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41話 『八幡愚童訓』

 鏡面に映る青が、深く、深く沈んでいく。

 時が積もったような、重みのある蒼。

 

 背後から、ひやりとした夜露のような光を感じて振り向くと、そこには亀になった童子がいた。

 あの時と同じように甲羅を鏡にしているが、その表面は、今や(うつつ)と夢の境界さえ溶かしてしまいそうに光り輝いている。 


『合わせ鏡でございまする』


 目の前にいるもう一人の童子は、いたずらっぽく微笑んだ。すっかり元の大きさになって、ふわふわと浮いている。


 今まで会ってきた神も、クナドのようにひょいと木々に飛び移ったり、風に乗るような身軽さはあった。けれど、この童子たちはまるで最初から『地面』という概念がないかのように、ただそこに浮いている。

 

 神使、あるいは聖霊……。

 けれど、きっとみんな同じ『八百万』という括りの中にいるのだ。

 本来『神』という定義は、人が思うよりずっと曖昧で、自由なものなのではないかと、ふとよぎった。


『今回は、鏡をお借りしまして、(わたくし)亀助と、亀吉の二人がお伴いたしまする。』


 弥沙は御炊屋姫からもらったスリングにハルを入れ、クナドとツキの手をしっかりと握る。

 こうした方が、行った先でばらばらになる心配がない。今までは大丈夫だったが、万が一と言うことも有りうる。


『いざ! 『八幡愚童訓(はちまんぐどうくん)』へ!』 

「──八幡? 八幡神さまの話?」


 亀助は、頷く。首にかけている小さな珠が青い。もう一人の子は白だったな。弥沙は亀吉の姿を思い出す。


『鹿島神との『違い』を確かめよとの、主のお言葉です』

 亀助の言葉に、弥沙は黙って頷く。


 皆で亀の鏡の中へ、一歩を踏み出す。

 薄い紗の膜に撫でられた感じがした。

  

 大量の泡に包まれ、目を開けると蒼の世界。


 海の中だ。


 ふわふわと浮遊する感覚があった。左右を見ると、しっかりとツキとクナドがいる。

 『大和』での時を除いて、これほどまでに確かな手応えをもって、彼らが傍らにいたことがあっただろうか。


──これは、あの鏡のおかげ?


 そう思った瞬間、激しい眩暈(めまい)が弥沙を襲った。自分の存在の輪郭が、二人の神の存在感に飲み込まれてしまいそうな、甘やかな恐怖を伴う眩暈。


「大丈夫か?」


 クナドが弥沙の肩を抱き寄せ、覗き込むようにして聞く。

 否応なしに視線が絡み合った。――その瞳には、今までになかったような剥き出しの熱がある。


 最近、この神は遠慮がなくなった。そう思うと、眩暈とは別の熱が、弥沙の胸の奥で小さく跳ねた。


「……ありがとう、大丈夫」


 一行は、ゆるゆると下降し、やがて水底(みなそこ)に降り立つ。

 鹿島の海底とは違う。ここはもっと穏やかで、慈雨(じう)のような光に満ちている。

 水の重さを感じさせないその場所は、どこか、時間そのものが琥珀の中に閉じ込められたような、静謐な場所だった。


『こちらが、磯良神です』

 二人の童子は、声を(そろ)える。


 砂の上に、巨大な神が胡坐をかいて座っていた。その面は、びっしりと牡蠣がこびりついているゆえ、白い布で覆っている。鹿島の幻視で見た、あの虜囚(りょしゅう)は、龍だった。何故、違うのか。


「……磯良。また、会えたね」


 弥沙は見上げながら思わず呟く。彼は自らここにいるのだろうか。


 顔を向け、布越しの視線が弥沙を見つめる。

 これは、どうしたら、解けるのか。


 その時、水の揺らぎとともに、声が響いた。


東西東西(とざいとうざい)ーっ!』


カチッ カチッ!


 拍子木のような音が鳴り響く。少しだけ離れた場所で亀吉が、声を張り上げる。

 一行の側には青い珠を持つ亀助がいて、拍子木を持っていた。


「おっ? 今回は芝居小屋みてぇだな」


『はい。主さまの趣向で。こちら、お返しいたしまする』

 亀助がそっと鏡を弥沙に差し出す。


 弥沙が彼を見つめると、にこっと満面の笑みを向けた。

『どうぞ、少しでも何か思われましたら、その都度、おっしゃってくださいまし。そのためのお芝居です』 


「ありがとう。では、遠慮なく」

 どうやら、役割が決まっているらしいと見て取った。亀吉が物語の進行役、亀助が助言かな。


 亀吉が声を張り上げる。


『第九代開化天皇の時代から──文永・弘安の時代に至るまで、十一度、外敵・(なん)が襲来。それを、ことごとく滅ぼしてきました』

  

「……これは八幡神の由緒記。……じゃあ、その都度、八幡神さまが戦ったっていうこと?」

 弥沙の問いに、亀助は首にかけている青い珠を揺らして、静かに首を振った。


『いいえ。神が直接、剣を振るうばかりが戦いではございませぬ。

 この国には神々の気吹(いぶき)が満ちておりますれば……。

 九代開化天皇の昔より、寄せては返す波のように襲い来る難も、神の御稜威(みいづ)に触れれば、自ずと道に迷い、力を失い、ことごとく滅び去る宿命(さだめ)なのです』


 その声は、水の底だというのに透き通って響く。


『『滅亡せり』。……古き書物には、ただそう記されております。

 理由など要らぬ、神の国に仇なす者は、ただ消え去るのみ。それがこの国の、目に見えぬ『盾』なのでございますよ』


 亀助がふと視線を向けると、亀吉が頷き、声を上げた。


『……その中でも、仲哀天皇の時。

 異国より「貢物」と称して、まず塵輪(じんりん)という者がやって参りました。

 その形は鬼神の(ごと)く。身の色は赤く、頭は八つ……』


 亀吉が手を振ると、穏やかだった海底の砂が舞い上がり、おどろおどろしい影を形作った。


『黒雲に乗って空を飛び、この国を根こそぎ奪おうとした、最凶の侵略者』


 それは黒雲を模した砂の塊に乗って、弥沙たちの頭上をゆっくりと旋回する。


「……異類?」


 弥沙が小さく漏らすと、隣にいる亀助の青い珠が、ちろちろと揺れた。

 彼は、弥沙の耳元でいたずらっぽく(ささや)く。


『お気づきになられましたか。(なん)とは、時に姿を変えて繰り返されるもの。あれをただの化け物と見るか、あるいは『何らかの象徴』と見るか……。それもまた、お芝居の楽しみの一つにございまする』


 亀吉は、続ける。

『遠くから射れば矢は届かず、近くに寄れば心は惑わされ、滅ぼされる』


 幾つもの矢が放たれるが、空しく海中を漂う。

 見上げる空には、おどろおどろしい赤黒い影。

 そこで、亀吉はどこから出したのか、畳んだ扇子を差し向けた。


『……この、化け物を前に、神功皇后が立ち上がったのでございまする』


 彼がぱっと、扇子を広げた。キラキラひかる花弁が舞う。よく見ると、光る魚だった。


『東西、東西ーっ!』


 カン! カン!

 亀助が再び拍子木を鳴らす。


『時は第十五代、神功皇后の御代。

 塵輪(じんりん)という魔を前に、皇后は参謀・武内宿禰を伴い、筑紫の四王寺山にて天を仰ぎました』 


 その時、物語の舞台は海底から一気に、四王寺山の頂へと転換していく——。

 福岡の──四王寺山の神功皇后。

 これは……。弥沙の動悸が激しくなる。


──『高良玉垂宮神秘書』と同じ記述。何故──?


『するとどうでしょう。空から目も眩むような光が降り注いだのです!』


 四王寺山の上空が、にわかに光り輝く。


『山頂に降り立つ、赤い衣の神々。

 先頭に立つのは、住吉明神・ウガヤフキアエズ尊。

 そしてその隣で、二本の鏑矢(かぶらや)を手に、凛々しく立つ青年神の姿』

 

 山の上空——夕闇の中に、二柱の神の姿。その輪郭は光そのもののように輝き、地上へと静かに降りていく。


『これぞ、我が子、月神・高良神なり! 力を合わせ、敵を討たん!』

 

「これ、八幡愚童訓よね? 京都の石清水(いわしみず)八幡宮の由緒記の」

 弥沙はたまらず、隣にいる亀助に問う。


『さようでございます』


「八幡神の話のはずなのに、福岡の四王寺山?」

『はい。高良神は筑紫の神でございますれば』


 ちょっと、的が外れたような答え。問い方がまずかったのか。もしかすると、答えられるものと、そうでないものがあるのかもしれない。

 亀助は、そんな弥沙を見て、満面の笑みを見せた。


「それにこれ、『神秘書』にそっくりじゃない?」


 彼はその問いに答える代わりに、ただ密やかな微笑(ほほえ)みを返した。

 それから、まるで天と地を繋ぐように両手を大きく広げ、芝居がかった仕草で、深く、大仰(おおぎょう)なお辞儀をした。


 赤い衣を(まと)い、月のように銀色に輝く人影が、するすると四王寺山へと降りていく。


──あの場所には、神功皇后がいる。

 でも、『神秘書』では、四王寺山で現れたのは四柱だった。……この違いは、何を意味するんだろう。


 弥沙が思考の海に沈みかけたその時、カカッ! と亀助が勢いよく拍子木を鳴らした。


『さてさて、天降(あまくだ)りし神々を迎え、いよいよ反撃の火蓋が切られようとしておりまする。されど! 空を飛び、雲に乗るあの塵輪を討つには、地の利と共に『水の利』が必要不可欠!』


 亀吉は一度言葉を切ると、いたずらっぽく片目を瞑ってみせた。


『参謀・武内宿禰は、皇后にこう進言いたしました。『海底に、安曇磯良(あづみのいそら)という者がおりまする。

 彼こそは八百万の神の中でも、潮の流れを、海の道を何よりも知る者。彼を召し出さずして、この先の戦い、そして異国への渡海を完遂(かんつい)すること(かな)いませぬ!』と』


 武内宿禰を演じる影が、皇后に向かって深く(こうべ)を垂れる。

 

『果たして、誰の力でこの果てなき海を渡るべきか。……答えは、ただ一人。安曇磯良を召し出し、その英知を以て計略を立てさせるべし!』


 亀吉は、見守る弥沙たちに挑戦的な笑みを投げかけた。


『さあ、ここからが神劇の真骨頂。世にも珍しき『磯良呼び出し』の始まり、始まりーーっ!』


「磯良を呼び出す……。あんなに頑なな彼を、どうやって?」


 弥沙が不安げに磯良を見上げると、クナドがその肩にそっと手を置いた。


「……見てろ。あいつを動かすのは、力じゃねェ。……『祭り』だ」


 スリングの中で、ハルもコクリと頷いた。

「そうだよ、弥沙! 神様だって、みんなで楽しく騒ぐのには弱かったりするんだから」


 その言葉に応えるように、亀助の拍子木が空気を震わせた。





お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも、面白い、続きが気になる!と思っていただけたら、★★★★★、お気軽にコメントもいただけると、執筆の大きな励みになります!



*参考資料

・快元 (僧) 『八幡愚童訓上群書類従巻第十三上』 京都大学所蔵,

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00018799,(参照2026-04-23)

*脚色してます。あくまでも参考文献です。


*こんな素晴らしい古書を、ネットのアーカイブで拝読できるとは感激です。

国立国会図書館さまと共に、貴重な資料を公開してくださっていることに感謝いたします。


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