第44話 雷、土、槍
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
ティアナの魔力が、焼きたてのパンに見える。
フィアの雷は舌を刺す香辛料。
レグルスの風は、乾いた喉へ流し込みたくなる冷たい水だった。
食べたい。
その衝動が自分のものなのか、ベルゼバスのものなのかも分からない。
喉が鳴る。
唾液を呑み込んでも、空腹は消えなかった。
《雷を喰え》
左腕を押さえる指へ力を込める。
「黙れ……」
《土を喰え》
黒い紋章は肘の近くまで這い上がっていた。
袖の下で開いた口が、まだ閉じてくれない。
《風を喰え》
「近づかないで!」
僕は三人から離れようとした。
けれど、腰に絡んだティアナの根がそれを許さない。
「今、君たちの魔力まで喰いたいと感じてる」
隠してはいけない。
異変も、負傷も、危険も。
四人でそう決めた。
「だから、この根を外して。僕が眷属を止める」
右手で剣の柄を握る。
一人で前へ出れば、少なくとも三人の魔力からは離れられる。
暴食の眷属を倒せる保証などない。
それでも、仲間を喰うよりは――。
鞘から剣を抜こうとした瞬間、石床が盛り上がった。
低い土壁が僕の前へ現れ、右手を柄から押し離す。
「今はアルトが戦う番じゃないよ」
ティアナは僕から数歩離れた位置にいた。
怖くないはずがない。
その証拠に、土壁を作った指先は僅かに震えていた。
それでも彼女は退かなかった。
「誰か一人が犠牲になろうとしたら、残り三人が止めるって決めたでしょ」
「でも、僕は君たちを――」
「今度は私たちが守る番」
はっきりとした声だった。
「動かないで」
フィアも眷属へ細剣を向けたまま告げる。
「君が魔力を吸い込むたび、あの獣は喜んでいる。前へ出れば、また同じことをされる」
「だが三人が魔法を使えば、その魔力まで僕が喰うかもしれない」
「なら、喰わせなければいい」
レグルスが銀槍の穂先を眷属へ向ける。
「君が倒れれば、行方不明の三人も救えない。戦えないのではない。今は戦わせない方が合理的だ」
尊大な口調は、いつもと変わらない。
「今くらいは黙って守られていろ」
《三つとも近い》
ベルゼバスが、頭の内側で牙を擦り合わせる。
《すべて喰えば、飢えは止まる》
「喰わない」
僕は剣の柄から右手を離した。
「絶対に、三人は喰わない」
暴食の眷属が大口を開く。
黒い魔力が牙の間に集まり、三つの爪へ形を変えた。
狙いは僕ではない。
ティアナ、フィア、レグルスへ一つずつ。
三人に魔法を使わせるつもりだ。
「来る!」
ティアナが床へ両手をついた。
黒い爪が放たれる。
一つ目の前で石床が斜めに隆起した。
真正面から受け止めるのではなく、傾いた土の表面で軌道を逸らす。
黒い爪が壁を削りながら天井へ突き刺さった。
フィアは横へ半歩だけ動いた。
細剣へ雷が走ったのは一瞬。
黒い爪の先端を斜めから叩き、身体の横へ流す。背後の石壁が砕け、欠片が彼女の頬を薄く切った。
最後の一つへ、レグルスが風をぶつける。
大きな風ではない。
穂先へ集中させた細い流れを爪の側面へ当て、僕たちのいない壁際へ押し込んだ。
三人とも、必要な瞬間にだけ魔力を使っている。
それでも僕には、放出された余分な魔力が鮮やかな食事に見えた。
左腕がフィアの雷へ引かれる。
根が腰を締め、僕の身体をその場へ留めた。
「ティアナ、根を切って! 君の魔力まで吸う!」
「切らない。でも、流す場所は変える」
ティアナが指を石床へ押し当てる。
「植物が勝手に敵と味方を見分けてくれるわけじゃない。だから、私が分ける」
床のひびから、新しい根が伸び始めた。
僕の周囲へ広がる内側の根。
眷属へ向かって伸びる外側の根。
二つの網は触れ合わず、それぞれ異なる深さを通っていく。
僕と三人の間には、腰ほどの高さの土壁が作られた。
視線を完全に遮るほどではない。
それでも、三人が放った魔力が僕の左腕へ直接届く道を塞いでいる。
「フィア、右足を一歩後ろへ!」
ティアナの指示に従い、フィアが位置を変える。
彼女の足元から漏れた雷が、内側の根を伝って地下へ逃げた。
次に、レグルスの風が土壁の外側へ曲げられる。
ティアナ自身の魔力も、僕へ近い根ではなく、床の深い部分を通って外へ送られた。
手作業だった。
ティアナは三人分の魔力を一つずつ確かめ、流れる方向を変えている。
額には汗が浮かんでいた。
「これで、少しは届きにくいはず」
確かに、パンのように見えていた温かな光が遠ざかる。
雷と風の味も、僅かに薄くなった。
けれど、眷属から流れ込む黒い魔力は止まっていない。
外側の根が圧縮魔力へ絡みつく。
途端に緑色だった根が黒く染まった。
一本。
二本。
幾つもの根が、空中の何もない場所へ引かれていく。
その周囲へ、髪の毛より細い黒線が浮かび上がった。
眷属の装甲から圧縮魔力へ伸びる接続線だ。
本体から放出された魔力を、一つの攻撃として繋ぎ止めている。
「見えた!」
ティアナが叫ぶ。
「根が黒くなっている場所! そこに線がある!」
フィアが駆けた。
雷光が通路を短く照らす。
細剣へ雷を流したままにはしない。
黒い接続線が脈打った一瞬だけ、刃へ細い雷を纏わせる。
一閃。
一本目の接続線が切れた。
空中に浮かんでいた圧縮魔力が形を失い、黒い霧となって壁へ散る。
左腕へ流れ込む量が僅かに減った。
「次、左上!」
ティアナが位置を示す。
フィアは床を蹴り、二本目を断った。
眷属が前脚を振るう。
装甲から伸びた爪がフィアを捉えようとするが、彼女は攻撃より早く身を沈めた。
爪が頭上を通り過ぎる。
その勢いで床を転がり、三本目の接続線を下から切り上げた。
「一度に切ればいいものではないのか?」
レグルスが風で眷属の追撃を押し返す。
「線が脈打つ時しか刃が入らない」
フィアが短く答える。
「それ以外では、剣の魔力を吸われる」
「ならば時間を作る。続けろ」
レグルスは眷属へ向き直った。
銀槍を前へ出し、穂先から何本もの細い風を放つ。
攻撃ではない。
眷属の肋骨状の装甲、その隙間を通る魔力の流れを探っている。
眷属が大口から黒い魔力弾を吐き出す。
ティアナの土壁が一発を逸らす。
二発目はレグルスの肩を掠め、制服を裂いた。
血が僅かに滲んだが、彼は槍を下ろさなかった。
「負傷を隠さない決まりだよ」
僕が言うと、レグルスは一瞬だけこちらを見る。
「浅い。腕も動く。任務続行に問題はない」
強がりだけではない。
槍を握る手にも、風の流れにも乱れはなかった。
「見つけた」
レグルスの目が細くなる。
「切られた線はすべて胸の中央へ戻ろうとしている。核はあの装甲の奥だ」
肋骨状の装甲が重なり、胸部を守っている。
その隙間では黒い光が脈打っていた。
「核を壊すの?」
ティアナが尋ねる。
「まだだ。封印区画とどう繋がっているか分からない。奥にいる三人へ影響が出れば救助にならない」
計測板を見る。
三つの反応は残っている。
だが、一つは先ほどより薄い。
時間は多くない。
「破壊せず、道だけを作る」
レグルスが眷属へ踏み込んだ。
眷属の前脚が振り下ろされる。
ティアナの根が脚へ絡み、一瞬だけ動きを鈍らせた。
その間にフィアが四本目の接続線を断つ。
レグルスの銀槍が、肋骨状の装甲の隙間へ滑り込んだ。
「開け!」
銀槍を梃子にして、装甲を外側へ押す。
眷属の身体が大きく揺れた。
閉じようとする装甲へティアナの外側の根が絡み、フィアが再び繋がろうとする黒線を断つ。
それでも装甲は重い。
レグルスの靴が石床を滑る。
肩の傷から血が増えた。
「一人でやるな!」
僕は思わず身を起こした。
腰の根が動きを止める。
レグルスはこちらを見ずに答えた。
「三人でやっている!」
ティアナの根が装甲を引く。
フィアの雷が接続線を断つ。
その二つがなければ、レグルスの槍はとっくに押し戻されていた。
彼は銀槍へ風を纏わせた。
左右へ広げる風ではない。
穂先から真っすぐに伸びる、一本の細い流れだ。
装甲の隙間へ入り込み、散らばっていた黒い魔力を左右へ押し退けていく。
黒い霧が割れた。
肋骨の奥に、握り拳ほどの核が現れる。
脈打つたびに、残ったすべての接続線が震えた。
眷属が低く唸る。
黒い線を繋ぎ直そうとするが、ティアナの根が流れを地表へ引き出し、フィアの細剣が一本ずつ断っていく。
《口を開け》
ベルゼバスが囁く。
《雷も、土も、風も、すべて喰え》
けれど、三人の魔力はもう僕の左腕へ真っすぐ流れていない。
パンの温かさが薄れる。
香辛料の刺激が遠ざかる。
喉を潤す水の輝きも消えていく。
空腹は残っていた。
暴食の口も、完全には閉じていない。
それでも、食事に見えるものは減った。
土が味方の魔力を分け、雷が黒い接続を断ち、槍が核への一本道を穿った――三人は、暴食が喰うべきものを一つだけにしてくれた。
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