5. 朝焼けのクジラ ー朔夜と旭ー(前編)
それは十二月のはじめ、銀杏や紅葉が綺麗に色づいて、だんだん寒さが増してきていた頃だった。
俺は朔夜、もうすぐ十一歳になる山羊農家の息子だ。
俺たちが住む風雅の国、翡翠の街では、九月から〝学び舎〟という子ども達が勉強するところがはじまった。俺はそこで算術や剣術、薬草知識の勉強をはじめて、近所のやつらと楽しい日々が続いてた。
その日の朝、俺たちにいつも勉強を教えてくれている、僧医というこの国の医師・清涼さんが、いつもの静かな微笑みで皆に告げた。
「最近、私たちが住む翡翠の街に、かすかに青く光る白い猫が出没すると噂になっています。
その白い猫は、妖しく美しく光って街の人を門の外に誘い、魔物が出る北の森に誘うと言われています。白い猫には絶対についていかないように」
清涼さんの説明が終わってすぐに、まだ七歳の千紗が言った。
「すっごい綺麗なの! あたし、夕方、ついていこうとして門の外に出ちゃいそうになって、朔夜が助けてくれたの!」
「いっいや、俺は門から出るなよって言っただけで」
慌てて俺は片手を振ってたいしたことないと否定した。
すると幼なじみで鍛冶屋の息子・旭が前の席から俺を振り向いて笑う。
「なんだよ朔夜! 照れてんのかよ~」
「ちがうから!」
俺たちのやり取りに、集まってた二十人くらいの子ども達が皆、どっと笑った。
ガキ大将の旭がもう一度振り向いて、にやにや笑って俺に囁いた。
「白い猫なんて、俺ん家の刀でぶった切ってやるぜ?」
旭は力も強くて剣術稽古も結構うまい。自信持ってるんだよな。
「そうだな~もし猫が向かってきて一緒にいたら、旭にまかせるな!」
俺がにっこり笑うと、旭はまんざらでもなさそうに頷いて、そして算術の授業がはじまった。
その時はまだ俺たちは、単に軽口を言い合ってただけだったんだ。
◇
事が起こったのは、翌日の夕方だった。
その日も楽しく、午前中は剣術稽古、午後は歴史を習ったりして、旭は剣術をがんばりすぎたのかお昼からはうたた寝して清涼さんに怒られていた。
今日も楽しかったな~と思いながら家に帰った俺が、簡単な晩飯を父ちゃんと食べていた時。
コンコン、と玄関の扉を叩く音がして視線を向けた。そこには、旭の母ちゃんが立っていた。
「朔夜、旭を知らないかい? まだ帰ってこないんだ」
俺はびっくりしてすぐに答えた。
「いや、今日は別々に帰って、遊んだりはしなかったんだけど」
俺に続けて父ちゃんも言う。
「もう七時すぎだし、ちょっと遅いな」
なんだか妙に嫌な胸騒ぎがした。
白い猫についていこうとしたと言った千紗。俺がぶった切ってやると言った旭。
それってそれって?
「……俺、ちょっと探しに行ってくる!」
俺はかたんと立ち上がって、家の外に駆け出していた。
「もう夜になるから、あまり遠くまでは行くなよ!」
背中の方から響いた父ちゃんの声に、わかった! と返しながら。
◇
ちょっと前、千紗がふらふらと門の外に出そうになっていたのを止めたのは夕方だったんだよな。
今も、夕方から少し過ぎた時間帯。
この間の千紗が出て行こうとした門のことが妙に気になり、そこに向かって俺は走った。
俺の家は街の外れにあるから、学び舎がある〝神殿〟という建物までは結構遠い。千紗が出て行こうとした門はその先だった。俺は小一時間、走って走って……途中で、晩飯の後に遊んでいるのか、家の前で手毬遊びをしている千紗と、千紗のじいちゃんの柳さんに会って俺は聞いてみる。
「柳さん、こんばんは。千紗、旭がまだ家に帰ってないんだって。学び舎終わった後、見なかったか?」
すると千紗は首をかしげて。
「今日は、夕方、朔夜がこの前あたしに話しかけた門の近くで、けんけんぱ、して旭と遊んでたんだ。それで、門から出たらだめだよっていって、あたしは先に帰ったの」
旭はかなり負けず嫌いな性格だ。更に怪しいと思いながら、俺はわかったと頷いて、神殿の方に向かってまた駆け出した。
そして俺は息を切らして、神殿のちょっと手前にある翡翠宮という街の御殿の手前で立ち止まり、膝に手を当てて息を整えていたとき。
「どうした? 朔夜。えらく慌ててねえか?」
ちょっとかすれた、のんびりとした声が聞こえた。
翡翠宮の手前の曲がり角、俺はほんの少しほっとした気持ちで顔を上げる。
そこには、白地に灰色の線が入った小綺麗な着物姿で、この国の薬師・龍樹がすっきりと立っていたんだ。
龍樹は、薬師という立場を活かして、学び舎で時々俺たちに、薬草の授業をしてくれていた。俺と龍樹はひょんなことで知り合って、十三歳も年が違うのに友達だと言い合って、会う度に仲良くなっている感じがしていた。
俺は助けを求めるみたいに、龍樹に事の次第を伝えてた。
「なんか、鍛冶屋の息子の旭が、まだ帰って来てないって話で。探しにきたんだ。途中で千紗に会って、門の近くで夕方、旭と遊んだって。もしかして外に出てたらって思って、俺、気になって」
俺の途切れ途切れの話でおおまかなところを察したらしい龍樹、なるほど、と頷いた。
「門はもう五時頃に閉まってるよな……神殿に行って清涼に伝えて、軍の方に行って開けてもらうしかねえか」
俺たちはふたりで、まずは神殿に向かって駆け出した。
◇
清涼さんに伝えた後、一緒に軍の官舎に行って、黎彩っていかつい男が門を開けてくれることになった。
「いや~黎彩、助かるわ! 今度、礼にうまいもん食わせてやっから」
軽い調子で龍樹が言って、黎彩はわかったと頷いている。
戻ってきたら黎彩がまた開けてくれると言って、俺たちは門の外に出た。
「なんとなく、白い猫をぶった切るとか言ってたから、それも気になってるんだ」
俺の声に、清涼さんと龍樹はうんうんと頷いた。
「北の森に誘うという話が本当なら、まずは一キロほど先の雑木林に向かうのが最短の道のりですね。子どもの足ですから、それ以上先に行ってるとは考えづらいですが」
「だな」
大人二人の間で話がついて、俺たちは小走りで雑木林に向かう。そこにいなければ一度神殿に戻って馬を出そうという話になっていた。
そうして俺たちが、湖に沿って少し進んだ先の、雑木林の入り口が見えてきたその時。
よろよろと歩いて出てきた影が見えて、それはまだ小柄な少年のものだった。
Caita ショタ部の部誌に寄稿した、身代わり姫と複雑王子 ー風雅の国ーの朔夜視点の物語です。




