第61話 銀緑の監視役
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
星冠教団の名が判明した翌朝、僕は医務室前の記録台で、その日の行動予定を受け取った。
ただし、書かれているのは授業と回復訓練の時刻だけだ。
移動経路の欄は空白になっている。
「経路は出発直前に伝える。今日の成人監督者も昨日とは別の者だ」
バルト先生がそう告げ、その隣へ視線を向けた。
そこには、淡い銀緑色の髪を腰近くまで垂らしたエルフの少女が立っていた。
髪の先だけが薄い水色へ変わり、耳元の細い編み込みと、葉を模した銀のイヤーカフが揺れている。
白と深緑の短いローブの周囲には、淡い青緑色の風精霊が三体浮かんでいた。
「本日から、昼間の行動にはセルフィナも同行する」
「成人の監督者もいるのに、セルフィナまでずっと一緒なの?」
思わず尋ねると、翡翠色の瞳がまっすぐ僕を見た。
「成人監督者が見るのは、あなたの行動です。精霊が見るのは魔力の流れです」
セルフィナは細い腕を組んだ。
「あなたが窮屈なのは理解しています。ですが、私も好きで一日中あなたを見ているわけではありません。私の授業予定まで変更されています」
「それは……ごめん」
「謝罪を求めたのではありません。任務の条件を説明しただけです」
相変わらず、言葉に無駄がない。
僕の行動を見張る成人監督者。
左腕を見張るセルフィナと風精霊。
教室へ戻れたと思ったら、監視はさらに増えたことになる。
「監視が好きになったわけじゃないよ」
僕は制服の袖口から覗く黒銀色の輪を見下ろした。
「でも、拒んで処刑審議を再開させるつもりもない」
「賢明です。では、基準値を測ります。左腕を動かさないでください」
小さな風精霊たちが僕の左腕を囲んだ。
一体は手首から肘へ。
一体は封魔具の三本の輪に沿って。
残る一体は、袖の下に隠れた黒い紋章の周囲をゆっくり巡る。
冷たい風が肌を撫でた。
左腕にはまだ鈍い痛みがある。けれど、昨日より強くなってはいない。
「通常魔力の循環に乱れなし。黒い紋章から外部への流出なし。封魔具周辺の魔力圧、平常範囲。温度上昇なし」
セルフィナが読み上げ、机上の紙へ書き込む。
「封魔具の作動履歴もありません」
バルト先生が魔導具の記録面を確認した。
二人の署名が加えられた物理文書は、通信網を使わず、その場で封印箱へ収められる。
やがて成人監督者へ、今日の経路が記された紙が渡された。
僕にもセルフィナにも、出発するその瞬間まで知らされていなかった道だ。
いつもの中央階段は使わず、医務室裏の廊下から資料棟を回る。
遠回りだったが、道順が毎日同じよりは安全なのだろう。
「こんな歩き方をしていたら、教室へ行くだけで学院見学ができそうだね」
「楽しめる余裕があるなら結構です」
「皮肉だよ」
「知っています」
少しも表情を変えず、セルフィナは答えた。
教室へ入ると、昨日と同じように会話が細くなった。
僕の後ろから成人監督者が入り、さらに風精霊を連れたセルフィナまで続いたから、今日は昨日以上に目立ってしまった。
僕は自分の席へ座る。
セルフィナは斜め後ろ、左腕を観測しやすい位置へ腰を下ろした。成人監督者は教室後方だ。
風精霊が一定の間隔で僕の左腕を巡るたび、何人かの生徒の視線が封魔具へ吸い寄せられた。
監視されている事実そのものが、僕が普通の生徒ではないと教室中へ示している。
それでも、席を立つつもりはなかった。
授業が始まると、セルフィナは私語一つせず、自分の教材と監視記録を交互に見ていた。
一度目の巡回。
「変化なし」
二度目の巡回。
「通常魔力のみ。変化なし」
小声でも、近くの席には聞こえる。
僕は教本へ意識を戻した。
視線は気になる。風精霊が袖口へ近づくたび、腕を引きたくもなる。
けれど、授業の内容まで手放したら、本当に僕は監視されるだけの存在になってしまう。
昼休み、ティアナが僕の机の近くへ来た。
「大丈夫?」
「大丈夫って答える前に、何についてか聞いていい?」
「監視が増えたこと」
「窮屈。でも、必要なのは分かってる」
ティアナはセルフィナを見たが、責めるような目は向けなかった。
「内部から情報が漏れた可能性があるなら、記録は増やした方がいいよね。嫌じゃない、とは言えないけど」
「私も喜んで同行しているわけではありません」
セルフィナが即答した。
「うん。そこはアルトと同じみたい」
ティアナは小さく笑ったが、それ以上は二人の間へ入らなかった。
少し遅れて、フィアとレグルスも近づいてくる。
フィアはセルフィナの周囲を漂う精霊へ視線を向けた。
「黒い魔力の変化を見つけたら、私たちに遠慮しないで」
「そのための監視です」
「アルトを守ることと、危険を見逃すことは同じじゃない。私たちが近くにいても、記録を変えないで」
「人族の都合で精霊の記憶を曲げるつもりはありません」
セルフィナの返事に、フィアは短く頷いた。
レグルスも腕を組む。
「僕たちの証言だけでは、外部の査問を納得させ続けることはできない。第三者の記録が必要なのは事実だ」
「だからといって、私があなたたちの一員になったわけではありません」
「誰もそう言っていない」
レグルスは少し眉を寄せた。
そのやり取りを聞きながら、僕は息を吐いた。
関係は増えても、仲間が入れ替わったわけではない。
セルフィナはあくまで監視役だ。
午後、僕たちは低負荷訓練区画へ移動した。
当然、経路は朝とは違う。
到着すると、バルト先生が僕の右脚と左腕を改めて診察した。
「右脚の痺れは残っている。左腕の魔力経路も炎症が引ききっていない。今日は歩行、可動域、姿勢の確認までだ」
「防壁は?」
「最後に薄い第一階位防壁を一度だけ確認する。《閃駆》、短距離加速、剣、暴食は使用禁止。痛みが増した時点で中止だ」
「分かりました」
まずは決められた線の上をゆっくり歩く。
右脚を曲げ、伸ばし、体重を移す。
以前なら準備運動にもならなかった内容なのに、何度か繰り返すと足の裏に薄い痺れが広がった。
セルフィナの風精霊は僕の左腕だけでなく、肩や胸元を巡り、通常魔力の変化を記録している。
「疲労に伴う循環速度の上昇。黒い魔力の流出はありません」
「息が上がったことまで書くの?」
「基準値を取るためです。疲労時と安静時の違いがなければ、異常を見分けられません」
正しい。
正しいけれど、疲れ方まで記録される生活はやはり窮屈だった。
隣の区画では、下級生たちが基礎魔法の練習をしていた。
小さな風を的へ当て、吊るされた布を揺らす訓練らしい。
「次は姿勢確認だ。魔力は使うな」
バルト先生の指示で、僕は足を開いた。
その時だった。
隣から、弾けるような音がした。
一人の下級生が生み出した風が、的の手前で歪んだ。
制御を失った衝撃が木製の台へぶつかり、立てかけてあった訓練用の木板が傾く。
その先には、驚いて動けなくなった別の下級生がいた。
指導に当たっていた大人も、バルト先生も動いた。
けれど、僕が一番近かった。
右脚に力を入れる。
走れば痺れが強くなる。
だから、一歩だけ踏み込んだ。
下級生と倒れてくる木板の間へ身体を入れ、右手を前へ突き出す。
「第一階位防壁!」
薄い光の膜が広がった。
木板が防壁へぶつかる。
鈍い衝撃が右腕まで伝わり、光の表面へ蜘蛛の巣のような亀裂が走った。
止めきれない。
勢いが少し弱まっただけだ。
次の瞬間、淡い青緑色の風が横から吹き込んだ。
セルフィナの風精霊たちが木板の側面を押し、倒れる向きを変える。
木板は僕たちの脇へ逸れ、地面へ激しい音を立てて倒れた。
僕はよろめいた下級生の肩を右腕で支えた。
左腕は身体の後ろへ引いたままだ。
「怪我は?」
下級生は答えず、僕の袖口から覗いた封魔具を見た。
その身体が一度だけ強張る。
僕は手を離し、一歩下がった。
「ごめん。もう触らないから。痛いところがあるなら、先生に言って」
「あ……違います」
下級生は自分の胸元へ手を当てた。
魔力を失った様子はない。
やがて、僕を見上げて小さく頭を下げた。
「ありがとうございます、先輩」
「うん。無事ならよかった」
駆けつけた担当者へ下級生を引き渡す。
木板を倒してしまった子も青ざめていたが、誰にも怪我がないと分かると、その場へ座り込んだ。
純粋な制御失敗だ。
誰かの罠でも、襲撃でもない。
「アルト、右脚は」
バルト先生が僕を訓練用の椅子へ座らせた。
「少し痺れが強くなりました。でも、痛みはありません。左腕も変化なしです」
反射的に大丈夫だと言いかけたが、感じた異変をそのまま伝えた。
成人監督者が、予定外の移動と魔法使用を行動実績の記録へ書き加える。
セルフィナの風精霊たちは、僕と下級生が立っていた場所を何度も巡った。
「使用されたのは、アルト自身の通常魔力による第一階位防壁だけです」
セルフィナが一項目ずつ確認していく。
「黒い紋章からの流出なし。暴食の兆候なし。封魔具の作動なし。下級生の体内魔力からアルトへ向かう流れなし。アルトから下級生へ伸びた黒い魔力もありません」
「記録と一致する。防壁は今日の一回として扱う。訓練はここで終了だ」
バルト先生が告げた。
異常がなかったからといって、続けてよい理由にはならないらしい。
僕が水を飲んでいると、セルフィナが隣へ立った。
「一つ、質問があります」
「何?」
「監視されているから、あの生徒を助けたのですか?」
翡翠色の瞳が僕を観察している。
「記録へ残ることを考えて動きましたか?」
僕は倒れた木板を見た。
「助けられる場所にいたから」
それ以上の理由は、考えていなかった。
「考える前に動いただけだよ。暴食を使わなくても、できることはある」
セルフィナはすぐには返事をしなかった。
小さな風精霊が、彼女の銀緑色の髪を揺らしている。
「あなたを信用したとは言っていません」
「分かってる」
「ただし、暴食を使わない状況で何を選んだかも、観測された事実です」
セルフィナは記録用紙へ新しい一行を書き加えた。
「危険だけを記録し、都合の悪い事実を削るつもりはありません」
「そんなことまで書くの?」
「事実ですから」
彼女の声は変わらず冷静だった。
親しげな笑みも、優しい慰めもない。
それでも、その目はもう封魔具だけを見てはいなかった。
銀緑の監視役がその日記録したのは、暴食の兆候ではなく、弱い誰かへ差し出した僕の右手だった。
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