第37話 祭りを喰う祈り
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
ティアナの指先が僕から離れるより早く、広場で一人の男が膝をついた。
酔ったように身体を揺らし、そのまま地面へ手をつく。
「大丈夫ですか?」
近くの生徒が駆け寄る。
その直後、別の場所でも、子どもを抱いていた女性が座り込んだ。
一人ではない。
広場のあちこちで、人々が急な疲労へ襲われている。
「アルト?」
視界が傾いた。
僕が欄干を掴むと、ティアナが肩を支えてくれる。
「僕だけじゃない。下を見て」
広場を照らしていた魔導灯が、一斉に暗くなった。
再び灯った光は、淡い七色ではない。
中心を黒く濁らせながら、不規則に明滅している。
「打ち上げ魔導具の過負荷だ!」
学院職員の声が響いた。
「昨夜の延期で再接続した箇所を確認しろ! 主回路を遮断! 補助術式も順番に停止させるんだ!」
最後の七色花火には、打ち上げ装置の限界に近い魔力が流されていた。
正規の手順に従い、職員たちが素早く動く。
外廊下の壁に埋め込まれた魔力線も、一度は光を失った。
けれど。
「止まってない……」
僕の左腕に、焼けた針を差し込まれたような痛みが走った。
制服の袖の下で、黒い紋章が脈打つ。
空腹だった。
胃が裏返るような、普通の食事では決して満たせない飢え。
広場にいる一人一人の魔力が、細い糸となって引き抜かれている。
その数百本の糸が束ねられ、巨大な一皿となって打ち上げ台へ流れていた。
『喰え』
獣じみた声が、頭蓋の内側を引っ掻いた。
『すべて流れてくる。口を開け』
唾液が溢れる。
左腕を広場へ向ければ、あの流れへ口を開ける。
けれど、この量を喰えば、閉じられない。
『宴を奪え』
僕は右手で左手首を握り締めた。
「開けない」
小さく言い、ティアナへ向き直る。
「下へ行こう」
「歩ける?」
「うん。まだ平気だ」
二人で階段を駆け下りた。
途中の魔導灯は、主回路が切られたはずなのに光っている。黒い明滅は隣の音響魔導具へ移り、さらに床の補助術式へ伸びていた。
「主回路、遮断完了!」
「なぜ止まらない!?」
「別系統から流入しています!」
職員たちは既に二つ目の遮断手順へ移っている。
それでも、広場から魔力が吸われる感覚は強まるばかりだった。
「バルト先生!」
避難誘導へ向かおうとしていたバルト教師を呼び止める。
「何だ、ロウェル!」
「魔導具の事故じゃないかもしれない。確認させて」
僕は紙より薄い第一階位防壁を作り、床の魔力線の上へ斜めに差し込んだ。
攻撃を防ぐ強度はない。
けれど、魔力の流れへ触れた瞬間、防壁の表面が大きく歪んだ。
打ち上げ台の方へ引かれ、端から崩れていく。
「事故じゃない」
魔導具の過負荷なら、制御を失った魔力は周囲へ散るはずだ。
これは逆だった。
「魔力が漏れてるんじゃない。集められてる。広場にいる人たちから吸い上げてるんだ」
バルト教師は僕の言葉だけでは動かなかった。
すぐに停止済みの魔導灯へ手を当て、自分の魔力を僅かに流す。
その魔力まで、打ち上げ台の方向へ引かれた。
「……主回路は切れているんだな!」
「間違いありません!」
「全員避難! これは事故じゃない! 職員は装置から離れ、観客の退避を最優先にしろ!」
広場へ避難を告げる声が響く。
停止手順に使った時間は長くない。
それでも、その僅かな間に座り込む者は増えていた。
「アルト」
ティアナが僕を見る。
問いかけるまでもなく、彼女の視線は打ち上げ台と避難者の間を往復していた。
「私はみんなの道を作る。アルトは流れを探して」
「分かった」
ティアナが地面へ手を触れる。
石床の継ぎ目から低い土壁が伸び、混乱する人々を出口の方向へ分けた。段差には土が詰められ、細い蔦が手すりとなる。
その上空を、幾つもの風精霊が駆け抜けていった。
「西の階段は煙が薄いです。北側は装飾が傾いています。東の通路はまだ空いています」
セルフィナが目を閉じ、風精霊から届く情報を拾っている。
「メルナ・アリエス。西、東、南東の順に人を分けてください」
「了解!」
メルナが両手を広げた。
広場の上へ、青、緑、橙の光の矢印が浮かぶ。
それぞれの矢印から人型の幻像が歩き出し、安全が確かめられた通路へ避難者を導く。
「青は西! 緑は東! 子どもは小さな星についてきて!」
足元には掌ほどの星が連なり、混雑していない出口へ走っていく。
出口が増えたわけではない。
けれど、見えなかった道が全員から見えるようになり、一か所へ集中していた人の流れが分かれた。
轟音が響いた。
魔力を失った補助術式が消え、臨時観覧席の上に残されていた装飾梁が傾いている。
「防壁!」
光が広がり、落下する梁を受け止めた。
その中心に、ユリウスが立っている。
光の防壁は軋み、梁は少しずつ沈んでいた。
ユリウスは身体強化を使い、肩と両腕でも梁を押し返している。
「こちらは貴族の家族がいる! 先に通せ!」
正装姿の男が叫ぶ。
ユリウスの青い瞳が、冷たく男を射抜いた。
「身分を確かめている暇があるなら、全員を退避させろ」
「しかし――」
「僕が支えている間に、そこにいる者を残らず動かせ。二度言わせるな」
貴族席と一般席の間にいた人々が、区別なく梁の下から逃げていく。
その横を、金色の雷が短く走った。
フィアだ。
彼女は倒れた女子生徒の肩を支え、メルナの示した道まで運ぶ。安全な場所へ引き渡すと、混雑を避けた短い加速でもう一人の元へ向かった。
「煙を上へ逃がす! 指示が聞こえた者は復唱しろ!」
レグルスの風が広場を抜ける。
花火の煙と崩落の埃が巻き上げられ、同時に彼の声が遠くの出口まで運ばれた。
「子どもがいないんです!」
母親らしい女性が、赤い布を握り締めている。
「これ、あの子の上着です!」
「貸して!」
ガルナが布を鼻へ近づける。
犬耳を立て、大きく息を吸った。
「二人いる。片方は客席の下、もう片方は幕の向こう!」
「右は私が行く」
フェリナが黒い尾を翻す。
二人の耳と視線が一瞬だけ揃った。
ガルナの嗅覚が捉えた方向を受け取ったフェリナが、倒れた仕切り壁を駆け上がる。
同時に、客席の下へ潜ったガルナは、フェリナの視界から奥の隙間を知る。
言葉を交わさず別方向へ消えた二人は、間もなく子どもを一人ずつ連れて戻ってきた。
「この子たち、頼む!」
「うん。こっちへ!」
子どもたちを受け取ったのはミナだった。
戦うための魔法は使っていない。
広場の端へ敷物を広げ、見つかった子どもたちを集めている。
「家族が分かる子は右側ね。まだ見つかっていない子は私の近くにいて」
泣いている子の前へ屈み、一人ずつ顔を見る。
「一人で走らないで。隣の子の手を離さないでね」
ミナが、メルナの作った星の列を指した。
「光の星を追えば出口へ行けるよ。大丈夫。急がなくても消えないから」
子どもたちが手を繋ぎ、星のあとを歩き始める。
今朝と変わらない、ミナの声だった。
僕は打ち上げ台へ近づきながら、床を走る魔力線を追った。
吸い上げられた魔力が、その地下へ集まっている。
黒い線は複雑に折れ曲がり、正規術式の隙間で繋がっていた。
左右から伸びた線が重なる。
まるで、両手を合わせて祈っているような形だった。
その祈りが、一度脈打つ。
魔力灯の黒い明滅が止まった。
一瞬の静寂。
「何……?」
セルフィナの周囲にいた風精霊が、怯えるように散った。
左腕の紋章が強く疼く。
けれど、今まで感じていた魔力の甘さとは違う。
冷たい。
何かが、人の魔力より奥へ口を開けた。
黒い文字が、床から魔導灯へ逆流する。
その先にいるのは――ミナと、避難中の子どもたち。
「ミナ、避けて!」
魔導灯から、針のように細い黒光が放たれた。
ティアナが作った蔦の手すりへ触れ、その表面を一瞬で黒く腐食させる。
避難列の最後で、一人の子どもが恐怖に足を止めていた。
ミナは黒い光の正体を知らない。
それでも、子どもへ向かっていることだけは分かったのだろう。
迷わず、その背中を押した。
小さな身体が光の星の方へ転がる。
代わりにミナが、その間へ入った。
黒い光が、彼女の肩から身体へ沈む。
「――っ」
声にならない息が漏れた。
制服の下から黒い紋様が這い出し、首元と左腕へ広がっていく。
それでもミナは倒れなかった。
振り返り、動けずにいる子どもへ手を伸ばす。
「走って……みんなの手を、離さないで」
子どもが泣きながら立ち上がり、仲間の手を掴む。
それを見届けた直後、ミナの膝から力が抜けた。
「ミナ!」
僕は駆け寄り、倒れる身体を抱き止める。
呼吸はある。
けれど柔らかな茶色の瞳は焦点を失い、黒い紋様だけが心臓の鼓動に合わせて脈打っていた。
バルト教師が駆けつけ、ミナの首元を見て息を呑む。
「魂蝕の呪いだ。治癒魔法だけでは止まらん!」
騎士になれなくても、誰かを守る方法はあるよ。
今朝の笑い声が、耳の奥で蘇る。
ミナは騎士ではない。
騎士団から勧誘もされなかった。
それでも子どもの前へ立ち、その小さな命を守った。
騎士の徽章を持たないミナの胸で、子どもの代わりに受けた黒い祈りが、彼女の魂を喰い始めていた。
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