タウラ街に行く
「えっ? 明日、街に行くんですか?」
セシリーの何気ない一言に、リフレイン、タウラ、エルザの三人が揃って動きを止めた。
無理もない。
リフレインとタウラにとって、街というものは本でしか知らない場所だった。
これまで二人が暮らしてきたのは、大森林の奥深くにあるミゼル邸と、その周囲に広がる広大な森。人の気配など滅多にない世界だ。
エルザにしても事情は違えど、自由に街を歩き回った記憶などほとんどない。
「街って、人族がたくさん集まって住んでいる所でしょう?」
リフレインが、少し警戒するように尋ねた。
「そうじゃな」
「……何しに行くの?」
どうにも納得がいかない。
そんな人の多い場所へ、わざわざ出向く理由が分からなかった。
するとセシリーが、にっこりと笑った。
「お前たちの服や装備、それから剣なんかを買うためかなぁ」
「「「剣!」」」
三人の反応が、一瞬で変わった。
先ほどまでの警戒心はどこへやら。
三人とも、目を輝かせてセシリーへ詰め寄る。
(あらあら……やっぱり、そっちに食いつくのね)
その様子を見ていたマリアは、思わず苦笑した。
どうやら三人にとって、街へ行く目的の優先順位は、
剣。
装備。
服。
この順番らしい。
「それと、冒険者登録もするわよぉ」
「冒険者?」
三人が揃って首を傾げた。
「前に少し説明したでしょう? 冒険者登録をしておけば、依頼された魔物を討伐したり、薬草なんかを採取したりして、お金をもらえるのよぉ」
「あー! その話、聞いたわ!」
タウラが勢いよく手を挙げた。
まだ八歳だというのに、その挙手だけは妙に堂々としている。
「タウラは、お利口だねぇ」
「えへへ」
褒められたタウラは嬉しそうに笑い、隣のリフレインを見る。
対するリフレインは、明らかに悔しそうだった。
「……僕だって知ってたし」
「本当?」
「……たぶん」
「ふふっ」
二人のやり取りに、マリアの頬が自然と緩む。
そんな微笑ましい光景を眺めながら、ミゼルがマリアへ声を掛けた。
「マリア、お主もナッツへ行ってみるか? もう八年も人里へ下りておらんじゃろ」
「そうですね……」
マリアは返事をしたものの、どこか歯切れが悪い。
その様子を見逃さなかったセシリーが、背中を押すように言った。
「マリアの魔力量なんて、もうオーガス王国の宮廷魔導師をとっくに越えてるわぁ。それに、魔法も身体強化も使えるんでしょう?」
「子供たちに、色々と教えてもらいまして……。それに、暗器の扱い方も……」
マリアは苦笑する。
思えば、随分と遠くまで来たものだ。
八年前。
タウラを抱きかかえ、追っ手から必死に逃げた。
あの時の恐怖と絶望は、今でも鮮明に覚えている。
足音が近づくたびに、心臓が張り裂けそうだった。
この子だけは守らなければ。
そう思いながら、ただひたすら走った。
もし――あの時、ミゼルたちに出会わなかったら。
姫様も。
そして自分も。
あの森の中で命を落としていたに違いない。
「マリアさん。一緒に行こうよ」
エルザの声に、マリアは顔を上げた。
「エルザ……」
「マリアさんがいないと、お買い物もできないわ」
姫様――。
胸の奥が、じんと熱くなる。
「そうだよ! 悪い奴らが来ても、僕がやっつけてあげるから!」
リフレインが胸を張った。
マリアは三人を見つめる。
子供たちは、いつの間にかこんなにも立派に成長している。
ならば――教える側である自分が、いつまでも過去に囚われていてどうする。
「……分かりました」
マリアは静かに微笑んだ。
「ミゼル様、セシリー様。私もお供させてください」
その決意に満ちた笑顔は、眩しいほどだった。
「よし。それでは明日に備えて、まずは数学の勉学からじゃ」
「「「えええええっ!?」」」
子供たちの顔が、一斉に引きつった。
「なんで、そうなるのよー!」
「剣の話は!?」
「冒険者になるなら、勉強も必要でしょう?」
とマリアが子供たちに言った。
途端。
「嫌だぁぁぁ!」
明日の街歩きを楽しみにしていた三人のブーイングは、しばらく屋敷中に響き渡った。
☆
「オーガス王国の転移点から大森林を抜け、ナッツを目指す。途中からは馬車での移動になるぞ」
「馬車!」
リフレインの目が輝いた。
「僕、馬車を見るのも初めてかも!」
「私もよ!」
タウラも嬉しそうに声を上げる。
しかし――。
「……私は、馬車には良い思い出がないから……」
エルザだけは、俯いていた。
その表情を見た瞬間、場の空気が変わった。
エルザにとって、馬車は楽しい乗り物ではない。
両親と暮らしていた村が人族に襲われた日。
父は殺された。
エルザと母は、他の女たちや子供たちと共に捕らえられ、檻のような馬車へ押し込められた。
そして、そのまま王都へ連れて行かれた。
道中、母親は男たちから酷い扱いを受け続けた。
その日々が、母の心を少しずつ壊していった。
やがて母は、エルザの目の前から姿を消した。
今、どこにいるのか。
生きているのか。
それすら分からない。
「お母さん……お父さん……」
エルザの唇が震える。
「エルザは……」
大粒の涙が、ぽろぽろと頬を伝った。
「うわぁぁぁん! お母さん――!」
「エルザ……」
マリアはすぐに両膝をついた。
そして、泣きじゃくるエルザを優しく抱きしめる。
「大丈夫ですよ。ここにいますから」
何度も、何度も頭を撫でる。
エルザが泣き止むまで、決して離さなかった。
「そうだよ、エルザ。私もいるし、リフレインもいる」
タウラがエルザの手を握る。
「エルザ。僕たちは家族じゃないか」
「タウ……リフ……」
「そうじゃぞ、エルザ」
ミゼルの声が静かに響いた。
「お前たちは、我の子じゃ」
マリアは、息を呑んだ。
(ミゼル様が……この子たちを認めた)
エルフと人族。
種族が違えば、価値観も違う。
そう思っていた。
けれど――。
子供を思う気持ちだけは、きっと同じなのだ。
「エルザぁ……」
セシリーが頬を掻きながら、少し照れ臭そうに笑う。
「私たちは、みんな同じ家族だよぉ。私は全力でエルザたちを守るし……愛しているからねぇ」
「……家族」
エルザは涙で濡れた顔を上げた。
「私たちは……家族?」
「そうよ」
タウラが笑う。
「私たちは家族!」
「うん」
リフレインも頷いた。
「僕たちは、ずっと一緒だよ」
「……うん」
エルザの顔に、少しずつ笑顔が戻っていく。
「私たちは家族……」
その言葉を確かめるように、もう一度呟いた。
「うん。私たちは、一つの家族なんだね!」
エルザが笑った。
タウラも笑った。
リフレインも笑った。
マリアも、目尻に涙を浮かべながら笑う。
セシリーも笑った。
そして――ミゼルも。
「……そうじゃ」
ミゼルは小さく頷いた。
「我らは家族じゃ」
その言葉が、エルザの胸に深く刻まれた。
「私、決めたわ!」
エルザが拳を握る。
「悪い奴らは、みんなぶっ飛ばす!」
「そうよ! エルザ!」
タウラも拳を突き上げた。
「悪い奴らは、みんなぶっ飛ばして、皆殺しにするのよ!」
「…………え?」
マリアの笑顔が固まった。
「タウラの言う通りだよ!」
リフレインまで頷く。
「悪い奴らがいなくなれば、いい人しか残らないしね。僕も手伝うよ!」
(あれ……?)
マリアは三人を見回した。
(私……育て方を間違えたのかしら?)
正しく導いている。
そう信じていた。
なのに、どうして話がこんな物騒な方向へ進んでいるのだろう。
「ハハハハハ!」
ミゼルは楽しそうに笑った。
「頼もしいのぅ」
「強敵が現れたら、私がやっつけてあげるわよぉ」
セシリーまで嬉しそうだ。
「大丈夫です、セシリー様」
リフレインが胸を張る。
「僕たちは、悪党なんかに負けませんから」
(……多分、負けないでしょうね)
マリアは苦笑した。
むしろ――。
(もしかしたら、この子たちは……とっくに勇者を超えているのではないでしょうか)
そんな考えが、ふと脳裏をよぎった。
それほどまでに、この子たちは強い。
そして強さだけではない。
いつの間にか、誰かを守ろうとする心まで身につけている。
ならば、自分がすべきことは――。
この子たちが道を誤らないよう、傍にいることなのかもしれない。
「では、出発じゃ!」
ミゼルが立ち上がった。
「我から離れるでないぞ」
「「「「はーい!」」」」
四人の元気な返事が重なる。
次の瞬間――。
視界がぐにゃりと歪んだ。
一瞬、世界そのものが裏返ったような感覚。
そして。
目の前に広がっていた景色が、一瞬で変わった。
そこは、オーガス王国に設置された転移点だった。
☆
転移点から少し歩いたところで、マリアは周囲を見渡した。
そして、ふと足を止める。
「セシリー様……ここは……」
「ああ、ここ?」
セシリーが周囲を見回す。
「ちょっと違うかなぁ。あの場所から西へ一キロくらいだねぇ」
「……そうですか」
マリアは静かに目を伏せた。
ここではない。
けれど、あの場所は近い。
姫様と自分にとって、人生の分岐点となった場所。
もし、あの日――。
ミゼルが偶然通りかからなければ。
自分たちは、そこで殺されていた。
タウラも。
何もかも。
今こうして笑っていられるのは、ミゼルが手を差し伸べてくれたからだ。
(……私は、もう一度この方に誓おう)
マリアは胸の内で静かに誓った。
この命が尽きる、その時まで。
ミゼルと、子供たちのために。
やがて森を抜けると、街道へ出た。
遠くには、人々が行き交う道が続いている。
ナッツへ向かう道の途中。
街道脇に、小さな村の跡地があった。
「……ビーン村跡地、だって」
リフレインが看板を読む。
「なんだろうね?」
タウラが首を傾げる。
「貧しそうな村だったから、みんな移住したんじゃない?」
何気ないタウラの言葉。
しかし――。
ミゼルだけは、黙ってその看板を見つめていた。
リフレインには、まだ本当のことを告げていない。
いつかは伝えなければならない。
だが――まだ、その時ではない。
ミゼルには、そう思えてならなかった。
その時が来たならば。
父親の剣を。
そして、この村に何が起きたのか、その真実を。
すべてリフレイン自身の手に渡す。
そう、心に決めていた。
そしてエルザについても、すでに分かっていることがある。
彼女が、ただの奴隷として売られたわけではない。
ミゼルの情報を集めるために利用された存在だったこと。
そして――その裏で糸を引いていた黒幕の存在も。
(我がしゃしゃり出て、公爵を滅ぼすことなど容易い)
ミゼルの瞳が、僅かに細くなる。
(だが……我が復讐してよいのであろうか)
自分ならば、すべてを終わらせられる。
一夜で。
跡形もなく。
だが、それでは意味がない。
あの子たちには、あの子たちなりの人生がある。
自分たちの過去を知り、その上でどうするのか。
怒りに身を任せるのか。
復讐を選ぶのか。
あるいは――許すのか。
それを決めるのは、ミゼルではない。
(あの子らには、それを成し得る力がある)
ならば――。
「すべては、あの子らが決める定めじゃろう」
「ミゼル様?」
隣を歩いていたセシリーが、不思議そうに顔を覗き込んだ。
「何か言いましたかぁ?」
「いや」
ミゼルはいつものように笑った。
「何でもないぞ」
「そうですかぁ……?」
セシリーは首を傾げながらも、それ以上は聞かなかった。
しかし――。
ミゼルの胸の奥には、決して消えることのない炎が灯っていた。
復讐の炎ではない。
もっと静かで、もっと深いもの。
いつか、あの子たち自身が真実を知る日のために。
そして、その日が来た時。
自分はただ、傍にいる。
それだけでいい。
「……行くぞ」
「はーい」
ミゼルたちは歩みを進めた。
そして次の村で馬車を手配すると、目的地であるナッツへ向かった。




