第39話 祭りの終わり
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
七色の旗が、朝の風の中で一本ずつ外されていた。
光の帯は消え、屋台の跡には空の木箱だけが積まれている。
昨夜まで花火を打ち上げていた魔導具は、それぞれ切り離され、灰色の封印布で覆われていた。
黒い術式による魔力吸収は止まっている。
教師たちが祭典用魔導具を個別に隔離したことで、新たな被害も出ていない。
それでも校門には帰宅を待つ家族が並び、学院職員が一人ずつ昨夜の状況を聞き取っていた。
七彩祭は、完全に終わっていた。
「大丈夫?」
隣を歩くティアナが、僕の顔を覗き込んだ。
「少し空腹なだけだよ」
朝食は普段の倍近く食べた。
それなのに、胃の底には何も届いていないような感覚が残っている。
魂蝕の呪いを消化して広がった器は、元には戻っていない。
胸の内側に生まれた僅かな余白も、以前より負荷へ耐えられる魔力経路も、確かに僕のものになっていた。
その代わり、左腕の奥では深くなった飢えが静かに口を開けている。
僕は制服の上から左腕を押さえた。
一歩後ろを歩くフィアの視線が、そこへ向けられている。
目が合うと、フィアは何も言わず前を向いた。
問い詰めてはこない。
だからこそ、彼女が昨夜の光景を忘れていないことが分かった。
医務室の前では、メルナが温かな飲み物の入った器を二つ持って待っていた。
「ミナ、起きてるよ。ただし長話は禁止だって」
「うん」
ティアナの返事には、いつもの弾むような明るさがなかった。
扉を開けると、白い寝台の上でミナが身体を起こしていた。
顔色はまだ白い。
けれど首元にも腕にも、黒い紋様は残っていなかった。
「おはよう。みんなで来ると、医務室が狭くなるね」
「それを言えるなら安心した」
僕が答えると、ミナは小さく笑った。
枕元には一枚の紙が立てかけられている。
七色の花火と、両腕を広げた茶色い髪の少女。その後ろには、何人もの子どもたちが描かれていた。
「昨日の子が置いていったんだって」
ミナが紙を見つめる。
「家族のところへ帰れたんだね」
「全員、無事だよ」
ティアナが答えた。
その言葉に、ミナは安心したように肩の力を抜いた。
医療担当者の検査では、魂に欠けた部分はない。肉体にも後遺症は残らず、消耗が戻れば退院できるという。
昨夜、ほんの一瞬でも狙いを誤っていたら、そうはならなかった。
「怖くなかったの?」
ティアナが俯いたまま尋ねた。
ミナはすぐには答えなかった。
布団の上へ置いた自分の手を見つめ、指をゆっくり握る。
「怖くなかったわけじゃないよ」
笑顔は浮かべなかった。
「黒いものがこっちへ来た時、何が起こるのか分からなかった。倒れてからも、ずっと寒かったし……本当は、すごく怖かった」
ティアナの肩が僅かに震えた。
「私が、もっと早く道を作れていたら……」
「ティアナは道を作ってたよ。だから、あの子たちは逃げられたんでしょ?」
「でも、ミナは――」
言葉が続かなかった。
メルナは励ましの言葉を急がなかった。
ティアナの手へ温かい器を持たせ、その隣の椅子へ腰を下ろす。
「今すぐ元気にならなくてもいいよ」
いつものからかうような笑みではなく、静かな声だった。
「ミナが目を覚ましている時に、ここにいればいいんだから」
ティアナは器を両手で包み、小さく頷いた。
ミナは枕元の絵へ視線を戻す。
「考えるより先に、あの子を押してたの。もう一度同じことが起きたら、ちゃんと考えて動けるかは分からないけど」
「退院後も騎士を目指すの?」
僕が尋ねると、ミナは今度こそ笑った。
「もちろん。退院したら、また訓練しないと。まだ騎士の試験も受けてないから」
寝台の上から起き上がることさえ止められているのに、その言葉は弱くなかった。
扉が控えめに叩かれた。
入ってきたのはセルフィナだった。
淡い銀緑色の髪のそばを、小さな風精霊が漂っている。
「状態を確認しに来ただけです」
セルフィナはそう断ってから、ミナを真っ直ぐ見た。
「一つ、聞きたいことがあります」
「私に?」
「あなたが倒れれば、救助する側が一人減ります。あなたには魂蝕の呪いを防ぐ力もなかった。生存の可能性を考えれば、合理的な選択ではありません」
言葉は冷たいが、ミナを責める響きではなかった。
本当に分からないから、尋ねている。
「なぜ、自分より先に他人を選んだのですか?」
ミナは困ったように眉を下げた。
「選んだっていう感じじゃなかったかな。あの子に当たるって思ったら、身体が動いてたから」
「自分が死ぬ可能性は考えなかったのですか?」
「あとから、いっぱい考えたよ」
ミナの指が布団を掴む。
「死にたくなかった。もっと学院にいたいし、騎士の試験も受けたい。だから、勇気があったのかは自分でも分からない」
セルフィナは黙り込んだ。
風精霊まで、彼女の肩近くで静止している。
人族の短い命を、無計画に危険へ投げ出した。
そう片づけることなら簡単だったはずだ。
けれど、その行動によって一人の子どもが生きている。
「理解できません」
やがてセルフィナが言った。
そして、僅かに視線を落とす。
「だから、覚えておきます」
それ以上は何も言わず、セルフィナは医務室を出ていった。
窓の外から、子どもたちの声が聞こえた。
校門へ続く道を、ガルナとフェリナが離れた位置から挟んで歩いている。
ガルナは先頭近くで鼻を動かし、通路や行き交う人々の匂いを確かめていた。
フェリナは最後尾から、暗い渡り廊下や積まれた荷物の陰へ目を配っている。
一瞬だけ、二人の耳と尾の動きが重なった。
互いの感覚を渡したのだろう。
普段なら僕を見つけるだけで何か言ってくる二人が、今日は軽口を口にしない。
最後の子どもが家族へ引き渡されるまで、二人は歩みを止めなかった。
「アルト、少しいいか」
医務室の入口にバルト教師が立っていた。
「祭典用魔導具から、確認してほしいものが出た」
僕は三人へ一度振り返った。
メルナが見舞客の記録を引き受け、ティアナはミナのそばにいる。
フィアだけが、僕の左袖を見ていた。
僕は何も言わず、バルト教師のあとを追った。
調査に使われている教室では、学院職員と貴族側の祭典運営担当者が向かい合っていた。
机には点検記録や搬入一覧が積み重ねられている。
その中央で、ユリウスが冷たい青い瞳を双方へ向けていた。
「学院の管理下で起きた事件だ」
貴族側の一人が言う。
「まず学院が責任を――」
「順番をすり替えるな」
ユリウスが遮った。
「学院は接続後の点検記録を出せ。貴族側は搬入前の保管記録を出せ」
「クラウゼル家として、どちらを疑っているのです?」
「どちらの紋章が上かを争っている場合ではない」
ユリウスは尊大に顎を上げる。
「両方の警備を抜けたから、あの術式は観客へ届いた。片方へ責任を押しつけて終わらせるつもりなら、僕が許さない」
被害を受けた者が貴族か平民かも、彼は口にしなかった。
机の端には、ひび割れた補助制御核が置かれていた。
バルト教師が保護術式を解き、その表面を示す。
「黒い術式を正規回路の下へ通した認証紋だ。登録された魔力署名との照合結果が出た」
僕は淡く光る印を覗き込んだ。
「一致したのは、セレネ教師の署名だ」
さらに、花火設備を再接続していた時間帯に、学院地下の封印区画へ入った記録も残っているという。
そこにも、セレネ教師の認証が使われていた。
封印区画からは、祭典用魔導具へ転用できる予備制御核が一つ消えている。
並べれば、答えは一つしかないように見えた。
「目撃者は?」
「いない」
「署名の複製は?」
「困難だが、不可能とは言い切れん」
僕は補助制御核へ顔を近づけた。
黒い術式の残滓は複雑に折り重なり、術者の癖や魔力の流入方向まで隠している。
それなのに、セレネ教師の認証紋だけは傷一つないほど鮮明だった。
「これだけ、綺麗すぎる」
「どういう意味だ?」
バルト教師に尋ねられ、僕は認証紋を指した。
「他の痕跡は全部消そうとしている。それなのに、これだけは誰でも照合できる形で残ってる。隠し忘れたんじゃなくて、見つけさせるために残した可能性もある」
ユリウスが制御核を見下ろす。
「つまり、セレネ教師へ疑いを向けるための証拠か」
「まだ分からない。でも、犯人だと決めるには早いと思う」
「同感だ。疑うことと、断罪することは別だ」
ユリウスは結論だけを認め、それ以上僕を持ち上げなかった。
僕は薄い第一階位防壁を一枚作り、制御核の下へ差し込んだ。
防壁は攻撃を防ぐことなく、残った魔力に触れて細かく震えた。
黒い光が一定の間隔で明滅する。
魂蝕の呪いと同じ周期だった。
次の瞬間、左腕の紋章が疼く。
食欲ではない。
一度味わった苦味を、舌が思い出すような反応だった。
防壁の端だけが、教室の床を越えた先へ引かれている。
方角を辿れば、学院地下の封印区画へ続いていた。
「痕跡が、まだ繋がってる」
だが黒い光は、見る間にも薄くなっていく。
バルト教師はすぐに進入を許可しなかった。
封印区画には危険な魔導具と術式資料が保管されている。結界を専門の教師が確認する前に入れば、別の被害を招く可能性がある。
正しい判断だった。
正式な調査は、安全確認が終わってから始まる。
その頃まで、この痕跡が残っている保証はない。
セレネ教師へ疑いが集まっている間に、別の誰かが封印区画の証拠を消す可能性もある。
左腕の反応まで説明すれば、僕は暴食について話さなければならない。
フィアはすでに何かへ気づいている。
これ以上、ティアナや仲間たちを危険な呪いへ巻き込みたくもなかった。
一人で行くことが正しいとは思わない。
隠し事を増やすだけだとも分かっている。
それでも、痕跡は待ってくれない。
祭りは終わった。けれど、消えかけた黒い痕跡を追うため、僕は誰にも告げず、一人で封印区画へ向かうことを決めた。
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