月明りの下で 2
シャルナが心配そうにセイエイを覗き込む。
「どうしてこんな・・・」
言いながら、手に宿した癒しの力をセイエイに向けようとする。
セイエイは、その手を押しとどめた。
「シャルナ・・・」
そうするために、ここまでお膳立てしたというのに、言葉がのどに詰まり出てこない。
シャルナの青い目・・・陽光の下では澄んだ水色で輝いて見える瞳は、月明りの夜の闇の中、今は深い水底を思わせる藍色に染まり、星のような輝きが浮かんでいる。
この光を失わせないためにはこの方法しかないと、結論にいたったはずだ。何度考えても、これしかないと・・・・。ためらったところで結論は変わらず、逡巡するだけの時間も残されていない。セイエイはぐっと唇をかみしめ感情を殺して、告げた。
「お別れだ、シャルナ」
シャルナは何を言われたのか分からなかったようで、ただ、瞬きした。
「・・・・さようなら、だよ、シャルナ」
セイエイは優しく言いなおす。自分は今、歪んだ笑みを浮かべていることだろう。
「我、誠影は、今ここで、シャルナリュージュとの縁を断ち切ることを望む。約定に従い、疾く成し遂げよ」
宣言すれば、約定の光が走り、あっけないほど簡単に、絆が断ち切られた。
セイエイが感じたように、シャルナにもそれはわかったのだろう、大きく目を見開き、シャルナが叫ぶ。
「**!! イヤ・・・イヤよ!」
既に絆が切れたために、彼女の呼びかけは、最早セイエイには届かない。セイエイは、悲痛に彩られた彼女の顔を見つめる。
「きみが健やかであることを祈るよ。きみに幸いがあるよう祈るよ・・・・」
名を呼ぼうとして、その名がわからないことを気づかされる。その喪失感に、空虚になった心に動揺する自分を嗤う。
「約定に従い、私の、大切な・・・ものは、すべて・・・きみのものだ。なにも、かも・・・」
セイエイは喘いだ。
彼女の真名はもちろん、これまでの思い出もすべて失われていく。
大粒の涙をこぼしている彼女から目をそらせない。この記憶もまた失われることがわかっているけれど、最後まで見ていたくて、目をそらせない。
彼女につながる理由であり因子であり術でもある、水への適性もまた失われる。セイエイの根源にも係わるそれが奪われていくことは、魂の一部を剥ぎ取られるようなものだ。それゆえに生身を削るような、四肢を引きちぎられるような苦痛がセイエイを襲った。だが、それよりも彼女の記憶を失うことの方が、セイエイを苦しめた。
セイエイの根源が損なわれつつあることに気づき、彼女が癒しの手を伸ばす。しかし、呼びかける声が届かないのと同じで、セイエイに触れることもできず、弾かれた。そのことにまた顔を歪める彼女を、セイエイは見つめ続ける。
これはすべて、セイエイのわがままで、自己満足にすぎない。欺かれ、絆を断ち切られ、裏切られたのは彼女なのに、それでもなおセイエイを気遣おうとする彼女を、・・・想う。そして、そう感じた側からその感情が、記憶が失われる。
彼女への想い、彼女との記憶はかけがえのない大切なものであるがゆえに、それは、彼女のものだ。
さらに、時の方とともに垣間見た未来のことも、その先で邂逅した時と空間を司るものとのことも、そこで与えられた知識も、・・・・人の身にはおさまりきらないそれらも、彼女へ譲られる。
彼女へと繋がりうるすべては、繋がる可能性があるというだけで、セイエイにとっては大切なものであり、セイエイの中から失われる。
身体中がひどく痛み、セイエイは地面に倒れ伏した。
目の前に美しい女性がいて、悲痛な顔で何か言っているが、声が聞こえない・・・・そんな幻を見た。
ここには、誰もいないし、何も聞こえない。
その証拠に、その女性がどんな顔でどんな声だったのか、わからない。
セイエイは、贄になるために生まれ、贄になるためだけに生きてきた。
それが当たり前で、それ以外の生き方など知らない。
なのに、胸の内にぽっかりと空虚な穴がある。そのことに今、初めて気づく。
私は贄。それが、私の義務であり、使命であり、存在意義だ。私はただそれだけのモノのはずなのに。
ここで、何か、とても大切なことをしていたような気がするが、思い出せない。
「・・・あ・り・・がとう」
何故か、今、言わなければいけない気がした。
その衝動のまま口にして、セイエイは意識を失った。
***
決して届かないことを悟ってしまっても、シャルナは手を伸ばさずにはいられない。
彼に別れを告げられたとき、信じられなくて、そして、次に絶望した。
でも、流れ込んでくる彼の感情が、記憶が、シャルナをどんなに大切に想っているかを伝えてくれた。
そして、彼が見て体験したことを、シャルナもまた知り、彼がどう考え何を決断したのかを追体験した。
あの未来でシャルナが恨みを抱いて消滅したと彼は考えたようだが、そんなことはありえない。彼を助けるためなら今ここで力を使い果たしてもいいと思えるのだから。
こうして一方的に絆を断ち切られ、共に在れないことの方が、ずっとつらく悲しい。
彼自身が感じていたように、これは彼のわがままで自己満足な行為だと思うけれど・・・・でもそれは、シャルナを失うことを彼自身が耐えられないから。彼がシャルナのことを大切に想うが故の行動であり、シャルナのためだけになされた行動なのだと・・・・理解は、した。
その瞬間、彼が「ありがとう」と呟き、シャルナはほろりと涙をこぼした。
彼はいつだって柔らかな目でシャルナを見て笑ってくれたのに。
その眼はもうこちらを見ない。
いつも浮かべていた笑みも、今はない。
彼の根源がひどく傷つき、護りも失って、無防備な危うさをむき出しにしているのが、現在のシャルナには視える。
それなのに、約定により、シャルナは彼を癒すことも、護ることもできない。
シャルナからは、彼に干渉することはできない。
重大な使命を果たす彼を護り、その力となるはずだった、水の精霊への高い親和力とそれを支える生命力は、今はシャルナのものだ。
加えて、時空を司るものに由来する力も得て、シャルナは少し前には想像もできなかったほどに強大な存在になった。そうでありながら、彼のためにできることは何もない。
いや、しておかなければならないことがあった。
がさり、と音を立てて、女がこの場に現れる。
「セイエイ?!」
シャルナにはもうできないこと、彼の名を呼んで彼の身体に触れることのできる女を見る。彼女もまたシャルナを見た。
「・・・なに、が・・・貴女は・・・?」
彼は彼女に対して、少しも責める気持ちは持っていなかった。だから、シャルナも彼女を責めない。ただ、彼女に告げるべきことを告げる。
「今日、彼について見聞きしたこと、そして私のことを他言することを禁じます、トオゥリィヤ」
驚愕に固まる女を、シャルナは冷静に見つめる。
時空を司るものに連なる、人にしては力ある女ではあるが、今のシャルナにとってはその行動を縛るのは容易い。
「・・・・いつか、彼が危機にあって助けを求めているときには、貴女がこの泉で私に助けを求めなさい。・・・・それはもう彼にはできないことだから、そうさせた貴女が代わりに為すべきだわ」
そういえば、彼女はぐっと唇をかんだ。
これで、ここでできることはもうない。
シャルナは彼女から視線を外すと、倒れている彼を見つめる。
彼から離れたくない。たとえ彼に触れられず、声も届けられず、彼に気づいてもらえないとしても。
でも、それは、彼の願いではない。
彼の願いを叶えることだけが、今のシャルナが、彼のためにできることだ。
シャルナは具現をといて、水源の奥へ、自らが生まれた場所へと回帰した。
急激に得た力はあまりに大きくて、シャルナはしばらくは眠りにつく必要があった。
微睡みに身を任せながら、シャルナは考える。
約定により、シャルナからは彼に干渉することはできない。
彼からシャルナへの関わりは禁じられていないが、彼は身を削ってまでもその可能性を無くした。
それでも、彼が今からその身を投じようとしている立場では、その意に反して強制される可能性があったから、シャルナはトゥリヤに強制力を使った。トゥリヤが口外さえしなければ、シャルナと彼の接点が人に知られることはない。
これで彼の望み通り、シャルナと彼の絆は断ち切られた。
・・・それでも。
シャルナはわずかな可能性に、希望を抱く。
彼が再来の王を護り、導き、目覚めを促すという使命を持っているように。
シャルナもまた、再来の王を護る存在であることを、力を得て悟った。
今はまだその時ではないけれど。
いつか、約束された再来の王が目覚めを迎える頃には、シャルナはその傍らに在る筈だ。
であれば、しばし眠りにつこう。
再会を夢見て・・・・。
一歩話進みました。
これでシャルナとはしばらく(後半まで)お別れです。




