赤子は落ちてない
世界を救った英雄は、今日も真剣に悩んでいた。
「……手頃な赤子が落ちていないだろうか」
静かな森に、その一言だけがやけによく響いた。
大森林の奥深くにひっそりと立つ、築三百年ほどの木造邸宅。
しかし、その書斎だけは違った。
壁という壁を埋め尽くす魔導書。
床にまで積み上げられた研究資料。
棚には奇妙な薬品が並び、天井からは何に使うのか分からない魔導具がぶら下がっている。
一人のエルフが腕を組んでいた。
銀色の長い髪。
百年前から少しも変わらぬ美貌。
かつて異世界より召喚された勇者と共に魔王軍を退け、『大魔導師』『大英雄』と呼ばれたエルフ――ミゼル リーフレット。
そんな彼女が、百年かけた研究の末に導き出した結論が、
「赤子が欲しい」
である。
……もちろん、変な意味ではない。
「ミゼル様〜は、少しは言葉を選んでください」
背後から呆れきった声が飛んできた。
「そんな都合良く赤子など落ちておりませんですわ」
従者兼助手、セシリーオリオン。
長い金髪を後ろで束ねた美しいエルフだが、その細腕から繰り出される拳は、かつて古竜の顎を砕いたと噂される武闘派である。
本人は否定している。
否定しているが、古竜は否定していない。
「そうか……どこかに転がって」
「転がっていません。仮に転がっていたとしたら、それはもう野生の魔物のエサになった後ですわ」
セシリーの現実的なツッコミに、ミゼルは不満そうに眉をひそめ残念そうに紅茶を一口飲む。
「では森を探してくるか」
「だから落ちてませんって!」
即座に返答が飛ぶ。
「木の実じゃないんですよ、赤子は!」
「木の下に籠でも置いてあれば……」
「置いても、ありません!」
「川上から流れてくる可能性は?」
「それは別の話です!」
「ふふ、セシリー冗談だ」
「目が笑っていません!」
ことごとくセシリーに否定されるミゼル。
今日も書斎兼研究室は平和だった。
壁一面には魔法理論。
人体構造図。
魔力循環。
そして中央の黒板には、大きくこう書かれている。
『勇者は何故、勇者たり得たのか』
ミゼルは当時、異世界の少年から徹底的にその身体構造、魔力のパス、果ては故郷の文化に至るまでを聞き出していた。
(異世界の平凡な少年が、なぜあそこまでの規格外な力を得たのか……?)
異世界から来た、どこにでもいる平凡な少年。
剣術は未熟。
魔力も凡庸。
知識も特別ではない。
それでも彼は世界を救った。
何故か。
「才能ではない」
ミゼルは呟く。
「血筋でもない」
「環境……教育……経験……」
ミゼルはこの答えだけを追い続けていた。
百年考え続けた末、一つの仮説へ辿り着いた。
百年間、研究と理論の構築を重ねたミゼルが出した結論。それは『魔力回路の初期形成期における特定の負荷と環境』だった。
そして今日。自分の理論を完璧に実証するため、ミゼルは『人種の赤子をゼロから育てて実験する』という、決断を下したのである。
「再現実験が必要だ。そのためには赤子が要る」
「話が戻りましたねぇ……」
「困ったな。実験の『検体』がなければ、私の百年分の理論が完成しないではないか」
「理論のために人間を拾おうとするのを、まずお辞めくださいですわ」
セシリーが頭を抱えた、まさにその時だった。
『チリリン』と、書斎の隅に置かれた水晶玉が淡く輝き古風な鈴が澄んだ音を立てた。
ミゼルが指先で軽く触れると、空中に青白い文字が浮かび上がった。
セシリーが内容を読み上げる。
「オーガス王国、グランディア公爵家女児誕生」
「庶子、継承権争い激化」
「暗殺の危険、大」
「不義の子」
部屋が静まり返る。
「オーガス王国ですか……ここから南の王国ですね。勇者召喚を成功させたところですわ」
ミゼルは紅茶を置いた。
「ふむ」
ほんの数秒、考える。
そして一言。
「ネギだな」
「はい?」
「赤子がネギを背負って来た」
セシリーは両手で顔を覆った。
鴨じゃない……
「……ミゼル様〜」
「何だ」
「横から掻っ攫うおつもりですねぇ」
「……保護だ」
「世間では誘拐と申しますぅ」
「違う」
ミゼルは真顔だった。
「暗殺される未来しかない子を救うのだ。そのついでに百年越しの実験も始める」
「一石二鳥だ」
「ついでが大きすぎます!」
だが。
セシリーは知っている。
ミゼルは研究のためなら常識を捨てる。
しかし――命だけは絶対に見捨てない。
だからこそ百年前、多くの者が彼女に命を預けたのだ。
「……準備しますか?」
「ああ」
ミゼルはゆっくり立ち上がり漆黒の魔導ローブを羽織る。
その瞳には、百年前と同じ光が宿っていた。
「英雄としてではない。研究者としてでもない」
「一人の保護者として迎えに行こう」
セシリーは小さく笑う。
「その台詞だけ聞けば、とても立派なんですけどねぇ。問題は目的ですわ」
百年止まっていた時間が、静かに動き始めた。
目星はついている。刺客に追われ、死に物狂いで逃げる者の動線。それをミゼルの知略で少しだけ誘導してやれば、自ずと目的地は決まる。
ミゼルとセシリーは、三日後にはオーガス王国に入り、王都サマリアに滞在し事態が動くのを待ち構えていた。
「ミゼル様〜!この店のお肉サイコーです!」
「セシリーそのようだな。ワインを貰ってくれ」
-----大森林の境界線付近。
赤子を抱えた女性が、必死に夜の森の中を生き延びるために走る。
「はぁ……はぁ……っ! この子だけは……!」
ボロボロのドレスを纏った女性――乳母のマリアは、追い詰められ血と汗に塗れながら走っていた。
その腕には、ぐっすりと眠る小さな赤子がしっかりと抱かれている。
背後からは、殺気を孕んだ複数の足音。何者かに雇われた刺客たちだ。
「逃がすなよ! 上客の依頼の赤子だ!ここで乳母もろとも始末しなければならん!」
まるで、獲物をもて遊ぶ狩人のように痛ぶり追い詰めている。
「ハハハ! 追い詰めたぞ!」
「手惑わせやがって。……公爵家の汚れ仕事だ、悪く思うなよ。乳母もろとも細切れにしてやる!」
ここぞとばかりに、黒装束の暗殺者たちが一斉に飛び出し、マリアへ向けて無慈悲な刃を振り下ろす。
マリアは諦めたように目を閉じ、赤子を庇うように抱きしめ背を丸めた。
(ここまでなのか……)
「……姫様……申し訳ございません……」
――だが。斬撃は直ぐにはやって来なかった。
ドバァーンッ!!!
衝撃波が一閃した。
直後、夜の森を揺らしたのは、刃が肉を裂く音ではなく、世界が圧壊するような重低音だった。
「「「がはっ……!?」」」
殺到していた暗殺者たちが、突如として目に見えない『不可視の質量』に押し潰され、一人残らず地面へと叩きつけられたのだ。
バキバキと骨の砕ける音と男達の苦悶の呻き声が、静かな森に響く。
「……ひっ!?」
目を開けたマリアの視界に入ったのは、暗殺者たちをゴミのように叩き伏せ、月光を背に立っているひとりの美しいエルフだった。
「私の領域で騒ぐな、羽虫ども」
ミゼルは冷淡な声で吐き捨てると、愕然とするマリアへと歩み寄った。
マリアは恐怖に震えながらも、必死に赤子を守ろうと腕に力を込める。
「た、助けていただいたのですか……? 一体、あなた様は……」
「通りすがりの英雄だ。……ほう、見事な魔力素質。産着の刺繍も高貴そのもの。素晴らしい、最高の検体……ゴホン、哀れな子だ」
「ミゼル様〜本音が漏れていますわ」
後ろから心底呆れた声がした。そして美しいエルフの女性が現れた。
「……姫様の命を助けていただき、誠にありがとうございます」
マリアは、ふらつきながら立ち上がり深くミゼルに頭を下げた。
ミゼルはマリアの腕から、スッと赤子を抱き上げた。
余りにも自然に赤子を抱き抱えられ、マリアは動けなかった。
赤子はミゼルの顔を見ると、泣くどころか、キャッキャと無邪気に笑い声を上げた。
「ほう、この子の名前は?」
「……アリスクラーヌ様でございます」
「アリスクラー?……長いな。アウラ……」
「それでしたら、タウラが宜しいかとミゼル様。名前から探られる可能性も無いと思いますわ」
「タウラか、良い名ではないか」
「でしょう!ミゼル様〜」
ミゼル様……(マリアは何かに気がついた)
「ミゼル様……もしや、大英雄であられ大魔導師ミゼル様でございますでしょうか?」
「ん?まぁそう言う者もいないではないが……」
「ミゼル様この子の乳母をしておりました。マリアルシェールと申します……! 命を救っていただいたこと、誠に、誠に感謝いたします! 」
(乳母か……丁度良い此奴に飼育させてやろう。セシリーでは、不安が付きまとうしな)
「子とお主は我の所で面倒をみよう」
「あ、ありがとうございます!」
命を狙われたからには、マリアに帰る所など有りはしなかった。
マリアは涙ながらにミゼルにお礼を言った。
(姫様の命が繋がった……)
乳母として目の前の美しい女性は、マリアにとって女神様にみえたのだろう。
お礼を言われたそばから、ミゼルがやらかした。
「セシリー! 実験体の確保に成功したぞ!すぐさま帰還する!」
「ミゼル様〜、実験体とか言わないでくださいまし! ほらマリア、立ちなさい。タウラの飼育は任せましたよ。ミゼル様は変態ですが一応害はありませんから、一緒に屋敷へ来てください」
「……実験体って……飼育って……」
こうして、高貴な血筋の赤子『タウラ』と、胃を痛める運命の乳母『マリア』が、ミゼルの検証に加わった。
因みに、タウラはオーガス王国王太子(当然王太子妃、側室、三人の子もいる)と現王弟のグランディア公爵ダマスカスの公爵夫人との不義に生まれた子と聞いた。
それを聞いたミゼルは呆れ、セシリーは目を見開き色々とマリアに質問していた。
この手の話はセシリーの好物のようだった。




