第58話 精霊の証人
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例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
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翌日、僕はバルト先生とともに査問室へ向かった。
右脚にはまだ薄い痺れが残っている。
歩調を速めると、左腕の封魔具が微かな熱を持った。作動したわけではない。ただ、三本の黒銀の輪が傷んだ魔力経路を圧迫している。
「痛むか」
「少しだけです。昨日と変わりません」
「少し、を記録から外すな」
「はい」
扉の前では別の監督者が僕たちを待っていた。
学院預かりになった僕は、査問室までの短い移動さえ一人では許されない。
自由になったわけではない。
その事実を左腕の重さが何度でも教えてくる。
査問室へ入ると、学院長、ローデン、貴族院査問使、セレネ先生たちが既に席についていた。
そして中央の証言席には、セルフィナが立っていた。
淡い風が彼女の周囲を巡り、小さな光の粒を三つ浮かせている。
「セルフィナ……?」
「呼ばれたから来ただけです」
僕へ向けられた声は、いつもと変わらず冷ややかだった。
ティアナたちは室外で待機している。今回は三人の証言ではなく、セルフィナと風精霊が記憶した事実を確認するための査問だ。
記録官が一冊の文書を開いた。
外部通信へは一文字も保存されない。
「始めます」
学院長が告げると、セルフィナは席に座らず、背筋を伸ばした。
「先に訂正しておきます。私は人族へ肩入れするために来たのではありません」
貴族院側の者たちへ、その視線が真っすぐ向けられる。
「アルトを信じているわけでもありません。精霊が記憶した魔力の流れを、事実として話しに来ただけです」
「風精霊の記憶とは、映像記録と同じものですか」
ローデンが尋ねた。
「違います」
セルフィナは即答した。
「言葉も顔も残しません。誰が善人か、誰が嘘をついたかも精霊には分かりません。覚えているのは、直接触れた魔力の流れです」
彼女が指を上げる。
三つの光が、ゆっくりと円を描いた。
「どこから生じ、どちらへ流れたか。本体と繋がっていたか、既に切り離されていたか。複数の魔力が触れ合った場合、それぞれの境界もある程度は判別できます」
「意図は?」
「分かりません」
「契約の内容や、魔神の意思は?」
「分かりません」
「魂の状態は?」
「精霊に魂の全容を解析することはできません。生命と結びついた魔力循環が身体に残っているかどうかまでです」
分からないことを、セルフィナは迷わず分からないと切り捨てた。
僕を助けようと答えを飾る様子はない。
だからこそ、彼女の次の言葉を室内の全員が待った。
「最初に、ミナの治療時の記憶を証言します」
一つ目の光が彼女の掌へ降りた。
「当時、この精霊は治療空間で呼吸と魔力循環を確認していました。ミナの身体には、本人の循環へ食い込む異質な呪いがありました」
セルフィナの指が動く。
風の光が二つの輪を作った。
大きな輪の内側から、細く濁った線だけが剥がれ、小さな黒い点を示す僕の側へ流れる。
「分離された魂蝕の呪いは、アルトの左腕へ流れました。しかしミナ本人の魔力循環は身体の内側に残っています」
「他の魔力が同時に移動した可能性は?」
査問使の問いにも、セルフィナは表情を変えなかった。
「精霊が観測した範囲ではありません。生命活動を支える魔力も、記憶や肉体に結びついた流れも、ミナの中に残っていました。アルトへ向かったのは、分離された呪いだけです」
記録官の筆が紙を走る。
僕の左腕が鈍く痛んだ。
あの時、僕自身にも呪い以外を喰っていない確信はあった。
けれど、それは契約者である僕の言葉でしかなかった。
初めて、僕以外の観測によって同じ事実が紙へ刻まれていく。
「次に、旧保守層での記憶です」
残る二つの光が、セルフィナの左右へ分かれた。
「救助のために送り込んだ風精霊の一部は、黒い術式によって私との連絡を断たれました。こちらから命令できず、向こうから報告も返せなかった」
「それなら、なぜ今になって証言できるのです」
「連絡が切れても、精霊そのものが消えたわけではありません。帰還後、その中に残っていた感覚を確認しました」
淡い風の線が査問室の中央へ広がる。
セルフィナが指先で一つずつ示した。
「土と植物の魔力が、敵から放出された魔力へ印を付けています。その後、雷の魔力が仲間へ伸びる接続と、核へ戻る接続を断った」
ティアナが分け、フィアが切った流れだ。
「続いて風が、切り離された魔力からアルトまでの道を作っています。最後に、印を付けられた敵魔力だけがアルトへ移動しました」
レグルスが作った一本道。
そして僕が、一呼吸だけ喰った魔力。
「それ以外は?」
ローデンが尋ねる。
「ティアナ、フィア、レグルスの体内循環から、アルトへ向かった流れはありません」
セルフィナは一度言葉を切った。
「行方不明だった三名についても同じです。三名の魔力は弱っていましたが、アルトへ吸収された痕跡はありません」
「複数の精霊すべてが、同じ結果を記憶しているのですか」
「観測位置は違います。それでも、人体からアルトへ流れた魔力がなかった点は一致しています」
査問室に紙を擦る音だけが続いた。
ローデンはしばらく記録を確認してから、改めてセルフィナへ顔を向けた。
「アルト・ロウェルが仲間を吸収しなかった理由まで、精霊の記憶から判別できますか」
「できません」
「本人の意思で選ばなかったのか、三人に止められた結果なのかも?」
「魔力の流れだけでは分かりません。両方だった可能性もあります」
「今後も人間の魔力を吸収しないと保証できますか」
「できません」
断言が室内へ落ちた。
僕に不利な答えだった。
それでも、不思議と苦しくはなかった。
保証できないことまで保証したなら、今日の証言すべてが疑われる。
「精霊が観測していないものを、私は証明しません」
セルフィナは続けた。
「アルトが安全だとも、完全に制御できているとも言いません。ただし、精霊が観測した二つの事件で、人族の体内魔力がアルトへ移動した事実はありません」
「証言の限界と、確認された事実を分けて記録します」
ローデンが記録官へ告げた。
扉が静かに開いたのは、その直後だった。
治療担当者に付き添われ、ミナが入ってくる。
顔色は以前よりずっと良くなっていた。それでも、歩幅は小さく、長時間立っていられる状態ではない。
「座ったままで構いません」
学院長に促され、ミナは証言席へ腰を下ろした。
「氏名と、現在の状態を」
記録官に問われ、ミナは自分の名前を答える。
それから少し緊張した様子で、僕を見た。
「呪いが消えたあとも、記憶も感覚も残っています。家族のことも、学院へ来てからのことも覚えています」
細い指が膝の上で重なる。
「身体の中が空っぽになった感じもありません。治療を受けて、魔力も少しずつ戻っています」
バルト先生が治療記録を机へ置いた。
「本人の証言は検査結果と一致している。魔力循環、記憶、人格に重大な欠損は確認されていない。アルトが魂蝕の攻撃能力を得た形跡もない」
ミナは小さく息を吸った。
「アルト先輩は、私から何かを奪ったんじゃありません」
震えはあった。
けれど、その声は査問室の端まで届いた。
「私を助けてくれました」
僕は返事をしそうになり、唇を閉じた。
今は感謝を受け取る場ではない。
ミナが自分の事実を記録へ残す場だ。
「それ以上は必要ありません」
学院長の言葉で、短い証言は終わった。
ミナは僕へ軽く頭を下げ、治療担当者と退室した。
扉が閉じると、ローデンが記録を二つに分けた。
「確認された危険性。暴食は完全制御されていない。人間の体内魔力を捕食対象として認識したことがある。今後も吸収しない保証はない」
次の頁が開かれる。
「確認された実績。ミナから吸収されたのは分離済みの呪いだけ。仲間三名と救助対象三名の魔力は吸収されていない。限定捕食でアルトへ移動したのは、本体から切り離された敵魔力だけ」
危険だった僕。
それでも人を喰わなかった僕。
どちらか一方だけではなく、両方が同じ文書へ残された。
「貴族院側の判断を述べます」
査問使が立ち上がった。
「独立した精霊観測と、被救助者本人の証言を新たな証拠として認めます。学院預かりの条件が守られ、検査と定期報告が続く間、即時処刑を求める審議を一時凍結します」
胸の奥に詰まっていた息が、わずかに抜けた。
「ただし、無罪の認定ではありません。処刑案も撤回されません」
続く言葉が、緩みかけた僕の背を正す。
「無断使用、監視の回避、他人を害する意図での使用、人間またはその体内魔力を捕食対象とする行為。異変の故意の隠蔽。いずれかが確認された場合、凍結を解除し、移送または処刑の審理を再開します」
「敵による強制発動は?」
セレネ先生が確認した。
「本人の故意とは自動認定しません。ただし、即時再査問の対象です」
逃げ道ではない。
与えられたのは、記録を積み重ねる時間だ。
「条件付き使用の監視体制についても決定します」
学院長がセルフィナへ視線を向けた。
「セルフィナ。今後の条件付き使用訓練において、第三者監視役を命じます」
「私に彼を止めろと?」
「いいえ。成人監督者と中止要員は別に置きます。使用許可も学院側と貴族院側の双方が出す。あなたに求めるのは、精霊による魔力の観測と独立した記録です」
「異常を見つけた場合は?」
「即時中止を要請できます」
セルフィナは少しだけ目を細めた。
「学院側に不利な流れでも、そのまま記録します」
「当然です」
「貴族院側に不利でも?」
査問使が頷く。
「それを含めて第三者監視です」
「なら、引き受けます」
彼女は短く答えた。
査問を終えて廊下へ出ると、ティアナ、フィア、レグルスが待っていた。
処刑審議が凍結されたと伝えても、三人は喜びの声を上げなかった。
「凍結されただけ、なんだね」
ティアナが僕の左腕を見る。
「うん。封魔具も条件も残る」
「でも、第三者の記録が増えるのは悪くない」
フィアはセルフィナの周囲を巡る風を見た。
「接続の向きを、私たちとは別の方法で確認できる」
「四人の証言だけで運用を決めるよりは公平だ」
レグルスも認めた。
「もっとも、彼女が僕たちの一員になるわけではないが」
「なるつもりもありません」
セルフィナが即座に返した。
三人と別れたあとも、セルフィナは次の記録手順を確認するため、同じ廊下を歩いていた。
僕は監督者から離れない範囲で彼女へ声をかける。
「セルフィナは、僕を信用していないんだよね」
「ええ」
「それでも監視役を引き受けるの?」
彼女は足を止めた。
「信用していないから、私が見ます」
透き通った風の光が、僕の封魔具の周囲を一度だけ巡る。
「危険なら危険だったと記録します。でも、喰っていないものまで喰ったことにして殺させるつもりもありません」
セルフィナは僕ではなく、寄り添う小さな精霊へ目を向けた。
「精霊の記憶を、人族の都合で曲げさせないだけです」
味方だから信じるのではない。
疑っているからこそ、事実を見る。
仲間の言葉だけでは作れない記録を、彼女なら残せるのかもしれない。
処刑は凍結された。
けれど封魔具も、監視も、条件を破った先の処分も消えてはいない。
その中で、次は実際のデータを残さなければならない。
「次に暴食を使う時、僕の隣には、僕を信じていない精霊の証人が立つことになった。」
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