第26話 最下位、勝ち上がる
「アルト・ロウェル、入場!」
名前を呼ばれ、僕は競技場へ足を踏み入れた。
観客席から、ざわめきが降ってくる。
「本当に出場したのか」
「戦闘順位最下位だろ?」
「一本当てれば勝ちだと思ってないか?」
今回の武闘大会は、普段の模擬戦とは違う。
武器には致命傷を防ぐ安全術式が施されているが、剣を一度当てただけでは勝敗は決まらない。
相手を戦闘続行不能にするか、両足を場外へ出す。
どちらかを満たすまで、試合は続く。
「規定は確認したな」
中央に立つバルト教師が、僕と対戦相手を見渡した。
「安全術式を過信するな。骨も折れれば、意識も飛ぶ。続行不能と判断した時点でこちらが止める。では――始め!」
一戦目の相手が、一気に間合いへ入った。
片手剣が右肩へ迫る。
僕は剣の腹で受け流したが、続く逆袈裟までは流しきれなかった。
安全術式が青白く弾ける。
「くっ……!」
左腕が痺れた。
けれど、動かせないほどではない。
試合は止まらない。
三撃目の突きを半歩下がって避ける。
「まだ立つか」
「立てるうちは」
相手の身体強化は、僕より明らかに上だった。
剣筋も乱れていない。
力任せではなく、基礎を正しく積み上げた剣だ。
正面から打ち合えば、僕の腕が先に動かなくなる。
再び三連撃。
一撃目を外へ流す。
二撃目を鞘で受ける。
三撃目から逃れた時には、踵が場外線の近くまで押し込まれていた。
「やっぱり差があるな」
観客席から声が落ちてくる。
でも、二度見た。
相手は強く踏み込む直前、後ろ足の踵を浮かせる。
三連撃のあとには、剣を握る親指の位置を直す。
ほんの一瞬だけ、握りと意識が切れる。
僕は剣先を下げ、右肩を空けた。
疲れて構えが崩れたように見せる。
相手の後ろ足が浮いた。
来る。
一撃目を剣で外へ流す。
二撃目を身を沈めて避ける。
三撃目の突きへ、逃げずに踏み込んだ。
剣同士が擦れる。
相手の切っ先を外へ押し出し、鍔を手首へぶつける。
安全術式が衝撃を抑えたが、握り直す途中だった指までは耐えられない。
片手剣が宙を舞った。
「まだだ!」
相手は武器を失っても、肩から僕へぶつかってきた。
僕は半歩横へずれる。
勢いの流れた脇へ入り、剣の柄頭を胸当てへ突き込んだ。
鈍い音。
相手の息が止まる。
さらに足を掛け、地面へ倒した。
相手はすぐ起きようとした。
けれど呼吸が戻らず、片膝をついたまま立てない。
「三! 二! 一!」
バルト教師の数える声が響く。
相手の手が地面を掴む。
それでも、身体は持ち上がらなかった。
「戦闘続行不能! 勝者、アルト・ロウェル!」
競技場が静かになった。
僕も剣を下ろしたまま、しばらく動けなかった。
判定が覆るのではないか。
もう一度立てば、再開するのではないか。
けれどバルト教師は、倒れた相手の状態を確かめたあと、もう一度僕の勝利を宣言した。
「……勝った」
公式戦で初めて、勝者として僕の名前が呼ばれた。
「アルト!」
ティアナの声が、静寂を破った。
遅れて拍手と驚きが広がる。
「偶然じゃないのか?」
「いや、武器を落としたあとまで考えてたぞ」
治療術を受けて立ち上がった相手が、胸当てを押さえながら僕を見る。
「次は、握り直す癖を直す」
「僕も、同じ手はもう通じないと思っておくよ」
互いに一礼し、競技場を出た。
一勝。
レイシアへ送った約束は、果たせた。
でも、予選を抜けるには、あと二人に勝たなければならない。
二戦目の相手は、大きな盾と短い槍を構えていた。
「始め!」
開始直後、盾が僕の正面を塞ぐ。
右へ回れば槍が来る。
左へ動けば盾ごと押し返される。
剣を叩きつけても、相手の姿勢はほとんど揺れなかった。
相手は無理に決着を急がない。
盾で僕の進路を狭め、槍で後退を強いる。
一歩。
もう一歩。
背後の場外線が近づいてくる。
「力で盾をどかせないなら、もう逃げ場はないぞ」
その通りだ。
僕には盾を破壊する力がない。
だから、盾の正面には立たない。
相手が場外へ押し出すため、大きく踏み込んだ。
槍が僕の左側を塞ぐ。
僕は斜め前へ地面を蹴った。
通常の摩擦がある靴底で、最初の力を受け取る。
一歩分だけ短距離加速。
足が地面を離れた直後、交換式靴底へ摩擦軽減を流した。
踏み込みで得た速度を失わず、身体が槍の横を滑り抜ける。
「なにっ?」
相手が盾を回した。
けれど僕は、すでに盾の外側へ出ていた。
このままでは、僕も場外へ滑っていく。
右足の摩擦を先に戻す。
靴底が地面を噛み、身体が右へ回った。
次に左足。
膝と足首へ痛みが走る。
上半身だけが止まりきらず、前へ投げ出された。
完全には止まれない。
それでも、勢いの向きを変えることはできた。
僕は剣を横へ寝かせ、相手の盾へ押し当てる。
倒れかけた身体ごと、肩からぶつかった。
こちらへ踏み込んでいた相手の勢いが、横へ逸れる。
「しまっ――!」
盾を持った相手が、場外線を越えた。
右足。
続いて左足。
両足が完全に競技場の外へ着く。
僕も後を追うように滑ったが、左足だけは場内に残った。
「場外!」
バルト教師が腕を上げる。
「勝者、アルト・ロウェル!」
僕はその場へ尻餅をついた。
右の足首が熱い。
止まったというより、相手へ勢いを押し渡しただけだ。
けれど、二勝目だった。
「また勝ったぞ……」
「一戦目だけじゃなかった」
「あの靴が速くしたのか?」
「違う。あれは交換式の靴底だ。魔法を切り替えたのは本人だろ」
観客席の空気が変わっていた。
フィアと目が合う。
フィアは一本指を立てたあと、その指を僅かに傾けた。
片足ずつ摩擦を戻したことは成功。
でも、停止は半拍遅い。
きっと、そういう評価だ。
隣にいるレグルスは腕を組んでいた。
「二度続けば、偶然とは呼べないな」
褒めるような声音ではなかった。
ただ事実を認めるように、金色の瞳が次の対戦表へ向く。
三戦目。
この予選組で、最も戦闘順位が高い相手。
遠距離魔法を得意とする生徒だった。
「接近される前に終わらせる」
相手の両手の周囲へ、小さな魔力弾が浮かぶ。
「始め!」
三発の魔力弾が時間差で飛んできた。
一発目を剣で逸らす。
二発目を屈んで避ける。
三発目は、僕が避けた先へ回り込んだ。
肩へ直撃する。
安全術式が衝撃を和らげたが、それでも身体が横へ弾かれた。
僕は地面へ手をつき、どうにか立ち上がる。
「続行可能か!」
「できます!」
バルト教師へ答え、剣を構え直す。
相手は僕の動きを読んでいる。
直線に近づけば正面から撃つ。
左右へ逃げれば、その先へ弾を置く。
急いで決着を狙わず、僕を場外際へ追い込んでいく。
相手の周囲に、今度は七つの魔力弾が浮かんだ。
扇状。
左右に抜け道はない。
後ろへ下がれば場外。
全部を剣で弾くこともできない。
「これで終わりだ」
七つの魔力弾が放たれる。
《閃駆》では駄目だ。
直線へしか進めない力では、正面の弾へ突っ込むだけになる。
僕は中央の一発だけを見た。
術者の手を離れ、完全に独立した魔力へ変わる瞬間。
剣を左腕の前へ立てる。
制服の袖と剣の腹で、手袋の下にある紋章を隠した。
一つを、一呼吸だけ。
左腕の奥で、黒い口が開く。
中央の魔力弾が剣へ触れる寸前、その輪郭が崩れた。
黒い糸へほどけ、袖の下へ吸い込まれる。
弾幕の中央に、人一人分の穴が開いた。
僕はそこへ飛び込む。
残りの魔力弾が、制服や髪を掠めて後方へ抜けた。
直後、胃が裏返った。
「うっ……!」
腹の内側から、何かに噛みつかれる。
左腕の紋章が焼けるように痛んだ。
競技場を覆う安全結界が、巨大な菓子のように見える。
相手の胸の奥にも、温かい魔力がある。
『足りぬ』
ベルゼバスの声が、頭蓋の内側を擦った。
『残りも喰え。目の前に、もっとある。口を閉じるな』
駄目だ。
喰ったのは一つだけ。
僕は左手を強く握り、暴食を閉じた。
紋章が拒むように脈打つ。
それでも意識を切り離し、前だけを見る。
「魔力弾が、消えた……?」
相手は驚きながらも、すぐ両手へ二射目を集め始めていた。
止まれば撃たれる。
僕は空腹で震える足を前へ出した。
一歩。
二歩。
二射目が形になる直前、相手の懐へ入る。
僕の剣が、魔法を放とうとする右手を外へ払った。
術式が崩れる。
続けて身体を入れ替え、柄頭を胸当てへ突き込む。
安全術式が青白く弾けた。
相手の呼吸が止まり、膝が落ちる。
それでも手を地面へつき、立とうとした。
「五! 四! 三!」
バルト教師が数える。
相手の指先に魔力が灯る。
だが術式を組む前に光が消え、身体が再び崩れた。
「二! 一!」
立ち上がれない。
「戦闘続行不能!」
バルト教師が僕たちの間へ入った。
相手の状態と安全術式を確認する。
「勝者、アルト・ロウェル! 三戦全勝、予選組一位で本戦進出だ!」
歓声が、競技場を揺らした。
「三勝したぞ!」
「最下位が予選を抜けた!」
「今の魔力弾、どうやって消したんだ?」
「剣で構造を崩したのか?」
「特殊な魔力拡散じゃないか。あいつ、座学は上位だろ」
僕は吐き気を堪えながら、倒れた相手へ手を差し出した。
治療術で呼吸を整えた相手が、その手を掴む。
「次は、消した方法まで見破る」
「僕も、同じ穴を二度通れるとは思ってない」
一礼して競技場を出る。
退場口の近くに、淡い銀緑色の髪が見えた。
セルフィナが手すり際に立ち、小さな風精霊へ指を差し出している。
「違います。散ったのではありません」
誰へ聞かせるでもなく、静かに呟いた。
「あの魔力は、消えました」
翡翠色の瞳が、僕の左腕へ向く。
けれど、セルフィナは声をかけてこなかった。
僕は待機通路の壁際まで進み、そこで腰を下ろした。
「アルト、顔が真っ青だよ」
ティアナが駆け寄りかけ、途中で足を緩める。
「少し休めば歩ける。今は、ここにいるよ」
「分かった。水、置いておくね」
理由を問い詰めず、水と携帯食を隣へ置いてくれた。
固い保存食を二つ噛み、水で流し込む。
胃には入った。
それでも左腕の奥にある飢えは、少しも満たされなかった。
三勝したから、安全に使えたわけではない。
今回は閉じられただけだ。
しばらくして、中央掲示板の戦闘順位が更新された。
武闘大会の公式戦績が、光の文字となって反映されていく。
僕の名前は、まだ下位帯にあった。
ユリウスやフィア、レグルスたちのいる場所は、遥かに上だ。
それでも僕の欄から、「最下位」の文字は消えていた。
順位表の最下段に、もう僕の名前はなかった。
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