表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二柱の天照~邪馬台国の謎と千八百年の約束~  作者: 三島 ひみか
三章*高良神と『高良玉垂宮神秘書』
18/44

18話 神功皇后の時、異類日本に渡る

  

 『ここに皇代。十五代神功皇后の時、異類(イルイ)日本に渡る』


 弥沙は、四王寺山を少し上空から眺めていた。

 力強い大地を揺るがすような声が響く。

 あの──高良大社の守護神、みさきカラスだ。


 弥沙、白猫のハル、クナドは今、四王寺山をはるか上空から見下ろしていた。


 眼下に広がるのは、四つの峰が連なる、筑紫の要害。のちに四天王が祀られ、防衛の要となる四王寺山の、これが原初の姿なのだろうか。


 大宰府市、大野城市、宇美町……。現代では三つの境界線に分かたれたこの巨大な山塊が、千数百年前の光景では()き出しの神気を放って横たわっている。


 目の前に展開するのは、秘伝書『高良玉垂宮神秘書』が紡ぐ、高良大社の神の由緒。 


『よいか、お三人。これはあくまでも『神秘書』に記された光景じゃ。事実とは異なる。しかし、そこに意味があることを肝に(めい)じよ』


 みさきカラスの声が、時空の濁流(だくりゅう)を導いていく。


『その時、筑前国四皇寺(しおうじ)の峯に登り、虚空(こくう)を祈り給う』


 (みね)にいた女が、一心に祈りを捧げている。前にあるのは、勾玉や紙垂(しで)で飾られた一本の榊。彼女の頭上からは、目も眩むような光の柱が天まで届いていた。


──あれが、神功皇后。


「ああして、神を招いているんだね」


 ハルの声が響く。姿は見えないが、共にこの光景を魂に刻んでいるのが分かった。


『彼女は、七日七晩、天に祈った……』


 みさきカラスの低く太い声が、時空の静寂を震わせる。


『東の空に白雲現れ来たる。白雲たちまちに四方に開き、光を放ちたまえば、月神現れた給うなり』


 その言葉が響き渡ると同時に、東にそびえる霊峰・宝満山の方向から、巨大な白雲が湧き上がった。

 宝満の嶺を背負うように現れたその雲、四王寺山の(いただき)へと、一直線に駆け抜けてくる。


 それは生き物のように四方に裂け、その裂け目から、この世のものとは思えない神々しい光が溢れ出した。

 

 白雲が四方に開いた跡には、影が揺らいだ。その中心で四つの(ほこ)が激しく打ち振られるのが見える。


『この白雲に乗り給い、化して若冠(じゃっかん)(わかもの)と現れ、四皇寺に下り給う。これによって、その所を四皇寺の峯とは申すなり』


 神を乗せた白雲が移動する。

 その瞬間、弥沙の脳裏に、強烈な光の残像が弾けた。


──あまのとりふね──?


 かつて夢の中で、生駒の稜線を越えてきたあの巨大な『光の塊』。空を削るように進んでいた、真っ白な帆船の輝き。


 彼女の残像には、一瞬だけ、あの『あまのとりふね』の白い船体と重なって見えた気がした。


……同じ、だ。あの時と同じ、内臓を掴まれるような重低音が響いている……


 圧倒的な神気を纏い、光の中から一人の若者が舞い降りる。

 その瞬間、四王寺山の嶺が、神話の色に染め上げられていった。


 四王寺山に広がる色とりどりの紅葉。



 ふっ、と極彩色の神話が掻き消えた。


 視界を埋め尽くしていた光の残像が、ゆっくりと高良大社の静かな境内へと収束していく。頬を撫でる風が、千数百年前の突風から、現代の夏の空気に変わっていた。


「ハル」

「うん」

「高良神が、白い雲に乗っていたよ」


──まさか。あの『あまのとりふね』が、姿を変えていたというの?

いや、そんなはずはない。けれど、あの重低音の震えは……。


「弥沙、ここでは、論理的にいこう」


 弥沙は動悸が抑え切れなかったが、ハルの冷静な声にはっとした。


「分かった」 


 弥沙はハルの瑠璃色の瞳を見つめて小さく頷き、みさきカラスへと向き直る。


「……高良神は住吉神だとさっき、(うかが)ったのですが……」


『左様。神秘書にもそうある』


 カラスが、一歩、石畳を刻むように歩み寄った。彼は首を傾げると、賢者のように腹の底に響く重厚な声で、(いにしえ)の記憶を紐解き始める。


『住吉大明神は明神天子の垂迹、大祝先祖 

 表筒男尊は日神の垂迹、高良大菩薩 

 底筒男尊は月神の垂迹なり。

 この三神は、天神にてまします間、兜率天に住まう、三光と現れ、国土を照らし給うなり』


 さわさわと、ご神木の葉擦れの音がする。


『住吉大明神と、住吉三神。その末っ子が、高良大菩薩、高良神とされとる。かの神が、月神じゃな』


「神話では、住吉神って、神功皇后と船の上で出会ってました。あ……宝物殿のタペストリーもそうでした」


『あれを見なすったか。その上に、四王寺山の件も描かれていたじゃろう』


 弥沙は記憶を呼び戻す。──そうだ。船の上には、山があって、そこにも神功皇后がいた。そこには光る雲があった。


「……どっちが本当でしょう?  船の上で出会ったのか、四王寺山の嶺で出会ったのか……」


 頭上の梢から、セミの声が降り注ぐ。


「ハッ! じれってぇなあ! どっちが本当かなんて、器の小せぇことで悩んでんじゃねぇよ。……どっちも『本当』じゃねぇことだって、いくらでもあるんだぜ」


 クナドが、奥の石段にどっかと腰を下ろし、肘を膝について退屈そうに鼻で笑った。


「いいか、弥沙。人間が書き残した『文字』なんてのは、真実の影をなぞってるだけに過ぎねぇ。

 海の上だろうが山の頂だろうが、あの女とあの男が『交わった』……その一点さえ揺らがなきゃ、場所なんてのは後からいくらでも書き換えられるもんなんだよ」


「……そうか。二人がどこかで出会ったことそのものを、何としても残すため。

 ……もしかすると、そのずっと前から、二人は出会っていた?」


 弥沙がふと顔を上げると、参道を参拝客たちが静かに通り過ぎていく。誰もが信じて疑わない『神話』という名のヴェールの向こう側を、今、自分たちだけが覗こうとしている。その事実に、背筋が冷たくなるのを感じた。


「その可能性は大いにあるね。場所という外枠よりも、『出会った』という事実そのものが持つエネルギーを保存したかったのかもしれない」


 ハルが尻尾の先を小さく揺らして、弥沙の言葉を補完した。

 そこで、弥沙はまた、冷やりとした感覚になる。


「神話は、作られた……?」


 自分で、そう言って、はたと気づく。


「 そうだ。高良神は筑紫の国魂、『白日別(しらひわけ)』、神話の原初の神。それなのに、住吉神であって……」


 顔を上げると、そこに大社があった。参拝の者が次々と社に入っていく。


「高良大社の神って、高良神、八幡神、住吉神よね。だけど、高良神は何なのかは、分かっていないのよ」


 息を呑む。


「──彼らは何に祈っているの?」


 問いかけは、熱を帯びた風にかき消された。

 弥沙は現人神社での幻視を思い出す。 


「そもそも、思ったんだ。現人神社で。住吉神は男神一柱から現われてる。真実の訳がないって。住吉神って何? 有名だからって、信頼に値する神かどうかは分からない。……そもそも、神は概念に過ぎない?」


『娘よ。神とは何かを、言葉で説明することは難しい。……じゃが、見せることならできる。そなた、さっきの本もそうじゃが、……鏡を受け取ったじゃろう?』


「はい。物部の鏡だと……」


『本と鏡。どちらも物部の宝じゃな。ならば、できる。鏡の上に本を置いてみなさい』


 弥沙は、ベンチに腰を下ろすと、二つの物を取り出した。


 自らの膝の上に物部の鏡を水平に置く。冷ややかな鏡面が空を映し出したその上に、重なり合うように一冊の本──『二柱の天照』を静かに載せた。


 みさきカラスが鋭く鳴くと、膝の上で、鏡と本が生き物のような熱を帯び始める。


『『神秘書』の中身、その一冊へ写してしんぜよう。ハルという依代(よりしろ)がおれば、いつでも紐解けるようになるはずじゃ。この書は……』


 カラスの瞳から溢れた金色の光が、本を透過し、膝の上の鏡で激しく跳ね返る。

 下から突き上げるような黄金の光が、本のページをパラパラと激しくめくり、余白の奥底へと、目には見えぬ『記憶』を刻み込んでいった。


 紙の束が弥沙の指先を弾くように波打ち、古いインクの匂いに混ざって、微かに潮の香りが立ち昇った。


 みさきカラスは、石段に座るクナドを静かに見つめ、最後の一句を紡ぐ。


『……そなた達を、真の岩戸に導くじゃろう』


 激しく明滅していた本の光が、吸い込まれるように収束していく。


 『必要な時に、必要な箇所を。しっかりとな』


 それだけ言い残すと、みさきカラスは元の大きな姿へ。社の屋根へと羽ばたく紺青の翼を、ハルはじっと見上げた。


「ありがとう、みさきカラス」


 その声は、熱を帯びた夏の風に溶け、ひと筋の軌跡を残して消える。

 社の静寂が戻り、しばらくは誰も口を開かない。


「積み重ねていくしかないね」


 沈黙を破ったのは、ハルの静かな、けれど芯の通った声。


「神話という巨大な迷宮を解くには」



 その声を聴きながら、弥沙はある一つの言葉を反芻していた。


──異類。


 その脅威が迫る筑紫の地で、二人の神はなぜ『海の上』ではなく、あの『山の嶺』で出会わなければならなかったのか。


 膝の上の本が、まだ微かに熱を持って、鼓動を続けていた。






お読みいただき、ありがとうございます。

少しでも、面白い、続きが気になる!と思っていただけたら、★★★★★、お気軽にコメントもいただけると、執筆の大きな励みになります!


*参考・引用文献

・荒木尚ほか編『高良玉垂宮神秘書同紙背』高良大社,1972,

※本書における引用の現代語訳および内容解釈は、筆者が原典に鑑み、独自に行ったものである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ