空の彼方
リフレイン、タウラ、エルザの三人は、大森林の奥深くを疾走していた。
鬱蒼と生い茂る巨木の間を、三つの影が風のように駆け抜けていく。
先頭を走るのはリフレイン。
そのすぐ後ろをタウラとエルザが並んで追いかけていた。
地面には無数の木の根が這い、頭上では枝葉が複雑に絡み合っている。
普通の人間なら一歩進むことすら困難な場所だ。
しかし、三人にとっては庭と大差ない。
根を踏み越え、倒木を飛び越え、巨大な岩を蹴ってさらに加速する。
風圧で木々の葉が一斉に舞い上がった。
――あれから二年。
エルザが僕たちの家族になってから、二年の月日が流れた。
僕たちは七歳になっている。
思えば、二年前のエルザは、僕とタウラとの圧倒的な力の差に悩んでいた。
そこでエルザは、ミゼル様に相談した。
僕とタウラは、本気で心配した。
何しろ――ミゼル様は、加減というものを知らない。
「ちょっと体を強くする薬を試してみましょう」
そんな軽い一言から始まったミゼル様の特製秘薬。
結果。
エルザは何度も死にかけた。
本人曰く、
「薬を飲んだあと、川の向こうでお父さんが手を振ってたの」
とのこと。
ただし、エルザのお父さんは、
『こっちに来るなぁぁぁっ!』
と、ものすごい形相で怒鳴っていたらしい。
……娘に対する愛情が深いのか、死んでも娘を帰したいのか。
たぶん両方だろう。
そんな地獄のような特訓を、エルザは持ち前の根性で乗り越えた。
そして――変わった。
魔力は大幅に増加し、身体能力も飛躍的に向上した。
僕たちと並んで走るどころか、僕が本気を出さなければ置いていかれることすらある。
そんな日々を、さらに二年。
「ふっ……僕の走りにここまでついて来られるとはな。成長したじゃないか、エルザ」
僕はニヤリと笑い、さらに速度を上げた。
木々が猛烈な勢いで後方へ流れていく。
「……ん?」
それでも、二人の気配はぴったりと後ろについている。
速さに問題はない。
むしろ――おかしい。
「ちゃんとついて来てるのは気配で分かるけど……なんか変だな」
前方を確認する。
障害物はない。
それを確認してから、ほんの少しだけ後ろを振り返った。
「え?」
僕は目を疑った。
タウラとエルザが――
飛んでいた。
「えええええええええっ!?」
思わず叫んだ。
何をしているんだ、あいつら!?
「リフ、よそ見すると――」
エルザが呆れた声を上げる。
「木にぶつかるわよ」
タウラも続けた。
「前見なさい」
「いやいやいや! そういう問題じゃ――」
「「危ない」」
「あ――」
遅かった。
「ぷぎゃぁぁぁぁぁっ!」
ドッパァァァァン!!
僕の身体が巨木に激突した。
バキバキバキバキバキバキッ!!
ドゴォォォォォン!!
直径数メートルはあろうかという巨木が、僕の身体を中心に粉々に砕け散った。
勢いは止まらない。
木片を撒き散らしながら僕は宙を舞い、そのまま別の巨木へ。
バキィッ!
さらに一本。
ドゴンッ!
もう一本。
バキバキバキバキッ!!
結局、十数本の巨木をなぎ倒して、ようやく僕は地面に転がった。
「…………」
静寂。
森に、粉塵だけが漂っている。
やがて――。
「ぷっ……」
タウラが口元を押さえた。
「リフ……大丈夫?」
エルザも必死に笑いを堪えている。
「アハハハハハハ!」
「イヒヒヒヒヒ! 息が……息ができないよぉ!」
「お前ら……」
笑うな。
せめて心配しろ。
「注意したのに……」
「そうそう。ちゃんと前を見なきゃ駄目だよ、リフ」
「……お前らにだけは言われたくない」
僕が立ち上がると、エルザは倒壊した巨木へ近づいた。
そして――。
「これ、もらっていい?」
僕が返事をするより先に、倒木が次々と消えていく。
エルザの亜空間収納へ吸い込まれていった。
「へへっ。これだけあれば、かなり立派な秘密基地が作れるね」
「……容量メチャクチャだな、それ」
「そう?」
エルザは首を傾げる。
「五歳の頃は、大王鹿一頭をタウと二人で分けても収納しきれなかったのに」
僕が懐かしく呟く。
「あの頃は大変だったね」
タウラも頷いた。
「今なら?」
「群れごと入ると思う」
「……」
七歳児の会話とは思えない。
「限界がどのくらいなのか、一度試してみたいわね」
タウラが真剣な顔で言う。
その発想自体が、もう普通じゃない。
ちなみに、僕たちの魔力量がここまで増えた原因は、ミゼル様の特製サプリだけではない。
――いや。
むしろ問題は、その後だ。
タウラである。
学問や鍛錬が終わった自由時間。
普通の子供なら遊んだり昼寝をしたりする時間に、タウラはミゼル様の研究室へ入り浸っていた。
魔導書を読み漁り、薬品を調合し、怪しげな研究を手伝い――。
そして六歳になった頃。
ついに、自分で薬を作り始めた。
薬草。
毒草。
名前すら分からない謎の植物。
それらを混ぜ合わせ、
「これ、身体に良さそう」
という、恐ろしいほど雑な理由で僕に飲ませるようになった。
最初は食事に混ぜてきた。
次は水筒。
それでも僕が警戒するようになると――。
「エル!」
「任せて、タウ!」
エルザと二人がかりで僕を捕獲するようになった。
ある日のこと。
「ぐえっ!」
エルザが僕の背後から腕を回し、首を抱え込んだ。
足を払われ、僕の身体が地面へ倒れる。
そのまま両腕を極められ、両足で首を極められ完全に身動きが取れなくなった。
「セシリー様直伝の脳筋技! 首固め、決まったわ!」
「エル……!」
僕は必死にもがいた。
「五歳のとき……私もリフに掛けられた……」
エルザが妙に懐かしそうに呟く。
「リフ、暴れると首が絞まるし、肩の関節も外れるわよ」
タウラが笑顔で近づいてくる。
「そう、お利口にしていれば痛くしないから――」
その笑顔が怖い。
「全部、私に委ねるのよ~!」
「いやだぁぁぁっ!」
「だから早く口を開けろやぁぁぁっ!」
ドゴッ!
「ぐはっ!」
タウラの拳が僕の腹に突き刺さった。
平気で岩をも砕くタウラの拳……痛い。
だが、僕は口を閉じ続けた。
「……さすがね」
タウラが感心したように頷く。
「セシリー様に鍛えられた脳筋は、根性が違うわ」
「褒めてないだろ、それ!」
「でも――ここまでよ、リフ」
タウラが亜空間収納から何かを取り出した。
それは、見たことのない木の実だった。
「な~んだ、これ?」
タウラは木の実を魔力で浮かせる。
直接触れない。
嫌な予感しかしない。
「なっ……!」
僕の顔が引きつった。
「ウンコの実じゃねぇか!」
「正解」
タウラは満面の笑みを浮かべた。
「これをあなたの鼻の穴に詰めてあげるわ」
「やめろぉぉぉっ!」
「うふふ」
「ミゼル様だって、こんなことはしなかったぞ!」
「ミゼル様は、ああ見えて心優しいからね」
「どの口が言う!?」
ミゼル様は僕たちの身体の限界を見極めたうえで薬を投与していた。
それに比べてタウラは――。
いつだって僕の限界を探る。
いや。
限界の一歩手前ではない。
僕の生命の限界そのものを探っている。
正しく鬼。
鬼、鬼、鬼、鬼、鬼、鬼、鬼、鬼。
「タウ! お前は鬼畜で外道魔導師だぁぁぁっ!」
僕が叫んだ瞬間。
タウラがニヤリと笑った。
そして――。
僕の両方の鼻の穴に、ウンコの実が突っ込まれた。
「くっ……くっせぇぇぇぇぇぇっ!!」
「はい、召し上がれ」
次に取り出されたのは、小さな薬瓶。
中で、見たこともない奇妙な色の液体が、ぐるぐると渦を巻いている。
「やめろ!」
瓶の栓が抜かれた。
「やめろぉぉぉぉっ!」
僕は最後まで抵抗した。
だが――。
「ぐぇっ!」
お腹にもう一発拳を食い、気が緩んだ隙に口を開けさせられ、薬が流し込まれる。
「んぐっ!」
飲み込むしかない。
「吐いたら?」
タウラが笑顔で告げる。
「飲み込むまで、何回でもやるわ」
…………。
「やっぱり鬼畜じゃねぇか!」
「ぐぇぇぇぇっ! 不味い! 臭い! 苦い! 痺れるぅぅぅっ!」
「よし」
タウラが満足そうに頷いた。
「ちゃんと飲んだわね」
「エル、もう離していいよ」
「あいよ」
拘束が解かれる。
僕は地面を転げ回った。
「うぅぅ……口の中が……」
「……あ」
タウラが僕を見つめる。
「効いてきた」
「え?」
エルザが目を丸くした。
「リフの身体、光ってるよ!」
見ると、僕の全身から淡い光が漏れている。
タウラは目を輝かせた。
「ふふふ……成功ね」
――それから一年。
僕の魔力は、馬鹿みたいに増えた。
タウラとエルザの魔力も。
どうやらあの薬は、とんでもなく効果があったらしい。
もっとも。
僕だけ原液。
タウラとエルザは蜂蜜をたっぷり入れた甘い改良版。
…………。
思い出すだけで腹が立つ。
「僕は……人体実験に使われていたんだ……」
僕は遠い目をした。
「リフには感謝しているわ」
タウラが平然と言う。
「これほど魔力が増えるとは、想定していなかったもの」
「そうだよ、リフ」
エルザまで頷く。
「リフの尊い犠牲の上に、今の私たちがあるんだから。誇っていいんだよ」
「原液を飲まされたの、僕だけだけどな!」
僕の抗議は、二人には届かなかった。
――まあ、いい。
それよりも。
「そういえば……」
僕はふと疑問を口にした。
「どうやって飛んでたの?」
「え?」
タウラが不思議そうに首を傾げた。
「本当に分からないの、リフ?」
「……ごめんなさい。分かりません」
僕は素直に頭を下げた。
「教えてください、タウラ様」
「あら。いい心がけね」
タウラは満足そうに頷く。
「エル、教えてあげて」
「……なんでタウが教えないんだよ」
僕のツッコミを無視して、エルザが前へ出た。
「リフレイン、よく見ててね」
エルザが右手を掲げる。
その瞬間。
ドンッ!
目の前に巨大な魔力の塊が生まれた。
それは凄まじい速度で前方へ飛び――。
ズドォォォン!!
巨木を粉々に吹き飛ばした。
そして、空中で急旋回。
別の木を砕き、さらに方向を変え、森の中を縦横無尽に飛び回る。
最後にはエルザの手元へ戻り、霧散した。
「……すごい」
僕は思わず呟いた。
見事な魔力操作だった。
「私たちは、魔力を自在に操れるでしょう?」
「うん」
「だったら、自分の身体を纏っている魔力そのものを動かせばいいの」
「…………」
僕は固まった。
「あっ」
「さすがリフ。もう分かった?」
「……魔力で身体を包んで浮かせてる?」
「正解」
タウラが得意げに頷く。
「要するに、自分自身を魔力で持ち上げているだけよ」
「……」
そんな簡単なことだったのか。
いや。
普通はできない。
そもそも、こんな馬鹿げた量の魔力を持っていなければ、身体を浮かせるほどの出力を維持できない。
つまり――。
これもまた。
僕たちの異常な魔力量の副産物だった。
「なるほど……」
僕は自分の身体を包む魔力へ意識を集中する。
そして――。
身体を持ち上げる。
ふわっ。
「……浮いた」
「そう」
「飛べる……!」
次の瞬間。
「ヒャッホォォォォォーーー!!」
僕は空へ飛び出した。
風が顔を叩く。
眼下には、大森林が広がっている。
何処までも続く緑。
遥か彼方まで連なる巨木。
その上空を――。
「うわぁぁぁぁっ! 気持ちいいぃぃぃっ!!」
僕たちは飛び回った。
右へ。
左へ。
急上昇。
急降下。
森を抜け、雲の下まで舞い上がる。
「リフ、調子に乗りすぎると魔力切れで落ちるわよ!」
下からタウラが叫ぶ。
「それがさぁ!」
僕は空中で宙返りをしながら叫び返す。
「魔力の底が分からないんだよ!」
「……ああ」
タウラが少し考える。
「それは私もあるわね」
「エルザは?」
「私も」
三人で顔を見合わせる。
「もしかして……」
僕が恐る恐る口にする。
「魔力、無限なんじゃない?」
「「それは、ない」」
「なんでだよ!」
「無限なら、もっと楽しいことができるでしょう?」
「そういう問題か!」
三人の笑い声が、大森林の上空へ響き渡った。
結局。
僕たちは夕方まで、空を飛び続けた。
魔力が尽きる気配は、一向にない。
夕暮れの空が赤く染まり始める。
「そろそろ帰ろうか」
エルザが言う。
「うん」
僕たちは屋敷へ向かって高度を下げていく。
七歳の子供が三人。
大森林の上空を、鳥よりも速く飛びながら。
――本人たちは、ただ遊んでいるだけだった。
そして、その光景を目撃した森の魔物たちは。
揃って空を見上げ――。
「…………」
何も見なかったことにした。
今日も大森林は平和だった。




