マリアとタウラ
セシリーが、幼子タウラと乳母のマリアをその背中にさりげなく庇い、周囲へと視線を巡らせる。
そこには、つい先ほどまで彼女たちを追い詰めていた男たちの、見るも無惨な骸が十数体転がっていた。
男たちの四肢はあり得ない方向に折り曲げられ、頭部や腹部はまるで巨大な鉄槌で叩き潰されたかのように破裂している。
飛び散った内臓の臭気と、ぶち撒けられた脳漿の生臭さが、夜の森の冷気の中に濃密に立ち込めていた。
「ミゼル様ぁ〜、相変わらずエグい殺し方しますねぇ。普通に首ポンって跳ね飛ばせばいいと思いますよ?」
「いや万が一、こっちに首が飛んで目でも合ったらキモいだろうが……」
「あ、確かにキモいですねー。絶対嫌ですねー」
軽口を叩き合う二人の傍らで、マリアは喉まで上がってきた吐き気を必死に押し殺していた。
彼女は片手でタウラの小さな目をしっかりと覆い隠している。幼い姫に、この地獄絵図を見せるわけにはいかない。
「ミゼル様ぁ〜、この転がってるゴミ、どうします?」
「放っておけばいい。……『奴ら』が来た」
「……奴ら、とは誰のことですか?」
震える声で周囲の暗闇を警戒するマリアに、セシリーが軽快な調子で答えた。
「森の掃除屋ですよ。まあ、魔獣のことです」
「ま、魔獣……っ!?」
顔を蒼白にするマリアを見て、セシリーは「あ」と何かを思いついたように手を打った。
「マリア、今着ている服、下着も含めて全部脱いでちょうだい」
「えっ!?」
夜の森の中。ミゼルが浮かべた街灯のような光の玉だけが、彼女たちの周囲を柔らかく照らしている。
(私を裸にして……魔獣の餌にするつもり!?)
マリアが恐怖に戦慄した瞬間、それを察したかのようにセシリーは追い打ちをかけた。タウラの肌着もおむつも、すべて外せと言うのだ。
「追っ手がこの現場を見たらどう思うかしらね? 『夜の森で魔獣に襲われ、運悪く全員食い殺された』――そう見えないかしら?」
「あっ……! 私、これで終わりかと勘違いしてました……!」
「そう。魔獣の死体もついでに転がしておけば、森の掃除屋に奇襲を受けて全滅したと誤認するでしょう。完璧な偽装ですわ」
「なるほど……! 私たちは『死んだこと』にするのですね」
「掃除屋は、掃除屋を食べないから都合がいいのよ。それに残さず完食してくれるしね」
安堵の息を吐きながら、マリアは一糸纏わぬ姿となり、自分とタウラの衣服を血溜まりの中へと投げ捨てた。
「ほう……マリアよ。お前、なかなか良い乳が出そうな胸をしているな」
むき出しになったマリアの豊かな胸元を見つめ、ミゼルがニヤリと口元を歪める。
マリアは反射的に胸を隠した。
「ミ、ミゼル様、申し訳ございません! わたくし、まだ乳は出ません……!」
「なんと? そうなのか。ではセシリー、お前は出るのであろう」
「ミゼル様ぁ〜、胸が大きいからって乳が出ると思っていません? それならミゼル様だって出るはずですわ」
「ん? 我は乳など出るはずなかろう」
(確かに、ミゼル様も素晴らしいお胸をされているけれど……)
真顔でやり取りをする二人を見ながら、マリアは内心で圧倒されていた。
ミゼルは人並み外れたスタイルと、年齢を感じさせない完璧な美貌を持っている。そして隣に立つセシリーもまた、負けず劣らずの美女だ。
――もっとも、マリア自身も二人に引けを取らない極上の美女なのだが、生憎と本人にその自覚は一切なかった。
「セシリー、あとは任せたぞ。我らは先に森の屋敷へ帰る」
「はーい、任されましたぁ〜! ミゼル様〜」
ミゼル達が、姿を消してから獣臭が辺りに漂ってきた。
「来ましたね。……まあ、3頭もやれば十分でしょう」
暗闇から現れた魔獣の気配に、セシリーはごつんと拳を握り締めた。
殺る気満々、殴り殺す気満々の構えである。
「おっといけない。剣で殺さないと不自然ですね。『戦った末に数に押し切られた』というシチュエーションにしなければ」
セシリーはその辺に落ちていた男たちの剣を適当に拾うと、群がってきた魔獣3頭を雑な一閃で鮮やかに仕留めてみせた。
「ふう、汗の一つもかきませんけどやり遂げましたよミゼル様〜!」
セシリーに襲いかかる魔獣を蹴り飛ばし「残さずキレイに食べるのですよ。今日はご馳走だね」
任務の完遂を確かめるセシリー。
「さあ、帰りましょう! ミゼル様〜っ! 待っていてくださいませ〜〜っ!」
セシリーは少女のように飛び跳ねると、漆黒の闇が支配する森の中を脱兎のごとく走り抜けていった。
森の奥深くにある。人の手によって開けた一画にミゼルの屋敷がある。
「ミゼル様……その、ミルクなどはございませんか?」
「ミルクとな? ああ、赤子の餌のことか。無いな」
(えっ……餌……!? 本当に『飼育』のつもりなのですね……。エルフの方というのは、感覚が根本的にズレているのかしら)
「それでは、何かミルクの代わりになるようなものはございますか?」
「何か適当な物を見繕っておこう。明日、街に降りて手に入れてくる。必要な物があれば申し出ると良い」
「わかりました。……それと後で、タウラ様を湯浴みさせたいのですが、よろしいでしょうか?」
「湯浴みか。もうじきセシリーが戻るはずだ。その者に伝えれば用意させる」
「ありがとうございます、ミゼル様」
ミゼルはそれ以上何も言わず、静かに書斎の奥へと姿を消した。
「ふう……」
重い溜息とともに、マリアは床へペタリと座り込んだ。
張り詰めていた糸が切れ、今日起きた凄惨な出来事が一気に脳裏をよぎる。
「王太子殿下も公爵夫人も……ご自分のお子だというのに、何もしないなんて信じられません……っ! ただの快楽を求めただけの遊び? いい大人が、盛りのついた猿と同じではありませんか……!」
マリアはぎゅっと拳を強く握り締め、床を叩きつけたい衝動を必死で抑え込んだ。
「まだ乳飲み子の命まで狙うなんて、到底許されることではありません! たとえ神様がお許しになっても、このわたくしが! あの愚か者たちに懺悔の道を歩ませてみせます……っ!」
怒りに身を震わせたあと、マリアはそっと目線を脇に移した。
台の上に置かれた底の浅い木箱。そこにふかふかの藁を敷き詰め、清潔な布で包まれたタウラが、スヤスヤと可愛らしい寝息を立てている。
「姫様……。わたくしは、姫様が正しい人生を歩むためなら、この命のすべてを捧げますわ」
天使のようなタウラの寝顔を見つめているだけで、胸を焼き尽くしそうだったドロドロとした憎悪が、清らかな水で洗い流されていくような気がした。
翌朝。
「マリアよ、これを朝と夜、寝る前に必ず飲ませるのだ。忘れるではないぞ」
ミゼルが差し出してきた小さな薬瓶を受け取り、マリアは首をかしげた。
「かしこまりました。ミゼル様、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ん、何だ。申してみよ」
「これは、何のお薬なのでしょうか?」
「ああ、ただのサプリメントだ。栄養補助の薬だな」
「えいよう……ほじょ、ですか?」
「かつて異世界から来た『勇者ヤクト』の世界では、皆がこれを飲んで健康管理をしていたと言っていた代物だ」
「けんこうかんり……」
「タウラの将来に、必ず役に立つ。安心して飲ませるが良い」
「……はい! かしこまりました、ミゼル様」
ミゼルは満足そうに頷くと、漆黒の魔導ローブを翻した。
「セシリー、出かけるぞ」
「は〜い! お供しま〜す!」




