14話 導者の羽とクナド神の寂寥
──カシャッ。
シャッターを切り、すぐさま画面を確認する。
「……っ! ハル見て、これ。翼みたいに見えない?」
画面を差し出すと、ハルは藍色の瞳を細めてじっと見つめた。 金の光が何度も走る。
「弥沙! これは本物だよ! 写真の猿像、苔むした質感や、その奥から伝わってくる意志……。この石像の奥から、何千年もの祈りが滲み出てくるよ。そして……神威の光!
この青白い、爆発的な光の奔流……。翼、見えるよ!! 大きな二つの光の翼が、ボクの瑠璃色の瞳にはっきり映ってる!!」
「どれどれ?」
そこへクナドがひょいと顔を出した。
「おお~これは、すごいな。こういう神気を写し取れるのって、一種の力だからな」
ハルがほらと、クナドに見せた。
「バックに石灯籠や社が微かに見えているから、これが単なる露出オーバーや手ブレじゃないことは明らかだよ。
これは……弥沙の真摯な願いに応えた、決定的な瞬間だね!!……本物だ。加工じゃない。この光の入り方は、意図的には作れないよ」
興奮が抑えられないらしく、一気に話す。信じがたいことでも、真実だと分かれば、受け入れるのだとハルは語った。
君たちの方が十分『信じがたい』ことだよ。という言葉は飲み込む。その時。
がさっ
木陰が揺れ、小さな影が見えた。子どものような姿だが、背中に羽とも違う、白いふわふわとした何かが生えている。
──猿だ。小さな猿が、そこにいた。
「ハル」
「うん、見えてるよ」
羽の生えた子猿は、黒くて深い瞳でこちらをじっと見つめている。 写真に写った子だと思うと、不思議と恐怖は全く感じなかった。
「こんにちは。羽があるんですね」
弥沙が小さく声をかけると、猿はきょとんとした顔を見せる。
『生えとるよ』
「天狗みたい」
猿はぷっと吹き出した。子どものような、無邪気な笑い声が境内に響く。
『天狗ね。まあ、そう見える人もおるか』
幼い声に、どこか大人びた口調が混じる。
「猿田彦神は、天狗のルーツになったという説もあるよね」
ハルが補足すると、猿はぴょんと石の上に飛び乗った。
『わしらはね、道の神じゃ。山の神じゃ。行き先の分からない道でも、先が見える。だから先導するんよ』
石の上に飛び乗った羽の生えた子猿。その視線の先に、いつの間にか現れたクナドが立っていた。
二人の視線がぶつかる。けれど、子猿はクナドを見ても、ただ、不思議そうに首を傾げるだけだ。
「ほれ」
クナドが木の実を差し出すと、嬉しそうに頬張った。
『美味いね、これ! あんた、いい奴じゃな!』
クナドが少しだけ、照れくさそうに口角を上げる。
「……だろ? 俺様が厳選したんだからな。今日は、いっぱい採って来たんだぜ!」
クナドと子猿は、社の側の広場で追っかけっこをし出した。
何か変だな? 弥沙は思う。
「あのお猿さん、この社の神使だよね?」
「そうだと思うよ」
「他人行儀な感じがしなかった?」
「うん……」
そこへ、子猿がハルの前の前にふわっと現れた。じっと見つめ、興味深そうに呟く。
『導者か。久しぶりに見たね。......ロックがかかっとるんじゃろ? だが、少しずつ解けてきているね』
猿は満足そうに頷くと、今度は弥沙に視線を向けた。
『あんたがさっき言ったこと、覚えとるか。神威を見せて、って』
「......はい。言わずにいられなかったです」
『この石像に、何かを感じたんじゃろ。強い意志のようなものを。それがね、神威よ』
猿は静かに、けれど力強く語る。
『人の祈りが石に積み重なり、神の意志が石に宿り、千年以上ここで祀られた。あんたはそれを感じ取ったんよ』
千年以上の、祈りの堆積。
「人が祈るから神様が宿って、それを人が大切に受け継いできた、ということですか?」
『そうじゃよ。それは神の不文律じゃ。お主等、この地の神を知りたいんじゃろ』
「神功皇后や武内宿禰、住吉神……。彼らを追わないといけないようです」
杜を抜ける風が、ざわめきながら弥沙の頬を撫でていく。
それは、永い眠りから目覚めた土地の記憶が、一斉に呼吸を始めたような音だった。
子猿は立ち上がり、目を細める。
『……お? お主、そこに何か入っとるじゃろ?』
猿は弥沙のリュックを指差した。
「え……? これですか?」
戸惑いながら取り出したのは、一冊の本──『二柱の天照』だった。
猿がその表紙にふわりと白い翼で触れる。
その瞬間、ページが開き、古びた紙の表面に、今までなかった文字が金色に浮かび上がった。
──高良山。
「高良山……?」
弥沙がその文字を読み上げると、猿は満足そうに深く頷いた。
「わしも導き手じゃからな。高良山へ行くがよい」
猿は大きく頷き、西の山深い方を指差した。
『そこに行く前に、『天岩戸』の門をくぐってきんしゃい。その身に宿った埃を払う。扉が開くのは、それからじゃ』
「岩戸で、埃を払う……?」
突然出てきた単語に戸惑っていると、ハルが隣で静かに繋いだ。
「高良山の前に、清めが必要だということだね。ありがとう」
ハルがそこまで言うと、猿が深く頷いた。
「そうじゃ。神功皇后は、彼らと深い縁で結ばれとる。魂の夫婦じゃな」
猿はすべてを見通したような目で弥沙を見ていたが、それ以上は語らなかった。
クナドが現れて、再びひょいと木の実を渡す。
『この木の実は好きじゃあ。なかなか手に入らんでの。お主ほんとにいいやつじゃのう』
けれど、風が杜の葉を揺らした、その刹那。
子猿の瞳が、ふっと虚空を見つめた。
「……あ。すまぬ。あんた。誰だったかね。どこかの神じゃろ?」
クナドの手が、空中で止まる。
「……おい、猿。お前、また俺様の顔を忘れたのか?」
クナドが低く問いかけるが、子猿はきょとんとして答える。
「知らんね。あんた、神様みたいだけど、ここの神様じゃないじゃろ。ここには大己貴命様がおられる。わしはもう千年以上、留守をお守りしてる神使じゃ」
弥沙は息を呑んだ。今さっき、あんなに楽しそうに笑い合っていたのに。
「……いいさ。また明日には、初めましてだ」
クナドが苦々しく顔を歪めた。背を向けた。その背中が、ひどく小さく見えた。
「……名を取られるってのは、こういうことだ。自分の使いにさえ、他人のように扱われる」
弥沙は、二人の間に流れる絶望的な『断絶』を感じて、胸が締め付けられた。
名が、ないから……。だから、こんなに近くにいても、繋がれないんだ。
猿は石から飛び降りると、木々の間へと歩き出す。
白い羽がふわりと揺れ、消える直前に一度だけ振り返った。
『神威は石だけじゃない。この土地全体に宿っとる。水にも、山にも、地名にも。全部、彼らがここにいた証よ』
そのまま、猿の姿は裏の森へと溶けていった。
「あの子猿さんも、『導者』なんだね。どこか、ハルと似てるね」
「……そうかもしれない。僕も弥沙を導いている」
「ふん……。見えるだけ、か。勝手なもんだよな」
「クナド。話、ずっと聞いてたの?」
「……神が自分の社の由緒を聞かされて、手放しで喜べるわけねぇだろ。……特に『今の祭神』が誰かなんて話はな」
クナドは自嘲気味に笑うと、懐から真っ白な羽を一枚取り出し、手の中でもてあそんだ。
「里の奴らは、ここを『日吉神社』と呼び、俺様を『日吉の神』として大切に祀ってくれる。だがな……そこには『俺様の本当の名』がねぇんだ」
青葉が繁る瑞々しい境内。陽光を弾く木々の輝きはこんなに眩しいのに、ここには彼の名を呼ぶ声だけがない。弥沙は、胸の奥が熱くなるのを感じた。
彼女は息を呑む。
「……そうだったね」
「ああ。日吉の神という『役』は与えられた。だが、本来の俺様の名……『猿田彦』という名は、社の祭神リストからは消されちまってる。
名のない神は、自分の社であっても、本当の力が出せねぇのさ。主として認められねぇんだからな」
クナドの瞳に、寂寥とした影が差す。
「だから決めた。俺様も、お前たちの旅についていく」
「えっ、クナドも!?」
「ああ。お前が『神威を見せて』なんて抜かしやがったからな。……失われた俺様の名を、自分自身を、見つけ出してやる。ロックがかかってるのはハルだけじゃねぇ。俺様もなんだよ」
「さあ、俺様の名を取り戻しに行くぞ」
クナドは振り返りもせず、さっさと車へ向かって歩き出した。その背中に、朝の光が真っすぐ当たっている。
「それはそうと、弥沙! なんで神使や八百万の神々には敬語で俺様はタメなんだよ!」
「何となく!」
クナドの呆れたような、けれどどこか嬉しそうな声が、走り出した車の中に響く。
弥沙はバックミラーをそっと見た。名を呼ばれた神が、少しだけ笑っていた。
鏡に映る日吉神社の杜が、朝日に溶けて遠ざかっていく。
目指すは天岩戸。
そこは、古の扉が開く場所。
那珂川に流れる水音さえも、これから始まる壮大な旅路を祝福しているかのようだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
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※本作は、Amazonにて出版中の拙著の考察本『二柱天照──『高良玉垂宮神秘書』から紡がれる神功皇后と卑弥呼』をベースにした歴史ミステリー小説です。
邪馬台国や日本神話に隠された秘密を、物語を通してより深く詳しく解き明かしています。
一千八百年の謎を巡る旅に、最後までお付き合いいただければ幸いです




