第87話 内側から開く門
救出した生徒たちを連れて学院前の石橋へ踏み出した瞬間、地の底から、巨大な門が開く音が響いた。
帰還集結所を出てから、十分ほど。
夜の学院はもう目の前だった。
石橋の上には、僕たち六人と救出した十八名の生徒、六名の成人試験官、成人警備員と救護職員がいる。
足元を突き上げた振動に、冷えた生徒の一人がよろめいた。
成人試験官が即座にその肩を支える。
直後、学院の塔から低い警鐘が三度鳴った。
一拍置き、さらに二度。
「地下侵入警鐘だ!」
成人警備員の声が夜気を裂いた。
僕は学院正門を見る。
二本の封鎖梁は落ちたまま。門扉にも外壁にも、攻撃を受けた跡はない。
開いたのは表門じゃない。
地面の下にある、別の門だ。
「正門は開けない! 帰還者を二隊に分ける!」
救助班の成人責任者が物理経路板を広げた。
「東側救助組は東医療門へ! 北側救助組は北側業務門へ回れ! 学院内で合流を試みるな。まず救助対象を安全区画へ届けろ!」
僕とティアナ、セルフィナは、東側で救出した九名と三名の成人試験官に付く。
フィア、レグルス、メルナは北側の九名と三名の成人試験官へ戻った。
「先に中を確認する」
レグルスが北側の道へ目を向ける。
「ああ。生徒を優先しよう」
僕が答えると、フィアも短くうなずいた。
二隊は石橋の手前で左右へ分かれた。
道が違っても、今度の目的地は同じだ。
東医療門へ着くまでの数分にも、地面の下から石を引きずるような音が続いていた。
門では成人警備員が物理札、人数、学院印を一人ずつ確認している。
警備を省略する様子はない。
「東側帰還隊、学生十二名。成人試験官三名。成人救助職員七名!」
成人責任者が申告する。
僕たち三人を含めた人数と、物理札が一致したところで、小さな通用扉だけが開いた。
セルフィナの肩にいる健康な風精霊が、扉の内側を一度だけ回る。
「煙はありません。人の流れは上層方向へ集中しています」
「床にも大きな沈みはないよ」
ティアナも石床の状態を確かめる。
僕たちは成人警備員の後ろを進んだ。
東医療門から医療区画までは、短い石造りの通路で繋がっている。
けれど、その先は避難する生徒と職員で埋まりかけていた。
「走れる者は右、負傷者は中央だ! 立ち止まるな!」
バルト先生が物理経路板を掲げていた。
右の階段は上層の集会室へ。
中央の通路は医療区画へ。
左の回廊は下級生寮から来た避難者を西側階段へ流すために空けられている。
一つの道へ集中させず、三方向へ分散させていた。
「排水路で身体が冷えた者は、成人治療職員の前へ! 粉塵を吸った者は人数札を青へ替えろ!」
ユリウスが脇の記録台で物理人数札を照合している。
長剣には触れず、通過した者の名を一人ずつ消し込んでいた。
「東側救助組、到着しました!」
「九名全員いるな?」
「います!」
バルト先生の問いへ、同行した成人試験官が答えた。
「なら三名ずつ通せ。冷えた者から医療区画へ。歩ける者は上層だ」
僕たちは救助してきた生徒を三つの列へ分けた。
ティアナが足元の滑りやすい場所を知らせ、セルフィナが風精霊で通路の詰まりを確認する。
僕は人数札を受け取り、通過する順を成人試験官と照合した。
最後の一人が医療区画へ入る。
「東側九名、退避完了!」
「振り返るな。置いていく者はいない」
バルト先生は短く告げると、次に来た下級生の列へ向き直った。
その横を通る際、僕の封魔具と歩き方を一目で確認する。
「左腕は?」
「新しい反応はありません。封魔具も作動していません。右脚には少し痺れがあります」
「前線へ出る状態ではない。生徒の誘導が終わるまで、成人警備員から離れるな」
「はい、バルト先生」
「暴食も禁止だ」
「使いません」
地の底から、二度目の衝撃が届いた。
壁に掛けられた照明具が大きく揺れる。
同時に、地下側から物理伝令が駆け上がってきた。
「大型地下門、第一錠開放! 内部保守認証が受理されています!」
「使用者は?」
バルト先生が問う。
「複製された固定式認証と、生きた個人魔力を確認! 魔力照合は――ローデン評議官です!」
その名に、廊下の空気が固まった。
現在の上層監査認証は凍結されたままだ。
地上の門や封印区画の認証も、正常に動いている。
ローデン評議官は、それらを破ったわけじゃない。
中央の認証網から切り離された、古い門を使ったのだ。
「地下門は災害避難用の独立認証です!」
伝令が続ける。
「複製固定応答とローデン評議官本人の生きた魔力を、学院内部からの開放として受理しています!」
僕たちが地下で感じた上向きの風。
あれが門へ続く経路から流れていた可能性はある。
けれど、空気に混ざっていた古い魔力の正体まで、ローデン評議官のものと決まったわけではない。
「北側帰還隊が入ります!」
別の声が響いた。
北側業務門を通った生徒たちが、西側回廊から現れる。
先頭の成人警備員に続いて、粉塵を吸った生徒、成人試験官、メルナ、レグルス、フィアの順だ。
メルナは物理経路札を掲げ、生徒を西側階段へ導いている。
レグルスは最後尾から、誰も通路へ残っていないか確認していた。
フィアが僕に気づく。
だが、声を掛けるより先に、地下側から三度目の衝撃が突き上げた。
石床が斜めに揺れる。
右脚の痺れで踏ん張りが遅れた僕の腕を、フィアが掴んだ。
僕も無事な右手で、彼女の肩を支える。
近づいた灰色の瞳に、地下照明の光が揺れた。
「戻った」
フィアが小さく言う。
「僕も」
一呼吸だけ互いの無事を確かめ、すぐに離れた。
ティアナもセルフィナも、何も茶化さない。
レグルスは避難する生徒の列を見たまま告げる。
「北側九名、成人試験官三名。全員を安全区画へ送った」
「確認済みです」
ユリウスが人数札へ最後の印を付けた。
十八名の生徒と六名の成人試験官。
旧排水路と旧検査所から救出した全員が、ようやく学院へ戻った。
「第二防衛線へ移動する!」
学院警備員の命令が飛ぶ。
避難が完了した僕たちは、成人警備員に挟まれて中央避難階段へ向かった。
セルフィナとメルナは、バルト先生の指示で上層へ向かう生徒の誘導を続ける。
中央避難階段は、地下入口封印の後方へ続いている。
階段を下りた先に学院警備員の第二防衛線。
さらに下、左右の封印支柱が立つ位置に第一防衛線がある。
その約二十歩先が、短い外側回廊。
最奥には、学院外周の旧災害避難路へ繋がる大型地下門があった。
僕たちが第二防衛線へ着いたとき、地下門はまだ動いていた。
二枚の巨大な石扉が、床を削りながら左右へ開いていく。
門脇の物理記録板には、赤い文字が浮かんでいた。
――固定式応答、受理。
――生体魔力、ローデン評議官と一致。
――学院内部保守認証。
――災害避難開放、実行。
門の隙間に、ローデン評議官が立っていた。
片手には薄い物理認証板。
かつて複製したセレネ先生の固定式認証へ、自分自身の生きた魔力を流している。
「停止命令を受理しません!」
成人封印官が叫ぶ。
「独立機構です! 中央認証の凍結が届かない!」
「分かっています」
入口封印の前に立つセレネ先生が答えた。
左右には二名の成人封印官。
その後ろには盾を構えた学院警備員が並んでいる。
「この独立認証を残した改修記録には、私の署名があります」
セレネ先生の声は震えていなかった。
「中央認証が失われても、救助路を開けるようにするための判断でした」
ローデン評議官が複製することなど、当時のセレネ先生には知りようがなかった。
安全のために残した仕組みだ。
それでも、セレネ先生は視線を逸らさない。
「悪用された責任まで、過去の判断だったと言って捨てることはできません」
地下門が、最後まで開いた。
その向こうから、規則正しい足音が押し寄せる。
二十人を超える人影。
短剣と盾、長い封印破壊杭。
外套や防具には、七芒星へ冠を重ねた紋章が刻まれていた。
星冠教団の信徒たちだ。
「だから私は、ここを閉じます」
セレネ先生が両手を入口封印へ向ける。
「境を刻む古き環よ、内と外を分かち、侵す歩みを拒み、守るべき命の前に重なれ――第三階位・封印術《重環封鎖》」
左右の封印支柱から、淡い金色の線が走った。
一つ目の環が床から立ち上がる。
二つ目が天井から降りる。
三つ目が両者を噛み合わせ、透明な封印面となって外側回廊を塞いだ。
完成寸前、二人の信徒が隙間へ滑り込む。
一人目が短剣を振り上げた。
学院警備員の盾が刃を正面から受け、火花が散る。
別の学院警備員が横から腕を絡め、石床へ押さえ込んだ。
二人目は封印破壊杭を突き出す。
成人警備員が盾の縁で軌道を逸らし、後列の警備員が脚を払う。
杭が床を滑った。
二人とも、学生へ届く前に拘束された。
その向こうで、残る信徒たちが一斉に封印破壊杭を構える。
ローデン評議官は人影の奥へ半歩下がった。
「衝撃に備えろ!」
成人封印官の声。
杭が《重環封鎖》へ叩き込まれた。
轟音。
金色の封印面が弓なりに歪み、外側の環へ白い亀裂が走る。
セレネ先生の腕が震えた。
両側の成人封印官が支柱へ魔力を送り、崩れかけた線を繋ぎ直す。
「封印維持! 第一防衛線は後退するな!」
学院警備員が盾を重ねる。
地下門は開いている。
けれど、入口封印はまだ破られていない。
僕たちは成人警備員より前へ出ず、第二防衛線へ並んだ。
ティアナは階段と床の亀裂を確認する。
フィアは細剣の柄へ手を置くが、命令なしには抜かない。
レグルスは左右の退路と、第一防衛線までの距離を測っている。
僕も右脚の痺れを申告し、左腕と封魔具に変化がないことを成人監督者へ伝えた。
暴食は開いていない。
誰の魂も、魔力も吸収していない。
後方から、バルト先生の声が届く。
「最後の下級生、上層へ移動完了! 負傷者も全員いる!」
避難は間に合った。
セレネ先生は過去の判断から逃げず、成人封印官と入口を守っている。
学院警備員も、残留職員も、それぞれの持ち場にいる。
それでも、金色の封印には新しい衝撃が加わり続けていた。
僕たちが別々の道から学院へ戻ったその夜、敵は門を破って侵入したのではない――ローデン評議官が、学院の認証で内側から開いたのだ。
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