第40話 一人で行かせない
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
眠りについたミナの枕元で、七色の花火を描いた紙だけが揺れていた。
医務室の窓から差し込む夕日が、その拙い絵を橙色へ染めている。
「顔色も戻ってきたね」
ティアナが寝具の端を整えながら言った。
明るく聞こえるように作った声だった。
けれど、眠るミナの首元へ視線が移るたび、その表情は硬くなる。
もう黒い紋様など残っていない。
魂にも肉体にも後遺症はないと、医療担当者が確認している。
それでもティアナの目には、昨夜の光景が残っているのだろう。
「私、アルトの夕食を取ってくるね」
ティアナが急に立ち上がった。
「朝からずっとお腹が空いてるみたいだし。左腕も、まだ痛そうだったから」
「その前に、これを飲んで」
メルナが温かな器を差し出した。
「私は平気だよ」
「平気な人は、眠っている友達の脈を何度も確かめないよ」
ティアナの手が止まる。
僕は少し離れた机で、見舞い用の荷物をまとめていた。
聞こえていないふりをすることはできた。
けれど、そうしてはいけない気がした。
「ミナは助かったよ」
ティアナは器を受け取らずに言った。
「だから、もう大丈夫。アルトの方が――」
「アルトを支えるために、自分の怖さまで隠さなくていいよ」
メルナの声は優しかった。
いつものように冗談で誤魔化しもしない。
「でも、私まで暗い顔をしていたら……」
「支える側にも、支えてもらう権利はあるんだから」
メルナはティアナの手を取り、その指へ器を持たせた。
「そばへ行くなら、笑って我慢するんじゃなくて、怖かったことも怒っていることも言ってきて」
湯気の向こうで、ティアナが唇を噛んだ。
「怒っていいのかな」
「怒られて当然のことをする人ならね」
一瞬だけ、メルナの蜂蜜色の瞳が僕へ向いた。
気づかれている。
僕が何を考えているかまでは分からなくても、また一人で抱え込もうとしていることは見抜かれていた。
それでも僕の決意は変わらなかった。
ティアナが怖がっているなら、なおさら連れていけない。
魂蝕の呪いがもう一つ残っていれば、次は助けられるとは限らない。
これ以上、誰かが黒い呪いへ倒れるところを見たくなかった。
夜になり、僕は自室の机へ学院地下の略図を広げた。
調査室で確認した道を、記憶の限り書き写したものだ。
封印区画へ続く階段。
途中にある二つの分岐。
痕跡が途切れていた位置。
退路には印を付けてある。
剣を腰へ下げる。
鞘に結ばれた緑色の組紐が指先へ触れた。
次に、携帯灯、応急処置用品、携帯食、記録用の紙を小さな鞄へ詰める。
魂蝕の呪いを消化したことで、僕の器は僅かに広がった。
魔力経路も以前より負荷へ耐えられる。
それでも、僕の魔力量は学年下位のままだ。
広がった器の奥では、前より深くなった空腹が静かに疼いている。
左腕にも痛みが残っていた。
暴食は使わない。
薄い防壁で痕跡を測り、危険があれば戻る。
調べるだけだ。
僕一人なら、失敗しても被害は僕だけで済む。
正しい判断だと言い切ることはできなかった。
それでも、仲間を危険へ連れていくよりはいい。
そう自分へ言い聞かせ、部屋を出た。
消灯後の学院は静かだった。
祭りの名残はすでになく、廊下の魔導灯も最低限しか点いていない。
封印区画へ続く地下階段が見えてくる。
その前に、一人の少女が立っていた。
「どこへ行くつもり?」
壁から背を離したフィアが、僕を見据える。
金髪の上の黒いカチューシャだけが、薄暗い廊下でくっきりと見えた。
「どうしてここに?」
「質問に答えて」
逃げても意味はない。
僕は足を止めた。
「封印区画へ行く」
「一人で?」
「うん」
フィアの視線が、僕の鞄から腰の剣へ移る。
最後に見たのは、制服で隠された左腕だった。
「何かを隠していることは分かる」
その言葉へ、胸が強く脈打った。
「今は聞かない。それが何なのか、ここで話せとも言わない」
フィアは階段の前から退かなかった。
「でも、その秘密を理由に一人で消えるのは認めない」
「秘密を守るためだけじゃない」
「なら、理由を言って」
返答を探した時、廊下の奥から足音が近づいてきた。
ティアナとレグルスだった。
「私が知らせた」
フィアが短く言う。
僕の秘密については何も話していない。
単独で封印区画へ向かおうとしていることだけを伝えたのだろう。
ティアナは僕の前まで来た。
走ってきたらしく、肩で小さく息をしている。
「私たちへ何も言わずに行くつもりだったの?」
「そうだよ」
嘘をつくことだけはできなかった。
ティアナの顔に痛みが走る。
それでも目を逸らさず、僕の答えを待っている。
「また魂蝕のような呪いがあるかもしれない。痕跡を追えるのは僕だけかもしれないんだ」
「だから一人で?」
「僕一人なら、何かあっても被害は僕だけで済む。君たちを巻き込みたくない」
ティアナがゆっくり息を吸った。
「私、怖いよ」
予想していなかった言葉に、僕は黙る。
「ミナの身体に黒いものが広がったところを、何度も思い出す。封印区画にも同じものがあったらって考えたら、今も逃げたい」
握られた指が震えている。
ティアナはそれを隠さなかった。
「それでも、アルトが一人で行く方が怖い」
「ティアナを守るためなんだ」
「守るって、何も言わずに置いていくことじゃないよ」
静かな声だった。
泣いて同行を頼む声ではない。
自分の意思を、僕へ伝える声だった。
「アルトが私を守るために一人になるなら、私はアルトを守れない」
「でも――」
「互いに守るって約束したのに、私の側だけ選ぶ権利をなくさないで」
胸の奥へ、鈍い痛みが広がった。
僕はティアナを守るつもりだった。
そのために、ティアナが僕を守るという選択を奪おうとしていた。
「私なら、土で古い床を安定させられる。壁が崩れても支えられるし、根を残せば退路の目印にもできる」
感情だけではない。
ティアナには、僕にできない役割がある。
「それでも、呪いを直接防げるわけじゃない」
「君一人なら防げるの?」
フィアの声が割って入る。
答えられなかった。
「君の魔力は少ない。罠を解析している間、周囲への注意も薄くなる。一人では背後を確認できない」
「戦うために行くんじゃない」
「封印区画にいる何かが、こちらの目的へ合わせてくれるとは限らない」
フィアの右手が細剣の柄へ添えられる。
抜くためではない。
自分が何を担えるか示すためだ。
「私は短い距離だけ先を確認できる。罠が動けば、君たちを引き戻すこともできる」
その視線が僕の左袖へ落ちた。
「秘密があることと、一人で死にに行くことは別」
声に責める響きはなかった。
「君が前だけを見るなら、後ろを見る人間が必要」
何を見たのか、何を疑っているのか。
フィアは口にしない。
僕の秘密を暴く代わりに、独りで消えることだけを拒んでいた。
「二人の言う通りだ」
レグルスが銀槍の石突きを床へ置く。
「君の計画は配慮ではない。必要な戦力を自分から捨てているだけだ」
「三人を戦力外だと思ったわけじゃない」
「ならば、僕たちを守るという名目で戦力外にするな」
レグルスは僕を真っ直ぐ睨んだ。
「巻き込まれるかどうかも、危険を負うかどうかも、君一人が決めることではない」
「僕には、君たちへ危険を頼む権利なんて――」
「僕は君の部下ではない。だから、君の勝手な命令に従う理由もない」
レグルスは鼻を鳴らす。
「同行は僕自身の判断だ。君に頼まれたからではない」
彼らしい言い方だった。
「地下では風を先へ流せる。淀みがあれば閉鎖空間、流れが不自然なら仕掛けがある。銀槍なら、怪しい装置にも距離を保って触れられる」
ティアナが地形を支える。
フィアが短距離の先行確認と救助を担う。
レグルスが風で死角や罠を探る。
僕は黒い術式の周期と痕跡を解析する。
一人では、痕跡を見る間に背後が空く。
床が崩れれば退路を失う。
危険な装置へ近づかなければ、調べることもできない。
四人なら絶対に安全なわけではない。
それでも、一人より生還できる可能性は明らかに高かった。
「無計画に一緒に来たわけじゃないよ」
ティアナが小さな通信石を取り出す。
「メルナから預かってきたの。決めた時刻までに戻らなければ、バルト先生へ知らせるって」
メルナはミナのそばへ残る。
同行せず、僕たちが戻らない時の安全策を引き受けたのだ。
「まず帰還時刻を決める」
レグルスが地図を要求するように手を差し出した。
「それから退路、合図、撤退条件だ。誰かの独断で先へ進むことは禁止する」
「異変や負傷を隠すのも禁止」
フィアが続ける。
また左腕を見られた。
「危険だと思ったら、四人で戻る」
ティアナが言う。
「誰か一人が犠牲になろうとしたら、残り三人で止める。それも決まりにしよう」
「僕へ言ってる?」
「今はね」
ティアナが、ほんの少しだけ口元を緩めた。
すぐに真剣な表情へ戻る。
「今度は、誰か一人だけが守る側にならないようにしよう」
危険が大きくなるほど、僕は一人で背負おうとしていた。
仲間を信じていないわけではない。
失うことが怖かった。
だから、自分だけが傷つけばいいと考えた。
けれどそれは、僕を失いたくないと思う三人の意思を無視する選択でもあった。
自分が傷つく覚悟だけでは、誰かを守ったことにはならない。
僕は鞄から地下図を取り出し、床へ広げた。
「入るなら四人だ」
レグルスが言う。
「戻る時も四人だ」
フィアが頷く。
ティアナは何も急かさず、僕の答えを待っていた。
「分かった。四人で行こう」
地図へ三人分の役割を書き加える。
フィアが確認する範囲。
ティアナが退路を固定する地点。
レグルスが風を流す分岐。
撤退の合図と帰還時刻。
一人で向かうための地図は、四人で帰るための地図へ変わった。
僕たちはまだ階段を下りない。
封印区画の内部にも入らない。
その手前で四人並び、暗い地下へ続く道を見つめた。
守るために一人で向かうはずだった道へ、その夜、四つの足音が並んだ。
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