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二柱の天照~邪馬台国の謎と千八百年の約束~  作者: 三島 ひみか
三章*高良神と『高良玉垂宮神秘書』
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21話 物部を背き……当山滅亡たり


 落ち着いて話せる場所に移動しようと、奥宮から続く緩やかな坂を登りきり『月見山』へ。小高い丘の木の向こう、古びた東屋の影に、白く丸い塊がひとつあった。


「……あ、ウサギ」


 弥沙が声を殺して立ち止まると、その長い耳がぴく、と動いた。雪のように白いウサギは、逃げる風でもなく、琥珀色の瞳でじっと弥沙を見つめている。


「ここは月見山だものね。月の使いがいてもおかしくないわ」


 実際、この辺りの山にはたくさん生息している。

 ウサギは一度だけ鼻をひくつかせると、人間のような明瞭な声で口を開いた。


『主様から、命が来た』


 弥沙は息を呑んだ。隣にいたハルの尻尾が、緊張で膨らんでいるのがわかる。


『――これより先、知るは地獄、知らぬは罪。心して扉を叩け』


 弥沙は呼吸を忘れて、その場に釘付けになった。白く小さな生き物から放たれた、あまりに重く鋭い宣告。しかし、その声は、銀の鈴を転がしたような、透き通るほどに可憐な響きだった。


 その沈黙を破ったのは、低く不敵な笑い声。


「……はあ~ん。あいつだな」

 クナドが、鼻を鳴らした。


「クナド……? 知り合いなの?」


「フン、知り合いなんて上等なもんじゃねェ。……だが、あの野郎がわざわざ使いを寄越したってことは、これは『神事(かみごと)』だ」


「神事?」


 弥沙の問いに、クナドはニヤリと牙を見せた。


「ああ。俺たちが勝手に嗅ぎ回ってるんじゃねェ。向こう側(神々)が、封印の鍵を一つずつ、俺たちの手の中に放り込んできてやがるんだ」


 すると、ウサギが弥沙を琥珀色の瞳で見つめる。


『――鏡は、真実を映すためだけにあるんじゃない。異なる物語を繋ぐための、通路(ゲート)なのよ。あ。うちはツキって呼んでね』


「……なるほど! 鏡を『受信アンテナ』にして、ボクの解析データを拡張しろってことだね? 弥沙、鏡を出して」


 リュックから『物部の鏡』を取り出し、古びたテーブルの真ん中に置いた。

 すると、ハルが誇らしげに喉を鳴らし、しなやかな動作で鏡のそばへ歩み寄る。


「ボクの瞳から直接投射するより、この鏡の『場』を借りたほうが、ずっと安定して高密度なデータを展開できるんだ。……いくよ」


 ハルが、そっと右の前足を鏡の鈍く光る表面に置いた。


 その瞬間、鏡の縁に刻まれた不思議な文様が、ハルの瑠璃色の瞳と同じ青い光を帯びて明滅し始める。鏡の面から、まるで朝霧のような光の粒子が静かに立ち上り、東屋の空間を支配した。


「わあ……。綺麗……」


 弥沙が思わず声を漏らす。空中に固定されたのは、先ほどよりも遥かに鮮明で、奥行きのあるホログラム。


「これは、『神秘書』に記されている系図……」


 誰もが知る『記紀神話』の系図が薄い青の光でベースに敷かれてあった。その上から『神秘書』に記された独特の血脈が、上書きされていく――いわば、歴史の設計図の『透視図(オーバーレイ)』だった。


 それは、深紅の糸となって複雑に絡み合う巨大な光の曼荼羅(まんだら)となっていく。


『――鏡は、真実を溜めておくための器でもあるの。猫さん、その調子で『主様』の秘密を解き明かして』


「ボクの負担も激減だよ! 鏡が演算をサポートしてくれてる……。さあ、ツキ。準備はいいかい?」


 ハルが鏡に手を置いたまま誇らしげに言うと、ツキが琥珀色の瞳を細めて、ホログラムの一番上……すべての源流を前足で示した。


『――見て。始まりはここよ』


 ツキの鈴のような声が響くと、一つの名が黄金色に輝いた。


『|彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊ひこなぎさたけうがやふきあえずのみことは住吉大明神なり』


「ウガヤフキアエズ……? 神武天皇のお父さんよね? その人が……住吉大明神だっていうの?」


 弥沙の声が震える。


 記紀神話では、イザナギの(みそぎ)から生まれたとされる住吉三神。親神などいないはずの彼らに、『神秘書』は実の父親を与えていた。


「それだけじゃないよ、弥沙。この先に続く五人の子供たち……これが、筑紫の歴史を根底からひっくり返す暗号なんだ」


 ハルが前足に力を込めると、黄金の名の先から光の筋が(はし)った。

 五本の光が鏡から噴き出し、虚空に新たな『名』を刻んでいく。


『この御子に住吉の五神として、御子五人おわします。

――二人は女子、三人は男子にておわします……』


 すると、鏡の面から溢れ出した光の粒子が渦を巻く。


 系図の枝葉の上に、弥沙の(てのひら)に収まるほどの、精緻(せいち)な木像のような、十センチほどの神々を形作っていく。


『女子の二神は、表津少童命うわつわたつみのみことと仲津少童命。海の神様……志賀の綿津見三神の内の二柱よ』


 光り輝く衣を纏い、手には真珠のような宝玉を掲げた二柱の女神。その足元には、志賀の海を象徴するような波の紋様が静かに揺れている。


「わあ……。志賀海神社の神様たちが、女の子として描かれている……」


 弥沙が指先を近づけると、小さな女神のホログラムは、まるで生きているかのようにふわりと光の衣を揺らした。


「驚くのはまだ早いよ、弥沙。本命は、こっちの三柱だ」


 ハルが前足で鏡を叩くと、残りの三本の光が爆ぜるように膨らんだ。


 燃え盛る日輪を背負い、重厚な鎧を纏った男神。日と月の狭間に立ち、威厳ある弓を携えた男神……。そして、ひときわ静かで深い光を放つ、満月を背負った男神のシルエットが立ち上がる。


『そして、男子の三神。長男は日神……表筒男。次男は中筒男……何と、神武天皇。そして三男は底筒男……月神・高良大菩薩』


「……っ!!」


 弥沙は、自分の鼓動が耳元で激しく鳴るのを感じた。

 神話では初代天皇として大和を目指した神武天皇。

 そして、筑紫に座す謎多き高良神。

 その二人が、同じ『住吉』の血を引き、並んで立っている。


 さらに、先ほどの二柱の女子は、志賀海神社の神。


──これら五柱が、兄弟。


「――あり得ない。神話上では、絶対にあり得ない系譜……。だけど、これが意味するものがあるはずなんだね」


 弥沙の呟きが、静まり返った東屋に溶けていく。

 記紀神話という巨大な壁に、今、鋭い亀裂が入った。


 ハルが鏡に置いた前足に、さらなる光が宿る。

 曼荼羅の底から、血のように赤い、禍々しくも神聖な一文が浮上した。


<< 物部を背き、三所大菩薩の御神秘を他姓得知ることあらば、当山滅亡たり >>


「当山……滅亡……」


 呪詛にも似たその一文が、鏡の面でどす黒く、冷たく明滅する。


「高良神の真実を、他姓……関係者以外に話してはダメだという。強い戒めの言葉だね」


 ハルはホログラムを見ながら、呟く。

 弥沙は、背骨を氷の指でなぞられたような戦慄を覚えた。


「……物部を背き?……高良神は、物部の神?」


 彼女の唇から、無意識にその言葉がこぼれ落ちた。自分の声ではないような、遠い響き。けれど、パズルの最後のピースが()まったような、確かな震えを伴っていた。彼女は呟く。


「鏡は、物部の鏡だったよ……これは……」

 茫然と立ち尽くす彼女の傍らで、ハルの声が、かつてないほど低く響く。


「物部の祖神といえば、饒速日命。神話では、神武天皇と対峙している……。

 これは、高良神の神話での『立ち位置』を示しているんじゃないかな」


 ホログラムを解析するその瑠璃色の瞳は、冷徹なまでの光を湛えていた。


「……饒速日命が、高良神?」


 鏡に映る十センチの神武と高良を見つめた。

 彼らは敵同士としてではなく、同じ『住吉』という光の源流から分かれた枝として、そこに立っていた。


 「どういうこと……?」


 鏡の()に視線を吸い込まれたまま、弥沙は呟いた。

 その瞳は、もはや目の前のホログラムではなく、もっと遠い、歴史の裂け目を見つめている。


「……饒速日命と神武天皇の、神話を見ることはできる?」


 ハルの瑠璃色の瞳が、静かに光る。


「できるよ。でも——」


 一呼吸、置いた。その沈黙が、東屋の空気を重く塗り替える。


「覚悟して。ボクが今から見せるのは、記紀という物語が千数百年かけて塗りつぶしてきた、最も残酷な場面だよ」


 ハルが鏡に置いた前足に、かつてないほど強烈な青い光が収束する。


 曼荼羅のホログラムがキュルキュルと音を立てて縮み、鏡の表面が、まるで底なしの沼のように深く、ゆっくりと揺れ始めた。


「待て、弥沙」

 クナドが、弥沙の袖をつかんだ。


「……見て、どうする」

「え……」


「知ったら、後戻りできねェぞ」


 弥沙は一瞬、息を止めた。クナドの目が、いつになく真剣だった。


「……それでも、見る」

 クナドは一拍置いて、手を離した。それから小さく舌打ちして、鏡の前に腰を下ろす。


「……しょうがねェな。俺も見てやる」


 東屋の入り口で、ツキが振り返った。琥珀色の瞳が、静かに光る。


『――知るは地獄、と言ったけど。一人で地獄に行く必要はないわ』


 ぴょん、と小さな体が卓の上に飛び乗った。

 二人と二匹が、鏡を囲む。


 ハルが前足に込めた青い光が、ゆっくりと、深く、鏡の底へと沈んでいった。


「いくよ……接続(アクセス)……!」


 波打つ鏡の面から、冷たい風が吹き出した。東屋の湿った空気ではない、乾いた、それでいてどこか懐かしい、太古の大和の風。


 弥沙の視界が、ぐにゃりと歪む。

 卓を囲んでいたはずのクナドの体温も、ハルの瑠璃色の光も、すべてが遠い彼方へ押し流されていく。



――気がつけば、彼女は立っていた。


 満々と水をたたえる、巨大な湖のほとりに。 







お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも、面白い、続きが気になる!と思っていただけたら、★★★★★、お気軽にコメントもいただけると、執筆の大きな励みになります!



*参考・引用文献

・荒木尚ほか編『高良玉垂宮神秘書同紙背』高良大社,1972,

※本書における引用の現代語訳および内容解釈は、筆者が原典に鑑み、独自に行ったものである。



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