6. 朝焼けのクジラ ー朔夜と旭ー(後編)
「旭!!」
「あ、……さくや……」
俺に気付いて名前を呼んで、そして駆け寄った俺に旭が倒れ込んできた。
同時に清涼さんと龍樹も旭を囲むように走って来て、その背中を見た瞬間、俺たちは言葉を失った。
いつも旭が着ている、亜麻色という淡い茶色の着物の背中が、真っ赤に染まっていたんだ。
「旭、なにがっ、何があったんだよ!」
半泣きの俺の声に、途切れ途切れに旭が答える。
「……綺麗な猫……おいかけてたら、雑木林……入って、……かぜ、おおかみ……いて。逃げたけど、まにあわな……」
風狼というのは悪名高い呪いの獣だ。雨の日や、薄暗い雑木林なんかにいることが多い。そいつにやられた。猫に雑木林の中に誘い込まれて?
「猫についていくなって言われたばっかりじゃねえか!」
思わず怒鳴った俺に、苦しい息の下で旭が呟く。
「きれい、だったんだ……」
「綺麗だからって」言いかけた俺の口を龍樹が軽く抑えた。
「朔夜、怪我人だからその話はあとでな。
風狼は、急に飛び出してこないか俺が警戒しとく。清涼、止血できるか?」
龍樹の落ち着いた声に、清涼さんが頷いた。
「できます。血止めの薬草を使って止血して、ひとまず包帯を巻きます。そのまま抱いて連れ帰ります」
緊迫した清涼さんの声。
「そうだな。ここからなら神殿が一番近い。縫合器具も薬草の在庫もある場所で縫い合わせた方がいいな」
龍樹も頷く。
「えっ、あの、俺、どうしたら」
動揺する俺に清涼さんが静かに言った。
「朔夜は申し訳ないですが、旭の家まで行って親御さんに状況を伝えてください。そして……縫合した後、どのような状態か伝えますから、どなたか一人、神殿まで連れて来てください」
「わかった! 旭のこと、頼みます!」
清涼さんの話を聞くなり、俺は先に街の方に向かって駆け出していた。
◇
黎彩は俺だけ先に戻ってきたのに門をちゃんと開けてくれて、旭の親父さんを連れて俺が神殿に着いた時、時間は夜中というより朝に近くて、四時をまわっていた。
「呼吸が楽になってきましたね……二週間ほど安静にしていたら少しずつ治っていくでしょう」
清涼さんが静かに言った。龍樹もほっと息をついて。
「さすがだ、清涼……以前、戦の手当てを一緒にしたときも思ってたが、おまえの医術の腕はとんでもねえな」
龍樹の声に、清涼さんは軽く微笑む。
「龍樹の的確な薬草指示があったからですよ」
「よっく言うぜ」
「ま、お互いの才能がぶつかった結果ということで」
二人で顔を見合わせてにこにこ笑ってる。息がぴったりだ。そして当の旭は、苦しそうだった息遣いも収まって、すやすや眠っていると言っていいほど安らかな寝息が聞こえてきていた。助かったんだ。
よかった……。
「……俺、帰るな」
時間はもう明け方だった。父ちゃん心配してるだろうな。どやされっかな。
一言だけ告げて帰ろうとした俺の首根っこを急につかんで、俺は龍樹の方に引き寄せられた。
一瞬、着物の襟が首の根元に来てぐえっとなって、俺は龍樹を睨む。
実は旭が助かったと思った瞬間から半泣きだった俺は、やっとのことで言った。
「急になに! くるしいだろ!」
そしたら、すごくやさしい……いつも龍樹は優しいんだけど、なんか、最近生まれた龍樹の息子で、赤ちゃんの玲を見てる時みたいな……そんな目をした龍樹が、ちょっと笑って俺に言ったんだ。
「あのな、朔夜」
「……なに」
俺は一言くらいしかしゃべれないくらい、胸がいっぱいになっている。
だってよかった。
そんなことを考えちゃいけないってわかってるけど。
このまま旭と会えなくなるなんて、絶対ないと思ってたから。
そうしたら、龍樹は俺をぐいっと引き寄せて、俺の顔を龍樹の胸のあたりに埋めた。頭の上から、少しかすれた龍樹のやさしい声が響く。
「男は泣くもんじゃないって思ってるかもしれねえが、親友が助かって安心したときに、別に泣いたって誰も笑ったりしないんだぜ?」
言われる前から、俺の目からはぼろぼろと涙があふれてた。
めちゃくちゃ安心したんだ。
本当によかったって思ったときから泣きたかったんだ。
そしてひとしきり俺を泣かせた後、龍樹は「送って行って親父さんに説明してやるよ」と先に立って歩き出したんだ。
◇
神殿から、この国の御殿・翡翠宮の方に行く途中に綺麗な湖が見える。龍樹が、湖の方を通った方がちょっと近道だからと言って、俺と龍樹は黙って明け方の湖畔の道を歩いた。
ふと空を見上げた龍樹が、いたずらを思い付いたみたいに笑って言った。
「朔夜、あれ、あの雲、見てみろよ」
山の端が朝日できらきらと縁取られて、ふと見上げたら群青色の空に、雲がまるででかい魚みたいに浮かんでいた。
「でかい魚みてえだな……」
その尾ひれのあたりはのぼってきた朝日に照らされて桃色に染まり、身体はまだ深い夜の青、周りは朝日に照らされて淡い金色で縁取られている。俺がなんだか感動して見上げていると、龍樹は頷いて。
「クジラみてえだよな」
その聞き慣れない単語に俺は首をかしげる。
「クジラってなに?」
俺の声に、龍樹は驚いたように俺を見つめて、やさしく笑って俺の頭を撫でた。
「この辺りには海がねえからなあ。クジラっていうのは、俺が知る限り、この世でいちばんでかい魚みてえな動物だ」
俺は龍樹と一緒にそのクジラという生き物に似た雲を見上げて、へえ、と頷く。
「海か。遠くに青海って街があって、父ちゃんは行ったことあるらしい。魚うまいんだって」
「あーそうなんだ。行ってみてえな~」
のんびりした龍樹の声に、俺は自然に笑っている。
「じゃあ、いつか一緒に行こうぜ!」
俺の誘いとも言える台詞に、龍樹も笑った。
「ああ、そうだな。いつか行こう。約束だな」
「うん、約束!」
帰ってから、なぜか連れてきて説明してくれた龍樹も一緒に、心配してた父ちゃんにしこたま叱られたけど、別によかった。
旭は助かった。
俺はまだ、海もクジラも見たことがない。
いつか龍樹と一緒に海を見に行く。
そのみっつのことが、俺の心の中でぴかっと光って、先行きを照らしてるように感じてたんだ。
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この物語はCaita ショタ部の部誌に寄稿した、身代わり姫と複雑王子 ー風雅の国ーの番外編となります。




