第40話 一人で行かせない
眠りについたミナの枕元で、七色の花火を描いた紙だけが揺れていた。
医務室の窓から差し込む夕日が、その拙い絵を橙色へ染めている。
「顔色も戻ってきたね」
ティアナが寝具の端を整えながら言った。
明るく聞こえるように作った声だった。
けれど、眠るミナの首元へ視線が移るたび、その表情は硬くなる。
もう黒い紋様など残っていない。
魂にも肉体にも後遺症はないと、医療担当者が確認している。
それでもティアナの目には、昨夜の光景が残っているのだろう。
「私、アルトの夕食を取ってくるね」
ティアナが急に立ち上がった。
「朝からずっとお腹が空いてるみたいだし。左腕も、まだ痛そうだったから」
「その前に、これを飲んで」
メルナが温かな器を差し出した。
「私は平気だよ」
「平気な人は、眠っている友達の脈を何度も確かめないよ」
ティアナの手が止まる。
僕は少し離れた机で、見舞い用の荷物をまとめていた。
聞こえていないふりをすることはできた。
けれど、そうしてはいけない気がした。
「ミナは助かったよ」
ティアナは器を受け取らずに言った。
「だから、もう大丈夫。アルトの方が――」
「アルトを支えるために、自分の怖さまで隠さなくていいよ」
メルナの声は優しかった。
いつものように冗談で誤魔化しもしない。
「でも、私まで暗い顔をしていたら……」
「支える側にも、支えてもらう権利はあるんだから」
メルナはティアナの手を取り、その指へ器を持たせた。
「そばへ行くなら、笑って我慢するんじゃなくて、怖かったことも怒っていることも言ってきて」
湯気の向こうで、ティアナが唇を噛んだ。
「怒っていいのかな」
「怒られて当然のことをする人ならね」
一瞬だけ、メルナの蜂蜜色の瞳が僕へ向いた。
気づかれている。
僕が何を考えているかまでは分からなくても、また一人で抱え込もうとしていることは見抜かれていた。
それでも僕の決意は変わらなかった。
ティアナが怖がっているなら、なおさら連れていけない。
魂蝕の呪いがもう一つ残っていれば、次は助けられるとは限らない。
これ以上、誰かが黒い呪いへ倒れるところを見たくなかった。
夜になり、僕は自室の机へ学院地下の略図を広げた。
調査室で確認した道を、記憶の限り書き写したものだ。
封印区画へ続く階段。
途中にある二つの分岐。
痕跡が途切れていた位置。
退路には印を付けてある。
剣を腰へ下げる。
鞘に結ばれた緑色の組紐が指先へ触れた。
次に、携帯灯、応急処置用品、携帯食、記録用の紙を小さな鞄へ詰める。
魂蝕の呪いを消化したことで、僕の器は僅かに広がった。
魔力経路も以前より負荷へ耐えられる。
それでも、僕の魔力量は学年下位のままだ。
広がった器の奥では、前より深くなった空腹が静かに疼いている。
左腕にも痛みが残っていた。
暴食は使わない。
薄い防壁で痕跡を測り、危険があれば戻る。
調べるだけだ。
僕一人なら、失敗しても被害は僕だけで済む。
正しい判断だと言い切ることはできなかった。
それでも、仲間を危険へ連れていくよりはいい。
そう自分へ言い聞かせ、部屋を出た。
消灯後の学院は静かだった。
祭りの名残はすでになく、廊下の魔導灯も最低限しか点いていない。
封印区画へ続く地下階段が見えてくる。
その前に、一人の少女が立っていた。
「どこへ行くつもり?」
壁から背を離したフィアが、僕を見据える。
金髪の上の黒いカチューシャだけが、薄暗い廊下でくっきりと見えた。
「どうしてここに?」
「質問に答えて」
逃げても意味はない。
僕は足を止めた。
「封印区画へ行く」
「一人で?」
「うん」
フィアの視線が、僕の鞄から腰の剣へ移る。
最後に見たのは、制服で隠された左腕だった。
「何かを隠していることは分かる」
その言葉へ、胸が強く脈打った。
「今は聞かない。それが何なのか、ここで話せとも言わない」
フィアは階段の前から退かなかった。
「でも、その秘密を理由に一人で消えるのは認めない」
「秘密を守るためだけじゃない」
「なら、理由を言って」
返答を探した時、廊下の奥から足音が近づいてきた。
ティアナとレグルスだった。
「私が知らせた」
フィアが短く言う。
僕の秘密については何も話していない。
単独で封印区画へ向かおうとしていることだけを伝えたのだろう。
ティアナは僕の前まで来た。
走ってきたらしく、肩で小さく息をしている。
「私たちへ何も言わずに行くつもりだったの?」
「そうだよ」
嘘をつくことだけはできなかった。
ティアナの顔に痛みが走る。
それでも目を逸らさず、僕の答えを待っている。
「また魂蝕のような呪いがあるかもしれない。痕跡を追えるのは僕だけかもしれないんだ」
「だから一人で?」
「僕一人なら、何かあっても被害は僕だけで済む。君たちを巻き込みたくない」
ティアナがゆっくり息を吸った。
「私、怖いよ」
予想していなかった言葉に、僕は黙る。
「ミナの身体に黒いものが広がったところを、何度も思い出す。封印区画にも同じものがあったらって考えたら、今も逃げたい」
握られた指が震えている。
ティアナはそれを隠さなかった。
「それでも、アルトが一人で行く方が怖い」
「ティアナを守るためなんだ」
「守るって、何も言わずに置いていくことじゃないよ」
静かな声だった。
泣いて同行を頼む声ではない。
自分の意思を、僕へ伝える声だった。
「アルトが私を守るために一人になるなら、私はアルトを守れない」
「でも――」
「互いに守るって約束したのに、私の側だけ選ぶ権利をなくさないで」
胸の奥へ、鈍い痛みが広がった。
僕はティアナを守るつもりだった。
そのために、ティアナが僕を守るという選択を奪おうとしていた。
「私なら、土で古い床を安定させられる。壁が崩れても支えられるし、根を残せば退路の目印にもできる」
感情だけではない。
ティアナには、僕にできない役割がある。
「それでも、呪いを直接防げるわけじゃない」
「君一人なら防げるの?」
フィアの声が割って入る。
答えられなかった。
「君の魔力は少ない。罠を解析している間、周囲への注意も薄くなる。一人では背後を確認できない」
「戦うために行くんじゃない」
「封印区画にいる何かが、こちらの目的へ合わせてくれるとは限らない」
フィアの右手が細剣の柄へ添えられる。
抜くためではない。
自分が何を担えるか示すためだ。
「私は短い距離だけ先を確認できる。罠が動けば、君たちを引き戻すこともできる」
その視線が僕の左袖へ落ちた。
「秘密があることと、一人で死にに行くことは別」
声に責める響きはなかった。
「君が前だけを見るなら、後ろを見る人間が必要」
何を見たのか、何を疑っているのか。
フィアは口にしない。
僕の秘密を暴く代わりに、独りで消えることだけを拒んでいた。
「二人の言う通りだ」
レグルスが銀槍の石突きを床へ置く。
「君の計画は配慮ではない。必要な戦力を自分から捨てているだけだ」
「三人を戦力外だと思ったわけじゃない」
「ならば、僕たちを守るという名目で戦力外にするな」
レグルスは僕を真っ直ぐ睨んだ。
「巻き込まれるかどうかも、危険を負うかどうかも、君一人が決めることではない」
「僕には、君たちへ危険を頼む権利なんて――」
「僕は君の部下ではない。だから、君の勝手な命令に従う理由もない」
レグルスは鼻を鳴らす。
「同行は僕自身の判断だ。君に頼まれたからではない」
彼らしい言い方だった。
「地下では風を先へ流せる。淀みがあれば閉鎖空間、流れが不自然なら仕掛けがある。銀槍なら、怪しい装置にも距離を保って触れられる」
ティアナが地形を支える。
フィアが短距離の先行確認と救助を担う。
レグルスが風で死角や罠を探る。
僕は黒い術式の周期と痕跡を解析する。
一人では、痕跡を見る間に背後が空く。
床が崩れれば退路を失う。
危険な装置へ近づかなければ、調べることもできない。
四人なら絶対に安全なわけではない。
それでも、一人より生還できる可能性は明らかに高かった。
「無計画に一緒に来たわけじゃないよ」
ティアナが小さな通信石を取り出す。
「メルナから預かってきたの。決めた時刻までに戻らなければ、バルト先生へ知らせるって」
メルナはミナのそばへ残る。
同行せず、僕たちが戻らない時の安全策を引き受けたのだ。
「まず帰還時刻を決める」
レグルスが地図を要求するように手を差し出した。
「それから退路、合図、撤退条件だ。誰かの独断で先へ進むことは禁止する」
「異変や負傷を隠すのも禁止」
フィアが続ける。
また左腕を見られた。
「危険だと思ったら、四人で戻る」
ティアナが言う。
「誰か一人が犠牲になろうとしたら、残り三人で止める。それも決まりにしよう」
「僕へ言ってる?」
「今はね」
ティアナが、ほんの少しだけ口元を緩めた。
すぐに真剣な表情へ戻る。
「今度は、誰か一人だけが守る側にならないようにしよう」
危険が大きくなるほど、僕は一人で背負おうとしていた。
仲間を信じていないわけではない。
失うことが怖かった。
だから、自分だけが傷つけばいいと考えた。
けれどそれは、僕を失いたくないと思う三人の意思を無視する選択でもあった。
自分が傷つく覚悟だけでは、誰かを守ったことにはならない。
僕は鞄から地下図を取り出し、床へ広げた。
「入るなら四人だ」
レグルスが言う。
「戻る時も四人だ」
フィアが頷く。
ティアナは何も急かさず、僕の答えを待っていた。
「分かった。四人で行こう」
地図へ三人分の役割を書き加える。
フィアが確認する範囲。
ティアナが退路を固定する地点。
レグルスが風を流す分岐。
撤退の合図と帰還時刻。
一人で向かうための地図は、四人で帰るための地図へ変わった。
僕たちはまだ階段を下りない。
封印区画の内部にも入らない。
その手前で四人並び、暗い地下へ続く道を見つめた。
守るために一人で向かうはずだった道へ、その夜、四つの足音が並んだ。
「面白かった!」
「続きが気になる、読みたい!」
「今後どうなるの!!」
と思ったら
下にある⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎から、作品の応援をお願いいたします。
面白かったら星5つ、つまらなかったら星1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です!
ブックマークといただけると本当に嬉しいです。
何卒よろしくお願いいたします。




