第45話 喰うな
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
眷属の肋骨状の装甲、その奥で黒い核が脈打っている。
ティアナの土が魔力を分けた。
フィアの雷が接続線を断った。
レグルスの槍と風が、核までの一本道を作った。
暴食が喰うべきものは、あの核一つ。
それだけのはずだった。
《核より近いものがある》
ベルゼバスの声が、頭蓋の内側へ染み込む。
一本道の両脇には、三人がいる。
外へ漏れた魔力はティアナの根によって地下へ逃がされていた。
それでも身体の内側までは隠せない。
ティアナの胸の奥に、温かな土と植物の魔力がある。
フィアの細い身体には、研ぎ澄まされた雷が巡っている。
レグルスの魔力経路を、澄んだ風が駆け抜けている。
見えてしまう。
香りまで分かる。
核へ向けていたはずの意識が、三人へ引かれる。
《雷を喰え》
「違う」
《土を喰え》
「三人は……違う」
《風を喰え》
左腕の口が開こうとする。
黒い紋章が肘の内側で蠢き、手袋の下から歯を鳴らすような感覚が伝わってきた。
喉が渇く。
胃は大量の魔力を呑み込んだはずなのに、空腹は深くなる一方だった。
僕は三人から目を逸らした。
見れば食べたくなる。
声を聞けば、身体の奥で揺れる魔力まで感じてしまう。
「逃げて」
三人は動かなかった。
「早く、僕から離れて」
「嫌だよ」
ティアナが答える。
彼女の声を聞いただけで、土の匂いが濃くなった。
僕は左腕を胸元へ抱え込む。
「外へ漏れる魔力を分けても、君たちの中にある魔力まで見える。このままだと、手を伸ばすかもしれない」
異変を隠さない。
危険を感じたら伝える。
四人で決めたことを守ったつもりだった。
だから、三人も逃げてくれると思いたかった。
ティアナの肩が小さく揺れる。
怖いのだ。
当然だ。
ついさっきまで仲間だった人間から、魔力を喰いたいと告げられたのだから。
「怖いよ」
ティアナは正直に言った。
それでも、一歩も後ろへ下がらない。
「でも、ここで逃げたら、アルトを一人にすることになる」
「一人の方が安全だ」
「誰にとって?」
答えられなかった。
三人にとっては安全だ。
僕が三人を喰わずに済む。
けれど、僕が飢えへ呑まれるのを止める人はいなくなる。
「私たちは食べ物じゃない。仲間だよ」
ティアナは震える手を握り締めた。
「だから、逃げない」
「君が喰いたいんじゃない」
フィアが告げる。
細剣は眷属へ向けたままだが、刃に雷は纏わせていない。
「君の中にいるものが、そう見せている」
彼女は僕の左袖を見ていた。
第38話から、ずっと。
何かがあると疑いながらも、今まで誰にも話さなかった。
「君が守ろうとした人間を、君の力には喰わせない」
「僕たちを勝手に獲物へ分類するな」
レグルスが銀槍を握り直す。
肩の傷から血が滲んでいる。
それでも、その目には恐怖より怒りがあった。
「敵を見誤るな。君の前にいる黒い獣が敵だ」
分かっている。
分かっているはずなのに、視線は眷属ではなく三人を追ってしまう。
《生きた魔力は甘い》
ベルゼバスの声と重なるように、暴食の眷属が低く唸った。
開かれた装甲の奥で、黒い核が強く脈打つ。
どくん。
左腕が応える。
どくん。
鼓動のたび、黒い紋章が皮膚を這う。
ティアナたちが切り離した接続線が、床や壁の黒い霧から再び伸び始めていた。
まだ細い。
だが、このまま時間が経てば眷属と圧縮魔力がもう一度繋がる。
携帯用の計測板も明滅した。
三つの弱い光。
そのうち一つが、消えかけるように細くなる。
奥にいる生徒たちにも時間がない。
「核を……」
僕は黒い核を見ようとする。
あれだけを喰えばいい。
三人が作ってくれた一本道の先へ、意識を向ければいい。
けれど、核は冷たい石のように見えた。
すぐ近くには、温かい魔力が三つある。
《一口で楽になる》
「ならない」
《手を伸ばせ》
「伸ばさない」
《近きものから喰らえ》
眷属の声が通路へ響く。
「器を満たせ」
温かな土の匂いが強くなる。
ティアナが最も近い。
彼女の根は、まだ僕の腰と足を支えている。
魔力の流れは地下へ逃がされているのに、根を通じて彼女の存在だけははっきり感じられた。
土。
草木。
日の当たる場所。
食べれば、この痛みが消える。
空腹も止まる。
そんなはずはない。
分かっているのに、僕の左肘が僅かに持ち上がった。
「アルト?」
ティアナの声が遠い。
左手を押さえていた右手の指が、一本ずつ剥がれていく。
僕の意思だ。
ベルゼバスが直接動かしているわけではない。
飢えている僕が、楽になりたくて力を緩めている。
「違う……」
止めなければ。
左腕は止まらない。
ゆっくりと、ティアナへ向かって伸びる。
彼女の顔が霞む。
明るい少女の顔ではない。
三人迷宮競技で地形を変えた仲間でもない。
舞踏会で一緒に踊った相手でもない。
ただ、土と植物の魔力を抱えた温かな食事。
そこまで考えた自分が、怖かった。
「逃げて……!」
僕は声を絞り出す。
ティアナは逃げなかった。
左手が彼女の肩へ近づく。
手袋の下で黒い紋章が裂け、存在しない牙を剥く。
あと一歩。
腕を伸ばせば届く。
《喰え》
その瞬間、三人が同時に動いた。
ティアナが地面へ広げていた内側の根から、緑色の光が消える。
魔力の供給を切ったのだ。
ただの植物へ戻った根が、僕の両足へ固く巻きつく。
腰を支えていた一本は左肘へ這い上がり、物理的な縄となって動きを止めた。
同時に、フィアの細剣から雷の気配が完全に消えた。
彼女は刃を向けない。
鞘を左手首の下へ滑り込ませ、そのまま上方へ押し上げた。
ティアナへ伸びていた手の軌道が逸れる。
レグルスも核へ通していた風を弱めた。
銀槍の穂先は眷属へ向けたまま。
長い柄だけを僕の胸元へ横に当て、梃子を利かせて身体を後ろへ押し戻す。
誰か一人なら耐えられたかもしれない。
根だけなら引き千切れた。
鞘だけなら振り払えた。
槍の柄だけなら潜り抜けられた。
けれど三つが同時に重なり、僕の左手はティアナへ届かなかった。
「喰うな!」
三人の声が重なった。
暴食の口へ向けた言葉だった。
僕を怪物と呼ぶ声ではない。
逃げるための悲鳴でもない。
ただ、僕の中にある飢えを止める命令だった。
「私を見て」
ティアナは手が届きかけた場所から逃げない。
その瞳には恐怖が残っている。
それでも僕を見ていた。
「食べ物じゃなくて、ティアナとして見て」
ティアナ。
その名前を、頭の中で繰り返す。
低い土壁の向こうで震えながら、それでも僕を一人にしなかった少女。
「君が守ろうとした人間を、君の力には喰わせない」
フィアは鞘を押し当てたまま言う。
右手には傷の名残がある。
その手が震えているのは、恐怖だけではない。僕の左腕を押し返す負荷がかかっているからだ。
「敵を見誤るな」
レグルスの銀槍が軋む。
「仲間を喰えば、君の負けだ。そんな勝ち方を僕は認めない」
ティアナの顔が見えた。
食事ではない。
土と植物の魔力を蓄えた器でもない。
怖いのに逃げず、僕を止めている一人の友人だ。
その隣にいる二人も同じだった。
雷でも、風でもない。
何度も競い、支え合い、ここまで一緒に来た仲間だった。
「喰うな」
僕は左腕へ命じる。
「三人は、食べ物じゃない」
黒い紋章の動きが僅かに鈍る。
けれど消えない。
袖の下に開いた口も、まだ閉じ切らない。
ベルゼバスは黙らず、喉の奥で笑い続けていた。
眷属の核も脈打っている。
床に散った黒い霧からは、新しい接続線が伸び始めていた。
計測板の三つの光も弱まっている。
三人は僕を押さえたまま、誰一人離れなかった。
「『喰うな!』三人の声が重なり、ティアナへ伸びた僕の左手は触れる寸前で止まった――それでも、袖の下の口はまだ飢えたままだった。」
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