魔力増強計画
ミゼル邸の朝は、それほど早くない。
正確には――朝が遅いのではない。
ミゼルが寝るのが遅いのである。
深夜まで古代魔法の資料を読み漁り、明け方近くまで研究データを整理し、思いついたことがあれば夜中だろうと研究室へ戻る。
そんな生活を百年単位で続けてきた大魔導師にとって、「朝」とは太陽が昇った時刻ではない。
本人が目を覚ました時刻である。
「「「おはようございます、マリアさん!」」」
しかし、子どもたちの朝は早い。
「おはよう。顔を洗ってから、みんなで朝食を作りましょう」
「「「は〜い!」」」
元気な返事が響く。
マリアは苦笑しながら、三人の子供たちを見渡した。
ミゼル邸で暮らす子供たちに、マリアが教えていることは多い。
料理、掃除、洗濯。
買い物をするときのお金の扱い。
人との接し方や食事の作法。
道具の使い方に、簡単な裁縫。
生きていく上で必要になる、ごく普通の知識と技術。
そして――その中でも、マリアが何より大切にしているものがある。
慈愛の心。
困っている人がいれば手を差し伸べる。
自分だけが得をすればいいと考えない。
誰かを思いやる気持ちを持つ。
見返りを求めない優しさを、少しずつでも身につけてほしい。
それが、マリアの願いだった。
「この子たちなら……きっと分かってくれる」
マリアは、そう信じていた。
「さあ、みんな。今日使う野菜は、庭の畑で採れたものですよ」
「わあ!」
タウラが目を輝かせる。
「みずみずしくて、丸々してます! すっごく美味しそう!」
「でしょう?」
マリアも嬉しそうに笑う。
「みんなが一生懸命育てたから、こんなに大きくなったのよ。頑張った分だけ、美味しい野菜になったんです」
「僕たちの努力の結晶ですね!」
「そうよ。じゃあ、まずは綺麗に洗って、一口サイズに切り分けましょう」
「「「はーい!」」」
三人が包丁を手に取る。
「タウラ、お野菜を押さえる左手は『猫の手』にして、包丁の刃はまっすぐ当てるのよ。間違った方法だと、いつか指を切ってしまうからね」
「は〜い」
(タウラの指なんて、包丁で切りつけられても傷一つつきませんよ、マリアさん……)
リフレインは声に出してツッコミたかった。
「あら、エルザの包丁さばきは上手ね。猫の手も完璧だわ」
(エルはもともと猫獣人さんだからだよ、マリアさん……)
「リフは……もう少し練習が必要ね」
「ぐっ……」
(へっ、リフざまぁ!)
(聞こえてるぞ、タウラ)
「では、お鍋に少量の油を引いて、温まったら大王鹿の細切れ肉を入れます。お肉の色が変わるまで、焦げ付かないように注意して炒めてね」
「「「は〜い!」」」
「ここで隠し味として、セシリー様が飲みきれなかったワインを少量振りかけます」
ジュワーッ!
「あ、いい匂いがする」
「すごく美味しそう」
「エル、美味しいなんだよ」
「わかってるよ!」
エルザは不機嫌そうにリフレインを睨みつけた。
「お肉に火が通ったら、さっきみんなが切った野菜を投入しましょう」
「「「は〜い!」」」
「お野菜を強火で一気に炒めます。最後にソースを一回りかけて、さっと炒めれば完成です!」
「おお、なんか簡単だね」
「お野菜はあまり炒めすぎるとべたつくから、シャキシャキ感を残すのがこの料理のコツよ」
「「「は〜い!」」」
「さあ、テーブルに食器を並べて朝食にしましょう。ミゼル様とセシリー様を呼んできてちょうだい」
しばらくすると、ミゼルが少しふらつきながら食堂に姿を現した。
「「「「ミゼル様、おはようございます—!」」」」
食堂にいた全員が立ち上がり、朝の挨拶を交わす。
「ん、おはよー」
まだ眠そうなミゼルは、寝巻きのワンピースの上に艶やかな薄手の黒いローブを羽織っている。
僕はその姿を見て、思わずドキドキしてしまった。
ミゼル様の身体の質感が、なぜか僕にはなんとなく伝わってきてしまうのだ。
「リフの目がいやらしい」
(タウ! なんてこと言うんだ!)
「本当だ。いやらしい目をしてる」
「タウラ君、エルザ君、やめたまえ。僕は子どもだから、何を言われているのかわからないんだよ?」
「ふあ〜、おっは〜で〜すぅ……」
そこへセシリーが、頭をかきながらだらしない足取りでやってきた。
金色のポニーテールはまだ結ばれておらず、背中の半分ほどまで無造作に広がっている。
切れ長の翡翠色の瞳は寝起きで少し目尻が下がり、それがとてつもなく可愛らしく僕には見えた。
おまけに袖がなく、胸元が大きく開いて裾の短い服を着ているせいで、おへそまでチラリと見えている。
いや、お胸が大きいせいで、服の裾が持ち上がっているだけなのか。
「イテッ!!」
僕の両脇に座っていたタウラとエルザが、同時に僕の脇腹を容赦なくつねり上げた。
「何が子どもよ、このドスケベ!」
「最低! リフレインっていやらしいわね!」
(まあまあ、うふふ、三人はとても仲良しね)
マリアは、その光景を微笑ましく見ていた。
「どうした、リフレインよ。セシリーの気の抜けた姿を見て欲情したのか? さすがは唯一の雄だな、あとで詳しく話を聞かせてもらう。しっかり記録に残しておこう」
「えええーーーっ!」
ニヤニヤしながら僕を面白がるミゼル様も素敵です。
結局、リフレインは大王鹿の野菜炒めと焼きたてのパンをお腹に収めたものの、味はほとんどしなかった。
食後のまったりとした時間、僕たちはタウラ特製の『健康ドリンク・魔力増強マイルド(りんご味)』を、ミゼル様、セシリー様、マリアさんの三人にお出しした。
もちろん、僕たち子ども組は『健康ドリンク・魔力増強・極め』である。
実は、僕が以前空を飛んでしまった時、「これをこのまま内緒にしておいても、ミゼル様にはすぐにバレる」と判断したタウラが、その日のうちにすべてを報告書にまとめてミゼル様に渡していたのだ。
あれももう一年前の話か。
あのときミゼル様は大変驚き、三日間にわたってデータを取るためだけに、僕たちに毎回全力で魔力を放出させた。
手加減は一切なし。自分の限界を越えた魔力放出の連続で、僕たちは白目を剥いてへたり込んでしまった。
さすがは大魔導師ミゼル様。
気付け薬を嗅がされ、得体の知れない薬を何種類も飲まされ、何度も何度も魔力放出を強要されたものだ。
「……私、もうダメみたい……」
「エルザ! 負けるな、頑張るんだー!」
タウラなんて、焦点の合わない目でヘラヘラと笑っていた。
そう言う僕だって、とうに限界だった……
やがて目が覚めると、僕は自分の部屋のベッドの上で寝ていた。
「リフレイン、目覚めたぁ? ……ふむ、経過時間は三時間三十分ね」
「セシリー様……僕を心配して見守ってくれたんですか?」
「いや、ミゼル様が目覚めるまでの時間を計測しておくようにと言われたのよぉ。じゃ報告してくるわぁ」
そう言って、セシリー様はすぐに部屋から出て行ってしまった。
「あ……」
一人残された部屋で、僕は猛烈な寂しさに包まれたのだった。
その頃、ミゼルはタウラの書いた報告書と実験経過レポートに再び目を通していた。
【魔力増強計画(案)】
被験者:リフレイン
実験者:タウラ
私はミゼル様の研究室で薬品の調合をしている時、ふと思った。
『激ヤバ毒薬・スグコロリ』と『超激ヤバ毒草・ソクシ草』を合わせると、いったいどのような効果があるのだろうかと。もちろん実験体が必要だ。
耐毒性が高く、身体が頑丈な実験体。
私の頭に浮かんだのは、リフレインしかいなかった。
(ほう、タウラも中々わかっているのう。我もリフレインしか思いつかんのじゃ)
調合を終えた私は、さっそくリフレインの食事に一、二滴ほど落としてやった。
しかし、あいつはケロリとしていた。
「なっ……! スグコロリとソクシ草を盛っただと……?」
驚愕の事実に、大魔導師ミゼルの顔が引き攣る。
それから少しずつ濃度と量を増やしていき、ついにリフレインはお腹を壊した。
「腹を壊した……だけなのか?」
三日でケロッと回復したのだ。
私はさらに改良を重ね、ついに完成させた。
もっとも、劇的な即効性はないが、『魔力増強マイルド』は現在三人で服用している。蜂蜜入りのリンゴ味で、なかなかの飲みやすさだ。
だが、本来の目的である完全版『魔力増強剤・極め』をさっそく被験者に投与するため、私はエルザに協力を頼んだ。
最近のリフレインは警戒心を覚え、素直に口にしてくれなくなっていたからだ。
(本人が飲まないというのなら、私たちが無理やり飲ませてあげればいいじゃない)
森の中でエルザと協力してリフレインを拘束し、無事にプロトタイプ3の投与に成功した。
当初、歓喜に震えていたのか、ただ苦しんでいただけなのか、リフレインは地面を転げ回っていたが、身体が淡く光り始めたのを見て私は増強剤の完成を確信した。
その後、プロトタイプ3をさらに飲みやすく口当たりの良い品に改良した。
リフレインのあの悶え方を見て、原液の味が『ゲキマズ』であることを確認できたからだ。
【結論】
毒耐性が高く、身体が丈夫な者であれば、魔力の飛躍的な増強の可能性があることが認められた。
ただし、ミゼル様のサプリの長年にわたる継続摂取が必要不可欠である。
——タウラ
「ふふふ……アハハハハ……! まさに狂気の研究者。こんな奴が身近におるなんて、我も考えもしなかったわい!」
ミゼルは窓から遠くを見つめ、一人でごちる。
「んー、もしかしたら、これなら『劣化版勇者』ができるのではないか……?」
一人掛けの椅子に深く腰掛け、ふと物思いに耽る。
「……量産型勇者、か。なんちゃってな」
クスリと口元を歪め、一人ニヤけるミゼルだった。
この事が世界を巻き込んだ大騒動になるとはミゼルも思っていなかった。
窓の外から子供たちの楽しそうな声が聞こえてきた。




