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『属性適性なしの学院最下位、迷宮で見捨てられた僕は七罪の魔神と契約する ~最強英雄になった幼なじみに追いつくまで~  作者: ドキツトム


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第60話 星冠の紋


 学院結界へ侵入を試みた痕跡が見つかった翌朝。


 僕は成人監督者とともに、学院中央棟の緊急会議室へ向かっていた。


 窓の外では、武装した警備員が二人一組で外周を巡回している。


 最初の授業は開始時刻を遅らせると告知されたらしく、普段なら生徒で満ちている廊下も静かだった。


「歩調を落とせ」


 隣の監督者に言われ、僕は右脚へかけていた力を抜いた。


「すみません」


 痺れは昨日と変わらない。


 左腕にも、封魔具で圧迫される鈍い痛みが残っている。


 昨夜の警報を聞いてからほとんど眠れていなかったが、封魔具に作動履歴はなかった。暴食も開いていない。


 会議室の前では、バルト先生が待っていた。


「先に確認する。左腕に変化は?」


「ありません。空腹も普段と同じです。周囲の魔力が食べ物に感じることもありません」


「よし。入れ」


 重い扉の向こうには、学院長、ローデン、セレネ先生が揃っていた。


 ティアナ、フィア、レグルスも別の監督者とともに席についている。


 壁際にはセルフィナが立ち、淡い青緑色の風精霊を指先へ休ませていた。


 机の中央に、四角い紙が一枚置かれている。


 描かれているのは、黒い紋章だった。


 中央には七つの頂点を持つ星。


 その周囲を三本の弧が囲み、上部から伸びた複数の尖りが冠のように重なっている。


 星へ冠を被せたような形だった。


「これは?」


 僕が尋ねると、セレネ先生が答えた。


「昨夜、結界外層に残された魔力痕を紙へ転写したものです。現物は外周で封印しています」


「侵入術式の一部ですか」


「その可能性が高いです。傷が偶然この形になったとは考えられません」


 僕は転写された紋章へ目を落とした。


 黒い線を見ても、左腕の紋章は反応しない。


 封魔具も冷たいままだ。


 声が聞こえることも、何かが召喚されることもなかった。


「残留魔力そのものに攻撃性はありません」


 セルフィナが淡々と付け加えた。


「転移や追跡の機能も、精霊が確認した範囲では残っていません」


「誰が刻んだかは分かったの?」


 ティアナの問いに、セルフィナは首を横へ振る。


「姿も名前も分かりません。追えるだけの魔力も残されていません」


 銀緑色の髪の周囲で、二体の風精霊が円を描く。


「ただし、方向は確認できました。七芒星も、周囲の弧も、冠状の線も、すべて学院の外側から内部へ向けて刻まれています」


「内部から結界へ付けた印ではないんだな」


 レグルスが確認する。


「ええ。アルトの暴食や封魔具によるものでもありません」


 セルフィナの証言を、記録官が物理文書へ書き込んだ。


 外から来た者が残した紋章。


 けれど、名前も目的もまだ分からない。


 そう思った時、ローデンが古びた書類箱を机へ置いた。


 箱には三つの封印が施されている。


「昨夜のうちに、学院の封印記録庫を確認しました。通常の通信網へは保存されていない資料です」


 学院長とセレネ先生が一つずつ認証を加え、封印を解く。


 中から出てきたのは、端が変色した数枚の紙だった。


 ローデンはそのうち一枚を、僕たちから見える向きへ置いた。


 そこにも同じ紋章が描かれていた。


 黒い七芒星。


 三本の弧。


 星の上へ重なる冠。


 線の細かな欠け方まで、結界から転写されたものと一致している。


「この紋章を使用していた組織の名は、星冠教団です」


 初めて聞く名前だった。


 会議室に静かな緊張が走る。


「教団……」


「秘密裏に活動していた宗教組織です。現存する資料は断片的で、現在の指導者、拠点、人数は判明していません」


「昨夜の侵入者が、その教団だと?」


 フィアが尋ねた。


「紋章と術式の特徴は一致しています。少なくとも、昨夜の侵入には星冠教団の術式が用いられたと判断します」


 ローデンは断言できる範囲だけを答えた。


「封印区画の黒い術式も?」


「関連する可能性は高い。しかし、同じ組織の指示で設置されたと断定できる証拠はまだありません」


「暴食の眷属とは繋がっているの?」


 僕の質問に、ローデンは別の紙を取り出した。


「この記述を」


 古い文字が並んでいる。


 僕にも読める部分はあったが、欠損が多い。ローデンが復元された箇所だけを読み上げた。


「暴食は災厄にあらず。地上へ迎えるべき神聖なる力である」


 左腕の奥で、痛みとは違う寒気が走った。


「彼らはベルゼバスを恐れていないのですか」


「記録を見る限り、封じるべき存在とは考えていません。暴食が完全に開き、地上へ現れることを神聖な出来事として扱っています」


「そんなものを、降臨させようとしているの?」


 ティアナの声に嫌悪が混じった。


「それが教団の信仰です。ただし、教団の教義が客観的に正しいことを示す証拠ではありません」


 ローデンは明確に線を引いた。


「ベルゼバスが彼らを望んでいるかも不明です。実際に何を降臨と呼んでいるのか、どのような手段を用いるのかも、この資料からは分かりません」


 次の紙が開かれる。


 そこに書かれた一文を見た瞬間、僕の呼吸が止まった。


 ――主の器。


「暴食と契約した者を、星冠教団はそう呼んでいます」


 ローデンの指が、欠けた文章を順に辿る。


「器を殺してはならない。器を星冠のもとへ回収せよ。器の口を開き、主を地上へ迎えよ」


「回収……」


 人を示す言葉ではなかった。


 武器や魔導具を、所有者のもとへ戻すような響きだった。


「暴食の眷属は、僕をベルゼバスの器と呼んだ」


「眷属の核から送信された通信にも、暴食の器が目覚めたという意味が含まれていました」


 セレネ先生が応じる。


 三つの呼称が繋がった。


 眷属の声。


 学院外へ抜けた通信。


 そして星冠教団の文書。


「教団は僕を殺しに来るんじゃないんですね」


「現時点では、生存した状態で奪おうとする可能性の方が高い」


 ローデンの答えは冷静だった。


 それだけに、背中へ冷たい汗が流れる。


 処刑を望む者たちとは違う。


 彼らは僕の意思を必要としていない。


 僕の身体と、左腕に宿る契約だけが必要なのだ。


「僕は、主の器じゃありません」


 自分の声が少し震えた。


 それでも、言い直さなかった。


「暴食を完全に制御できていないことは認めます。危険があることも否定しません。でも、僕はベルゼバスを降臨させるための物じゃない」


 黒銀色の封魔具が、袖の下で重い。


「僕の名前は、アルト・ロウェルです」


「その認識を学院も共有します」


 学院長が、星冠の紋を覆うように紙を一枚置いた。


「この学院にいるのは、主の器ではありません。王立学院の生徒、アルト・ロウェルです」


 落ち着いた声が室内へ通る。


「教団の呼称で、生徒の立場を決めさせるつもりはありません」


 胸の奥に張りついていた冷たさが、ほんの少し薄れた。


「ただし、君の危険性が消えたわけでもありません。封魔具、監視、定期検査、条件付き使用規則はすべて継続します」


「はい」


 守られることと、無条件に信じてもらうことは違う。


 学院長はその二つを混同しなかった。


「もう一つ、報告があります」


 セレネ先生が結界外周の見取り図を広げた。


 赤い印が一か所だけ付けられている。


「昨夜狙われたのは、封印区画事件後に修復された結界の継ぎ目です」


「修復した場所だから、弱かったのですか」


「単純な強度は他の箇所と変わりません。ですが、魔力供給の切り替え時だけ、二つの術式の境界が薄くなります」


「その時間を狙われた?」


「はい。警備担当者が交代し、結界へ流す魔力を切り替える短い時間と一致しています」


 レグルスが見取り図へ身を寄せる。


「外から観察して分かることですか」


「長期間調べれば、可能性はあります」


 セレネ先生はそこで言葉を切った。


「ただし、昨夜選ばれた場所は外壁から見えにくい死角です。修復後の継ぎ目、供給の切り替え時刻、警備交代。そのいずれかを知っていた方が、はるかに容易です」


 室内の空気がさらに重くなる。


「学院内部から、情報が渡った可能性があるということですね」


 ティアナが静かに言った。


「否定できません」


「非公開査問を漏らした者と同じ人物か?」


 レグルスの問いに、セレネ先生は首を横へ振った。


「分かりません。私の認証を複製した者、査問内容を漏らした者、今回の保守情報を渡した者。すべて同一人物である可能性も、別人である可能性もあります」


 何一つ特定できていない。


 それでも、学院内の誰かが外の敵へ道を渡している可能性が、また一つ増えた。


「アルトを隠すだけでは足りません」


 ティアナの手が机の上で固く握られる。


「アルトは器じゃない。人を物みたいに回収するなんて言葉も認めたくない。でも、部屋を変えるだけでは、情報を渡した人は残ります」


「誰が保守記録へ触れたかも調べるべき、ということですね」


「はい」


 フィアは見取り図ではなく、僕の左腕を見ていた。


「教団がアルトを生きたまま必要としているなら、移送より危険なものはない」


「学院外へ出た瞬間を狙われるからか」


「それだけじゃない」


 フィアは封魔具を指した。


「この道具は、敵に暴食を強制されてもアルトの左腕を焼く。教団がその性質まで知ったら、移送中の護衛とアルトを同時に崩す手段として利用されるかもしれない」


「具体的な方法はまだ分からない」


「分からないから、同じ経路を使い続けるべきじゃない」


 レグルスが頷く。


「行動記録を作ることと、予定を広く共有することは別です。内部に情報提供者がいるなら、固定された監視経路は予定表を渡すのと同じです」


「監視を弱めろという意味ですか」


「逆です。監視者も経路も固定せず、実績だけを厳密に残すべきです」


 学院長は三人の意見を聞き終え、記録官へ指示を出した。


「本日からアルトの移動経路を毎日変更します。行動予定と行動実績は別の文書へ記録。事前予定へ触れられる人数も制限します」


 新しい紙へ、対策が書き込まれていく。


「成人監督者も固定しません。結界保守記録は複数認証へ変更。星冠教団に関する資料とセルフィナの観測記録は、通信網へ保存せず封印します」


「授業は?」


 僕が尋ねる。


「復帰を撤回しません。毎日、直前に経路を決めた上で出席しなさい」


「条件付き訓練もですか」


「完全には中止しません」


 学院長は僕を真っすぐ見た。


「星冠教団が君の暴食を開こうとしているなら、何も知らないまま待つことも危険です。ただし、訓練場所と時刻は実施直前まで限定公開とします」


 敵が現れたからといって、暴食の規則が消えるわけではない。


 怖いから無断で使ってよい理由にもならない。


 僕は封魔具の上から左腕へ右手を添えた。


 これまで敵は、姿のない何者かだった。


 黒い術式を設置した者。


 眷属を学院へ送り込んだ者。


 僕の力が目覚めたと通信した者。


 査問の内容を外へ漏らし、学院結界の継ぎ目を探った者。


 すべてが一つの組織によるものかは、まだ分からない。


 それでも少なくとも、僕を器として奪おうとする外の敵には名前がついた。


 僕を『主の器』と呼び、学院から連れ去ろうとする敵の名は、星冠教団だった。

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