第42話 裏切り者の教師
外扉を越えた途端、空気が変わった。
冷たいというより、重い。
携帯灯の白い光が石壁を照らす。壁や床には銀色の正規封印が走り、その隙間へ細い黒線が絡みついていた。
『四名の通信を確認。現在位置も問題なし』
通信石からノアの声が届く。
『最初の中継杭を接続する。聞こえ方に変化があれば、すぐ報告して』
「了解」
僕は短く答え、薄い第一階位防壁を作った。
紙よりも薄い防壁を、床の黒線へ触れない距離で並べていく。
一枚目には変化がない。
二枚目が僅かに歪み、三枚目だけが黒線の明滅に合わせて震えた。
「黒い魔力は床の下を通ってる。ただ、流れが一定じゃない。正規封印へ重なったり、離れたりを繰り返してる」
「周期は分かる?」
ティアナが尋ねる。
「まだ。もう少し測る」
「じゃあ、私は足元を見ておくね」
ティアナが石床の継ぎ目へ細い根を伸ばした。
根は壁際を這い、僕たちが通ってきた道へ続いていく。床を補強すると同時に、退路を示す目印にもなる。
フィアは前方へ走った。
雷光は一瞬だけ。
次の瞬間には、通路の曲がり角から戻っていた。
「この先、分岐はない。動いているものも見えない」
それだけ告げると、僕たちの前へ出すぎない位置に立つ。
レグルスは銀槍の石突きを床へ置き、細い風を通路の奥へ放った。
「四十歩ほど先で、空気が下へ流れている。下層へ繋がる空間があるらしい」
『こちらでも反応が変わった』
ノアの声に、僅かな緊張が混じる。
『行方不明者三名の在籍証は、君たちよりさらに下だ。生命反応は弱いが、三人ともまだ消えていない』
ティアナが唇を引き結んだ。
「急ごう。でも、走らない」
「ああ。救助が先だ」
レグルスが応じる。
僕たちは速度を上げず、確認を重ねながら進んだ。
黒い魔力線を追うことも、証拠を探すことも後回しだ。
生きている三人を連れ帰る。
それが僕たちの任務だった。
やがて通路が開け、円形の床へ行き着いた。
直径は十歩ほど。
中央には何もなく、銀色の線だけが幾何学模様を描いている。
奇妙なのは、通路の両端を走っていた黒線が、円形床だけを避けるように迂回していることだった。
「待って」
僕は薄い防壁を一枚ずつ前へ滑らせた。
床の縁。
中央。
反対側。
どこへ置いても、攻撃術式らしい反応はない。
黒い線も防壁を引かなかった。
「床そのものに、直接攻撃する術式は見つからない」
「でも、下は空洞だよ」
ティアナが膝をつき、床へ手を当てていた。
石の振動を確かめるように、指先から細い根を伸ばしている。
「かなり深い。根が途中から下へ垂れてる」
レグルスも床の小さな隙間へ風を送り込んだ。
数秒後、眉を寄せる。
「広い空間だ。底までは測れない。それに、この先へ行くには床を渡るしかない」
フィアが対岸を見た。
通路は円形床の向こうへ真っすぐ続いている。
「一人ずつ渡る?」
「いや」
僕は首を横へ振った。
「床が反応するなら、一人だけ取り残されるかもしれない。決めた通り、離れずに行こう」
僕たちは間隔を空けすぎず、四人で円形床へ踏み込んだ。
一歩。
二歩。
中央へ到達した時だった。
『四人とも、そこで止まってください』
通信石から、セレネ先生の声が届いた。
抑揚の少ない、静かな声だった。
僕たちは同時に足を止める。
「セレネ先生?」
『動かないでください』
『どういうことですか?』
ノアが割って入った。
『その床には、こちらの記録にない操作経路があります。四人を戻してください』
返事の代わりに、低い音が響いた。
背後の通路で、銀色の光が縦に走る。
外扉が閉じた。
「退路が!」
ティアナが振り返る。
床や壁を這っていた根へ、黒い色が滲んだ。
根は腐ったのではない。
何かに切断されたように、一斉に力を失った。
通路の奥で、中継杭の光が一つ消える。
さらに一つ。
外側から順番に、僕たちへ近づきながら沈黙していく。
『認証経路が書き換えられてる!』
ノアの声が乱れた。
『中継杭が外側から切られてる。すぐに戻って! 聞こえてるなら、すぐ――』
激しい雑音が言葉を呑み込む。
『セレネ、何をしている!』
今度はバルト先生の怒声が響いた。
その後ろで、何人もの教師が術式を止めようとしている声が重なる。
だが、銀色の正規封印と黒い線は同時に動いていた。
通信の向こうで、セレネ先生だけが冷静だった。
『救出任務はここで終了です』
「先生、三人はまだ中にいるんです!」
ティアナの叫びにも、声は揺れない。
『進入した四名は封印に処理されました』
息が止まりそうになった。
処理された。
それは、僕たちを生きて帰さないという報告にしか聞こえなかった。
『これで、封印区画から戻る者はいません』
その言葉の直後だった。
左腕の紋章が、袖の下で疼いた。
黒い魔力が一度だけ脈打った。
けれど、その反応は入口からではない。
セレネ先生が封印を操作している方向とは違う。もっと上方の、横へ離れた場所から、眠っていた黒線が目を覚ましたような反応だった。
「君の腕……」
フィアの視線が僕の左袖へ落ちる。
僕が答えるより先に、足元で銀色の線が輝いた。
円形床が四つに分かれた。
爆発ではない。
崩れたのでもない。
最初からそう動くように作られていたかのように、分割された床が整然と壁の中へ引き込まれていく。
「落ちる!」
僕たち四人の身体が、同じ暗闇へ投げ出された。
ティアナが両手を伸ばす。
「離れないで!」
根が宙を走り、僕たちの腕や腰を繋いだ。
だが、天井側の根は黒線に断ち切られている。四人を結びつけることはできても、落下そのものは止められない。
「上へ吹け!」
レグルスの風が、下から僕たちを押し上げる。
落下速度が僅かに緩んだ。
それでも身体は暗闇へ吸い込まれていく。
フィアが落ちてきた石片を蹴った。
雷光が散り、その反動でティアナの身体を僕たちの側へ寄せる。
続けて壁へ靴底を当て、回転しかけたレグルスの姿勢を直した。
僕は下方へ薄い防壁を作った。
一枚目が暗闇に消える。
二枚目も砕ける。
三枚目は壊れるまで僅かに長かった。
まだ深い。
次々と防壁を置き、砕けるまでの間隔を測る。
一枚が、これまでと違う反応を返した。
黒く侵食されたのではない。
銀色の光を帯びて、大きくたわんだ。
下方の中央に、正規術式がある。
落下を受け止めるための術式だ。
「中央へ!」
ティアナが根を縮め、四人の距離を詰めた。
フィアが壁を蹴り、僕の肩を押して軌道を変える。
レグルスが風向きを傾け、僕たちを空間の中央へ流した。
直後、足元に銀色の円が広がった。
柔らかな力が身体を包む。
落下の勢いが一度に消えたわけではない。
僕たちは銀色の膜を突き抜け、石床へ転がった。
「っ……!」
肩を強く打ち、息が詰まる。
それでも骨は折れていない。
僕はすぐに顔を上げた。
「全員、返事をして!」
「私は平気。腕を擦っただけ」
ティアナが起き上がる。
「問題ない」
フィアは片膝をついていたが、すぐに立った。
「無事だ。まったく、歓迎の仕方を知らない区画だな」
レグルスも銀槍を支えに身体を起こす。
四人とも動ける。
誰も異変を隠していない。
僕たちは、まだ決まりを守れていた。
携帯灯を掲げる。
落ちた先は、低い天井と太い支柱が並ぶ古い通路だった。壁には薄れた銀色の術式が残り、僕たちを受け止めた円もゆっくりと消えていく。
「旧い保守用の層みたい」
ティアナが天井を見上げた。
穴はすでに閉じている。
根を伸ばしても、継ぎ目へ届く前に銀色の光に押し戻された。
通信石からは、もう雑音すら聞こえない。
中継杭も沈黙していた。
「裏切ったの……?」
ティアナの声が硬くなる。
「セレネ先生が、本当に?」
「認証記録に今回の行動まで加えれば、そう考えるのが自然だ」
レグルスは床の銀色の円へ目を向けた。
「だが、僕たちを殺すだけなら、この術式は不要だ。落下を緩める必要などない」
「床も壊されたんじゃない」
僕は開いた時の光景を思い返す。
「正規の操作で、僕たち全員を同じ場所へ落とした」
フィアが上を見上げた。
「しかも、あの三人に近い場所へ」
断定はできない。
緩衝術式まで含めた罠かもしれない。
僕たちを生かして、別の何かに利用するつもりなのかもしれない。
セレネ先生が本当に裏切った可能性も、まだ消えてはいなかった。
ただ、あの偽りの報告の直後に動いた黒い魔力だけが引っかかる。
左腕を押さえると、フィアがこちらを見た。
けれど、何も尋ねなかった。
「議論は後だ」
レグルスが携帯用の計測板を確認する。
そこには三つの弱い光が灯っていた。
落下前より、明らかに強い。
「救助対象は、この先にいる」
「生きてるんだね」
ティアナは短く息を吐き、立ち上がった。
「なら、任務を続けよう。先生のことを考えるのは、三人を連れて帰ってから」
「同意する」
フィアが通路の闇へ目を向ける。
僕も沈黙した通信石を握り直した。
外へ状況を伝える方法はない。
退路も閉ざされ、周囲からの支援も届かない。
それでも、僕たちは四人一緒にいる。
「単独で進まない。異変を隠さない。危険なら四人で戻る」
僕が確かめると、三人が頷いた。
帰り道が見つかっていなくても、その約束まで失ったわけじゃない。
通信も退路も失った暗闇で、僕たちに残されたのは、裏切り者としか思えない教師の声と、さらに深部から届く三人分の生命反応だけだった。
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