ミゼルとセシリー街へ行く
ミゼルとセシリーは、オーガス王国北西部――大森林へ最も近い街、ナッツを訪れていた。
森で暮らす二人にとって、この街は食料や日用品を調達する大切な補給拠点だ。
月に一度は必ず訪れるため、今では商人も冒険者も、二人の姿を見慣れていた。
「まずは衣料品ですねぇ。でしたら、いつものバゼルのお店に行きましょう」
「うむ」
メインストリートの中ほど。
色鮮やかな布地が店先を彩る『バゼルの店』は、朝から客足が絶えない人気店だった。
店の前まで来ると、セシリーが思い出したように振り返る。
「そうでしたぁ。忘れていましたわぁ。ギルドで素材を換金してきますねぇ」
「うむ」
「ミゼル様もご一緒します?」
「面倒じゃ。行かぬ」
即答だった。
「では向かいの食事処で一杯やって待っていてください」
「うむ」
ミゼルは満足そうに頷く。
「早く戻るのだぞ」
「はいはい、分かってますよぉ」
セシリーは苦笑しながら手を振った。
(ミゼル様は私がいないと生活能力ゼロですからねぇ。しかも案外寂しがり屋さんなんですよ)
本人には絶対に言えない感想を胸にしまい、セシリーは冒険者ギルドの重い扉を押し開けた。
ギィ――ッ。
騒がしかったギルドの空気が、一瞬だけ静まり返る。
受付前で談笑していた冒険者たちが、まるで大型魔獣でも現れたかのように左右へ道を開けた。
「セ、セシリーさん! おはようございます!」
「「「おはようございますっ!」」」
熊のような体格の大男が勢いよく頭を下げる。
周囲の冒険者たちも慌てて続いた。
「おっ、ゴンザレス君かぁ。おはよ〜」
手をひらひら振るセシリー。
本人は近所のお姉さん程度の感覚だが、周囲はそうではない。
セシリーはAランク冒険者。
しかも”Sランク相当”と噂される実力者だった。
本来ならとっくにSランクへ昇格していても不思議ではない。
しかし主人であるミゼルがSランクであるため、
「私が、ミゼル様と同じランクなのはあり得ない」
という理由で、自らAランクに据え置いているのである。
そんな事情を知る者は少ない。
だからこそ、彼女は”最も怒らせてはいけないAランク”として有名だった。
「セシリー様、お久しぶりです」
受付から可愛らしい声が飛ぶ。
「あっ、チャチャ!久しぶり〜」
黒猫の耳をぴこんと揺らす獣人の受付嬢。
セシリーお気に入りの癒やし担当である。
「今日は素材の換金ですか?」
「買い物ついでにねぇ」
チャチャは少しだけ困った笑みを浮かべた。
「……今回も受付カウンターには乗り切りませんよね?」
セシリーは満面の笑み。
「無理♪」
「ですよね」
チャチャも即答だった。
「裏へどうぞ」
「お願いしま〜す」
解体場へ移動すると、セシリーは収納魔法から次々と獲物を取り出していく。
巨大猪。
牙狼。
魔石の山。
薬草の束。
職員たちが慣れた手つきで運び始める。
「それと月露草も少し置いていくねぇ」
その一言で、チャチャの耳がぴくりと立った。
「月露草ですか!?」
「ミゼル様が結構使うから少ないけどねぇ」
「十分です!」
チャチャは勢いよく頭を下げた。
月露草。
最高級ポーションに欠かせない超希少薬草。
市場に出回る量は極端に少なく、一束だけでも王都では争奪戦になる代物である。
それを「少し」と言って置いていくのだから、やはり規格外だった。
「じゃあ、これも出しちゃおうかなぁ」
ドスン!
床が揺れた。
「きゃあっ!」
現れたのは、軍馬を二回りは超える巨大な雄鹿。
枝分かれした立派な角は高級薬の材料。
肉は王侯貴族でも滅多に口にできない極上品。
「だ、大王鹿ーーっ!!」
チャチャは嬉しさのあまり、その場でぴょんぴょん飛び跳ねた。
「反応が可愛いから、もう一頭追加〜」
ドォン。
「きゃーーーーっ!!」
チャチャはとうとうセシリーへ抱きついた。
「セシリー様、大好きですっ!」
「はいはい」
セシリーは笑いながら猫耳を優しく撫でる。
(あぁ……癒やされるわぁ……)
目的は半分、こちらだった。
「後ろ脚一本はギルドのみんなで食べてねぇ」
「ありがとうございます!」
「いつも無理ばっかりお願いしてるし……ミゼル様が」
最後だけ、ぼそり。
チャチャには聞こえなかった。
☆
食事処の昼時は、冒険者や商人たちで賑わっていた。
木製のジョッキがぶつかる音、焼いた肉の香ばしい匂い、酔客の笑い声が店内を満たしている。
その喧騒の中、一人だけ異質な存在がいた。
銀糸のような長い髪。
透き通るような白い肌。
切れ長の瞳に宿る、百年を超えてなお色褪せぬ美貌。
店の片隅で静かに酒を飲むそのエルフへ、男たちの視線が自然と吸い寄せられていく。
しかし当の本人は、そんな視線など気にも留めず、揚げたての鳥肉を頬張っていた。
「うむ……これはなかなか美味いの」
香辛料の効いた衣は香ばしく、中は肉汁たっぷり。
酒の肴としては申し分ない。
ミゼルは満足げにジョッキを傾ける。
ぐいっと飲み干し、大きく息を吐いた。
「ぷはぁ……相変わらず雑味は多いが、田舎町ならこんなものか」
空になったジョッキを軽く持ち上げる。
「おい、お代わりじゃ」
店員が慌てて走っていく。
そんな様子を、別の席から一人の男が見つめていた。
――俺はゴリスケ。
最近名を上げ始めたパーティ『テンプレの嵐』のリーダーだ。
この街じゃ向かうところ敵なし。
最速でBランク入りするとまで言われている。
腕もある。
仲間もいる。
女にも困らない。
つまり、俺は勝ち組ってやつだ。
「……おぉ」
思わず息を呑んだ。
エルフなんて滅多に見ない。
しかも、とんでもない美人だ。
「こりゃあ今夜は当たりだな」
下卑た笑みを浮かべながら立ち上がる。
仲間たちは止めようともしない。
いつものことだからだ。
ゴリスケは勝手に女へ近付き、勝手に口説き、勝手に連れていく。
それがいつもの流れだった。
「よぉ、姉ちゃん」
ミゼルの正面へ勝手に腰掛ける。
「暇してるなら、俺と飲まねぇか?」
ミゼルは鳥肉を咀嚼し終えてから、ゆっくり顔を上げた。
一瞬だけ男を見る。
そして。
「あ?」
それだけだった。
「酒が不味くなる。失せろ」
「つれねぇこと言うなよ」
「あと息が臭い」
ミゼルは鼻を摘まんだ。
「腐ったオークでも食べたのか?」
店内の何人かが吹き出した。
ゴリスケの額に青筋が浮かぶ。
「てめぇ……」
「それとも口の中で何か飼っておるのか?」
クスクス……
周囲から笑い声。
完全に馬鹿にされていた。
「ふざけんな!」
バァン!
テーブルを叩き立ち上がる。
「俺を誰だと思ってやがる!」
ミゼルは心底どうでも良さそうに鳥肉を口へ運んだ。
「知らぬ」
「調子に乗りやがって!」
怒鳴り散らすゴリスケ。
「ぶちのめして奴隷商に売り飛ばしてやる!」
その瞬間。
「ほう」
ミゼルが初めて笑った。
嬉しそうに。
「久しぶりに聞いたのう。その手の台詞」
椅子から立ち上がる。
「表へ出るか?」
「上等だ!」
ゴリスケは鼻息荒く店を飛び出した。
その十秒後。
店の外から。
ドゴォン!!
という凄まじい音が響いた。
店内にいた客たちは誰一人、様子を見に行かなかった。
「またか」
「南無」
「若いなぁ」
皆、酒を飲み続けていた。
しばらくすると衛兵が走っていく姿だけが見えた。
――そして。
ゴリスケが意識を取り戻したのは、治療院だった。
見知らぬ天井。
全身を襲う激痛。
「……っ!」
「お、起きたか」
白衣姿の初老の治療師が顔を覗き込む。
「ここは……」
「治療院だ」
「……あの女!」
起き上がろうとして全身が悲鳴を上げる。
「動くな」
治療師はため息を吐いた。
「あんた、全身複雑骨折一歩手前だ」
「くっ……」
「それと一つ、大事な話がある」
嫌な予感しかしない。
「股間は完全に潰れた」
「…………は?」
「ここでは治せん」
「…………」
「王都の大神殿なら、もしかしたら何とかなるかもしれん」
「……嘘だ」
「残念ながら本当だ」
その瞬間。
ゴリスケの目から涙が零れた。
親父が死んだ時も。
仲間が命を落とした時も。
一滴も涙を流さなかった男が。
声も出せず泣いていた。
「……ゴリスケか?」
隣のベッドから声がする。
「……誰だ?」
「俺だよ、ボブ」
「ボブ?」
包帯ぐるぐる巻きの男が、力なく手を上げた。
「お前もか?」
「……何がだ?」
「エルフの女」
嫌な汗が背中を伝う。
「俺もギルドの酒場でナンパした」
ボブは遠い目をした。
「断られて俺はキレた」
「……」
「その先の記憶がない」
「……」
「気付いたらここだった」
二人はしばらく沈黙した。
やがてボブがぽつりと呟く。
「聞いたよ」
「何を?」
「お前をぶっ飛ばしたのは、大英雄ミゼル・リーフレット」
「……え?」
「俺をぶっ飛ばしたのは、その従者セシリー。俺も潰されていた」
ゴリスケの顔から血の気が引いた。
百年前。
魔王軍を退けた伝説。
子供でも知っている英雄譚。
まさか、その本人に喧嘩を売ったのか。
「……俺」
ゴリスケは天井を見つめた。
「人生、終わったな」
「いや」
ボブが静かに首を振る。
「命があっただけ運が良かった」
二人は同時に深いため息を吐いた。
もう二度と、酒場で一人飲みしているエルフには声を掛けまい。
そう心に誓いながら。
☆
「ミゼル様ぁ、お待たせしました〜!」
買い取りを終えたセシリーが、両手いっぱいの金貨袋を揺らしながら戻ってきた。
「遅かったのう」
「変なボンクラに絡まれましてぇ」
頬をぽりぽり掻く。
「軽く追い返そうと思ったんですけど、ちょっと力加減を間違えちゃってぇ。衛兵さんに治療院まで運んでもらいましたぁ」
悪びれる様子はまったくない。
「奇遇じゃな」
ミゼルは涼しい顔で言う。
「我もボンクラ大男に絡まれたので、少し教育してやった」
「えぇっ!?」
セシリーの目が丸くなる。
「ミゼル様と同じことしてたんですかぁ? これって運命じゃないですかぁ?」
「違う」
「ですよねぇ〜分かってましたよぉ〜」
あっさり否定された。
「では気を取り直して、お買い物の続きをしましょう!」
「うむ」
こうして二人は何事もなかったかのように街へ消えていく。
その頃、治療院では――
「「先生ぇぇぇぇぇぇっ! 本当に治るんですよねぇぇぇぇっ!?」」
「知らん」
ゴリスケたちの悲痛な叫びが、街中に響き渡っていた。




