第34話 舞踏会の夜
「この場面を挿絵で見たい!」と思った箇所がありましたら、挿絵希望度を★1〜5で評価し、場面と一緒に感想欄で教えてください!
例:『〇〇と△△が対峙する場面/★★★★★』
皆さまの声を、今後の挿絵制作の参考にさせていただきます!
「ティアナ、動かないで。編み込みが曲がるから」
「動いてないよ」
「呼吸するたびに肩まで固くなってる」
舞踏会場に隣接した控え室で、メルナがティアナの髪を整えていた。
僕は開け放たれた入口の脇に座り、支度が終わるのを待っている。
ティアナはすでに淡い緑と生成り色の衣装を着ていた。裾と袖には、小さな葉の刺繍が散らされている。
第24話で僕が選んだ衣装だ。
メルナが肩まである髪を少しずつ編み、後ろで柔らかくまとめていく。
最後に葉を模した小さな髪飾りを差した。
「はい、完成」
メルナが指を鳴らす。
光が屈折し、ティアナの前へ三枚の鏡像が浮かんだ。
正面、横、後ろ。
光で作られた像の中で、ティアナが落ち着かなそうに自分の髪へ触れる。
「変じゃないかな」
「武闘大会で会場を花園にした子が、舞踏会で震えてどうするの」
「あれは戦えばよかったから!」
「今日も戦えばいいじゃん。相手はあそこにいる一人だけ」
メルナが僕を指す。
「僕?」
「アルトは黙ってて。ティアナの戦いだから」
よく分からないまま口を閉じる。
ティアナは鏡像越しに僕を見て、すぐ目を逸らした。
「自分で誘うんだよ」
「分かってる」
「私が勝手に二人を踊らせたりしないからね」
「だから、分かってるってば」
武闘大会でも迷宮競技でも見なかったほど、ティアナの顔が赤かった。
それでも控え室を出る時には、背筋を伸ばしていた。
僕も学院指定の濃紺の礼装を整え、大広間へ向かった。
入口では、舞踏会へ持ち込めない剣を係員へ預ける。
鞘に結ばれた緑色の組紐を確認した係員が、丁寧に保管棚へ収めた。
大広間の天井には、七色の魔導灯が浮かんでいた。
光の帯が柱から柱へ流れ、その下では正装した生徒たちが談笑している。
奥では楽団が静かな曲を奏でていた。
華やかな場所だ。
けれど、生徒だけを見ている大人は少ない。
胸元へ家紋を付けた貴族。
騎士団の徽章を着けた勧誘担当者。
彼らの視線は、生徒の衣装よりも、競技結果と隣に立つ家族へ向けられていた。
「アルト・ロウェル君だね」
大広間へ入ってすぐ、騎士団の徽章を付けた男性から声をかけられた。
「はい」
「武闘大会は見事だった。第一階位を複数繋ぎ、クラウゼル家の嫡男へ勝った。三人迷宮競技での解析も興味深い」
「ありがとうございます」
その隣にいた貴族の男性が、僕の礼装を確かめるように見る。
「後援している家は?」
「ありません」
「親族に騎士や魔法士は?」
「僕は戦争孤児です」
男性の目から、僅かに熱が引いた。
一方、騎士団の勧誘担当者は、薄い冊子を僕へ差し出した。
「装備、学院の学費、外部訓練の費用を援助できる。君の魔力量に合った専用装備も用意しよう」
最下位だった頃には、考えられなかった話だ。
「条件はありますか?」
「卒業後、指定する騎士団で六年間勤務してもらう。任地もこちらで決定する」
「所属する騎士団や任務を、僕が選ぶことは?」
「希望は聞く。だが、後援者の意向が優先される」
装備も訓練環境も欲しい。
けれど、その代わりに卒業後の六年を渡すことになる。
「今ここで決めることはできません。持ち帰って確認してもいいですか?」
「もちろんだ。即決しないのは悪いことではない」
勧誘担当者は頷いた。
貴族の男性は、まだ僕を測っている。
「魔力を消した方法も不明だ。扱い方を誤れば、味方の術式まで損なうのではないか?」
「その可能性を含めて、学院で確認している途中です」
嘘をつかず、正体も明かさない。
それ以上、男性は追及しなかった。
少し離れた場所では、ティアナも騎士団関係者に囲まれていた。
「土亀騎士団団長の御息女なら、卒業後の所属も決まったようなものですな」
「土属性部隊の指揮官候補として、今から席を用意してもよいでしょう」
「三人迷宮競技で組んだ二人も、同じ部隊へ連れていくおつもりで?」
競技の話から、いつの間にか卒業後に誰と行動するかという話へ変わっている。
ティアナは笑顔を崩さなかった。
「お声がけいただけるのは光栄です」
そのうえで、はっきり言う。
「ですが、父の娘であることと、私がどの道を選ぶかは別です。所属も、一緒に進む人も、自分で考えて決めたいと思っています」
拒絶ではない。
かといって、家柄へ従うとも約束しない。
相手も不快そうにはせず、「団長に似て意志が強い」と笑った。
別の柱際では、メルナが二人の勧誘担当者と話している。
「祭りの幻像演出は美しかった。式典担当として――」
「私の幻像は、飾るだけじゃありませんよ」
メルナが笑顔で遮った。
「本体の位置、味方の数、投擲輪の軌道を誤認させられます。欲しいのが綺麗な光だけなら、私でなくてもいいと思います」
もう一人の騎士が口を開く。
「索敵役の視界を奪い、別方向へ注意を誘導する。その間に二枚の輪で異なる目標を制圧する。迷宮競技でも同じ使い方をしていたな」
メルナの蜂蜜色の瞳が、少しだけ真剣になる。
「そこまで見たうえでの勧誘なら、条件を聞かせてください」
ただの恋愛応援役ではない。
彼女も自分の価値を、自分で選ぼうとしていた。
「クラウゼル家の御曹司の敗北は、特殊な術式による事故だったのでしょう」
近くから聞こえた声に、僕は振り返った。
正装したユリウスが、数人の貴族に囲まれている。
「正面から競えば、結果は異なったはずです」
「違う」
ユリウスが即座に否定した。
「事故ではない。僕はアルト・ロウェルに敗北した」
貴族たちが黙る。
「僕は正面から防御し、彼はその防御を破った。結果を都合よく変えるな」
そう告げると、ユリウスは僕の方へ歩いてきた。
整えられた金髪も、冷たい青い瞳も以前と変わらない。
「君は僕に勝った」
「うん」
「だから今後は、対等な競技者として扱う」
そこで言葉を切り、僅かに顎を上げる。
「ただし、僕が君より下になったわけではない。次は僕が勝つ」
「僕も、次に負けるつもりはないよ」
「当然だ。それでなければ、僕が敗北を認めた意味がない」
親しげに笑うことも、握手を求めることもない。
ただ、以前のように僕を参加する資格すらない人間とは扱わなかった。
ユリウスはティアナへ視線を向けたが、何も言わずその場を離れる。
約束どおり、彼女の選択へ口を出さなかった。
「アルト」
呼ばれて振り向く。
ティアナが立っていた。
控え室でも衣装は見ていた。
それでも七色の光の下で見ると、印象が違う。
淡い緑の布へ葉の刺繍が浮かび、編み込まれた髪の髪飾りが小さく光っている。
格式を前へ出した衣装ではない。
普段のティアナが、そのまま少しだけ大人びて見えた。
「……アルト?」
「あ、ごめん」
ティアナが不安そうに裾を摘む。
「変じゃない?」
「変じゃない」
僕は誤魔化さずに答えた。
「すごく似合ってる」
ティアナの頬が赤くなる。
「本当?」
「うん。緑の衣装を選んでよかったと思う」
「選んでくれたの、アルトだからね」
楽団が一曲を終えた。
広間の中央で踊っていた人々が離れ、次の曲を待つ。
ティアナは一度息を吸った。
それから僕へ手を差し出す。
「アルト。私と踊ってくれる?」
「僕、踊りはほとんど習ってないよ」
「私だって、実戦より得意ってほどじゃないよ」
「靴を踏むかもしれない」
「その時は踏み返す」
「それは怖いな……」
逃げる理由を探しているわけではない。
怖いのは事実だ。
競技場とは違い、どこへ足を置けばいいのかも分からない。
それでも、差し出された手を放ってはおけなかった。
「上手くは踊れないけど、それでもよければ」
「うん」
僕はティアナの手を取った。
広間の中央へ出る。
周囲の人たちは、それぞれの相手を見ている。僕たちだけを笑う者はいない。
「最初は右足を後ろ」
「右足を後ろ」
「次に左」
「左」
「アルト、術式みたいに唱えなくていいから」
「数えないと分からなくなる」
ティアナが笑う。
その瞬間、彼女の足が僅かにずれた。
僕も順番を一つ間違える。
「あっ」
ティアナの靴を踏む寸前で足を止めた。
無理に止まったせいで、今度は二人揃って横へ傾く。
繋いだ手を引き合い、どうにか立て直す。
顔が近づき、互いに固まった。
「……踏まなかったね」
「ぎりぎりだった」
どちらからともなく笑った。
完璧な踊りには程遠い。
それでも曲の半ばを過ぎる頃には、足を数える声が少しずつ小さくなった。
ティアナが進めば、僕が下がる。
僕が向きを変えると、ティアナも遅れてついてくる。
一曲を踊り終え、僕たちは広間の端へ戻った。
そこで、柱の近くに立つフィアとメルナを見つける。
フィアは露出を抑えた紺色の正装姿で、左手を胸元へ触れさせていた。
「どうしたの?」
メルナが尋ねる。
「分からない」
フィアの視線が、一瞬だけ僕とティアナへ向く。
「ティアナが嫌なわけではない。それなのに、二人を見ていると落ち着かない」
自分へ問いかけるように、静かに続ける。
「私は、何を嫌だと思っているの?」
メルナはすぐに答えなかった。
「分からないなら、今は見ていればいいんじゃない?」
「見ていれば分かる?」
「分かるかもしれないし、もっと分からなくなるかも」
「役に立たない答え」
「自分の気持ちを、他人に決めてもらうよりはいいでしょ」
フィアは返事をせず、胸元から左手を下ろした。
そこへ先ほどの騎士団関係者がメルナを呼ぶ。
彼女はフィアへ答えを押しつけず、勧誘の話へ戻っていった。
広間では、次の曲が始まる。
踊りへ差し出される手。
後援契約を示す手。
騎士団への所属を誘う手。
そのどれもが、卒業後に誰の隣へ立つかへ繋がっている。
僕もいつか、自分の所属と任務を選ばなければならない。
選ばれるのを待つだけでは、誰かに未来を決められる。
貴族も騎士団も僕たちの未来を値踏みしていたけれど、その曲が終わるまでティアナの手を取ると決めたのは、僕自身だった。
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