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二柱の天照~邪馬台国の謎と千八百年の約束~  作者: 三島 ひみか
二章*神話の現場*筑紫の境界
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13話 日吉大社の元宮・日吉神社

 車のドアを閉めた瞬間、肌を刺す空気が一変した。

 市ノ瀬の日吉神社。那珂川の上流、山々の濃い緑に抱かれたその場所は、真夏だというのに凍てつくような静寂に支配されている。


「あ、先に言っておく。『神は神のことを語れない』という決まりがあるんだ。言えることもあるが、言えないこともある。お前ら、自分の力で見つけろよ」


 神社の入り口で、クナドが釘を刺すように言った。弥沙は、その言葉を真実として静かに受け止めた。


「大丈夫。昨日、クナドが会話に入ってこない時、気づいたから。自分の足で歩き、自分の頭で考えなければ、神々の真実には触れられない。そうでしょ?」


「ハッ、分かってるじゃねぇか」


 クナドは満足げに牙を覗かせ、低く笑った。

 石の鳥居を見上げると、弥沙は思わず息を呑む。


「……っ」


 それは恐怖ではない。全身の産毛が逆立つような、圧倒的な「圧」。理屈を超えた畏怖(いふ)が、そこにはあった。 

 足元の白猫(ハル)もまた、喉の奥で唸り声を上げ、瑠璃色の瞳を鋭く光らせている。


「弥沙……この気配、尋常(じんじょう)じゃない」

「そうだね。時々、ここはこういう時があるんだ」


 鳥居の前で深く一礼し、目に見えない境界線をまたぐ。


――ふわん。


 薄い水の膜を突き破ったような奇妙な感覚。直後、氷のように冷たい風が吹き抜け、杜の奥から自ら発光するような青白い光が溢れ出した。


「……完全な、結界だ」


 ハルの瞳が、不可視の力を捉えて輝く。二人はピリピリと震える空気の中を、何かに誘われるように奥へと進んだ。


「……ふん。ようやく、ここに来たか」


 クナドが吐き捨てるように呟く。己の社だというのに、どこか他人事のような、冷めた響き。


 弥沙はその真意を測りかねたまま、次の鳥居をくぐる。

 背後に、誰かの視線を感じた。確かな気配。けれど振り返っても、そこには大きな樹木があるばかりだ。


 拝殿の前に立ち、静かに手を合わせる。ハルも後ろ脚で立ち、神妙に前足を合わせていた。あたりの空気は清浄で研ぎ澄まされ、チリ一つ落ちていない。


 土地の人々がこの猿田彦神をどれほど大切に、畏敬(いけい)の念を持って守り続けてきたか。その積年の思いが、社を内側から輝かせているようだった。


「弥沙、由緒書きがある」

「ふふふ。面白いことが、書いてあるから、それ」


 ハルが指し示したのは、古びた由緒記だった。弥沙はハルを抱き上げ、そこに刻まれた文字を、一文字ずつなぞるように読み上げる。


「『”さるた”とは今も対馬と種子島に(わずか)かに保存されている稲穂の一品種なる赤米のことであります。

 春に浅瀬の多い川を止めて湖を作り、これに苗を植え、夏の日照り時に水を引いて秋の収穫まで干し上げる古式栽培のことでもありました』」


「サルタが赤米?……川を制し、湖を造り、干し上げる。……これは『乾田農法』だ。由緒記はさらに、猿田彦神を『水田を開拓して待ち給うた神』ともある」


「つまり、猿田彦とは、神話の中だけの存在じゃないってこと……?」


「そうだね。実際にこの過酷な土地を改良し、乾田を広めて赤米をもたらした高度な技術集団。その(おさ)こそが、猿田彦と呼ばれた存在の正体なんだ」


 弥沙の脳裏に、前日に見たあの(まばゆ)い幻視がフラッシュバックする。

泥にまみれ、岩を砕き、この荒野を黄金の田へと変えていった、あの人々の執念――。


「……ねぇ、ハル。この那珂川で、そんな途方もないことを成し遂げたのは、武内宿禰と神功皇后じゃないの? 彼ら以外、考えられないよ」


 ハルの瞳に、黄金の火が灯った。


「その通りだ、弥沙。裂田溝(さくたのうなで)、一の堰……それらエンジニア軍団の意志は、バラバラの伝承ではない。同じ執念が、この土地に刻みつけた消えぬ痕跡なんだよ」


「神功皇后と武内宿禰が、猿田彦……?」 


 クナドの姿は、いつの間にか消えていた。


「それとね、ハル」弥沙は、由緒書きを再び読み上げる。


「伝教大師最澄が、比叡山延暦寺を移した時に、その守護神として、ここの山王神猿田彦神を勧請して、日吉・日枝大社を創建したって」


「それは、ここが元宮ってこと?」


「そうなのよ。那珂川市は公式に『猿田彦神発祥の地』としてるよ。コミュニティーバスの『さるたくん』というキャラも、天狗をモチーフにしていて可愛いんだ。その話が由来だと思うよ」


 ハルが地面に降り立ち、瑠璃色の瞳に解析の光を走らせる。


「弥沙、これは……」

「どうしたの?」

「これは奇妙だ。『福岡県神社誌』には、猿田彦神の名が記されていない。祭神ではない神を、なぜ最澄は大社へと勧請したんだろう?」


『日吉神社』旧筑紫郡南畑村大字市の瀬日吉前。


そこに、名を連ねる神は、天御中主神、大己貴神、日子穂穂出見神、他に、大山祇命、八雷神、菅原神、埴安神、宇賀魂神、高淤加美神、闇淤加美神、 田心姫神、迦具土神、手力雄神、表筒男神、中筒男神、底筒男神、須佐之命、天照大御神。


 その多くが、大正に那珂川のあちこちの神社から合祀されている。


「どういうこと? ……そもそも最澄さんが間違えた? ……そんなことないよね」


「待って、日吉大社の構成をデータと照合するよ。本宮である滋賀県の日吉大社には、大きな二つの系統があるんだ。


 西本宮には三輪山から勧請された『大己貴神(おおなむちのかみ)』。

 東本宮には古くからの地主神である山を司る神『大山咋神(おおやまくいのかみ)』。

 この二柱を軸にして、日吉大社は成り立っている。最澄さんは間違えたわけじゃない。同じ神様がいるからね」


 ハルはつらつらと淀みなく語り、弥沙を見上げる。

 そこで、彼女は気づく。


「そもそも、神様って、姿が見えないよね? ここにある神様がいて、他へ勧請……分け御霊(みたま)で移しますって思うのは人間側よね? 夢で知らされたとかあったとしても」


 弥沙はふと顔を上げた。

 ご神木のオガタマノキの上に、クナドがいた。真っ白な装束を風になびかせ、悠然と座すその姿は、あまりにも神々しい。


「最澄さんが、ここには『猿田彦神がおられる』と感じて、日吉大社に守護神として勧請した……」


 オガタマノキは招魂おがたまの木。──天照が隠れたの岩戸の前で、それを手にして天鈿女(あめのうずめ)は舞っていたという。──たくさんの実をつけるその様は、神楽などで巫女が舞う時に手にする神鈴の元になったという。


──神鈴は、おがたまの実の見立てだ。

 違うものに見立てる。もしかすると神も? 


 人はそこに『神』を思う。ならば、そこにはもう『神』があるのだ。

思う、ゆえに神あり。


「……ここに祀られてる神は、猿田彦神の『見立て』?

──ならば、名が無くとも、ここに猿田彦神がおられることになるのでは……? 

ただ、猿田彦神を、あえて祭神として残さなかった……とも言えない?」


 弥沙の呟きは、杜の静寂に吸い込まれた。ハルは瑠璃の瞳を細める。


「面白い推論だね。けれど、当時の記録が残っていない以上、僕のデータだけでは『仮説』の域を出ないよ。判断材料が、まだ足りない」と、冷静に告げた。


「ここから最澄さんが勧請したのは猿田彦神。

 でも日吉大社の祭神はこの社と同じ、大己貴命と大山祇神。

 ……けれど、土地の人は、みんな『猿田彦』だと思ってる。

 この地の猿田彦神は、神功皇后と武内宿禰を意味する……」


「……弥沙、驚くべき符号だよ。この那珂川という土地には、二つの元宮があるんだ。

 しかも、道を拓く住吉神の『現人神社』と、荒野を拓き、民を導く『猿田彦神』。

『拓き、導く』という二つの神聖な意志の源流、元宮が、この狭い流域に揃っている」


 ハルの瞳に、金の光が走る。

「なぜ、この街に二つの神の元宮が?」


 弥沙は現人神社で見た幻視を思い出していた。

「現人神社の住吉神を現れさせたのは神功皇后。日吉神社の猿田彦の如くこの地を拓いたのは、神功皇后と武内宿禰……」


 二人は、顔を見合わせる。──そうだ。それらの神には神功皇后という共通点がある。


「海の住吉、陸の猿田彦。そして、その影に寄り添う武内宿禰――。二つの宮が示す『導き』の源流は、実はたった一つの『意志』を、違う名で呼んでいるだけだとしたら?」


 三柱が同神?

──それは何を意味するのか。


 弥沙の胸の奥で、まだ形にならない巨大な仮説が、音を立てて震え始めた。 そんなことが、あり得るの……?


──それに、三輪山の神が、なぜここに?


「わははは。おいお前ら、理屈ばっかりこね回して、肝心な『神気(しんき)』を見落としてんじゃねぇぞ。……で、気が済んだかぁ?」


 オガタマノキの上から、クナドが不敵に目を細めている。


 弥沙は判然としない霧の中にいた。ハルの言う通り、証拠はない。けれど、全身を突き抜けるこの『びりびり』とした震えは、間違いなく『彼』の存在を告げている。


──理屈ではない。

 この(よど)みを晴らすには、魂で触れるしかないのだ。


 弥沙は霧を振り払うように、一歩前へ踏み出す。


 満々と水を(たた)えた人工池の中心。苔むした猿の石像が、まっすぐに弥沙を見据えている。猿は日吉神の神使だと言う。


 日吉神──猿田彦神は、豊穣をもたらす神。その正体は、土地に根差し、自ら豊穣をもたらした大いなる神。


 かつて泥にまみれ、岩を砕き、この荒野を黄金の田へと変えた者たちの誇り。その意志が、石の奥から染み出してくる。


 こちらをまっすぐに見据えるその姿に、目が離せない。ただの石像ではない、意志のようなものがその奥から伝わってきた。


 全身が沸き立つような感覚。

 気がつくと、スマートフォンを構えていた。


 シャッターを押す寸前、自分でも驚くような言葉が口をついて出る。


「神威を、見せて」


 なぜそんなことを口にしたのか、自分でも分からない。けれど、そう言わずにはいられなかった。


──カシャッ。  





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※本作は、Amazonにて出版中の拙著の考察本『二柱天照──『高良玉垂宮神秘書』から紡がれる神功皇后と卑弥呼』をベースにした歴史ミステリー小説です。

カクヨム・アルファポリスにも同じものを投稿してます。


参考資料

*日吉神社の由緒書き

*日吉大社のHP,https://hiyoshitaisha.jp/(参照,2026,3,26)


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