第35話 笑う友人
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
七色の旗が、一本ずつ学院の空から外されていく。
昨日まで歓声に満ちていた中央広場には、木箱を運ぶ音と、縄を解く音が響いていた。
僕も片づけ用の箱を抱え、臨時客席の間を歩く。
昨夜は七色の光の下でティアナと踊っていたのに、今朝にはもう祭りの跡を片づけている。
足を間違えた記憶まで箱へ詰めてしまえたら、少しは気が楽だったかもしれない。
「その旗、赤と橙はこっち! 青は奥の箱ね。魔導灯は重ねないで。通路に荷物を置くと運ぶ人が転ぶよ!」
広場の中央から、よく通る声が聞こえた。
明るい茶色の髪を低い位置で結び、片づけ係の腕章をつけた少女が、生徒たちへ次々に指示を出している。
ミナ・ベルク。
僕と同じ十回生で、戦闘順位は中位より下。
目立つ属性魔法も、強力な武器も持っていない。
それでも僕が戦闘順位最下位だった頃から、ミナの態度は一度も変わらなかった。
「アルト、その箱はどこへ持っていくの?」
「掲示板の横だって聞いたけど」
「それなら反対。そっちは解体した客席を運ぶ道になるから、倉庫前へお願い」
「分かった」
僕が方向を変えると、ミナは満足そうに笑った。
「昨日は踊って、今日は荷運び。忙しい騎士様だね」
「まだ騎士じゃないよ」
「私も。だから今は、片づけ係同士ということで」
軽い調子で言って、ミナは次の生徒へ向かう。
その背後では、昨夜の舞踏会に出席した生徒たちが、騎士団から受けた勧誘について話していた。
「装備代を全額出すって言われたんだ」
「私は卒業後の任地が遠すぎてさ。条件を見直してもらうつもり」
「メルナは三か所から声をかけられたんだろ?」
華やかな話が飛び交っている。
ミナはそちらを見なかった。
聞こえていないはずはない。それでも手を止めず、外した旗の本数を確認している。
昨夜、僕も勧誘を受けた。
ならばミナはどうだったのか。
尋ねようとして、やめた。
今ここで、周囲に聞こえるような話ではない。
「う、うぅ……お母さん……」
小さな泣き声が聞こえた。
広場の端に、祭り客らしい子どもが一人で立っている。周りを見回しているが、家族らしい姿はない。
最初に気づいたのはミナだった。
「みんな、旗の確認を続けてて。私は少し外れるね」
短く告げ、子どもの前まで駆けていく。
けれど、いきなり手を掴んだりはしない。
目線の高さまで屈み、少し離れた場所から笑いかけた。
「お母さんとはぐれちゃった?」
子どもは泣いたまま頷く。
「そっか。それは怖かったね」
ミナは床に残っていた七色の飾り札を拾った。
「ねえ、この札の色、分かる?」
「……あか」
「正解。じゃあ、こっちは?」
「きいろ……」
「すごい。ゆっくり息を吸って、次も当ててみようか」
色を数えるうち、子どもの乱れていた呼吸が少しずつ落ち着いていった。
ミナは急かさず、名前と家族の服装、最後に一緒にいた場所を一つずつ聞き出す。
「アルト、迷子受付へ伝えてくれる? 私はここにいるから」
「分かった。すぐ戻る」
僕が箱を置いて走り出した、その時だった。
「あっ!」
頭上から短い声が落ちる。
大型掲示板を支えていた縄の一本が、作業中の生徒の手から滑った。
片側の支えを失った掲示板が、ゆっくりと広場側へ傾く。
「下がって!」
鋭い声と同時に、二つの輪が宙を走った。
メルナの投擲輪だ。
二枚の輪は人のいない高所を抜け、掲示板の裏へ垂れていた予備縄へ正確に引っかかる。
メルナが両腕を交差させると、縄が張った。
完全に倒れる寸前で、掲示板の動きが止まる。
同時に床へ淡い光が伸び、安全な退避方向を示した。
「赤い光の方へ! 掲示板の正面には入らないで!」
光の屈折で作られた矢印に従い、作業員たちが移動する。
メルナが危険そのものを止めた一方で、ミナは掲示板へ近づかなかった。
「子どもはこっち! 走らなくていいから、順番に離れて!」
迷子の子の手を取り、近くにいた子どもたちを危険範囲の外へ誘導する。
「一人、二人……六人。全員いるね」
人数を確かめた直後、ミナはしゃがみ込んでいる生徒へ駆け寄った。
退避する途中で転び、足首を押さえている。
「動かせる?」
「少しなら。片づけへ戻らないと……」
「戻っちゃ駄目。板と布を持ってきて! それから医務室へ連絡をお願い!」
ミナは近くの生徒へ役目を振り分けた。
受け取った細い板を足首の両側へ当て、布で固定する。
高位の治癒魔法で傷を消すわけではない。
どこまで痛めたかを勝手に決めつけることもない。
「これで動かさずに待とう。医務室でちゃんと見てもらって」
「でも、人数が足りなくなるだろ」
「悪化させて明日まで歩けなくなる方が困るよ」
ミナが笑うと、負傷した生徒は渋々ながら力を抜いた。
やがて職員が新しい縄をかけ、掲示板を安全な位置へ戻した。
メルナも投擲輪を回収し、僕たちの方へ歩いてくる。
「ふう。朝から目が覚めたわ」
「助かったよ、メルナ」
「私だけじゃないよ」
メルナはミナへ視線を向けた。
「私が看板を止めている間、ミナは下にいる人を動かしてくれた。どっちかが欠けてたら、誰かが怪我してたかもしれない」
「私はできる方をやっただけだよ。あんな大きな看板、腕力で止めようとしたら一緒に潰れちゃうし」
「それをすぐ判断できるのが大事なの」
メルナは危険へ輪を投げ込み、その動きを止められる。
迷宮でも、競技用の魔導人形を幻像で惑わせ、仲間が進む道を作った。
騎士団から勧誘されるだけの力がある。
ミナには、同じことはできない。
けれど、メルナが掲示板を支えている間、誰をどこへ逃がすかを考えたのはミナだった。
危険の前に立つ人と、そこから逃れてきた人を受け止める人。
役割は違っても、どちらか一人だけでは守れないものがある。
騒ぎが収まり、僕たちは広場の端で短い休憩を取った。
ミナは水を一口飲むと、膝の上へ作業表を広げた。
「迷子受付から連絡は?」
「家族が捜してるって。もうすぐ迎えに来るよ」
「よかった」
ミナがいつものように笑う。
僕は少し迷ってから、昨日から気になっていたことを尋ねた。
「ミナは、舞踏会で騎士団から声をかけられた?」
作業表をめくる指が、一瞬だけ止まった。
「一件もなかったよ」
答えは明るかった。
けれど、その笑顔がいつもより少しだけ固いことには気づいた。
「悔しくないわけじゃないんだ」
ミナは自分から続けた。
「私だって騎士の徽章を付けて、人を守りたいと思ってたから。昨日はみんなが勧誘の話をしていて、いいなって思った。私も一度くらい呼び止めてもらいたかったよ」
笑っているのに、その言葉は軽くなかった。
「無理して笑ってる?」
「少しはね」
ミナはあっさり認めた。
「でも、泣いてる子にまで私の悔しさを背負わせたくないでしょ。怪我をした子の前で暗い顔をしたら、もっと不安にさせちゃう。笑ってる方が、次に何をすればいいか私も考えやすいし」
何も傷ついていないから笑えるわけではない。
傷ついたままでも、目の前の誰かを不安にさせないために笑っている。
「騎士は諦めるの?」
「ううん。訓練も続けるし、試験だって受けるつもり。まだ決まったわけじゃないからね」
ミナは作業表を閉じた。
「でもね、騎士になれなくても、誰かを守る方法はあるよ」
その声に、強がりはなかった。
「迷子を家族へ返すことも、怪我を悪化させないことも守ることでしょ。戦った人が帰ってこられる場所を残すことだって、たぶん同じ」
「帰ってこられる場所……」
「戦う人だけで全部はできないよ。食べ物を用意する人も、道具を直す人も、傷ついた人のそばにいる人も必要だから」
僕は強くなりたかった。
敵の前へ立ち、誰かへ届く攻撃を止められる騎士になりたかった。
その思いは変わらない。
けれど、戦いが終わったあと、人を日常へ戻すこともまた守ることなのだ。
僕が見ていたのは、守るという行為の一番目立つ部分だけだったのかもしれない。
「お姉ちゃん!」
先ほどの子どもが、広場の向こうから駆けてきた家族へ顔を向けた。
すぐに立ち上がり、その腕の中へ飛び込む。
家族は何度も頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
「見つかってよかったです」
ミナは子どもへ手を振る。
「次は手を離さないでね」
「うん!」
家族と手を繋いで去っていく子どもを見送ると、ミナは立ち上がった。
「さて、休憩終わり。旗がまだ半分以上残ってるよ」
新しい勧誘が来たわけではない。
戦闘順位が上がったわけでもない。
それでもミナが作業へ戻ると、散らばっていた人と道具が少しずつ整い始める。
僕も箱を持ち直し、その隣へ並んだ。
祭りの光が消えた朝、誰にも勲章をもらわない友人の笑い声が、学院を日常へ戻していた。
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