第12話「偶然って、何回続けば必然になるんだ?」
第12話「偶然って、何回続けば必然になるんだ?」
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木曜日 8:00
赤坂レジデンス――地下3階(港区)
蓮は、新しい車の前に立っていた。
MANSORYによるケーニグセグ・ジェスコ。
黒い。
低い。
幅が広い。
攻撃的だ。
地下駐車場のネオンライトを受けたボディは、不思議な光を反射している。
時には漆黒に見え、時には紫がかった色が浮かぶ。
そして時折、光を受けたオイルのように表面が妖しく輝いた。
蓮は、その車を数秒間見つめた。
顔に過剰な感動はない。
ただ、単純な判断だけがあった。
今日はヤマト物流の本社へ行かなければならない。
ナカジマとの、会社の債務再編についての打ち合わせがある。
蓮は隣に停めてある車へ目を向けた。
MANSORY P9LM EVO 900。
ここ数日、ずっと使っている車だ。
すでに運転の感覚も掴んでいる。
蓮は再びJeskoへ視線を戻した。
……
P9LMで行ける。
それが一番合理的だ。
もう慣れている。
扱いやすい。
そして何より――
目の前の車よりは、まだ注目を集めにくい。
しかし、この車はシステムから特別報酬として与えられたものだ。
それなのに今まで、蓮はまだまともに運転していない。
蓮は短く息を吐いた。
「……一度くらいは」
決断は単純だった。
蓮はキーを手に取った。
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8:15
赤坂レジデンス――地下3階
Jeskoのドアが開く。
蓮は乗り込み、運転席に腰を下ろした。
インテリアはP9LMとは大きく違っていた。
カーボンパネルがキャビンの大部分を占めている。
内部にはレザーとアルカンターラがふんだんに使われていた。
目の前にはデジタルダッシュボード。
そこにはさまざまな情報が表示されている。
出力。
トルク。
温度。
ターボ圧。
ドライビングモード。
いくつもの数字が画面上で絶えず変化している。
蓮はシートを見る。
そして、深く腰を下ろした。
……
硬い。
くつろぐために作られたシートではない。
蓮はダッシュボード中央へ視線を移した。
スタートボタン。
ドライビングモードのノブ。
タッチスクリーン。
一瞬、マニュアルを探す。
ない。
少なくとも、すぐには見つからなかった。
「……先にマニュアルを読んだほうがよかったな」
しかし時間は過ぎている。
行かなければならない。
蓮は手を伸ばした。
スタートボタンを押す。
エンジンが始動した。
VROOOOM――
低い音が地下駐車場いっぱいに響き渡る。
普通のエンジン音ではない。
深い。
重い。
荒々しい。
振動が運転席のシートからステアリングまで伝わってくる。
蓮はしばらく黙っていた。
両手はまだステアリングを握っている。
……
これは……やりすぎだろ。
ゆっくりとアクセルを踏む。
エンジンが瞬時に反応した。
蓮はすぐに踏み込みを弱める。
「……ゆっくりだ」
車が動き始めた。
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8:20
赤坂レジデンス → 赤坂通り → 六本木 → 新宿
蓮は慎重に運転していた。
非常に慎重に。
Jeskoは、普段使っている車よりはるかに反応が鋭い。
アクセルへのほんのわずかな入力が、すぐに反応として返ってくる。
ステアリングを少し動かしただけでも、車は即座に進行方向を変える。
ミスを許される余地があまりない。
蓮は低い速度を維持した。
慣れた赤坂の街を走る。
オフィスビル。
レストラン。
店舗。
歩行者。
急いで職場へ向かう人々。
そして――
一人、また一人と、視線が向けられ始める。
蓮は視界の端でそれを確認した。
しかし反応しない。
……
人を見るな。道に集中しろ。
六本木を抜ける。
そして、大きな交差点。
信号が青に変わった。
蓮はそのまま進む。
隣にはToyota Crownが停まっていた。
運転しているのは中年の男性だった。
男がこちらを見る。
その目が一瞬、大きく見開かれた。
視線が車から運転席へ移る。
蓮には、その男が自分を見ていることが分かった。
だが、反応しないことを選んだ。
信号が青になる。
蓮はそのまま走り去った。
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8:45
新宿へ向かう道路――新宿駅付近
新宿はさらに混雑していた。
車の流れは多い。
歩道には人が溢れている。
時折、クラクションが聞こえる。
道路の両側には店舗の看板と高層ビルが並んでいた。
蓮は速度を落とした。
Jeskoは、こういう場所にはますます似合わない。
幅が広すぎる。
低すぎる。
目立ちすぎる。
蓮はヤマト物流のビルを思い出す。
地下駐車場がある。
問題は一つだけ。
この車が入るスペースはあるのか?
蓮は息を引いた。
「……入るといいけどな」
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9:00
ヤマト物流――地下駐車場
Jeskoが地下へ入っていく。
通路はそれほど広くない。
天井も比較的低い。
両側には社員の車が並んでいる。
Toyota。
Honda。
Nissan。
どれも普通の車だ。
そこへJeskoが入ってくる。
あまりにも対照的だった。
蓮は速度を落とす。
極端なほどゆっくりと。
ステアリングを握る手は安定している。
……
少しでも間違えたら終わりだ。
一つ目の区画を通り過ぎる。
空いている。
次の区画。
そこも空いている。
そして、地下駐車場の隅に一つのスペースを見つけた。
他の区画より広い。
おそらく大型車用として使われているのだろう。
蓮はそこへ車を入れる。
少し前へ。
ステアリングを切る。
戻す。
まっすぐにする。
停止。
ぴったりだった。
蓮はエンジンを切った。
地下駐車場が再び静寂に包まれる。
蓮は数秒、そのまま座っていた。
左を見る。
右を見る。
前を見る。
後ろを見る。
何もない。
「……助かった」
傷はない。
蓮はドアを開ける。
外へ出る。
車をロックする。
そしてエレベーターへ向かって歩き出した。
もう振り返らない。
背後では、Jeskoが普通の車たちの間で静かに佇んでいる。
まるで別の世界から迷い込んできた物体が、間違えてここに駐車してしまったかのようだった。
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9:15
ヤマト物流――3階・会議室
蓮が入った時には、すでに部屋は埋まっていた。
テーブルの端には中島浩が座っている。
その反対側には数人のマネージャーたち。
蓮が入ってくると、全員が立ち上がった。
「黒瀬様」
中島が頭を下げる。
「お越しいただき、ありがとうございます」
蓮は小さく頷いた。
「座ってください」
全員が再び席に着く。
蓮はリュックを椅子の横に置いた。
高価なノートパソコンも、特別なオフィス用品も持っていない。
ただのシンプルなリュックだけだ。
蓮はノートを開く。
「進捗は?」
中島がノートパソコンを開いた。
「債務再編は予定通り進んでおります。主要銀行から返済期間の延長について、すでに承認を得ています」
中島は画面を少し回した。
「返済期間は5年から10年へ変更されました」
蓮は数字を見る。
「金利は?」
「2.3%から1.8%です」
中島は一度言葉を切った。
「年間の削減額は、およそ2,400万円を見込んでおります」
蓮は頷いた。
「いいな」
中島は続ける。
「それと、新規契約もいくつか獲得しております」
「どこから?」
「一つは食品流通会社です。もう一つは新宿のホテルになります」
蓮が顔を上げる。
「ホテル?」
「はい。食材の配送業務を必要としておりまして。当社から競争力のある価格を提示しました」
蓮は短く一文を書き留めた。
……
動き始めたってことか。
予想していたより早い。
会議は続いた。
蓮はあまり話さない。
各部署からの報告を聞き、重要な数字を確認し、必要な時だけ質問する。
演説はない。
大きな約束もない。
必要な決定だけを下す。
およそ一時間後、会議は終了した。
マネージャーたちが書類を片付け始める。
しかし中島は席に残っていた。
「黒瀬様」
蓮が振り向く。
「もう一つ、ございます」
「何だ?」
「交通当局の調査担当者が来ています」
蓮は黙った。
「名前は、高峰静香さんです」
蓮の目がわずかに変わる。
……
高峰静香。
昨日会った女性。
中島が続ける。
「コンプライアンス監査を行っております。黒瀬様と直接お話ししたいことがあるそうです」
「どこにいる?」
「2階の応接室です。朝からお待ちになっています」
蓮はノートを閉じた。
「会う」
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10:30
ヤマト物流――2階・応接室
応接室はシンプルだった。
革張りのソファ。
ローテーブル。
何冊かの古い雑誌。
道路を見下ろす大きな窓。
静香はそのソファの一つに座っていた。
グレーのスーツ。
黒いスカート。
白いシャツ。
赤みをわずかに帯びたダークブラウンの髪は、後ろで整然とまとめられている。
膝の上には一つのファイル。
隣には仕事用のバッグ。
彼女は真剣な表情で書類を読んでいた。
無駄な動きはない。
気を散らすものもない。
ドアが開く。
静香が顔を上げる。
蓮が入ってきた。
静香はすぐに立ち上がる。
「黒瀬様」
頭を下げる。
「お時間をいただき、ありがとうございます」
蓮はソファを指した。
「座ってください」
静香は頷いた。
二人は向かい合って座る。
静香がファイルを開いた。
「こちらが初期監査の結果です」
数枚の書類がテーブルの上に置かれる。
「いくつか事務上の不整合があります。重大な違反ではありません。ただ、未完了の書類と、規定通りに実施されていない手続きがいくつかあります」
蓮は一枚目を取る。
目が素早く動く。
二枚目。
三枚目。
四枚目。
……
直せる。
会社の運営を脅かすような問題は見当たらない。
蓮は顔を上げる。
「何をすればいい?」
静香が書類を指す。
「まず、四半期コンプライアンス報告書を更新する必要があります」
指が移動する。
「二つ目。いくつかの事業許可を更新する必要があります」
そして別の箇所を指す。
「三つ目。所有構造の変更に関する書類に、不足しているものがあります」
蓮はメモを取る。
静香は一つずつ説明していく。
日付。
書類。
手続き。
関係機関。
期限。
蓮は、確認する必要がある時以外、口を挟まない。
すべての説明が終わると、静香は一度ファイルを閉じた。
「何かご質問はありますか?」
蓮は彼女を見る。
「高峰さん」
「はい?」
「どうして、そんなに真面目なんだ?」
静香が瞬きをする。
「……え?」
蓮はテーブルの上のファイルを指した。
「この監査」
一度、言葉を止める。
「普通なら、こういうのは形式的なものだと思う人も多い」
視線は変わらない。
「でも、高峰さんは細かいところまで確認してる」
静香は黙った。
そして、静かな声で答えた。
「仕事だからです」
「でも、どうして?」
その質問に、静香は少しだけ長く黙った。
やがて蓮をまっすぐ見つめる。
「ルールには、それが作られた理由があります」
声は相変わらず穏やかだった。
「みんなが小さなルールを無視し始めれば、そのうち大きなルールまで重要ではないと思われるようになります」
彼女はファイルの上で、ゆっくりと手を握る。
「それが続けば、いずれ仕組みそのものが崩れます」
蓮は静香を見る。
……
本当に、ルールを信じてるんだな。
金でもない。
地位でもない。
権力でもない。
ルール。
蓮は小さく頷いた。
「筋は通ってる」
静香が少し驚いたような顔をする。
「……笑わないんですか?」
「どうして?」
「だって……」
彼女は少し俯いた。
「よく、私は堅すぎると言われます」
蓮は黙っている。
「真面目すぎる、とも」
静香が再び顔を上げる。
「それに、形式ばりすぎている、とも言われます」
蓮は数秒間、彼女を見る。
「問題があるとは思わない」
静香が黙る。
「むしろ、自分の仕事を大切にしている人は、俺は評価する」
静香の目がわずかに見開かれた。
ほんの一瞬だけ。
それまで保っていた職業人としての厳格な表情が崩れた。
「……ありがとうございます」
蓮は再び書類を手に取る。
「じゃあ、終わらせよう」
静香は頷いた。
「はい」
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12:00
ヤマト物流――2階・応接室
時間は早く過ぎていった。
二人は一時間半をかけて書類を処理した。
静香が一つ一つ説明する。
蓮が確認する。
分からないところがあれば、質問する。
変更が必要な部分があれば、メモする。
余計な会話はない。
やがて静香がファイルを閉じた。
「完了です」
書類を整える。
「最終版は明日お送りします」
蓮はスマートフォンをポケットへしまった。
「黒瀬ホールディングスの管理部にも送ってくれ」
「承知しました」
静香が立ち上がる。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございました、黒瀬様」
蓮も立ち上がる。
「駐車場まで送る」
静香は少し困惑した。
「あ……結構です」
「俺も行くから」
それだけの、単純な理由だった。
静香はもう反論しなかった。
「……分かりました」
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12:15
ヤマト物流――地下駐車場
二人は地下駐車場の通路を歩いていた。
静香は青いToyota Priusの前で足を止めた。
普通の車。
目立たない。
数メートル後ろに停まっている車とは、あまりにも違う。
静香が蓮を見る。
「ありがとうございます」
蓮は頷いた。
「どういたしまして」
静香がドアを開ける。
しかし乗り込む直前、彼女は足を止めた。
「黒瀬様」
「ん?」
「先ほど……」
ドアノブを握ったまま、静香が続ける。
「私が仕事を大切にしているから評価すると、おっしゃいましたよね」
蓮は待った。
「そういうことを言われるのは……珍しいんです」
蓮は彼女を見る。
「周りの人が間違ってるんじゃないか」
静香がわずかに眉を寄せる。
「間違ってる?」
「高峰さんが真面目すぎるって見てる」
蓮は少し間を置いた。
「本当に気にかけてる人に、慣れてないだけかもしれない」
静香は黙った。
その目が、ほんの少し潤んだように見えた。
彼女はすぐに顔を逸らす。
「……ありがとうございます」
今度の声は、少し小さかった。
静香は車に乗り込む。
ドアが閉まる。
Priusのエンジンがかかる。
静香は小さく頭を下げてから、ゆっくりとその場を離れていった。
蓮は車が地下駐車場の曲がり角へ消えるまで立っていた。
……
高峰静香。
真面目。
几帳面。
そして――
蓮は一瞬、考える。
……
一人でいることに、慣れすぎてるのかもしれない。
蓮は視線を逸らした。
そしてJeskoへ向かって歩き出した。
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12:30
ヤマト物流――地下駐車場
蓮はJeskoの前に立っていた。
車を見る。
そして出口の方向を見る。
……
帰るか、大学か。
まだ授業がある。
蓮は運転席のドアを開ける。
乗り込む。
しかしエンジンをかける前に、車のフロント部分を見る。
……
大きすぎる。
街中なら、まだいい。
だが大学は?
無理だ。
こんな車では注目を集めすぎる。
蓮は息を吐いた。
「P9LMでいいな」
Jeskoは、何か特別な場面で使えばいい。
少なくとも、そのほうが現実的だ。
蓮はスタートボタンを押す。
VROOOOM――
再び地下駐車場にエンジン音が響き渡る。
蓮はゆっくりと車を出した。
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13:00
ヤマト物流 → 赤坂方面
蓮は自宅へ向かっていた。
頭の中には、先ほどの会話が残っている。
高峰静香。
彼女は美雪とは違う。
美雪は脅威を探すために人を見る。
静香は間違いを探すために物事を見る。
世界を見る方法が違う。
蓮は、仕事を評価すると伝えた時の静香の顔を思い出す。
ほんの一瞬だけだった。
だが、蓮は見ていた。
……
やっぱり、違うな。
蓮は前方の信号を見る。
そして、もう一つのことを思い出す。
蓮は息を吐いた。
「……考えすぎるな」
信号が青に変わる。
車が再び走り出した。
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14:00
赤坂レジデンス――1203号室
蓮は部屋へ戻った。
鍵をテーブルに置く。
新しいソファに腰を下ろす。
数時間前までは、自分の生活には豪華すぎると感じていたソファだ。
蓮はスマートフォンを取り出す。
システムから、一つの通知が届いた。
《無欲行動を確認》
《豪華車両を使用したが、虚栄を示さなかった》
利用者は高級車を使用したが、傲慢な態度を示さなかった。
《他者の行政・業務上の問題を解決した》
利用者は私的な利益を求めることなく、他者の事務上の問題を解決した。
《資産を他者に誇示しなかった》
利用者は他者に対して自身の資産を誇示しなかった。
そして、結果が表示された。
《無欲ボーナス:×55》
《報酬:10億円》
《実績解除》
【問題解決者Ⅱ】
蓮は画面を見つめる。
……
また10億か。
スマートフォンを置く。
天井を見上げる。
過剰な喜びはない。
驚きもない。
どういうわけか、これほど大きな金額が数日おきに現れることにも、少しずつ慣れてきていた。
蓮はソファに身体を預ける。
……
静香。
そして、もう一つの名前が頭に浮かぶ。
美雪。
二人の女性。
二つの世界。
そして二人とも、蓮が一度も計画していなかった形で、少しずつ彼の生活に入り始めていた。
蓮は立ち上がる。
キッチンへ向かう。
緑茶を淹れる。
そしてソファへ戻った。
スマートフォンが震えた。
新しいメッセージが一件。
送信者:高橋健司
«黒瀬様
黒瀬ホールディングスとの提携を希望している投資会社がございますので、ご報告いたします。
そちらは、現在保有されている企業ポートフォリオに関心を示しております。
会社名:Saionji Capital Partners
来週、ビジネスディナーへのご招待をいただいております。»
蓮はメッセージをもう一度読む。
……
Saionji Capital Partners。
投資会社。
スマートフォンを置く。
窓の外を見る。
……
ビジネスディナー。
またか。
蓮はお茶を一口飲む。
「……この世界、本当に俺を静かに暮らさせる気がないな」
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18:00
赤坂レジデンス――1203号室
東京の空が暗くなり始めていた。
ビルの明かりが一つ、また一つと灯っていく。
下の道路では車の流れが続いている。
蓮はソファに座っていた。
手にはスマートフォン。
システムアプリを開く。
《現在の総資産:164億円》
《物質欲求:2%》
《無欲倍率:×55》
蓮はその数字を見つめる。
……
164億円。
数ヶ月前までの生活は、ずっと質素だった。
今は?
二つの会社。
数百人の従業員。
かつて自分が所有するなど想像すらしなかった車が何台もある。
そして、増え続ける資産。
それでも蓮はソファに座っている。
画面を消す。
スマートフォンを置く。
……
美雪。
静香。
そして今度は――
西園寺。
蓮は東京の夜空を見つめる。
……
この世界は、ずっと動き続けている。
蓮は立ち上がる。
寝室へ向かう。
そして新しいベッドに横になる。
布団を引き上げる。
マットレスは快適だった。
蓮はしばらく天井を見つめる。
「……悪くないな」
ゆっくりと目を閉じる。
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夜が更けていく。
東京の別の場所では――
高峰静香はまだ机の前に座っていた。
デスクライトがヤマト物流の監査書類を照らしている。
彼女はその報告書をもう一度読み返す。
会社の所有者の名前が、はっきりと印字されている。
黒瀬蓮。
21歳。
大学生。
会社の所有者。
静香はペンの先で机を軽く叩いた。
……
おかしな点が多すぎる。
しかし調べれば調べるほど――
見つかる違反は少なくなっていく。
明らかな書類操作はない。
重大な手続き違反もない。
処分を下す理由もない。
あるのは、奇妙な出来事の連続だけだった。
静香は昼間の面会を思い出す。
蓮が、自分の仕事を評価すると言った時のことを。
静香は俯いた。
……
黒瀬様は、やはり普通ではない。
報告書を閉じる。
しかし、手はすぐには動かなかった。
数秒後、静香は息を吐く。
「……どうして、私はずっと考えているんでしょう」
すぐに首を横に振る。
「これは仕事とは関係ありません」
それでも、頭の中には再び蓮の顔が浮かんでいた。
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別の場所では――
如月美雪が仕事部屋に座っていた。
ノートパソコンは開いたまま。
画面にはSaionji Capital Partnersのデータが表示されている。
美雪は、その会社と複数の大手企業グループとの関係を調べていた。
そして、視線が止まる。
Saionji。
巨大財閥の一族。
美雪は椅子に身体を預ける。
……
黒瀬蓮に興味を持っている?
美雪は再び黒瀬ホールディングスのデータを見る。
続いてSaionji Capital Partners。
そこには、まだ明確とは言えないビジネス上の繋がりがあった。
何かを断定するには、まだ足りない。
しかし、警戒するには十分だった。
美雪は指で机を軽く叩く。
……
これは、ただの偶然じゃない。
ノートパソコンを閉じる。
立ち上がる。
「だったら……」
美雪はジャケットを手に取る。
「……何が起きているのか、確かめないと」
東京は動き続ける。
そして蓮が知らないところで――
二人の女性が、それぞれ違う方向から彼を見始めていた。
一人は、間違いを探している。
もう一人は、真実を探している。
その一方で、西園寺という名前が、たった今、彼の人生の輪の中へ入った。
そしてもしかすると――
次の偶然は、すでに彼を待っているのかもしれない。
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【次回予告・第13話――「俺は別に、助けたかっただけだ」】
「俺は別に、助けたかっただけだ」
蓮はSaionji Capital Partnersとのビジネスディナーに出席する。
しかし、その席は彼が想像していたものとは違っていた。
そこで彼は、まさか自分の目の前に現れるとは思ってもいなかった人物と出会う。
一方、蓮は日本のビジネス社会には、書類のどこにも記されていない「暗黙のルール」が存在することに気づき始める。
その頃、静香はなぜ蓮との面会が何度も頭に浮かぶのか、自分自身に問い始めていた。
そして美雪は、一つの関係を見つける。
それによって、ある疑問を無視することがますます難しくなっていく。
これまでの出来事のうち、本当にどこまでが偶然なのか?
【第13話へ続く……】




