第82話 分かれる四人
東門を出て十五分、僕たちの荷車は、学院の姿がまだ見える最後の出発確認所で止まった。
石造りの小屋と、馬車二台が並べる程度の広場。
ここを越えれば、学院外周の警備路からも離れる。
僕とティアナ、セルフィナに加え、一定の距離から僕たちを評価する成人試験官、そして荷車を扱う成人職員が同行していた。
「人員五名。治療薬十二箱、封印資材八箱。物理封印に破損なし」
成人職員が荷台を一周し、車輪と縄を確認する。
その間に成人試験官は、僕たちから物理封印された指令書を一度回収した。登録番号と東方経路を照合し、すぐ僕たちへ返す。
「最終確認を行う。卒業試験用連絡板を起動するので、三名は基本隊列を申告しろ」
確認所の壁へ固定されていた銀縁の板が、ゆっくりと白く光った。
これは学院外周の各確認所を一度だけ繋ぐ、記録式の連絡板だ。
通常通信網には接続されず、任務経路も保存されない。出発確認が終われば成人試験官の手で閉じられ、以後は正式な緊急信号しか送れなくなる。
白い板の向こうに、三人の姿が浮かんだ。
フィア、レグルス、メルナ。
背後には学院北側の石壁と、そちらの成人試験官が見える。三人はすでに北側の最終確認所へ着いていた。
同じ学院を出ても、僕たちはもう別々の場所にいる。
『北側組、接続を確認した』
向こうの成人試験官が告げる。
『任務中の基本隊列を申告しろ。判断は三名で行え』
レグルスが腕を組み、フィアとメルナを順に見た。
『旧街道は両側に林が迫る場所が多い。僕が後方から風を広げれば、包囲と追跡の方向を早く拾える。退路の選定も引き受けよう』
『風を広げる前に合図をください』
メルナがすぐに言葉を返す。
『私の幻像は実体を持ちません。ですが、風で枝や草だけが不自然に動けば、相手に偽装だと見抜かれます。私は中央で視界を管理します。幻像を使う時機は、私が判断します』
『構わない。ならば範囲を広げる合図と、退路だけを絞る合図を分ける』
レグルスは反論せず、指で二種類の印を作った。
フィアは二人のやり取りを確認してから、短くうなずく。
『私は前。先行確認と、接敵した直後の近距離判断をする。でも視界の外までは出ない。危険を見つけたら速度を落として共有する』
『先頭のフィアが近い危険、僕が広い範囲と退路、メルナが幻像を使う時機を判断する。それでいいな』
『はい。ただし、誰か一人の判断へ残り二人が従う形にはしません』
『望むところだ』
レグルスの口元へ、挑むような笑みが浮かんだ。
僕は思わず、口を開きかけた。
林の旧街道なら、フィアとメルナの間隔を詰めすぎないほうがいい。レグルスの風が届く範囲も、地形によって変える必要がある。
そんな改善案が、いくつも浮かんだ。
けれど、どれも三人なら任務中に調整できることだった。
僕の助言を待たず、フィアは前へ出すぎないと決めた。レグルスは風の使い方をメルナに合わせ、メルナも自分の判断範囲を明確にした。
僕がいないから成立しない隊列ではない。
僕がいなくても、三人は考え、意見をぶつけ、必要な形を作れる。
それは寂しさではなく、僕たちが前へ進んだ証拠なのだと思った。
「北側組、基本隊列の申告を確認」
こちらの成人試験官が物理記録板へ印を付ける。
「東側組も申告しろ」
僕たちは顔を見合わせた。
「荷車の前方と足場は私が見る。道が狭くなったら、地面と車輪の状態を確認するね」
ティアナが言う。
「私は周辺と分岐の確認を担当します。ただし、風精霊だけを遠くまで先行させません。見える範囲と戻れる距離を基準にします」
セルフィナも続けた。
二人の視線が僕へ向く。
命令を待つ視線ではない。
僕の考えを求める、同じ組の仲間の目だった。
「僕は指令書と地図、荷車の速度を照合する。進路や避難順を整理するけど、一人で決めない。何かあれば三人で情報を出す」
「東側組、三名の役割を確認した」
成人試験官が記録を終える。
連絡板の縁に刻まれた光が、一つ消えた。接続終了まで残り僅かだ。
ティアナが板の向こうの二人を見た。
「フィア、レグルス」
『何?』
『言ってみろ』
「道が違っても、必要な時は同じ場所へ」
その言葉に、フィアの目がわずかに細められた。
中央演習棟で天井を支え、煙を払い、偽の制御線を断った時も、僕たちはそれぞれ違う場所にいた。
離れていても、同じ命を守るために動いていた。
『うん。必要な時は、同じ場所へ』
フィアが答える。
レグルスは一度うなずいたあと、確認するように言葉を重ねた。
『ただし、任務を放棄して勝手に合流するという意味ではない。現在の護衛対象と同行者の安全を確保し、正式な救援信号が出て、成人試験官が認めた場合だ』
「もちろん」
ティアナは迷わず答えた。
「今の三人を置き去りにして、昔の四人へ戻るための約束じゃないから」
メルナが静かに笑う。
『それなら、私も異論はありません。北側組の任務を果たした上で、必要なら同じ場所へ向かいます』
セルフィナも腕を組んだまま、連絡板を見る。
「東側組も同じです。護送対象を危険へ残すつもりはありません」
僕も二人の言葉を受け取った。
「任務を果たす。守るべき人を守る。その上で助けが必要なら、また同じ場所へ立とう」
『ああ』
レグルスが答え、フィアもうなずく。
二つ目の光が消えた。
映像が薄くなる直前、フィアが僕を真っすぐ見た。
声は聞こえなかった。
けれど、その唇がゆっくりと動く。
――隠さないで。
左腕の痛みも、右脚の痺れも、空腹も、魔力の変化も。
以前、直接言われた言葉が胸の奥で重なった。たった一言なのに、心臓が不意に強く鳴る。
僕は言葉を返さず、ただ一度、はっきりとうなずいた。
フィアはそれを確かめると、もう僕を見続けなかった。北側の道へ意識を戻し、細剣の位置を直す。
三つ目の光が消える。
「出発確認終了。連絡板を閉鎖する」
成人試験官が側面の物理鍵を回した。
白い板から北側組の姿が消え、硬い銀色の表面へ戻る。
これで、通常の連絡はできない。
フィア、レグルス、メルナは北側旧街道へ。
僕、ティアナ、セルフィナは東方集落へ。
僕たちは人数と積み荷をもう一度確認し、最終出発確認所を出た。
荷車が東へ進み始める。
振り返れば、学院の尖塔が木々の向こうへ沈みつつあった。
治療布に覆われた左腕へ、車輪の振動がかすかに響く。封魔具に異常はなく、痛みも申告が必要な強さではない。
それでも僕は、自分の状態を意識から外さなかった。
隠さない。
それも、この組で守るべき約束の一つだ。
確認所を出て四半刻ほど進むと、道が二つに分かれた。
左は谷へ下り、古い石橋を渡る道。
右は林の高台を大きく回る道だ。
地図の上では、石橋を選べば東方集落への到着が半刻ほど早い。連絡を絶った巡回所へも、その分だけ早く着ける。
ただし、石橋の手前は狭く、荷車が入れば方向転換は難しい。
成人職員が手綱を引き、荷車を分岐の中央で止めた。
「積み荷を含めた重量は通常の旅客馬車より重い。車輪が沈めば、人の手だけで戻すのは難しい。操作条件として伝えられるのは以上だ」
成人試験官は少し離れた場所に立ち、答えを示さない。
僕たちが決める場面だ。
「僕の案は旧石橋だ」
まず自分の考えを口にする。
「巡回所が連絡を絶っている以上、早く着くことには意味がある。橋に目立つ損傷がなければ、半刻を縮められる」
「橋だけを見て決めるのは危ないと思う」
ティアナはすぐにしゃがみ込み、道端の土を指で崩した。
湿った土が、小さな塊になって落ちる。
「雨は止んでるけど、地面の奥には水が残ってる。荷車が橋へ乗る前に車輪が沈むかもしれない。ここより谷側の道は日当たりも悪いから、もっと柔らかいはず」
「土魔法で固められる?」
僕が尋ねると、ティアナは首を横に振った。
「短い範囲なら。でも、橋まで全部を固定し続けるのは無理。積み荷の重さもあるし、途中で止まれば退路まで塞ぐことになる」
治療薬と封印資材は、僕たちが早く到着することより重要だ。
届けられなければ、任務を急いだ意味そのものが消える。
セルフィナは旧石橋へ続く道を見つめ、手のひらへ小さな風精霊を招いた。
「橋の手前まで。見える場所から先へは行かないでください」
風精霊が草の上を滑るように進み、谷側の道へ消える。
僕たちは勝手に先へ進まず、その場で待った。
やがて戻ってきた風精霊が、セルフィナの指先の周囲を二度回る。
セルフィナは目を閉じ、伝えられた感覚を整理してから口を開いた。
「崩れた石の匂いがあります。古い水気も強いです。それから、最近、荷車が通った痕跡は拾えませんでした」
「橋が崩れてるの?」
ティアナが尋ねる。
「そこまでは断定できません。崩れた石が橋の一部か、道端の石垣かも分かりません。風精霊が確認したのは、近距離の匂いと空気だけです」
事実と推測を分けた報告だった。
僕は地図へ視線を落とす。
速さだけなら旧石橋。
だが、地盤は緩み、石の崩れた痕跡があり、最近の通行も確認できない。何かあった時、重い荷車は引き返せない。
「高台の道なら、到着は遅れる」
僕が言うと、セルフィナがこちらを見た。
「それを聞いた後で、最後はアルトが決めるのですか?」
責める口調ではない。
僕が本当に対等な判断をするのか、確かめる問いだった。
「違う。僕が決めて、二人が従う形にはしない」
僕は地図を地面へ広げ、三人から等しい距離へ置いた。
「僕の案は旧石橋だった。でも、二人の情報を聞けば、荷車を失う危険が大きい。三人で決めよう」
ティアナも高台の道を指でなぞる。
「こっちも安全だと決まったわけじゃない。林の中で道が塞がれている可能性はあるよ」
「でも、荷車が向きを変えられる幅はあります」
セルフィナが答える。
「異常を見つけた場合、最終確認所まで戻る選択を残せます」
「護送品を守れて、引き返す余地がある」
僕は二人を見る。
「高台の道でいい?」
「私は賛成」
「私も同意します。ただし、風精霊だけを遠くへ出すことはしません」
三人の合意が揃った。
それで終わりにはしない。
「一刻ごとに荷車と道の状態を確認しよう」
僕が提案する。
「予定より遅れたら、成人試験官へ申告する。高台の道も塞がれていた場合は、知らない脇道へ入らず確認所まで戻る」
「足場が悪くても、私一人でずっと支え続ける前提にはしないでね」
ティアナが付け加える。
「その前に荷車を止める。セルフィナの風精霊も、戻れる距離まで」
「異論ありません」
セルフィナがうなずいたあと、僕の左腕へ一瞬だけ目を向ける。
「アルトも確認事項があります」
「痛み、右脚の痺れ、空腹、魔力の変化は、すぐに申告する」
先に答えると、ティアナが満足そうにうなずいた。
少し離れた場所で、成人試験官が物理記録板へペンを走らせる。
「進路、高台経路。判断理由は護送品の安全と撤退可能性。決定区分――三名共同判断」
アルトの指揮判断、とは書かれなかった。
その記録を見て、僕は胸の奥に小さな緊張と、それ以上の確かさを覚えた。
一人で答えを出さなくても、前へ進める。
ティアナの地面を見る目と、セルフィナが事実を分ける目。それに僕の地図と任務判断を重ねれば、最初に見えなかった危険まで拾える。
荷車がゆっくりと右へ曲がる。
林の高台へ続く道は、先まで見通せない。
安全が約束された道ではない。
だからこそ、僕たちは互いの意見と退路を確かめながら進む。
北へ向かった三人も、きっと同じように、自分たちの隊列を作っている。
道が違っても、必要な時は同じ場所へ――そう誓った僕たちは、初めて四人ではない隊列で、それぞれの任務へ踏み出した。
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