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二柱の天照~邪馬台国の謎と千八百年の約束~  作者: 三島 ひみか
六章*章*鹿島の潮、海原の記憶
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39話 花と、棘と、手のひら

 志式神社の境内に、見慣れた午前の光が満ちている。

 林を揺らす風の音も、波の響きも、何ら変わりはない。


『……お供は、ここまででよろしいでしょうか』


 不意に背後から、鈴を転がすような、幼い声が二つ重なって響いた。

 弥沙が驚いて振り返ると、そこには六歳ほどの、瓜二つの容貌をした双子の男の子が並んで立っていた。


「……え? 誰……? あ、もしかして……」


 弥沙が言いかけるより早く、白橡(しろつるばみ)色の装束を着た二人が、深々と頭を下げる。


『先ほどの亀にございます。主様より、これからもお側にてお供するようにと仰せつかっておりました。御用の時はお呼びください』


 二人の男の子が声を揃えて言うと、クナドが横から不躾に口を挟んだ。


「おい、お供ったって、その恰好でずっと後ろを付いてくるつもりか? そんな目立つガキ二人を連れて歩くなんて、俺様は御免だぜ」


 男の子の一人が、賢しげな瞳を上げて、いたずらっぽく微笑んだ。

『ご安心ください。ずっと実体のまま現世の地を踏むわけではございません。我らは普段、その鏡の内に潜んでおります』


「……鏡の中に?」


『さよう。そのお手元の鏡は、(あめ)より(くだ)りし尊き方の魂を宿し、すでに『異界の鏡』へと変じております。鏡を覗き込み、我らの名を念じてくだされば、いつでも時空(とき)を越えて駆けつけましょう』


 天より降りし尊き方――。


 弥沙は、リュックの中で今も微かな熱を放っている鏡に触れた。あの奈良の幻視で、鏡が勾玉を飲み込んだ瞬間の光景が、脳裏をよぎる。


……あの勾玉。饒速日の勾玉が、ここに……。


 弥沙がその御名(みな)を唇に乗せようとした瞬間、クナドが鋭い視線でそれを制した。


「……なるほどな。あの『物部』の祖神様の力を取り込んじまったってわけか。道理で、背中がムズムズするほどデカい神気が漏れてると思ったぜ」


 クナドが肩をすくめると、双子の男の子たちは顔を見合わせ、楽しげに目を細めた。

『さよう。……では我らはこれより、次なる物語の『舞台』を整えに参ります。主様より賜りし記憶の糸を、再び手繰り寄せる準備にございます』


「舞台……? またどこかへ行くの?」


「準備が整いましたら、鏡を通じてお呼びいたしましょう。……それまでは、どうぞ現世のひとときをお楽しみください。では、また後ほど」


 二人はその場でくるりと舞うと、淡い光の粒となって、志賀の海の奥へと吸い込まれるように消えてしまった。


 静寂が戻った境内に、再び潮騒の音だけが響き始める。


「全部が、夢みたい」


「……ほら、さっさと歩くぞ。いつまでもここに突っ立ってると、本当に現実と神話の区別がつかなくなるぜ」


 『ねえ、弥沙』

 ツキが弥沙のスカートをくいっと引いた。その白い尻尾が、そわそわと揺れている。


『お花、見たい。さっき来る時に、きれいな色が見えたの』

「海の中道の公園ね。……うん、行こうか。さっき乗りたいって言ってた観覧車も乗ろうよ」


『やったぁ!』

 ツキは嬉しそうにその場でくるりと回った。


 弥沙は、鏡をリュックにしまいながら頷いた。宇宙の果てまで旅して、武神と対峙して、地球の夜明けを眺めた後に、花を見に行く。なんだかひどく、現実離れしていて可笑しかった。


「腹減った」

 クナドが言った。

「……そうだよね」


          *


 志式神社から車で10分ほどで、海の中道海浜公園につく。

 まずは、皆で三回も観覧車に乗った。食事をして、ベンチに腰を下ろすと、ようやく全員から力が抜ける。


「観覧車面白かったね!」

 

 ハルはまだ興奮が収まらない。他の人の目には映らないまま、ソフトクリームを食べている。


 安徳台の光から出てきたハルも、神使か、神なんだろうか。その割には人型に成ったりしないな。弥沙はソフトクリームを食べているハルを微笑みながら見た。

 猫に見えるけど、猫じゃないから、食べられるんだよ!と力説していたハルが可愛かった。


「食べたかったんだぁ」


 ツキは、花の方へと駆けていった。薄茶の髪が風に揺れ、翡翠色のドレスが陽光に映える。尻尾を隠しているから、どこから見ても普通の少女だ。


「……ねえ、ハル。さっき見たのは、鹿島神の由緒記でしょう?」

「そうだね。おそらく、『琉球神道記』だよ」


「志賀島のあの龍神様も、鹿島の水底にいたあの磯良も、本当は……」


 弥沙は、ベンチの横に置いたリュックに視線を落とした。そこには、勾玉の熱を宿した『異界の鏡』が眠っている。


「……同じだったんだよね。鹿島神も志賀神も高良神だったんだから。あの二人から伝わってきた『熱』は、どうしても同じものに思えるの」


 ハルが瑠璃色の瞳を鋭く細めた。

「その通りだよ。人間たちが勝手にラベルを貼り替えても、源流にある水の味は変わらない。各地の社が、自分たちの言葉で必死にその『色』を守り抜こうとした結果の、壮大な目くらましだね」


「けっ、結局はあの龍公(磯良)の独り舞台じゃねェか。人を散々連れ回しておいて、自分は高みの見物かよ」


 クナドが苦々しく吐き捨て、空を睨みつける。その紺の瞳には、神の傲岸(ごうがん)さと、それを凌駕するような未知への苛立ちが混在していた。


「だがな、弥沙。その核に触れちまったからには、お前はもう、ただの観客じゃねェ。その物語の中に足を踏み入れちまったんだぜ」


「……ずっと遠い昔の、自分には関係のない出来事だと思ってた。でも、そうじゃないのね。全部、今もここに繋がって、息づいている……。これは、本物の『真実』だったんだわ」


 しばらく、誰も何も言わなかった。風が吹いて、花の香りが運ばれてくる。

 その時、ツキの小さな悲鳴が聞こえた。


「ツキ?」

 花壇の縁でツキが手のひらを押さえてしゃがみこんでいた。弥沙が立ち上がって駆け寄った。


『……バラの棘に、やられたわ』

「見せて」


 弥沙は屈んで、ツキの手を取る。

 細い指の付け根に、小さな赤い傷。じわりと血が滲んでいる。


 弥沙は何も考えていなかった。ただ、痛そうだと思って、その傷に手のひらをそっと当てた。温かい。自分の手のひらの中心から、じんわりと熱が広がっていくような——。


 ツキが、静かに息を呑んだ。弥沙はゆっくりと手を離す。

 傷が、消えていた。

 弥沙の指先が触れた場所から、肉が盛り上がるような生々しい感覚さえなく、ただ『初めから無かったこと』のように。


『弥沙、……あなた……。今まで、こういうこと出来てた?』

「ううん。今、初めて……」


 御炊屋姫は、人を癒す力を持っていた。その力が……今、ここに、ある。あの時の天の鳥船を夢で見て……あの人を見た。これって、どういうことなの?


 弥沙は、自分の手のひらをもう一度見つめた。見た目は、何も変わっていない。


「……クナド」

 彼女は、隣に立つクナドを見上げた。


「……そんな顔して俺様を見るな。その手の熱が何なのか、お前の魂が一番よく分かってるはずだぜ」

 

 クナドは視線を逸らしたまま、低く言った。

「お前が『ただの人間』じゃないかもしれないって、俺様はとっくに思ってたぜ」 


 観覧車が、ゆっくりと回り続けている。

 花の香りの中で、弥沙はただ、自分の手を見つめていた。


 ちりん。

――清冽(せいれつ)な、鈴の音がした。


 リュックの中で鏡が鳴っている。鏡面を覗き込むと、そこには現世の公園の景色ではなく、深い青に沈んだ志賀海神社の情景が、生き物のようにうねりながら映し出されていた。


「……舞台が、整ったってことね」


 弥沙は、自分の変質した手を強く握りしめ、立ち上がった。






お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも、面白い、続きが気になる!と思っていただけたら、★★★★★、お気軽にコメントもいただけると、執筆の大きな励みになります!



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