第28話 土姫の花園
「ティアナ・アーヴェル、入場!」
名前を呼ばれ、ティアナが競技場へ足を踏み入れた。
いつもの制服ではなく、武闘大会用の軽装だ。腰には小さな種袋をいくつも下げている。
対面には、炎を纏わせた長剣を持つ男子生徒。
二人とも、ここまで二戦二勝。
勝った方だけが本戦へ進める。
「ティアナー!」
隣から、とんでもない声量が飛んだ。
メルナが両手で大きな応援旗を振っている。旗には、色鮮やかな花と一緒に『土姫必勝』と書かれていた。
「会場ごと咲かせちゃえー!」
「その旗、いつ用意したの?」
「昨日の夜!」
胸を張るメルナへ、僕は聞いたことを少し後悔した。
競技場のティアナはこちらへ振り返り、苦笑しながら片手を振った。
それから、対戦相手へ向き直る。
その瞬間、表情が変わった。
笑顔は残っている。
けれど、目はもう競技場のすべてを見ていた。
「両者、構え!」
ティアナが種袋へ手を入れる。
対戦相手は長剣を正眼に構え、刀身へ炎を沿わせた。
植物魔法にとって、火は相性の悪い属性だ。
しかも、相手はティアナの広範囲魔法を警戒している。地面を植物で覆われる前に距離を詰めるつもりなのだろう。
「始め!」
ティアナが種を撒いた。
種が石床へ落ちるより早く芽吹き、細い蔦が何本も走る。
足首を狙う蔦。
左右の逃げ道を塞ぐ蔦。
正面から迫る蔦は少なく、相手の進路を斜めへ限定する配置だ。
だが、火の剣が横薙ぎに振るわれた。
炎が扇状に広がり、蔦をまとめて呑み込む。
青々としていた葉が縮れ、黒く変わった蔦が石床へ崩れ落ちた。
「やっぱり、燃えるよね」
ティアナが呟く。
焦った様子はない。
対戦相手は油断せず、炎の中から踏み込んだ。燃え残った蔦も、一歩ごとに剣で断っていく。
ティアナは後ろへ下がりながら、次の種を撒いた。
また蔦が伸びる。
また、焼かれる。
観客席から、ざわめきが起きた。
「相性が悪すぎる」
「土で防げても、植物は使えないだろ」
僕も最初は、そう見えた。
けれど、ティアナは焼かれた蔦を見ていない。
足元を見ている。
正確には、石床の継ぎ目を。
炎によって黒くなった蔦の先端が、ほんの僅かに動いた。
地上部分は焼かれている。
それでも地下の根までは消えていない。
「……違う」
僕は身を乗り出した。
「何が?」
メルナが旗を振ったまま尋ねる。
「ティアナは、最初から蔦だけで捕まえるつもりじゃなかったんだ」
蔦が走った場所には、石床の亀裂や継ぎ目がある。
細い根を通せる場所だ。
ティアナは蔦を焼かせながら、地面の下へ進む道を探していた。
小さく持ち上がった石床の隙間へ、黒く焦げた根が潜り込む。
土魔法によって継ぎ目を僅かに開き、そこからさらに地下へ広がっていく。
対戦相手には見えていない。
けれど、ティアナには分かるのだろう。
相手の足が床を打つたび、根を通して振動が伝わる。
次にどちらへ踏み込むのか。
どちらの肩が下がったのか。
炎が刀身のどこへ集まっているのか。
対戦相手が大きく剣を振りかぶった。
刀身の炎が膨れ上がる。
「焼き払う!」
横一線に放たれた炎が、逃げ場を埋めた。
ティアナは両手を前へ出す。
地面から、巨大な花が開いた。
白い花弁が重なり、その内側へ黄色、さらに淡い緑の花弁が続く。
炎が外側の花弁へ衝突した。
白い花弁が一瞬で焦げ、剥がれ落ちる。
その奥の黄色い花弁も焼けた。
だが、一枚が焼けるたびに次の花弁が斜めに開き、炎を上へ逸らしていく。
花弁と花弁の間から、水蒸気が噴き出した。
含ませていた水分と空気で、熱を一度に内側へ通さないようにしている。
「三枚、四枚……まだ燃えてる」
防壁の向こうで、ティアナの呼吸が荒くなる。
完全に炎を止めたわけではない。
何層もの花を消費して、受け流しているだけだ。
対戦相手も、それを見抜いていた。
炎が視界を塞いでいる間に、花の防壁へ接近する。
長剣が一枚ずつ花弁を切り裂いた。
最後の花弁が左右へ割れる。
その向こうに、ティアナがいた。
火を纏う切っ先が肩へ迫る。
ティアナの足元で土が盛り上がった。
僅かに傾いた足場へ対戦相手の踏み込みがずれ、長剣がティアナの髪の横を通過する。
続く返しの斬撃。
短い蔦が手首へ絡み、剣筋を指一本分だけ引いた。
相手はすぐに炎で蔦を焼き切る。
三撃目が来る前に、ティアナは後ろへ跳んだ。
それでも距離はほとんどない。
次を防ぐ花弁も、相手を長く止める蔦も、もう間に合わないように見えた。
「捕まえた!」
対戦相手が踏み込む。
その足が石床へ着く直前、ティアナは両手を地面へついた。
「ううん」
顔を上げ、笑う。
「そこまで来てもらったの」
地の下で、何かが脈打った。
競技場の端から端まで、石床の継ぎ目へ淡い緑の光が走る。
次の瞬間。
花が咲いた。
白い花。
黄色い花。
淡い緑の小さな花。
葉が広がり、蔦が絡み合い、競技場のすべてを覆っていく。
石床そのものを壊してはいない。
最初の蔦が見つけた継ぎ目と亀裂だけを使い、地面の下へ広げていた根を一斉に芽吹かせたのだ。
対戦相手が後退する。
その着地点へ、既に根が伸びていた。
右へ踏み出せば右の花が開き、左へ動けば左の蔦が持ち上がる。
どこへ足を置いても、ティアナには伝わる。
足音も、重心も、次の一歩も。
「花園……」
誰かが呟いた。
競技場は、もう円形の石舞台ではなかった。
すべての花と根を、ティアナの感覚へ繋いだ戦場だ。
「土姫だ……!」
その呼び名が観客席を走る。
花園の中央で、大きく土が盛り上がった。
土の骨格へ太い根が巻きつく。
蔦が筋肉のように重なり、その表面へ葉と花が開いていく。
立ち上がったのは、植物の巨人だった。
観客席へは届かない。
それでも、人の何倍もの高さがある。
「ティアナー! 最高っ!」
メルナの声が、歓声すら突き抜けた。
対戦相手は怯まなかった。
植物の巨人へ向かい、炎を纏った長剣を振り下ろす。
巨人の腕から、葉と蔦がまとめて焼け落ちた。
土の骨格にまで亀裂が走る。
だが、競技場を覆う花園から新しい蔦が集まり、損傷した腕へ巻きついた。
無限に戻るわけではない。
巨人が腕を補うたび、ティアナの肩が上下する。
額にも汗が浮かんでいた。
それでも、花園は止まらない。
対戦相手が右へ走れば、根が壁になる。
左へ切り返せば、無数の花が一斉に開き、視界を遮る。
後退した先では、蔦が絡み合って道を閉じた。
植物の巨人が拳を振り上げる。
しかし、打ち下ろさない。
一歩ずつ進み、相手が選べる場所だけを消していく。
炎で右の根を焼けば、左の花弁が開く。
花弁を斬れば、その足元で土が僅かに隆起する。
巨人だけと戦っているのではない。
花園全体が、ティアナの手足だった。
対戦相手が最後の空間へ追い込まれる。
「まだだ!」
剣から炎が噴き上がった。
だが、踏み込もうとした足首を地下の根が一瞬だけ止める。
太い蔦が剣を握る腕へ絡みついた。
相手は炎を広げ、まとめて焼き切ろうとする。
その周囲に、何層もの花弁が開いた。
炎は花弁の傾きに沿って上空へ噴き抜ける。
植物の巨人の両手が伸びた。
対戦相手の身体を殴るのではなく、胴と腕を包むように抱える。
「なっ――」
巨人は相手を持ち上げた。
そのままゆっくりと歩き、競技場の境界線を越える。
安全を確かめるように腰を落とし、対戦相手の両足を場外の地面へ着けた。
一拍遅れて、審判の旗が上がる。
「両足の場外を確認! 勝者、ティアナ・アーヴェル!」
拘束していた蔦が、すぐにほどけた。
対戦相手は自分の足元を見下ろし、次に花で埋まった競技場を振り返る。
「見えている植物は、全部焼いたつもりだった」
荒い息を整え、剣を下ろす。
「だが、最初から相手にしていたのは、一本の蔦じゃなかったんだな」
「うん。全部だよ」
ティアナも息を切らしながら答えた。
それから、きちんと頭を下げる。
対戦相手も判定へ抗議せず、剣を引いて礼を返した。
歓声が弾けた。
三戦全勝。
ティアナの本戦進出だ。
風に揺れる花々の中央で、ティアナが両手を上げた。
「ティアナ、最高ー!」
隣でメルナが旗を振り回す。
僕は慌てて身を引いた。
「危ないよ、メルナ」
「アルトももっと喜んで! あの花園、すごいでしょ!」
「うん。すごい」
多い魔力を一度に放っただけじゃない。
種を置く順番。
根を地下へ隠す判断。
花弁を何層にも分け、炎を上へ逃がした制御。
最後には、あれだけ巨大な腕で相手を傷つけず、両足だけを場外へ着けた。
これまで僕の隣にいたティアナは、壁を作り、足場を整え、僕たちを支えてくれた。
けれど、それだけじゃない。
一人で競技場へ立てば、戦場そのものを自分の味方へ変えられる。
それが土姫なのだ。
そのティアナが、花園の中から観客席を見上げた。
僕と目が合う。
「アルト!」
よく通る声だった。
近くの生徒たちが、一斉に僕を見る。
「え?」
ティアナの頬が、咲いている花よりも赤くなる。
それでも、視線を逸らさなかった。
「明日の午後、私と七彩祭を回ってくれる?」
観客席がざわつく。
ティアナは一度だけ息を吸った。
「二人で」
さらに声が増える。
「今度は買い物じゃなくて、ちゃんとデートとして」
今度は歓声が上がった。
どうして試合より大きいんだろう。
僕の顔だけでなく、耳まで熱くなっていく。
周囲の視線が痛いほど集まっていた。
メルナは隣で両手を口元へ当て、返事を待っている。今にも僕の代わりに叫びそうだけれど、何も言わなかった。
ティアナが、自分で尋ねたことだから。
僕も、自分で答えないといけない。
「うん」
最初の声は少し小さかった。
だから、もう一度ティアナを見て言う。
「僕もティアナと一緒に回りたい」
ティアナの顔に、いつもの笑顔が戻った。
今まで見た中でも、いちばん嬉しそうな笑顔だった。
「よく言ったー!」
メルナが僕たちの分まで叫んだ。
花園から舞い上がった一枚の花弁が、観客席まで届く。
それを目で追った先に、整えられた金髪が見えた。
上段席に座るユリウス・クラウゼル。
冷たい青い瞳が、競技場のティアナから僕へ移る。
土姫の範囲魔法を見定める目。
そして、僕たちの間にあるものを測るような目。
ユリウスは割って入らなかった。
何も言わず、ただこちらを見ていた。
花に埋まった競技場の向こうで、ユリウス・クラウゼルだけが笑っていなかった。
「面白かった!」
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