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『属性適性なしの学院最下位、迷宮で見捨てられた僕は七罪の魔神と契約する ~最強英雄になった幼なじみに追いつくまで~  作者: ドキツトム


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第38話 死者を蘇らせない世界



「ミナ!」


崩れ落ちた身体を、僕は地面へ触れる寸前で抱き止めた。


返事はない。


明るい茶色の髪が腕から垂れ、閉じた瞼がかすかに震えている。呼吸は残っていた。けれど、あまりにも浅い。


黒い紋様が肩から首筋へ這い、制服の下へ潜り込んでいた。


まるで、内側にある何かへ食らいつこうとしているように。


「寝かせろ!」


駆けつけた医療担当者の声に従い、僕はミナを救護用の寝台へ下ろした。


淡い白金色の治癒光が、幾重もの輪となってミナを包む。


光が傷ついた身体へ染み込む。


止まりかけていた心臓が、かすかに強く脈打った。


だが、黒い紋様は止まらない。


治癒光を浴びるほど、その下を潜るように深く入り込んでいく。


「どうして……治癒魔法が効かないの?」


追いついたティアナが、震える声で尋ねた。


医療担当者は術式を維持したまま、険しい顔で答える。


「肉体には効いている。心臓も肺も、まだ維持できる。だが、これは肉体の傷ではない」


その指が宙へ複雑な術式を描く。


治癒光がミナの胸元へ集まり、その奥から淡い輝きを浮かび上がらせた。


それがミナの魂だと、説明される前に分かった。


光はまだ身体の内側にある。


けれど、黒い根のようなものが絡みつき、少しずつ外へ引きずり出そうとしていた。


「魂はまだ身体から離れていない」


医療担当者が唇を噛む。


「だが完全に離れれば、もう戻すことはできない。この世界に、死者を元の本人として蘇らせる魔法はない」


その言葉が胸へ突き刺さった。


死んでからでは、遅い。


どれほど強い治癒魔法があっても、失われた魂からミナを作り直すことはできない。


ならば、まだ生きている今しかない。


「魂と身体を、あとどれくらい繋いでいられる?」


「分からない。数分か、それより短いかもしれない。だが、最後まで保たせる」


諦めた声ではなかった。


治癒担当者は、今できる最大限の処置を続けている。


足りないのは治癒の技量ではない。


あの呪いを、魂から引き剥がす手段だ。


左腕が、焼けるように疼いた。


手袋の下で黒い紋章が脈打つ。


魂蝕の呪いが、ひどく濃い食べ物に感じられた。


広場中から集められた魔力を圧縮し、魂へ食らいつく形へ変えたもの。


暴食なら喰える。


だが、呪いの根はすでにミナの魂へ絡んでいる。


『魂ごと喰えば早い』


獣じみた声が、頭蓋の内側を撫でた。


『呪いだけを選ぶ必要はない。女ごと喰え。魂も滋養になる』


左手の指が勝手に開きかける。


呪いだけでなく、そこに絡んだ淡い光まで食べ物に見えた。


ミナの魂まで喰えば、呪いを切り離す必要はない。


すべてを一口で奪える。


『すべてお前のものにしろ。もっと口を開け』


「違う」


声が喉から漏れた。


ティアナが振り向きかけたが、僕はミナから目を離さなかった。


「喰うのは呪いだけだ」


暴食へ言い聞かせたのではない。


僕自身が、選ぶための言葉だった。


魂を守ったまま、呪いだけを剥がす。


そのためには、二つが僅かでも離れる瞬間を見つけなければならない。


僕は紙より薄い第一階位防壁を作り、ミナの肩に浮かぶ黒い魔力線へ差し込んだ。


防ぐためではない。


呪いが動く順番を測るための目盛りだ。


防壁は触れた瞬間、端から黒く染まって砕けた。


速すぎる。


二枚目を首元へ。


今度は胸元の紋様が脈打った直後に侵食された。


三枚目は腕へ置く。


肩、胸、腕。


同時に動いているように見えた黒い紋様には、ほんの僅かな順番があった。


「何か分かるの?」


ティアナの声へ、すぐには答えられなかった。


四枚目が砕ける。


五枚目も呪いへ呑まれた。


僕自身の魔力が削られていく。その間にも、ミナの呼吸は弱くなっていた。


焦りで指先が震える。


急げ。


でも、間違えればミナの魂まで喰う。


黒い紋様が脈打つ。


肩から胸、胸から腕。そして再び魂の奥へ沈む。


その直前、治癒光に押し戻された根が、髪の毛一本ほど浮き上がる瞬間があった。


短い。


一呼吸どころか、瞬き一つにも満たない。


けれど、ゼロではない。


「周期がある」


僕は六枚目の防壁を消しながら言った。


「呪いが魂の奥へ食い込む前に、一度だけ根が緩む。治癒魔法で魂をもっと身体の内側へ引ける?」


「危険だ。出力を上げれば、肉体へ負担がかかる」


「寝台と身体は私が支える」


ティアナがすぐに両手を床へついた。


土が低く隆起し、寝台の脚を包んで固定する。さらに細い根が伸び、治癒術式の外周へ絡みついた。


「魔力の揺れも抑える。お願い、続けて」


医療担当者は一瞬だけ迷い、強く頷いた。


「合図をしろ」


僕はミナの黒い紋様を見つめた。


一度。


二度。


呪いの脈動を数える。


「まだ……今!」


治癒光が一気に強まった。


ミナの身体が小さく跳ねる。


ティアナの土と根が寝台を支え、治癒術式の揺れを押さえ込んだ。


淡い魂の光が、胸の奥へ引き戻される。


それに遅れて、黒い根だけが表面へ浮いた。


僕は制服の袖を引き下ろし、身体で左腕を隠した。


黒い紋章を、一呼吸だけ開く。


世界から音が消えた。


ミナの身体に広がっていた黒い紋様が、無数の糸へほどける。


糸の先には、まだ淡い魂の光が触れていた。


『すべて喰え』


ベルゼバスが吠える。


『もっと口を開け。女の魂まで寄越せ』


左腕の奥で、底のない口が開こうとする。


僕は意識を黒い糸だけへ絞った。


温かな光には触れない。


ミナの身体にも、記憶にも、魔力にも触れない。


魂へ絡んだ最後の一本が引かれる。


その瞬間、僕は暴食の口を閉じた。


黒い糸だけが左腕へ吸い込まれ、淡い光はミナの胸へ戻った。


「呪いが……崩れた!」


医療担当者が治癒魔法へ集中する。


ティアナもミナの顔を見たまま、根へ魔力を流し続けていた。


二人とも、僕の左腕を見ていない。


暴食の内側で、魂蝕の呪いが暴れた。


魂へ食らいつくための術式。


命を侵す黒い性質。


祭典用魔導具が集めた、膨大で濃密な魔力。


それらが牙で噛み砕かれるように崩れ、さらに細かく潰されていく。


魂を蝕む形は残らなかった。


呪いの術式も消えた。


残った魔力だけが、熱い濁流となって僕の奥へ落ちてくる。


それは一時的に空の器を満たす魔力ではなかった。


器の壁そのものへ染み込み、内側から押し広げた。


胸の奥に、今までなかった僅かな余白が生まれる。


細かった魔力経路が熱を帯び、以前より強い流れへ耐えられる形へ変わっていく。


左腕の紋章も深く脈打った。


次に暴食を開いた時、一度に受け止められる量が増えている。


身体強化や短距離加速へ流せる魔力の上限も、ほんの僅かに広がっていた。


元へは戻らない変化だった。


それでも、僕の器は同級生たちと比べればまだ小さい。


急に高位魔法が使えるわけでも、上位生徒の身体能力を得たわけでもない。


小さかった器が、少しだけ大きくなった。


ただ、それだけだ。


そして器が広がった分、底にある空腹も深くなった。


胃が裏返るような飢えが込み上げる。


吐き気と冷や汗が同時に襲い、左腕へ焼けた杭を打ち込まれたような痛みが走った。


目の前の治癒光が、甘い匂いを放つ食事に見える。


僕は右手で左手首を掴んだ。


もう開かない。


ミナの魔力も、治癒担当者の魔力も、ティアナの魔力も喰わない。


「黒い紋様が消えていく……」


ティアナの声が震えた。


ミナの首元から、腕から、黒い痕が薄れていく。


治癒光が今度こそ遮られず、身体の隅々へ染み込んだ。


呼吸が少しずつ深くなる。


弱かった心臓の鼓動も、確かな間隔を取り戻した。


医療担当者は何度も術式を変え、魂と肉体の状態を確認した。


やがて、その険しい表情が僅かに緩む。


「魂に欠損はない。呪いも残っていない」


「ミナは……?」


「助かった。肉体の損傷も治療できる。後遺症は残らない」


その言葉を聞いた途端、脚から力が抜けかけた。


それでも倒れず、僕は寝台の脇へ膝をついた。


やがて、ミナの瞼がゆっくり開く。


柔らかな茶色の瞳が、僕とティアナの間をぼんやりとさまよった。


「……あの子たちは?」


最初に尋ねたのは、自分の身体のことではなかった。


ティアナが涙を拭い、ミナの手を包む。


「全員、出口へ向かったよ。あなたが守った子も、家族のところへ戻った」


「そっか。よかった」


ミナはほんの少し笑った。


それから安心したように目を閉じる。


「眠っただけだ。魂も身体も安定している」


医療担当者の確認に、僕はようやく息を吐いた。


死者を蘇らせることはできない。


だから、死者になる前に救わなければならなかった。


僕たちは間に合ったのだ。


その時、救護区画の端で小さく靴音が止まった。


救助を終えたフィアが立っていた。


金色の髪には埃が残り、呼吸もまだ整っていない。


彼女の視線はミナではなく、僕の左腕へ向けられていた。


「消えたんじゃない」


誰にも聞かせるつもりがないほど小さな声だった。


「あの腕へ、入った……?」


僕が顔を上げると、フィアは口を閉じた。


問い詰めてはこない。


周囲へ告げることもしない。


ただ、何かを確かめるように、黒い紋章を隠した袖を見つめ続けていた。


呪いは消え、ミナは助かった。けれど、それがどこへ消えたのかに気づいたように、フィアだけが僕の左腕から目を離さなかった。

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