ウンコ大好き少女
「ん……?」
どこからか、クスクスという笑い声が聞こえてきた。
(……ん?)
重い瞼を持ち上げる。
どうやら、僕はいつの間にか眠っていたらしい。
……いや、違う。
眠っていたこと自体は悪くない。
問題は――。
(せっかく気持ちよく眠れたのに、なんで周りがこんなにザワザワしてるんだ?)
僕は眠気の残る目を擦りながら、馬車の荷台を見渡した。
だが、妙だ。
誰一人として僕と目を合わせようとしない。
いや――。
タウラなんて、口元を手で覆って肩を震わせている。
エルザは露骨に視線を逸らしていた。
「……何だよ?」
僕が尋ねると、エルザが困ったような顔をする。
「リフ……これは修業の一環よ。寝たらダメだよ」
「修業?」
僕は首を傾げた。
「そう。起きていれば、周囲の変化にも気づけるでしょう?」
「なるほど」
確かに、それは一理ある。
さすがエルザ。
言っていることが正しい。
だが……
タウラは必死に何かを堪えている。
僕は考えた。
そして――ひらめいた。
「ははーん」
「何よ」
「タウ。おしっこしたかったら、勝手に馬車から降りてしてくればいいだろう」
「は?」
「お前なら走ればすぐ追いつくはずだ」
「違うわよ! バカ!」
バチィィン!
「いってぇ!」
容赦なく頭を叩かれた。
「何すんだよ!」
「リフレイン。貴方が悪いわ」
エルザが冷たい目で僕を見る。
「なんでだよ!」
「……自分の顔を見てから言いなさい」
「顔?」
僕は首を傾げた。
すると、向かい側からマルクの声が飛んできた。
「リフレイン。お前は俺の足元にも及ばない。俺の勝ちだ」
「何だよ、マルク! 急に勝ち誇りやがって!」
「ぷぷっ……。しかし、お前の顔は本当に面白いな!」
「……は?」
「お前、毎朝鏡を見てるんだろ?」
「当たり前だろ! 寝癖や目やにをつけてたら、マリアさんに怒られるんだぞ!」
「そうか……」
マルクがニヤリと笑った。
「俺なら毎朝、お前の顔を見て腹を抱えて笑う自信がある!」
「何だと!」
こいつ……!
さっきから何度も僕の顔を馬鹿にしやがって!
僕は怒りに任せて、空間収納から鏡を取り出した。
両手で抱えるほどの大きな鏡だ。
「これで確認してやる!」
鏡を覗き込む。
そして――。
「…………」
数秒。
「…………」
さらに数秒。
「なんじゃ、これぇぇぇぇぇっ!」
荷台に僕の絶叫が響き渡った。
「ぷっ……!」
タウラが吹き出した。
「アハハハハハッ! リフ、最高!」
エルザまで堪えきれずに笑い始める。
「ギャハハハハ! リフレインの顔、腹痛ぇ!」
マルクは腹を抱えて笑っている。
その両親まで、口元を押さえてクスクス笑っていた。
隣の女の人はぐっすり寝ているが、両足がだらしなく開いていくのが気になりすぎる。
その向こうの冒険者のおじさんは、なぜか目を丸くしていた。
(あの小僧、いつどこから鏡を取り出した……?)
僕の顔には、見事なまでの落書きが施されていた。
眉毛は太く一本につながっている。
口の周りには立派な髭。
頬には渦巻き。
そして額には、見事なトグロを巻いたウンコ。
さらに顔のあちこちには、「バカ」「アホ」「スケベ」僕を馬鹿にする文字まで書かれている。
「……タウラだろ?」
「なんで私よ」
タウラは頬を膨らませ、しれっとした顔をしている。
「この落書きを見れば一目瞭然だ!」
「何がよ」
「お前以外に、こんなことをする奴がいるか!」
「……さあ?」
「絶対お前だ!」
「証拠は?」
「このトグロを巻いたウンコが動かぬ証拠だ! タウはウンコ大好き少女だからな!」
「誰がウンコ大好き美少女よ!」
「……美は言ってない」
「そんなにウンコが欲しければ、また鼻に詰めてあ・げ・る」
「止めろ! ウンコの実を詰められたら一週間ウンコの臭いが取れないんだぞー!」
僕は鏡を抱えたまま頭を抱えた。
完全に詰んでいる。
右は馬車の壁。
左は元凶と思われるタウラ。
逃げ場など、どこにもない。
僕はその場で丸くなった。
「タウラ、いけません」
そのときだった。
マリアさんが助けに入ってくれた。
(マリアさん……!)
救世主だ!
僕は期待に満ちた目でマリアさんを見上げる。
「ここは狭い馬車の中です。他の乗客の皆さんにもご迷惑が掛かります」
「そうですよね!」
すかさず僕は肯定した。
「ですから――」
マリアさんは優しく微笑んだ。
「そういうことをするなら、外か、人のいない場所でやりなさい」
「はーい!」
「…………」
僕は固まった。
(マリアさん……そこじゃない!)
止めるところが違う!
いや、違わないのか?
……違うだろ!
僕は床に両手をつき、がっくりとうなだれた。
そんな僕を見て、エルザが小さく苦笑する。
(マリアさんの常識も、いつの間にかミゼル様の影響を受けているわね……)
どうやら、我が家の「常識人」は、もう完全な常識人ではないらしい。
しばらくすると、マルクが突然、大声を上げた。
「お父さん! お母さん! 見えてきたよ!」
僕は思わず眉をひそめる。
(少しは静かにできないのか?)
……まあ、子供だから仕方ないか。
「ん?」
僕も窓の外へ目を向ける。
「タウラ! エルザ!ナッツの防御壁が見えるぞ!」
「へぇ……あれがナッツなのね」
タウラも身を乗り出す。
「どう思う、リフ?」
「……紙みたいだな」
「やっぱり」
「ああ。属性を持たない魔力を固めてぶつけるだけでも、あの門くらいなら吹き飛ばせそうだ」
「それって、どのくらい?」
「鼻くそくらいの魔力で十分じゃないか?」
「だよねー」
タウラが楽しそうに笑う。
「ナッツを囲んでいる防御壁を、全部まとめて消し飛ばしたら、みんな驚くかな?」
「ハハハ。今度やってみるか?」
「それ良いかも面白そう」
エルザも乗り気だ。
「やめなさい」
マリアさんの声が、即座に飛んできた。
「貴方たち、人々が困ることをしてはいけません」
「「「はーい」」」
「人々が喜ぶことを考えましょう」
「「「はーい」」」
三人揃って返事をする。
「……考え方が、セシリーに似てきたな」
ミゼルが呟くと、すぐ隣から嬉しそうな声が聞こえた。
「まあ! ミゼル様が私を褒めてくださるぅ!」
「褒めてはいない」
「そんなぁ!」
ミゼル様が淡々と否定する。
「……だが、こやつらも良い方向に育っているようじゃな」
その横顔は、ほんの少しだけ嬉しそうだった。
「ねえ、タウ! エル! 外を見てごらん!」
僕が声を掛ける。
「馬車がいっぱい並んでいるよ!」
「本当ね……」
エルザが窓から外を覗き込む。
「こんなにたくさんの馬車が……」
「でも、なんで並んでいるの?」
タウラが尋ねる。
「ナッツに入るための検問よ」
マリアさんが答えた。
「悪い人が街に入らないように、身分や荷物を確認しているの」
「へえ……そうなんだ」
「大変だねー」
タウラが感心したように言う。
そして、次の瞬間。
「魔法で選別したらいいじゃん」
「……」
「タウラならできそうね」
「いやぁ~、それほどでもないよ~」
タウラは照れくさそうに頭を掻いた。
……たぶん、本当にできる。
やがて、僕たちの馬車の順番が来た。
御者が門番の兵士と何やら話している。
しばらくすると、御者が荷台へ振り返った。
「皆様、申し訳ございません。申告書との確認のため、門番の方がこちらへ伺いますので、少々お待ちください」
「全員、身分証を持って荷台から降りろ!」
若い兵士が、威圧的な声を上げた。
冒険者のおじさんと、さっきまで眠っていた女性は、二言三言の確認だけで戻ってきた。
(顔見知りなのかな?)
一方、マルク親子はかなり細かく聞かれている。
やがて確認が終わり、許可が下りた。
僕たちはセシリー様が代表して兵士と話をしている。
すると――。
「あん? ミゼル様は気難しいお方だ。貴様の対応次第では、オーガスとの縁を切り、帝国や聖王国との交流を深めてもいいんだぞ」
セシリー様が凄んだ。
「オーガスの国王に伝えておけ! お前の国には、二度と来ないとなぁ!」
「ひぃっ!」
兵士の顔が真っ青になる。
そして――。
詰め所から、次々と兵士たちが飛び出してきた。
「た、大変申し訳ございません!」
「どうか、お許しください!」
気がつけば、門番全員が地面に額をつけていた。
「……これって、権力を使った脅しですよね?」
タウラが、嬉しそうにマリアさんへ尋ねる。
「タウラの言う通りね」
マリアさんは苦笑した。
「ただ、あまり多用するものではありませんよ」
「なるほど」
「とはいえ、下級騎士相手なら効果は抜群でしょうね」
「ミゼル様、すご~い」
「……」
その名前が出た瞬間。
マルクの両親の顔色が変わった。
「だ、大英雄……ミゼル様……」
そして二人は、勢いよく頭を下げた。
「大変申し訳ございません!」
「うちの愚息が、リフレイン様に数々の無礼を……!」
「お、おい! やめてくれ!」
僕は慌てて手を振った。
僕まで恥ずかしくなってくる。
その隣では、ミゼル様が真っ赤になっていた。
「よい。そう畏まるな」
ミゼル様は視線を逸らしながら言う。
「こやつらも、同年代の子供と触れ合うのは初めてだったようじゃ。良い刺激になった」
……自分の名前を出されるのは、やっぱり恥ずかしいらしい。
やがて馬車は、何事もなかったかのようにナッツの街へ入った。




