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二柱の天照~邪馬台国の謎と千八百年の約束~  作者: 三島 ひみか
三章*高良神と『高良玉垂宮神秘書』
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17話 高良大社と、みさきカラス

「……へっ、相変わらず神気が濃すぎて、肌がヒリヒリしやがるぜ。……だが、この『重さ』は嫌いじゃねぇ」


 クナドは眩しそうに目を細めて下界を見下ろす。乱暴に束ねられた髪の先が、山の風に遊ばれていた。

 

 弥沙(みさ)と白猫のハル、クナド神は、高良大社の本殿へと続く石段を登りきった、境内の入り口に立っている。


 深い緑の影が幾重にも重なる奥に、その社は鎮座していた。耳納山系の西端、高良山の中腹。そこは下界の喧騒が嘘のように、凛とした静寂に包まれていた。


 石段を上がりきったこの場所は、視界が鮮やかに開ける。

 眼下には久留米の町が一望でき、真夏の強烈な陽光が市街地を白く焼きつけていた。その中を、筑後川がゆったりと、銀の鱗をくねらせる巨大な龍のごとく流れている。


「この地は、西を耳納の山並み、周囲を筑後川に囲まれた天然の要害なんだ。防衛にはこれ以上ない場所だよ」


 ハルが隣で、誇らしげにしっぽを揺らす。

 遥か正面には脊振山系が青く霞み、その向こう側に、自分たちの住む那珂川があるのだと思うと、遠い旅をしてきたような奇妙な高揚感がこみ上げてきた。


 その圧倒的な景色を眺めながら、弥沙はふと、石段を上がる前の鳥居の下での会話を思い出す。


「僕は消える。ここでは人の目には見えない方がいい。社に飼い猫がうろうろしたらだめだろう」


 唐突に告げたハルの輪郭が、陽炎(かげろう)に溶けるようにゆらりと揺れた。


「消える……?」

「見えなくなるだけだよ。君にはちゃんと見える」


 そのまま透き通るように薄くなり、完全に景色と同化した。他者の目には、そこにはただ揺らめく熱気があるだけに映るだろう。

 けれど、弥沙の瞳には、光の屈折のあわいに透き通るようなハルの姿が、たしかな質感を伴って映っている。

 

──彼は、石段を登りきった今も、弥沙のすぐ隣に揺らいでいた。


 クナドもまた、黒いTシャツにトレードマークのウエアを腰に巻いた、現代的な少年の姿をしている。


「あの格好で歩きゃあ、下界の連中が放っておかねぇからな」


 不機嫌そうに鼻を鳴らす彼は、どこからどう見ても人間の少年にしか見えない。


 だが、本殿で参拝を終えた瞬間、弥沙は息を呑んだ。

 隣に立つクナドが、見たこともないほど神妙な顔つきになり、深く、深く頭を下げたのだ。


 普段の不遜さが嘘のような、絶対的な敬意。その横顔を見つめていると、弥沙の胸の奥に、言葉にならない静かなざわつきが広がっていく。


 参拝を終えて境内を歩いていると、ハルが話しかけてきた。


「高良大社は、筑後国一之宮だ」

「筑紫の国魂と言われてるね。さっきの車道沿いの案内板にもあったよ」


「そう。神話の中でイザナギ神とイザナミ神が国産みをするだろう。そこに、白日別(しらひわけ)という神が出て来るんだ。筑紫嶋(ちくししま)は身一つにして面四つ有り。筑紫国を白日別、と」


「筑紫の国魂、筑紫の国の魂の神ってことなんだから、高良神が白日別ってことになるんだよね?」


 弥沙の問いに答えるように、境内の(くすのき)の葉がざわめき、濃い緑の香りが鼻腔をくすぐった。


「おそらく、……僕はそうみてるよ」


 ハルが尻尾の先をぴくりと動かす。その視線の先には、千数百年の祈りを受け止めてきた古びた社殿が、午後の光を吸い込んで静かに佇んでいた。


 宝物殿が開いているのが見えた。

 小さな看板に「本日開館」と書かれている。


「入ろう」

「うん」とハルが応える。


「肩においでよ」


 (うなが)すと、柔らかな重みがふわっと肩に乗った。普通の猫よりも、心持ちずっと軽い。


 社務所で入館したいとの旨を伝えると、神職の方が開けてくださった。宝物殿の扉の向こうは、外の猛暑が嘘のようにひんやりとした空気が満ちている。


 弥沙は奥の壁に掲げられた大きなタペストリーにくぎづけになった。そこには、荒れ狂う海を往く巨大な船が描かれている。


 波を切り裂く船の舳先には、一人の男が立っていた。あの幻視で見た、住吉神と同じ立ち姿。


「この船におられるのが神功皇后。舳先におられるのは、ご祭神の安曇磯良神(あずみいそらしん)です」


 その静かな声に、弥沙ははっとして、いつの間にか傍らに立っておられた神職を仰ぎ見た。


「神功皇后の船に現れたのは住吉神のはずですが……住吉神が磯良神なのですか?」


 問いかけると、神職は瞬き一つせず、深く、静かな眼差しを弥沙に向けた。


「――そうです」


 その一言が、冷たい風のように弥沙の胸を通り過ぎた。


 外に出ると、境内から離れたご神木の影で、弥沙は立ち止まった。葉がさわさわと鳴り、木漏れ日が地面で踊っている。


 眩しい光の中に、いつの間にか、雪のように白いハルの姿がくっきりと浮かび上がっている。


「姿を消すとちょっと疲れるんだよね」


 ハルが首を傾げながら、ふうと息を吐いた。

 その仕草が可愛くて、弥沙は笑う。


「ご祭神の高良神が住吉神で、安曇磯良神……」


 (つぶや)いた弥沙に、クナドが自嘲気味な笑みを投げた。


「名前なんてのは、後から人間が貼り付けたラベルだ。大事なのは、その『中身』が誰かってことだろ?」


 それは、猿田彦という別名を持つ彼自身の独白のようにも聞こえた。

 その時、山の奥から吹き下ろしてきた風が、ひときわ大きく梢を揺らす。


『ハルじゃあないか』


 頭上から響いた、地を這うような太い声。

 振り返ると、社の屋根の最も高い場所――千木の上に、巨大なカラスが立っていた。


 逆光に縁取られたその羽は、日の光を吸い込んで紺青色に妖しく輝いている。すべてを見透かすような鋭い瞳が、弥沙の魂を射抜くように見下ろしている。


 名を呼ばれたハルはしばらく固まるが、やがて顔をほころばせた。


「みさきカラス?」

『そうじゃ』


 カラスは大きくばさっと翼を広げると、するると小さくなって側まで飛んできた。見た目は普通のカラスと大きさが変わらない。


「弥沙、みさきカラス。ここの守護者だよ」

「はじめまして」


 弥沙が挨拶をするとカラスは首を少し傾げ言った。


『かっかっかっ。わしはお前さんとは初めてじゃないがの』


 カラスはハルを見た。  


『筑紫の白癜(しろなまず)や亀に会ってきたじゃろ』


「何で知ってるんだろ」と弥沙が呟くと、クナドが応える。


「神様ネットワークというものがあってだな、面白いことは日本中、筒抜けなんだ」

 弥沙は思わず笑った。


『基本、神は退屈しておる。長生きじゃからな』


 かっかっかと豪快に笑う。


『筑紫の神々が騒いでおったわ。岩戸を開ける者がおるとな。くれぐれもよろしゅう頼まれたわ』


 そこではたと、弥沙は気づく。


「筑紫の神々? そういえば那珂川は、数年前まで筑紫郡だった。筑紫の日向、ね」


『そうじゃ。めでたく市になったらしいの。久しく行ってないが、随分変わったのであろうの。まあ、変わらないものもあろうて』


「みさきカラス、この社の由緒を見せてくれる?」とハルが言う。


『『高良玉垂宮神秘書』じゃな。隅から隅まで把握しておるわい』


「高良……?」


「『高良玉垂宮神秘書』平安時代作とされる書だよ。千年以上門外不出だったんだ。昭和の半ばに本になって一般公開されてる」


『そうじゃ。媒体(ばいたい)はそれがよかろう。娘よ。その中のものを出してみなさい』


 弥沙は、リュックの中から『二柱の天照』を取り出した。すでに熱を帯びている。その時、パラパラと中身を見たが、あの『高良山』という文字は無くなったいた。


 ご神木の側にあるベンチに座る。かつて那珂川でそうしたように、弥沙は慣れた手つきで本を取り出した。


 ハルが静かに立ち上がる。その書物に、弥沙が手を置き、ハルが前足を乗せた。

 白猫の全身の白い毛が、波打つように逆立つ。


「あ、俺様も行く」


 クナドが乱暴に割り込んできた瞬間、弥沙の手とハルの前足、そして少年の無骨な掌が一つに重なった。


「わっ――」


 指先から心臓へ、熱い電流が駆け抜ける。

 視界がぐにゃりと歪み、夏の陽光に白く焼けていた高良山の境内が、古い絵巻物が風に(ほど)けるように、端から砂となって剥がれ去っていった。


 ご神木のざわめきは、いつの間にか、乾いた風の音へと変わっている。

 その風の尾を引くように、ふもとの方から、かすかに、けれど確かな波の音が響いてきた。


 肺に吸い込んだ空気には、真夏の湿気など微塵もない。喉を焼くほどに濃い潮の匂いに満ちた、千数百年前の冷涼な大気だ。


「……始まったね、弥沙」


 足元から、透き通ったハルの声が響く。その声に応える間もなく、弥沙の意識はさらに高く、空へと吸い上げられた。


 気がつけば、彼女たちは鳥の目線で下界を見下ろしていた。

 眼下に広がるのは、今の久留米でも那珂川でもない。

 四つの峰を連ねるゆるやかな山――四王寺山だ。


 ここからは、まるで巨大な地図を広げたように、筑紫の原野と、遠く光る玄界灘が一望できた。


 その嶺に、一筋の影が動く。

 昨日見た――神功皇后。

 そして、白雲が立ち込めてくる。圧倒的な神気を放つ男の姿があった。


 




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