第48話 四人で勝つ
奥へ続く通路へ足を向けた、その時だった。
背後で、どくん、と鈍い音が響いた。
振り返る。
床へ崩れた眷属の装甲。その隙間に残っていた黒い核が、再び脈打っている。
「まだ……動くの?」
ティアナの声が強張った。
核から細い黒線が伸び、砕けた装甲を縫い合わせていく。
折れた脚が不格好に持ち上がった。肋骨状の装甲には亀裂が残り、黒い魔力も先ほどまでとは比べものにならないほど薄い。
それでも、立ち上がった眷属から放たれる圧力は、僕たち四人の誰よりも強かった。
弱っている。
けれど、格上であることは変わっていない。
「一つの反応が、また弱くなった」
フィアが携帯用の計測板へ目を落とす。
三つの光は残っている。だが、そのうち一つは、今にも消えそうに明滅していた。
長期戦をする時間はない。
「もう一度、魔力を奪う?」
ティアナの問いに、僕は首を横へ振った。
「暴食は開かない。今度開いたら、閉じられる保証がない」
『愚かな器だ』
ベルゼバスの声が頭の奥で笑った。
『口を開けば終わる。核を喰え』
「別の方法で倒す」
左腕を押さえながら答えると、レグルスが銀槍を構えた。
「なら、核を物理的に破壊する。それしかない」
「でも、装甲が戻ってる」
ティアナの言葉どおり、黒い肋骨が核を覆い始めていた。
「装甲は僕が開く」
レグルスが告げる。
「術式は私が切る」
フィアが細剣を抜いた。
二人の視線が、ティアナへ向く。
ティアナは一度だけ息を整え、足元に残る根を見た。
「じゃあ、私はあれを動けなくする。アルトが走る道も作る」
「僕は最後の一撃を入れる」
そう言ったものの、僕の魔力はほとんど残っていない。
普通なら、《閃駆》は使えない。
けれど、左腕の奥には別の熱があった。
第47話で喰った、印付きの敵魔力。
そのすべてを使えるわけではない。大半は暴食の奥で消え、残っているのは消化されて黒い性質を失った、僅かな魔力だけだ。
眷属の能力も、黒い術式も残っていない。
ただの燃料。
それでも、僕の魔力経路が受け入れられる量を超えている。
「一度分だけなら、魔力を作れるかもしれない」
「作れる?」
レグルスが眉を寄せる。
「さっき吸収した魔力のうち、もう消化された分を使う。黒い術式としてじゃなく、普通の魔力に変えて流すんだ」
「成功するの?」
ティアナが尋ねた。
「分からない。使えても、《閃駆》一度で全部なくなると思う」
不確かなことは隠さない。
ティアナは不安そうに僕の左腕を見たが、それ以上は問わなかった。
「その一度が届く道を、私たちが作る」
眷属が大口を開いた。
黒い魔力の塊が形を作る。
「来る!」
レグルスの声より早く、ティアナが両手を床へ叩きつけた。
旧保守層の石床が大きく震える。
これまで彼女が張り巡らせてきた根が、一斉に成長した。
床を割って太い根が伸びる。
壁へ這い上がり、天井へ食い込み、幾本もの細い幹が眷属の周囲へ立ち並んだ。
地下の一室に、小さな森が生まれる。
「捕まえた!」
根が眷属の四本の脚へ絡む。
別の幹が肋骨状の装甲を左右から挟み、床と壁へ押しつけた。
眷属が身を捩る。
一本目の根が千切れ、二本目の幹が折れた。
「まだ!」
ティアナが新しい根を伸ばす。
壊されるたびに別の根が絡み、眷属の動きを鈍らせていく。
完全には止まらない。
それでも、突進も跳躍もできない。
そして森の中央には、僕から核まで続く直線だけが残されていた。
「道は空けたよ!」
眷属の核から黒い術式線が溢れた。
根へ触れた線が、樹皮を黒く染めていく。
侵食された幹が内側から裂けた。
「ティアナ、左の三本が切れる!」
「分かってる!」
フィアの細剣へ短い雷が走った。
雷光が黒い術式の脈動を浮かび上がらせる。
フィアは森の間を駆けた。
一本目。
根を侵食していた制御点を断つ。
二本目。
レグルスの進路を塞ごうとした線を斬る。
三本目。
僕の前へ防壁を作り始めていた黒い線を、脈打つ瞬間だけ狙って切り落とす。
すべてを一撃で断っているわけではない。
切った端から、別の線が再生する。
右手を痛めているはずなのに、フィアは一つずつ正確に追い続けた。
「レグルス、今!」
「言われるまでもない!」
レグルスが踏み込んだ。
銀槍の穂先へ、細く絞られた風が纏う。
眷属の前脚が根を引き千切り、レグルスへ振り下ろされた。
ティアナの幹が横からぶつかり、爪の軌道を僅かに逸らす。
レグルスの頬を黒い爪が掠めた。
それでも彼は止まらない。
フィアが最後の防御線を断つ。
肋骨状の装甲が開いた。
「貫け!」
銀槍が黒い核へ突き刺さった。
中心から僅かに外れた場所を貫通し、そのまま背後の石床へ深く食い込む。
眷属の身体が大きく跳ねた。
核の表面へ亀裂が走る。
しかし、止まらない。
黒い線が亀裂へ集まり、再生を始めていた。
「やはり、僕の槍だけでは足りないか」
レグルスが槍を押さえながら吐き捨てる。
彼の肩から血が滲み、足元が滑る。
それでも銀槍を抜かない。
核の動きを床へ固定し、僕が斬るべき亀裂を開いたままにしている。
「アルト!」
ティアナの声に、僕は剣を抜いた。
左腕の奥に残る魔力へ意識を向ける。
『剣など捨てろ』
ベルゼバスが囁く。
『核を喰え。すべてを力に変えろ』
「口は開かない」
暴食が消化した魔力の中から、使える分だけを選ぶ。
薄い第一階位防壁を一枚だけ作った。
防壁は何かを防ぐためではない。
魔力経路へ流す量を測る目盛りだ。
少しずつ流す。
黒い性質はない。
眷属の術式も、記憶も感じない。
ただの無属性魔力が、傷んだ魔力経路へ流れ込む。
「ぐっ……」
腕と胸が内側から軋んだ。
全部は使えない。
必要なのは一度分だけだ。
それ以上を流せば、攻撃する前に身体が壊れる。
「準備できた!」
僕が告げると、ティアナが根を持ち上げた。
森の中央に、一直線の通路が完成する。
左右の根は僕が逸れないための境界だ。
「途中では曲がれない。外さないでね」
「うん」
「外したら、次はないぞ」
レグルスが核の亀裂をさらに開く。
「分かってる」
「再生する線は私が切る」
フィアが僕の前方へ立った。
黒い線が一本、核から伸びる。
雷を纏った細剣がそれを断った。
「アルト、道が消える前に」
僕は剣を右手で握り、腰を落とす。
最小限の身体強化。
右脚と体幹だけを固める。
それでも筋肉が悲鳴を上げた。
次に、第一階位の摩擦軽減。
足元と、ティアナが空けた直線上の抵抗だけを僅かに減らす。
左右へ曲がる余地はない。
狙うのは、銀槍が作った核の亀裂。
「行く!」
短距離加速。
身体が前へ押し出された。
直後に軽量補助を繋ぐ。
自分の身体と剣が僅かに軽くなり、加速を失わず森の中央を滑る。
眷属が大口を開いた。
黒い魔力が形を作る。
「させない!」
フィアの雷が閃いた。
攻撃術式の制御点が切れ、黒い魔力が形を失う。
右から眷属の爪が迫る。
ティアナの根が幾重にも絡みつき、その動きを一瞬だけ止めた。
「真っ直ぐ!」
分かっている。
僕には曲がれない。
レグルスの銀槍が核を固定している。
亀裂はまだ開いている。
あと三歩。
あと二歩。
最後の一歩。
軽量補助を解除する。
剣だけへ、一瞬の加重補助。
軽かった剣へ本来以上の重さが戻り、右腕が沈みかける。
身体強化で支える。
最後に、剣身へ残った魔力のすべてを纏わせた。
身体強化。
短距離加速。
魔力纏い。
その三つを一瞬だけ繋ぐ。
「《閃駆》!」
景色が一本の線になった。
新しい技ではない。
完成した無敵の剣技でもない。
直線にしか進めず、一度しか使えず、単独では威力さえ足りない。
だから、ティアナが道を作った。
フィアが術式を断った。
レグルスが核を貫き、亀裂を作った。
三人が僕の欠点を埋めてくれた。
加重された剣が、銀槍のすぐ下へ入る。
魔力を纏った刃が亀裂を捉えた。
硬い。
一瞬、剣が止まりかける。
「斬れえええっ!」
右脚から残る力をすべて押し込んだ。
亀裂が広がる。
黒い核の中心を、剣が走り抜けた。
甲高い破砕音。
核が上下にずれ、そこから伸びていた黒い術式線が一斉に消える。
眷属の大口が開いたまま止まった。
根を引き千切ろうとしていた四本の脚から力が抜ける。
肋骨状の装甲が崩れ、黒い巨体が森の中へ沈んだ。
もう核は脈打たない。
再生する線もない。
僕は核を喰っていない。
眷属の身体も、能力も、記憶も取り込んでいない。
剣で斬った。
四人で届かせた剣で。
「止まった……?」
ティアナが息を切らしながら呟く。
フィアは細剣を構えたまま、核を見つめ続ける。
レグルスが銀槍を僅かに動かした。
反応はない。
「今度こそ、活動停止だ」
その言葉を聞いた瞬間、右脚の感覚が消えた。
魔力も完全に空になる。
胃を削る空腹が戻り、吐き気が喉まで込み上げた。
全身から冷たい汗が噴き出す。
左腕の紋章が焼けるように痛み、無理に魔力を流した経路まで軋んだ。
「アルト!」
傾いた身体を、ティアナの根が支えた。
フィアが左側から肩を押さえる。
レグルスも銀槍を手放し、反対側から僕の身体を受け止めた。
「まだ……三人は?」
掠れた声で尋ねる。
フィアが計測板を確認した。
「三つとも残ってる。一つは弱いけど、まだ消えてない」
救助任務は終わっていない。
僕が意識を失えば、三人の負担を増やしてしまう。
そう思って足へ力を込めた。
けれど、右脚は動かなかった。
視界が暗くなる。
最後に見えたのは、崩れた眷属ではない。
僕を支えるティアナと、フィアと、レグルスだった。
ティアナが固定した。
フィアが術式を断った。
レグルスが核を貫いた。
僕が、三人の作った道を走って核を斬った。
誰か一人では届かなかった。
僕たちは初めて、四人で格上へ勝った。
「四人で勝った――そう理解した瞬間、右脚から力が抜け、僕の意識は三人の声の中へ沈んだ。」
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