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二柱の天照~邪馬台国の謎と千八百年の約束~  作者: 三島 ひみか
三章*高良神と『高良玉垂宮神秘書』
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20話 高良神と神功皇后

 琥珀の瞳が消えたあとの石鳥居には、ただ木漏れ日が無機質に落ちていた。


 「……消えた」


 弥沙(みさ)がつぶやくと、止まっていた時間が再び動き出したかのように、周囲の森がざわめき始める。先ほどまでの『神気』が、ゆっくりと高良山の木々に吸い込まれていく。


 彼女は、手に持ったままの本をぎゅっと抱きしめ、ハルの瑠璃色の瞳を見つめた。


「……ねえハル。ちょっと待って」


 指を折りながら、一つずつ内容を確認する。


「高良神が住吉神で、月神。彼が四王寺山で神功皇后と出会った。だけど、神話では三韓征伐の船の上……。ここまでは合ってる?」


「完璧だよ」


 ハルは誇らしげに尻尾を揺らした。


「四王寺山は大宰府を守る要衝(ようしょう)だ。そこに祀られたのが四天王の一柱、毘沙門天。高良神はその毘沙門天と習合されている。だから、『神秘書』では四王寺山で出会ったことにされていたんだ」


「なぜ、出会いの場所が違うんだろう?」


「そこが『神秘書』の面白いところだよ。このデータを見て」


 ハルが瞬きをすると、その瑠璃色の瞳から細い光の束が放たれた。

 空中に、淡く発光する古めかしい漢字とカタカナの羅列がホログラムのように浮かび上がる。


 ハルがさらに目を細めると、その難解な原文に重なるようにして、現代の言葉へと再構成されたテキストが鮮やかに整列した。


 ハルは静かに読み上げる。


『──異国に三韓と申せば、新羅、高麗、百済国。

 神功皇后には、玉水をもって退治し給う。

 文永には妙火をもって退治あり。弘安には大風吹かせたまう。

 水、火、風、これ三つにて、退治あり。

 神功皇后は聖母大菩薩となりたまう』


「文永、弘安……まさに元寇(げんこう)だ。三韓征伐は玉水の力、元寇は火と神風。脅威を退治したのは、神功皇后の神威だと伝えているんだ」


 奥宮の周囲に涼やかな風が吹く。葉擦れの音が、さわさわと鳴り響いた。


「でも、元寇の時には皇后はいない」

 ハルは目の前のデータを見つめる。


 クナドが鼻を鳴らして石段に足を掛けた。

 

「順番があるだろ! 四王寺に四天王が祀られたのは8世紀。記紀ができた少し後だ。で、元寇が来たのは13世紀……鎌倉時代だぜ」


「そう。だから『神秘書』の成立が平安時代だとすれば、元寇の記述は後の世の加筆だろうね」


「あ、思い出した……!」


 弥沙は、本を抱きしめる腕に思わず力を込めた。


「宝満山に神功皇后が祀られているけどね、あの山では国の大事の度に神事が行われているの。元寇の時も、そのおかげで神風が吹いたって」


 弥沙は神妙な面持ちで告げる。


「──だから、彼女が元寇の時に退けた神なのよ。筥崎宮の『敵国降伏』の扁額もそう。

 彼女はこの地を護る、絶対的な要」


 ふいに吹き抜けた風が、奥宮の深い木々を激しく騒がせた。弥沙は手元の本をさらに強く抱きしめ、確信に満ちた声で続けた。


「……高良神と神功皇后は、筑紫を護る二柱の守護神だったのよ。

 だからこそ、最強の防衛拠点である四王寺山で出会ったことにされたんだわ。この地を護る、二柱の大きな影として」


「それだ。『神秘書』にも『聖母大菩薩となりたもう』とあった」


「……もしかしたら、それも反対なのでは?」


 弥沙は、過去50回以上登った宝満山を思い描いた。険しい岩道を越えた先、天に突き出すようにして佇む、凛とした上宮(じょうぐう)


「三韓征伐や元寇の功績があったから神とされたんじゃなくて……。『神功皇后』という強大な守護神が元々いたんだよ。宝満山の神事自体が、かの神への切実な祈りだったんじゃないかな?」


 自分で言った言葉の重みに、弥沙は喉の奥が熱くなるのを感じた。


「場所が違うのは……きっと、意図的なのかも。三韓征伐の船の上では住吉神が神功皇后を助けた。

 『神秘書』では、四王寺山の毘沙門天、つまり高良神が皇后と出会って、筑紫を守ったとした。神秘書はその二つを重ねることで、『関わる神は同じだ』と示したかったんじゃないかな」


 白猫の尻尾が、ゆっくりと一度揺れる。


「なるほど……。神話の住吉神と、『神秘書』の毘沙門天である高良神。神功皇后に関わる存在が同じ神……だと示すため、か」


 弥沙は、自分の背中にあるリュックの重みをふと意識した。そこには、那珂川の岩戸で手に入れた『物部の鏡』が眠っている。


──二つを重ねる?


 脳裏に、かつて見た光景が浮かび上がる。

 向かい合わせに置かれた二枚の鏡。一方が放つ光をもう一方が受け止め、無限の深みへと続く光の回廊を形作っていく――。


「……合わせ鏡だ」


 思わず声が漏れた。


「記紀と神秘書が、まるでお互いを映し合う鏡のように機能しているんだよ。同じ神を、違う時代、違う場所という『角度』で映し出すことで……その存在の輪郭を、永遠に刻み込もうとしたんだ。存在が違うように見えても同じ神だと。これも、見立て、なのかな」


 ハルのしっぽがピンと立った。


「そうだよ! 『神秘書』は記紀を否定するんじゃなく、あえて対応させることで、その隙間に『真実』を浮かび上がらせているんだね。

 暗号として散りばめられているというのは、そういうことだったんだ」


 奥宮の木立の奥を、風が静かに通り抜けていく。

 瑠璃色の瞳が、すっと細くなった。


──神功皇后の時、異類日本に渡る。


「……記紀が語る『三韓征伐』の華々しい物語の裏で、彼女は本当は、もっと恐ろしいものと戦っていたのかもしれない」


 ハルは奥宮をじっと見つめたまま、静かに続けた。


「……三韓征伐だって、本当はもっと恐ろしい『異類』との戦いのことだったのかも」

 

 弥沙は、神話の深淵を再び覗き込んだ気がした。


「──そうだ。神功皇后と住吉神。彼らの名前は後に貼られた『ラベル』に過ぎないのではって思ったんだ」


 彼女は高良大社の神紋を思い出した。──その形は、高良神が現れた白い雲と四つの鉾を表すという。彼は神功皇后が呼び出している。


「神紋だって、伝承だって神功皇后が不可欠なんでしょう? 皇后がいなければ、今の高良大社さえ存在しなかったことになる」


 弥沙は、自分の言葉を噛みしめるように呟いた。

「高良神は、住吉神であり、白日別なのに、彼女と出会っていた。……矛盾しているようでいて、それが筑紫の真実なんだね」


 風が、ご神木の梢を揺らした。


「ああ、その通りだぜ」


 クナドが不敵に笑い、奥宮の闇を睨みつけた。


「主祭神の名を隠してまで、ここに居続けなきゃならなかった理由。その謎こそが、この国の神々を解く最初の鍵だ……。面白くなってきやがったな、弥沙!」


 彼女はただ、頷く。


「……でも、ハル。神話では全然別の神様なのに……。どうしてこんなに、矛盾だらけなんだろう」


 弥沙の声が、わずかに震える。


「弥沙、その『矛盾』こそが、これらの伝承を一括りに『偽書』として切り捨てさせてしまう理由だよ」


 ハルは一度言葉を切り、瑠璃色の瞳で真っ直ぐに弥沙を見つめた。


「だけど、君以外、誰も岩戸の里の真実に辿り着いていない」


 梢がさわさわと騒ぐ。ハルは一度空を仰ぎ、静かに、だが挑むように言葉を継いだ。


「……ねえ、綺麗に整えられた記紀の物語だって、果たして真実だと言い切れるだろうか?」


「えっ……」


「男神の(みそぎ)から神が生まれるなんて、記紀こそ矛盾だらけだと思わないかい?」


ハルの声は、静かだが確信に満ちていた。


「多くの人が信じていることと、真実であることは、イコールじゃない。ボクは、この『神秘書』に込められた筑紫の民の必死な祈りの方に、消された歴史の体温を感じるよ」





お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも、面白い、続きが気になる!と思っていただけたら、★★★★★、お気軽にコメントもいただけると、執筆の大きな励みになります!



*参考・引用文献

・荒木尚ほか編『高良玉垂宮神秘書同紙背』高良大社,1972,

※本書における引用の現代語訳および内容解釈は、筆者が原典に鑑み、独自に行ったものである。




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