第8話 雷を纏う少女
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
朝練の終わりを告げる鐘が鳴ったころには、腕が重くなっていた。
「今日はここまでだ」
バルト先生の声に、僕は木剣を下ろす。
昨日よりは、右脚への身体強化が少しだけ安定した。
でも、短距離加速へ繋ごうとした瞬間に魔力が散る。剣先へ纏わせる分まで残せない。
できることは増えた。
だけど、できないことのほうがずっと多い。
「アルト、手」
訓練場の外で待っていたティアナが、僕の前へ小さく手を差し出した。
「大丈夫だよ」
「その台詞、昨日も聞いた」
言い返せずにいると、ティアナは僕の右手を取った。
手のひらへ巻かれた包帯を確かめるように、彼女の指先がそっと触れる。
「うん。血は出てないね」
「ティアナがちゃんと薬を塗ってくれたから」
「なら、今日もちゃんと褒めてもらわないと」
「褒める?」
「昨日より頑張ったんでしょ?」
僕は少し迷ってから、頷いた。
「……一歩だけなら、少し」
「すごいじゃん」
ティアナは自分のことみたいに笑った。
その笑顔を見ていると、うまくできなかった悔しさが少しだけ薄れる。
「そうだ。今日は上の訓練場で空中標的迎撃訓練があるんだって」
「空中標的?」
「飛行魔獣の動きを真似して飛ぶ、訓練用の的。見学できるらしいよ」
ティアナは、僕の包帯を結び直してから手を離した。
「見に行こう、アルト。たぶん、すごいものが見られるよ」
上級生用の訓練場は、学院の中央棟に近い高台にあった。
石壁に囲まれた広い円形の演習場。その上には高い支柱と足場が組まれ、魔導具の光がいくつも浮かんでいる。
すでに多くの生徒が集まっていた。
僕たちが観覧用の柵へ近づいた時、ざわめきが一段低くなった。
「来た」
「フィアだ」
人垣の奥から、一人の少女が歩いてくる。
腰まで届く金髪が、朝の光を受けて静かに揺れていた。
黒いカチューシャで髪を押さえ、学院の制服の上から短いローブを羽織っている。華奢な体つきなのに、近寄りがたい空気があった。
腰には、細身の剣。
片手剣よりさらに細く、刺すためだけに研がれたような細剣だった。
「学院最速のフィア・――」
誰かが名前を呼びかけたが、少女は振り向かない。
「名のある騎士族の娘だろ」
「飛行魔獣の実習なら、あの子に勝てる生徒はいないって聞いた」
「騎乗戦も首席らしいぞ」
周囲の噂を、フィアは聞いていないようだった。
正確には、聞こえていても関心がないのかもしれない。
彼女の目は、演習場の上空だけを見ていた。
「静粛に!」
担当教師が手を上げる。
「本日は飛行型魔導標的を用いた迎撃訓練を行う。標的は七機。制限時間は一分だ」
魔導標的は、魔石の力で動く訓練用の的だ。
今回は翼を持つ飛行魔獣を模して、複雑な軌道で演習場を飛び回るらしい。
「フィア・ヴァルティエ。始めろ」
フィアは、細剣を抜いた。
「……はい」
短い返事だった。
次の瞬間、七つの光球が上空へ放たれる。
翼のような光を広げ、魔導標的が一斉に飛び出した。
その中心に、フィアの姿があった。
彼女の細剣へ、青白い雷が細く絡みつく。
同時に、足元で雷光が弾けた。
消えた。
そう見えた。
フィアがいた場所に遅れて乾いた音が響き、最初の標的が空中で砕ける。
細剣の突きは、光球の中心を正確に貫いていた。
「はや……」
声が漏れる。
フィアは止まらない。
二つ目の標的が急角度で上昇するより早く、彼女は石壁を一度だけ踏んだ。
雷を纏った足が壁を蹴る。
華奢な身体が、矢のように宙へ跳ね上がった。
細剣が二度、三度、閃く。
標的は落ちる暇もなく、中心の魔石だけを貫かれて消えていく。
斬り裂くのではない。
最短の一点へ、最短の動きで届く。
僕が昨日、木人形の印へ傷をつけた一太刀とは、何もかもが違った。
四つ目が背後へ回り込む。
フィアは空中で身体をひねり、振り返りもせずに細剣を伸ばした。
雷光が走る。
標的の核が砕けた。
残る三つは、わざとばらばらの高さへ逃げた。
それでもフィアは迷わない。
地面を蹴り、足場を踏み、細剣を一度だけ振る。
雷が弾けるたび、標的が一つずつ消える。
最後の一体は、演習場の最も高い位置まで上がった。
観覧席から小さなざわめきが起こる。
あの高さでは、普通の跳躍では届かない。
けれどフィアは、ほんの一瞬だけ足を止めた。
細剣を後ろへ引く。
雷が、彼女の踵の下で爆ぜた。
轟音とともに、金髪が空へ伸びる。
フィアは高く跳び、空中で身体をまっすぐにした。
細剣の先が、最後の標的の中心へ触れる。
ぱきん、と小さな音がした。
七つ目の光が消えた。
一分どころか、砂時計の砂は半分も落ちていない。
しばらく遅れて、演習場に歓声が広がった。
「すげえ……」
「やっぱりフィアだ」
「学院最速って、本当なんだな」
フィアは歓声に応えなかった。
着地すると、細剣から雷を消し、刃に傷がないか確かめる。
ただ次の戦いに備える騎士みたいに。
「すごいね」
隣のティアナが、小さく息を吐いた。
「うん」
僕は頷いた。
すごい、では足りなかった。
速いだけじゃない。
彼女の剣には、一切の迷いがなかった。
僕が目指している“最短で必要な場所へ届く剣”を、フィアはもう遥か先で完成させているように見えた。
演習が終わり、生徒たちが少しずつ散り始める。
僕は気づけば、フィアのほうへ歩いていた。
細剣を鞘へ収めようとする彼女の前で、足を止める。
「……すごかった」
フィアは、初めて僕を見た。
淡い色の瞳だった。
そこに嘲笑も、見下す色もない。
ただ、何の感情も浮かんでいなかった。
「感想はいらない」
彼女は細剣を鞘へ収める。
「次の訓練がある」
それだけ言って、フィアは僕の横を通り過ぎた。
金色の髪が揺れ、黒いカチューシャが朝日に光る。
振り返ることはなかった。
「……ちょっとくらい、話してくれてもいいのに」
ティアナが頬を膨らませる。
「アルトは褒めただけなのに」
「嫌われたわけじゃないと思う」
「そうかな?」
「うん。たぶん、僕がまだフィアの視界に入っていないだけだ」
言ってから、少しだけ苦く笑った。
彼女の目は、もっと遠くを見ている。
今の僕は、同じ訓練場に立っていても、彼女にとっては道端の石と変わらないのかもしれない。
悔しくないと言えば、嘘になる。
「アルト」
ティアナが、僕の制服の袖をそっと掴んだ。
「私は見てるよ」
「え?」
「アルトが頑張ってるところ。今日も、明日も」
その言葉に、僕は救われた。
「おい、見学は終わりだ」
バルト先生が、演習場の端から僕を呼ぶ。
「こっちへ来い、アルト」
案内された先には、拳ほどの大きさの魔導標的が一つ浮かんでいた。
さっきの飛行型よりは低い。
けれど、左右へ不規則に動いている。
「これを斬れ」
「僕がですか?」
「お前以外に誰がいる」
バルト先生は腕を組む。
「動く相手に届かない剣は、守りたいものにも届かん」
僕は木剣を握り直した。
右脚へ身体強化。
足元へ短距離加速。
剣先へ魔力纏い。
三つを繋げる。
そう考えた途端、頭の中にフィアの姿が浮かんだ。
雷を纏い、空を駆けた金髪の少女。
僕も、あんなふうに。
そう思った瞬間、魔力が一気に右脚へ流れ込んだ。
「っ……!」
踏み込みすぎた。
身体が前へ流れ、木剣は標的の後ろを空振る。
「焦るな!」
バルト先生の声が飛ぶ。
「全身で速くなろうとするな! 必要なのは、標的へ届く速さだけだ!」
僕は息を整え、もう一度構えた。
二度目。
今度は加速を恐れて、踏み込みが足りない。
剣先は標的の手前で止まった。
三度目。
魔力纏いを意識しすぎて、足元の強化が途切れる。
標的は、僕の木剣を嘲笑うように横を通り過ぎた。
「……できません」
悔しくて、木剣を握る指に力が入る。
フィアなら、こんな標的は一瞬で貫く。
僕は、学院最下位だ。
あの背中を見てしまったら、なおさら自分が遅く見える。
「見惚れるな」
バルト先生の低い声がした。
「……先生」
「あれはフィアの剣だ」
先生は、上空に残る標的の傷跡を指差す。
「お前があの速さを真似しても、魔力が尽きて転ぶだけだ」
その通りだった。
「お前は、お前の一歩を作れ」
ティアナが僕の隣へ来る。
包帯の巻かれた右手へ触れないように、そっと僕の腕へ手を添えた。
「アルトは、アルトの速さでいいんだよ」
僕は彼女を見る。
「私は、アルトが届くところを見てる」
誰かより速くなくてもいい。
誰かと同じ剣じゃなくていい。
必要な時に、必要な場所へ届くための一歩なら。
僕にも、作れるかもしれない。
バルト先生は標的を止め、僕へ木剣を向けた。
「明日、動く標的に一太刀を届かせろ」
僕は頷く。
「それができれば、お前の一歩は剣になる」
高い場所には、フィアが貫いた標的の小さな穴が残っていた。
まだ届かない。
でも、届きたい。
僕は木剣を握り直し、空を見上げた。
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