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二柱の天照~邪馬台国の謎と千八百年の約束~  作者: 三島 ひみか
五章*高良神と安曇磯良神
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35話 亀の甲は、高良なり

──神事(かみごと)。ならば、この名が、それを表しているのではないか。


「──天照。祀られるべきなのに祀られていない神よ。

 志式神社の葉山姫って、神功皇后の命で天照を祀った者なのよね」


 弥沙は、自らの口から出た名の響きに、かすかな寒気を覚えた。

 頭上の松林を吹き抜ける風が、一瞬、ぴたりと止む。

 不自然な空位が、社殿の奥に開いた虚空のように視線を吸い寄せた。


「天照を祀った者はいても、肝心のヤツはいねェのか」

 クナドがどかっと座り込む。


 二匹の金の亀が、ハルを背に乗せてくるくると回り出した。

「ちょっ……やめてぇ」


 弥沙が見かねて抱き上げようとする。

「いや……面白いからいい」

 そのまま回っている。掃除ロボットの上に乗る猫みたいだとほほ笑む。

 

「志賀海神社の祭神は綿津見神で、玉依姫、豊玉姫の姉妹の父でしょう。でもね、姉妹は二社で別々に祀られてるの。それに……」


 弥沙は社殿を見透かすように見つめた。社におられる神は、『誰』なのか。


「ここの火酢芹神(ほすせりのかみ)って……海幸彦なのよ。山幸彦の兄よね。豊玉姫は、その山幸彦の后。だから、彼女は、夫でもない海幸彦と一緒に祀られていることになるのよ」


『それって……』


「神功皇后たちも二つの社で、補完し合っていたでしょう。綿津見神たち家族も同じなの。

 二つで一つの社。という感じがしない? 祭神を見ると。だからこそ、伝承があって、『志』の字で、繋いでいるのじゃないかな。合わせ鏡みたいに」


 弥沙は自分の指先を見つめた。目に見えない糸が志賀海神社から伸び、足元で複雑な結び目を造っている感覚。


「──合わせ鏡の元の像は一つだわ。なのに、そこには山幸彦がいない」


「天照と山幸彦がいない……?」

 クナドは腕を組んで珍しく考え込んでいた。


「……ねえ、クナド。これって、ただの『不在』じゃない気がするの。何かを暗示すような」


 弥沙は、社殿の奥に漂う、名前のつけられない神気にじっと意識を向けた。


 ツキは案内板から離れると、何かに誘われるように社殿の方へと数歩踏み出した。 翡翠色のドレスが、まるで水中の光を反射するように淡く発光している。


『ねえ、弥沙。神様ってね、名前を消されても、消えないのよ……』


 ツキは透き通った瞳で、誰もいない拝殿の奥をじっと見つめた。


『そこにいるのは……誰かの身代わりでも、空っぽの座でもないわ。名前をいくつも着せ替えられて、本当の名前を大切に隠されている……とても大きな、海の底みたいな気配がするの』


「……似てるな」

 クナドが、ツキの視線を追うように低く呟いた。


「俺様は、日吉の神だ。だけど、あっこには名がない。俺様は、里のやつらが猿田彦と呼んでいてくれるから、形代(かたしろ)としていられたけどな」


 クナドの呟きに弥沙は身震いする。

──祭神名にもなくて、名も呼ばれない神は、果たして『いる』と言えるのか。


「もし、天火明命という存在が、天照や山幸彦の影をその身に含んでいるとしたら……?」


 天照国照彦天火明櫛玉饒速日命。その長大な名が脳裏をかすめる。


「……いや、流石に飛躍しすぎかな」


「へっ、面白いじゃねェか。飛躍か真実か、それを確かめるのが俺たちの旅だろ? 」


 クナドがニヤリと不敵に笑う。いつの間にか、ハルが亀から降りていた。亀に鏡を乗せてホログラムを写し出す。


「弥沙、その『飛躍』を補強するよ。志賀海神社の安曇氏は高良大社と同族……。つまり始祖である綿津見神は高良神。ここの天火明が饒速日なら、すべてはこの血脈が守り抜いた神という一点に集約される」


 ハルの瑠璃色の瞳に、複雑な文字列が流れる。


「高良神は──物部の神。安曇氏は、『神部物部』だ」


「──物部」


 呟いた瞬間、潮騒が遠のいた。初夏の陽光の下、湿った土と水の匂いが肌にまとわりつく。


──この子は、物部になるのよ。

 幻視の中、御炊屋姫が告げた声が耳元で響いた。


「偶然じゃないわ。安曇磯良は、高良神……物部の神だから」


 弥沙は眩暈(めまい)をこらえるように、目の前の亀石を見つめる。

 ツキがふわりと弥沙の肩に、重さを感じさせない手を置いた。


『社を祀る家が同族なら、神様も同じ。……と、いうことはね? 神様っていうのは、そこに住まう人の心にだけ、本当の姿を見せるものなのよ』


 核心を突くツキの言葉に、境内の時間が凍りつく。

 ハルが、クナドとツキの顔を交互に見つめる。その瑠璃色の瞳に、データではない、もっと根源的な畏怖の光が宿った。


「──それは、神が先か、社が先かって話になるのかも。『社の神』の存在意義……」


「けっ、野暮なこと聞きやがって」


 クナドが、自分の喉元にある見えない鎖を振り払うような仕草をする。


「言っただろ。俺様たちは『想念』の塊だ。『人が想うだけで、そこに神は在る』んだ。名が消されようが、別の衣を着せられようが、その奥にある『熱』だけは嘘を吐かねェ。どっちが先かなんて、安曇の策士どもには関係ねェ話だ」


『そうよね。祀る人がいなくなってしまったら、うちらもいなくなってしまう。そういう存在なのよ。弥沙。……でもね、それは、祀る者がいれば、『神として在る』ってことでもあるの』


「そうなると、この『亀石』ってのは、二つの社の神を物理的に繋ぎ止めてる『(くさび)』みたいなもんだな」


 クナドは亀石を見下ろしながら言った。


「──亀!」

 全員の視線が、金の亀に注がれる。


「そう。志賀海神社の亀石は、金印公園の近くから移されたとあったわ。ここのは、打昇浜(うちあげはま)だって……」


 弥沙は膝をつき、目の前の金の亀に視線を投げかけた。

「触ってもいい?」


 亀は頭を垂れる。是と受け取って、甲羅を優しくなでた。

 その金属のような冷たい感触が、なぜか激しい熱を持って自分の指に訴えかけてくるような気がした。


「同じものは、分けない限り同時には置けない。だからこそ、(つい)にして両方の社に置く必要があったんだわ。ここが一つに繋がる、誰にも侵せない聖域だって示すために」


 クナドは社を見上げた。その奥にいる『神』を見極めようとするかのように。


「『亀石』と社の名で、繋ぎを主張してたってわけか」


 弥沙は深く頷いた。

 ハルは優美にすっくと立ちあがって、しっぽを振る。


「神話を軸にしながらも、実は自分たちのルーツである物部と安曇の『真実の神』を、こっそり、けれど確実に祀っていたんだ」


 ハルが、瑠璃色の瞳を細めて弥沙を見つめる。その(さか)しげな視線の中に、自分たちが解き明かした真実の重みが映っていた。

 弥沙は、自分の喉の奥が微かに震えるのを感じながら、静かに、噛みしめるように呟く。


「……これが、人が神を編み出す、ということなのね」


 その言葉が境内の空気に溶けた瞬間、波音が、まるで彼女の答えを祝福するように、一段と高く社殿に響き渡った。寄せては返す水の音が、太古から続く安曇の歌のように、弥沙の耳の奥で鳴り止まなかった。


「でも、天火明が饒速日だって決めつけられないのよね。そうであるなら、全て繋がるんだけど……天火明って、何?」


 弥沙は、自分の吐き出した問いが、そのまま社殿の奥の暗がりに吸い込まれていくのを感じた。答えはまだ、霧の向こうにある。


 彼女の問いに答えるように、ハルの背にいた二匹の金の亀が、同時に顔を上げた。

片方の亀が、ちろりと舌を出して空を舐めた。


『……呼んでるわ、弥沙。東の海の、遠い記憶が』

 ツキが耳を澄ますように首を傾げる。


 事実、迫りくる微かな気配を感じた。

 初夏の風が、社殿の軒先を静かに揺らす。

 その時。


『東のシカシマ……カシマの神様も、同じことを言ってたよ』

 一匹の亀が、透き通った声で喋り出す。

 一行の視線が亀に集まる中、交互に話した。


『ボクら、知ってる。磯良は鹿に乗って旅をするけど、海では亀に乗るんだ。鹿島でも、春日でも、名前は違うけど……みんな、磯の匂いがする同じ神様なんだよ』


「鹿島の武甕槌神が、磯良と同神……?」

 

 弥沙の視界が、深い群青色の海に染まった。

 耳の奥で、以前ハルが静かに告げた『神秘書』の文言が、潮騒に混じってリフレインする。


──筑前では志賀、常陸では鹿島、大和では春日──


「あの記述は、一つの魂が姿を変えて残した『足跡』だったんだわ」


 指先の震えが止まらない。海を越えた点と点が、今、弥沙の脳裏で巨大な星座を描き出そうとしていた。


 その時。

 足元の二匹の金の亀が、低く、地鳴りのような残響を伴って声を揃えた。


『──亀の甲羅(こうら)は、高良。すべては合わせ鏡なり』


 その声が境内に響き渡ると同時に、背後の波音が一度だけ、雷鳴のように激しく轟いた。

 





お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも、面白い、続きが気になる!と思っていただけたら、★★★★★、お気軽にコメントもいただけると、執筆の大きな励みになります!



*参考・引用文献


・大日本神祇会『福岡県神社誌上巻』大日本神祇会福岡県支部,1945, 国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1040130/(参照2025-06-11)

・荒木尚ほか編『高良玉垂宮神秘書同紙背』高良大社,1972,

※本書における引用の現代語訳および内容解釈は、筆者が原典に鑑み、独自に行ったものである。



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