月明りの下で 1
おまたせしましたー。
トゥリアは、月明りを頼りに森の中をゆっくりと歩く。
森に慣れていないと、月明りだけの夜の森は歩きづらいものだ。後ろに続くセイエイを振り返り、その歩みに危なげな様子がないことがわかって、トゥリアはほっと息をつく。
セイエイは「水のあるところ、できれば源泉」へ行きたいと言った。足取りが危ういなら近くの小川にしようと思っていたが、この様子なら問題ない。少し足を延ばすことに決めて、泉をめざした。
夜の生き物の立てる密やかな音の中に、水音が混じり、やがて、木々の枝が途切れて泉に出た。
今晩は月が明るい。
湧き出る泉が月明りの中で神秘的な姿を見せている。
ほう、とセイエイから感嘆の吐息がこぼれ、トゥリアは嬉しくなる。
「素敵なところでしょう」
お気に入りの場所を自慢するトゥリアに、セイエイは黙って頷いた。
「昼間も気持ちの良いところだけど、月夜はまた格別なのよ」
「・・・・トゥリア様、どうか私を一人にしてください」
うきうきと言葉を紡ぐトゥリアを、セイエイの硬い声がさえぎった。
「無礼だと承知しています。ですが、どうか。・・・私を一人にしてください」
地面に膝をつき、少しの間でもいいから、とセイエイは頭を下げる。
硬い表情でうつむくセイエイに、泉の側から離れないことを約束させると、トゥリアはセイエイの願いを聞き入れた。
***
セイエイは、トゥリアが十分に離れたのを見定めて、探査の術を周囲に放ち、ぐらりと身体が揺れるのを耐える。そして、トゥリアの眼や耳となる獣たちもいないことを確かめてから、泉の側に近寄った。
月明りに照らされた泉は、生命力に満ち、申し分ない場所だった。
これから為そうとしている事を決してみられてはいけない。小一時間ほどしたら戻るから、と言われたが、早く戻る可能性もあると思えば、急がなければいけなかった。
目を閉じて必要な知識を取り出すと、小刀で傷をつけた手を泉の中に入れた。
生命力を研ぎ澄まし、言葉を紡ぐ。
「誠影の名の許に、請い願う。ここに姿を顕現すことを請い願う。真名の絆にかけて希う。・・シャルナリュージュ!・・・・・きみに逢いたい」
時空を司るものはセイエイに手を差し伸べ、セイエイの望みをかなえる手がかりと力を与えた。
あらゆる場所、あらゆる時に存在するということはあらゆる知識にも精通しているということだ。
一度バラバラになって時空をまたいだ直後だからだろう、セイエイは時空を司るものに似た形で知識につながっているようだった。予言のように未来の場面をわずかに垣間見るのではなく、セイエイの望みに応じたあらゆる知識が開示される。だが、開示される膨大な情報は只人の身には受け止めきれず、割れるように頭が痛み、わずかな知識を掴むのが精一杯だった。
手の傷から、セイエイの生命力を宿した血が、水の中に拡散する。
生命力にのせた声が、泉の源から水脈へ伸び、影の里の近くの滝へと、シャルナにつながることを希う。
流れた血のせいか、泉の水の冷たさのせいか、水の中の手が鈍く感覚を失い始めたころ、泉の中から人影が姿を現した。
「・・・・・セイ?」
蒼い髪から水を滴らせ、月明りの中で、シャルナが不思議そうに首を傾ける。
汚れなどどこにもない、艶やかなシャルナが、目の前に、居る。
いつもは弾けるような喜びにきらめく瞳は、今は不思議そうに瞬いてセイエイを見ている。
傷ついた光を宿し、おそらくセイエイを責める言葉を言いかけて力尽き、光の粒となって消えた・・・その光景は今も心を切り裂く。
そんな光景とは無縁の、艶やかで美しい姿が、今目の前にある奇跡に、セイエイの視界がにじむ。
「セイ?!・・・どうしたの?」
驚いた声をあげて、シャルナがセイエイの肩を掴む。
いま目を合わせて、荒れ狂う心の内を見透かされてしまうわけにはいかない。
シャルナのたおやかな肩に額を押し当てて、セイエイはこみ上げるものを飲み下した。
「・・・きみに、逢えたのが、嬉しくて」
辛うじて、それだけを言葉にしたセイエイに対して、シャルナはセイエイの背に手をまわして抱きついた。
「わたしもセイに会えて嬉しい! あなたに呼ばれた気がしたの。そうしたら・・・・・」
弾む声が不意に途切れた。
シャルナが身体を離して、セイエイを覗き込む。
「セイ?あなた少しおかしいわ。何かあったの?」
セイエイは小さく息を吐きながら、内心を押し隠す。精霊だけにわかる何かで、シャルナは異変を感じ取っている。それでも、悟らせるわけにはいかない。
「時の方に会って、いろいろあったんだ。・・・・それできみに、助けてほしい」
シャルナの輝く瞳は、いつものようにセイエイを見つめているだろう。
「とても、大変な、こと、なのだけれど。・・・・きみにしか、頼めない」
精霊であるシャルナは、直感に優れている。いつも、セイエイの心の内を驚くほど見通してしまう。偽りを言葉にすれば、必ず気づく。今、セイエイが痛いほどに苛まれている罪悪感も、感じているはずだ。
「・・・きみに、つらい思いを、させてしまう。ごめん・・・きっと、きみを苦しめる・・・」
膨大な情報に晒されたことや、身の丈を超えた術を行使したこと、身体を酷使し精神も追い詰められて、セイエイの身体がぐらりと傾ぐ。うつむき目を合わせようとしないままのセイエイを、シャルナが支えた。
「セイが困っているなら、私は助けるわ」
シャルナはやさしい。内容も聞かずに、そんなことを言う。
でも、それではだめなのだ。内容を聞けば、シャルナは頷かない。だから、セイエイは、シャルナのやさしさにつけこむ。
「・・真名にかけて・・・シャルナ」
彼女をだまそうとしていることに、手だけではなく、身体全体が、心まで冷えていく気がする。
けれど、それしか思いつかなかったのだ。
シャルナの星が輝くような瞳を、敢えてのぞき込み、懇願した。
「シャルナリュージュ。きみの真名にかけて、私の願いを叶えると約定してほしい」
そして、セイエイは生命力を込めて言霊を紡ぐ。
「誠影の名、我が真名にかけてここに約定する。私の願いを聞き届けてくれるならば、その代償に、私の大切なものはすべてきみのものだ。・・・・シャルナリュージュ」
シャルナの瞳が揺れた。真名をかけた約定は、その存在の根源に刻まれ、世界の理に匹敵する。その約定を違えることは世界の理を破るようなもの・・・存在自体が脅かされることを、本能的に悟っている。
「我が願いを叶えるか?シャルナリュージュ」
セイエイは、シャルナに決断を迫る。どんなに身勝手なことをしているか、セイエイ自身が最もわかっている。
星の輝く青い瞳が、セイエイをまっすぐに貫く。
「わたしの名はあなたがつけたもの、あなたはわたしのすべてだわ。たとえそれがわたしを苦しめることだとしても・・・・・、シャルナリュージュの名に懸けて、あなたの、誠影の願いを叶えましょう」
セイエイはこみ上げるものを飲み込む。
シャルナの意思を無視する罪悪感、これであの絶望を味わずにすむという安堵、さまざまな感情が入り混じった混沌としたものを飲み下す。
「・・・・約定を司るものよ、ここに約定は結ばれり」
生命力のこもった言霊で、宣言する。大いなる力が場に満ち、セイエイとシャルナを光が包み、それぞれの根源に約定が記された。
セイエイは両手を地について、肩で息をする。約定を司るもの、それは時空を司るものと同じ、世界を支える理の一柱で、その力を顕現させるのは容易なことではない。
「セイ! だいじょうぶ?」
セイエイは、荒い息をつきながら、シャルナを見上げた。
ありがとうございました。続きは明日の予定です。




