼルは拳を握った。
「百年間、研究した」
魔力について調べた。
人体について調べた。
異世界召喚について調べた。
勇者の記録を集め、当時の戦闘記録を何度も読み返した。
そして、仮説を立てては壊し、また組み立てた。
その果てに、ようやく一つの答えへ辿り着いた。
「魔力回路の初期形成期」
ミゼルの声に、興奮が混じる。
「そこに加わる特定の負荷。そして、その時期に置かれた環境」
「……」
「それらが、あの少年を『勇者』へと変えた可能性がある」
マリアは、ようやく理解した。
「では……ミゼル様は、勇者をお作りになるのですか?」
「違う」
即答だった。
「勇者を作りたいのではない」
ミゼルは二人の赤子を見つめる。
「我は、勇者が生まれた理由を知りたいのじゃ」
「……!」
「もし、私の仮説が正しければ――この二人の成長過程に、その答えが現れるはずじゃ」
ミゼルの口元がゆっくりと吊り上がる。
「だからこそ、実証する」
その言葉と同時に、彼女の目が輝いた。
「百年だぞ?」
拳を握る。
「百年!」
声が大きくなる。
「百年間、理論を積み上げ、記録を漁り、何度も仮説を立てては捨てた!」
そして――。
「ようやく!」
両手を大きく広げる。
「ようやく、実証実験に取り掛かれるのじゃ!」
「ミゼル様……」
「百年待ったのだぞ、百年!」
「ミゼル様ぁ、嬉しそうですわぁ」
そして。
「ふふ……」
ミゼルの肩が震えた。
「ふふふ……」
次第に笑い声が大きくなる。
「アハハハハハハ!」
「……」
「ウワッハハハハハハハ!」
両手を広げ、高らかに笑うミゼル。
完全に悪の研究者である。
マリアは、ほんの少しだけ後ずさった。
その横で、セシリーは苦笑する。
「まあ、百年越しですからねぇ」
「……そういう問題でしょうか」
マリアが呟く。
しかし――。
そんな二人の会話など聞こえていないかのように、ミゼルは笑い続けていた。
百年間追い続けた謎。
自分の人生を懸けても解けなかった、たった一つの疑問。
――勇者とは、何なのか。
生まれつきなのか。
選ばれた存在なのか。
それとも。
ただの人間が、何らかの条件によって勇者へと変わるのか。
その答えを知るために。
ミゼルは、二人の赤子を手に入れた。
「……楽しみじゃ」
ミゼルが、静かに呟く。
「二人が、どのように育つのか」
その声には、研究者としての純粋な好奇心しかなかった。
だからこそ――。
怖い。
本人には、その自覚がまるでなかった。
そして当の二人は。
「すぅ……」
「すやぁ……」
何も知らず、仲良く眠っていた。
百年越しの実験が始まったことなど。
知る由もなく。




