第30話 光炎の貴公子
「本戦一回戦、アルト・ロウェル対ユリウス・クラウゼル!」
名前を呼ばれた瞬間、観客席から歓声が降ってきた。
そのほとんどは、僕へ向けられたものではない。
「光炎の貴公子だ!」
「予選三試合、誰にも触れさせなかったんだろ?」
「戦闘順位上位五名と、元最下位か……」
僕と向かい合うユリウスは、歓声など聞こえていないように静かに立っていた。
整えられた金髪。
冷たい青い瞳。
右手に握る長剣には、まだ魔力を纏わせていない。
それでも構えを見ただけで分かる。
隙がない。
魔法を使わなくても、剣士として僕より強い。
「両者、武器と安全術式を確認」
審判が僕たちの剣へ触れる。
刃を覆う術式が淡く光った。
致命傷は防いでくれる。
だからといって、痛みや骨折までなくなるわけではない。
「勝敗は、戦闘続行不能、あるいは両足の場外によって決する」
観客席の一角に、ティアナたちがいた。
ティアナは胸の前で両手を組み、真っ直ぐ僕を見ている。
その隣にはメルナ。
少し離れてフィアとレグルスも座っていた。
ユリウスが観客席へ顔を向ける。
「目を逸らすな、ティアナ」
よく通る声だった。
「君が賭けた男の現実だ」
ティアナは答えなかった。
ただ、一度も視線を外さない。
「僕は君の見世物になるつもりはないよ、ユリウス」
「すぐに立っていられなくなる。見世物にすらならないさ」
ユリウスが長剣を構えた。
僕も剣を抜く。
鞘に結ばれた緑色の組紐が、風に揺れた。
「始め!」
審判の声と同時に、ユリウスの身体が光に滲んだ。
右へ一歩。
そう見えた。
僕は右から迫る剣へ、自分の剣を合わせる。
けれど、刃が触れない。
虚像だ。
遅れて左肩へ衝撃が走った。
「っ!」
僕の身体が傾く。
ユリウスの本体は、見えていた場所より一歩左にいた。
追撃の剣が脇腹へ迫る。
受けようとした瞬間、一本だった剣筋が三本に分かれた。
上段。
横薙ぎ。
下からの切り上げ。
どれが本物か判断できない。
中央を防いだ。
外れた。
脇腹へ重い一撃を受け、息が押し出される。
安全術式が火花を散らす。
致命傷にはならない。
それでも痛みは本物だった。
踏ん張ろうとした僕の足を、ユリウスが正確に払う。
背中から床へ叩きつけられた。
「ぐっ……」
「アルトはまだ戦闘可能だ。続行!」
審判の声を聞きながら、僕は剣を支えに起き上がる。
開始から、まだ僅かしか経っていない。
それなのに左肩も脇腹も痺れていた。
「光だけを見ているから外す」
ユリウスは剣を下ろさない。
「剣だけを見ても同じだがね」
床へ向けられた切っ先から、細い炎が走った。
炎は僕を狙わない。
競技場を斜めに横切り、一本の線を作る。
続けて二本目。
三本目。
僕の左右へ逃げ道を残しながら、床を分割していく。
右にユリウスの姿が見えた。
左には炎。
右へ動く。
その瞬間、見えていたユリウスが光の中へ崩れた。
虚像。
本体の長剣が、右へ逃げた僕の正面で待っていた。
辛うじて剣で受ける。
金属音とともに、腕が押し戻された。
力でも負けている。
剣を滑らせて受け流そうとした瞬間、足元から火柱が上がった。
後ろへ跳ぶ。
そこへ光を纏った切っ先が伸びる。
僕は身体を捻った。
胸元を剣が掠め、安全術式の光が弾ける。
「魔法で追い込んで、剣で取る……」
「逆もある」
ユリウスの剣が振り下ろされる。
僕が横へ避けた先で炎が弾けた。
熱に押され、体勢が崩れる。
そこへ剣の腹が叩き込まれた。
僕は床を転がり、場外線の手前で止まる。
光と炎と剣術。
三つを順番に使っているんじゃない。
剣を避けた先へ炎があり、炎から逃げた先へ虚像がいる。
どこから一つが始まり、どこで終わるのか分からない。
すべてが一続きだった。
正面から剣を合わせても勝てない。
見えている姿を追っても、本体へは届かない。
それなら――姿を追う前に、場所を変える。
床を蹴る。
一歩分の短距離加速。
踏み込みが終わった直後、交換式靴底へ摩擦軽減を流す。
身体が一気に前へ滑った。
炎の線と線の間。
人一人が通れる僅かな切れ目へ入る。
ユリウスは僕へ剣を振らなかった。
その場から、ただ見ている。
何かを待っている。
まず右足の摩擦を戻す。
靴底が床を捉えた瞬間、右足の横で炎が爆ぜた。
「しまっ――」
衝撃で膝が内側へ折れる。
左足の摩擦を戻そうとする。
その時にはもう、流れていく僕の上半身の先へユリウスが立っていた。
光を纏った剣の腹が、右肩へ叩き込まれる。
鈍い音。
肩から床へ落ち、勢いのまま何度も転がった。
滑走中を狙われたわけじゃない。
速さを失い、足が床へ繋がる瞬間を待たれていた。
「一度見せた未完成の技が、二度も通ると思ったのか」
「最初から……摩擦を戻す場所を待ってたんだね」
「予選に出た意味が、君にだけあると思うな。見せた手札は、対戦相手のものでもある」
右肩に力が入りにくい。
滑走はもう使えない。
同じ止まり方をすれば、次は場外へ運ばれる。
観客席から声が聞こえた。
「滑った先を読まれた!」
「違う」
フィアの声だった。
「先じゃない。止まる瞬間を狙われた」
「アルトの予選をすべて分析しているな」
レグルスが低く続ける。
「しかも厄介なのは、魔法がなくとも剣で押し切れることだ」
その通りだった。
ユリウスの優位は、光を破れば終わるものではない。
炎を抜けても、その先には強い剣士がいる。
それでも、見えないままでは何も始まらない。
光の屈折は、姿をずらす。
なら、ずらされた姿ではなく、光が曲がる場所を探す。
僕は剣先を石床へ押しつけた。
横へ強く擦る。
細かな石片と砂埃が舞い上がった。
「目潰しか?」
「そんなに届かないよ」
左手を前へ出す。
第一階位防壁。
僕の魔力では、紙より頼りない薄さしか作れない。
剣も炎も防げない。
けれど今は、それでいい。
半透明の膜を扇状に広げ、舞い上がった砂埃を表面へ付着させる。
無数の砂粒が、防壁の上へ点々と並んだ。
位置の変わらない、小さな目盛りだ。
ユリウスの姿が再び光へ滲む。
三つに増えた。
左。
中央。
右。
三つの虚像が同時に踏み込んでくる。
防壁に並ぶ砂粒を見る。
左側の粒は真っ直ぐだ。
中央も変わらない。
けれど右斜め前。
一直線だった砂粒の並びが、途中だけ折れ曲がって見えた。
光が、そこで曲がっている。
「そこだ!」
虚像を見ず、砂粒のずれへ踏み込む。
何もないように見えた空間から、ユリウスの青い瞳が現れた。
初めて驚きが浮かぶ。
距離は剣一本分。
本体だ。
僕が剣を振り上げるより早く、ユリウスの左手から炎が広がった。
薄い防壁が一瞬で焼け落ちる。
付着していた砂埃も熱風に吹き散らされた。
同時にユリウスの姿が横へずれる。
光の角度を変えられた。
同じ目盛りは、もう使えない。
それでも、本体の位置を捉えた一瞬は消えていない。
僕は剣へ魔力を流す。
軽量補助。
訓練用の重量調整環で、何度も変化を確かめた。
ただし、あの魔導具はここにはない。
自分の魔法で軽くできるのは、一瞬だけ。
剣を振り始める瞬間、重さが僅かに消える。
腕がいつもより速く動いた。
刃がユリウスの肩へ迫る。
命中の直前。
軽量補助を解除する。
本来の重さが剣へ戻った。
その瞬間、切っ先が指一本分だけ沈んだ。
手首が重さの変化に追いつかない。
肘が外へ逃げる。
狙っていた肩から、剣筋が下へずれた。
ユリウスの長剣が、その僅かな隙間へ差し込まれる。
光を纏った刃同士が激突した。
僕の剣は完全に止められた。
「くっ……!」
押し返された衝撃が手首から肘へ突き抜ける。
指が痺れ、握力が緩んだ。
ユリウスは一歩も退いていない。
僕の剣を弾き上げ、そのまま胸元へ蹴りを入れる。
身体が後方へ飛んだ。
受け身を取り、どうにか片膝で止まる。
あと数歩で場外だ。
「振り始めだけ剣を軽くし、当たる前に戻したか」
ユリウスは僕の意図を一度で見抜いた。
「発想だけなら悪くない」
褒める声ではない。
「だが、工夫では、才能の差は埋まらない」
長剣の切っ先が僕へ向く。
「君が僕へ届くには、摩擦を切り替え、砂を撒き、防壁を広げ、剣の重さまで変える必要がある」
ユリウスは観客席のティアナへ視線を向けた。
「僕は一つの魔法と一振りで、それを上回る」
床へ剣が振り下ろされた。
炎が走る。
一本ではない。
僕の左右、背後、斜め前。
幾本もの炎が繋がり、多角形の檻を作った。
残された正面に出口が見える。
けれど、その周囲だけ光が不自然に揺れていた。
本物の出口か。
炎の上へ重ねられた虚像か。
砂埃はもう残っていない。
滑走は読まれた。
右肩が痺れ、剣を握る手首と肘も痛む。
背後には場外線。
炎の線が、少しずつ内側へ狭まってくる。
「目を逸らすな、ティアナ」
炎の向こうで、ユリウスが長剣を構えた。
「君が僕ではなく彼を選んだ結果だ」
ティアナは目を逸らさなかった。
僕もまだ、膝をついたままでは終われない。
剣を握り直し、狭まる炎を見据える。
炎に塞がれた出口の向こうで、ユリウスの剣だけが、僕の敗北を待っていた。
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